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 体育館であのような地獄が生じたにも関わらず、昼間の街は至って平凡なのが逆に気味悪い。

 そんな風に思いながらも歩道を踏みしめ街を歩く。その時、体育館で見た光景がいまだ脳裏で何度も繰り返しチラつきながらも、香田のことが気にかかっていた。

 直感で、彼女と出会えばこの騒動にも光が差し込んでくるのではないか、あるいは、まったく理解出来ないあの体育館での怪奇を多少は理解出来るよう彼女に説明してもらえるのではないか、さらに言えば臭いのことだとか口裂け少年のことだとかこれまでの諸々の最悪でショックな出来事全ての説明もしてもらえるのではないか、と思っていた。

 香田という人間は理解の範疇を超えている発想の持ち主だからこそ、理解の範疇を超えている出来事に対しての知識が明るいのではないかと気が付いたのだ。

 大通りに出る。この大通りを前に十分ほど突き進み右折して、そこから色々曲がっていって書店近くの小道に入った所に香田の家はある。彼女が在宅なのかさえもわかりはしなかったが、しかし私はとにかく香田香田ってな具合に香田しか頼りが無い。神にすがりつく哀れな小市民である。

「あっ」

 そこで立ち止まった。神にすがりつく哀れな小市民。そのワードに何かヒントが隠れているような気がしたのだ。幸いここは自宅ではないから臭いに邪魔されることもないから思索するべきか、と考え私は近くの電信柱に寄りかかり、思索を始めようと思ったが、やっぱり大通りなので人目が気になる。運転手がチラッとさりげなく不審気に一瞥してきてたり、どっかのおばちゃんがめっちゃこっちを睨み付けて来たりしているので、電信柱に寄りかかって思索をするのは諦めた。とぼとぼと歩きながら蒸し暑いあまりに遠くが陽炎になって揺らぐ炎天下を、平和に見える炎天下を、歩き続ける。空に、カラスの群れが飛ぶのが不吉だ、と思いながら。

 太陽の手前に、黒々とした影。


   


小道に入ったところで彼に出くわしてしまった。先日、私をひどく脅かしてくれたあの口裂け少年である。久国に似ている黒い肌の彼が、書店近くの小道に入ったところで待ち伏せていたかのように直立しているのだった。

「うひひひひどうも」

相変わらず悪魔チックな微笑みを浮かべてくる彼から逃げたいと思いながら、空に向かって隆々と聳え立っている鉄塔を口惜しく眺める。夢の中ではまったく変化が無かった鉄くずバベルは、現実では恐ろしい程に全長を伸ばしていてここからでもよく見える。

本当に塔を作ってるんだ香田は。

と私は呻きながらも、目の前のこの少年をどう扱えばよいのか計りかねている。

「僕ってさ。家庭用のビニールプールで身体が作られてるんだって」

体育館で触った久国の背中の感覚と、口裂け少年の肩の感覚は同じ感覚だった。その口裂け少年は、執拗に自らの身体がビニールプールで作られていることをアピールしている。そうなると、必然的に思い浮かんでくるのは久国がビニールプールに漂っていた先日の光景で、久国と口裂少年の共通点は深まってくる。

「鉄くずバベルが昇り上がっているね」

 少年は背後の鉄塔に人差し指を出し、その指を次には私に向けて、さらにその次には指で銃の形を模していた。

「ばーんっ」

 とまだ裂けていない口で叫びあげてくる。思わず身体が縮み上がってしまった私を見て、彼は面白そうに腹を抱える。

「からかうって、楽しい」

 ケタケタと喉を鳴らしながら彼はさらにもう一度「ばーんっ」とかましてくる。今度は二回目だったから全然縮み上がらなかったけど彼は屈託無く楽しそうで、はしゃいでいるようだ。

「ばーんばーんばーんばーんばーんばーんばーん」

 長いこと彼ははしゃいでいて、これがただの少年ならば構うことも無く通り過ぎるけれども彼の瞳のその深層を見れば明らかにそこに秘めている狂気というか触れがたい人ならざるもの的な恐怖が存在していて、その狂気を振り切って口裂け少年を横切る度胸などは、そんなもんあるわけがないに決まっているではないか。 

 鉄くずの塔は間近なのに。あそこに行けば、何かがわかるような気がするのに。香田に会えるような気がするのに。臭いの謎がわかる気がするのに。いろいろわかる気がするのに。

 様々な混乱が怒りに変換されて怖気付かないための度胸になったので口を開く。

「お前は一体誰なのだか答えろ」

 だが口裂け少年はちっともこっちにびびってはくれない。平然と「ばーん」という返事。

「人間か」

「ばーん」

「鉄くずの塔に行きたいんだ俺は」

「ばーん」

「邪魔だどけよ」

「ばーん」 

「このごみくず野郎!」

「ばーん」

「ばーんじゃないんだよ」

「ばーん」

「いい加減にしてくれ」

「ばーん」

「ここをどいてくれるだけでいいんだけど」

「ばーん」

「うーん」

「ばーん」

「ふーん」

「ばーん」

「どーん」

「ばーん」

「ばーん」

「ばーん」

「ばーん」

「ばーん」

 何時の間にか二人で銃を撃ち合う展開になる。何回も風穴が開いていく少年の身体と俺の身体。俺は撃たれるたびに身体が空白になっていくっていう奇妙なよくわかんない感じになっていたけれど、楽しかったので彼と撃ち合いをするのを続けてた。僕と彼で撃ちあい。楽しいなあ刺激的だなあっつってちっとも飽きが来ない。僕は何時の間にか彼と同じ目線で直立していて、今まで見下ろしていたことを申し訳なかったねって謝りたい気分にも駆られたけど謝るのも癪だったから、その代わりに銃弾を撃ち合うことで交流を図る。ケンカと同じ原理だね。それに使う道具が銃口っていうことがちょっと危険だけど、僕は楽しいからまあいいや。彼も、楽しんでいるし万事解決。

「ばーん」

「ばーん」

「ばーん」

「ばーん」

「ばーん」

「ばーん」

「ばーん」

「ばーん」

「バーン」

「ばーん」

「ばーん」

「バーン」

「ばーん」

「ばーん」

「バーン」

「ばーん」

「ばーん」

「バーン」

「ばー……ん、何か格好いい言い方するばーんがいるけど?」

「ほんとだぁ」

 僕と彼は乱入者に気が付いたので撃ち合いをやめた。

「バーン。……少年たち。閑静な住宅地で行う危険な撃ち合いは、楽しかったのだろうかな」 

 その作業服姿の勇ましい人を見て、僕はだいぶ嬉しい。待ち侘びていた人だったからだ。

 香田の黒髪が、わずかに吹く風を受けて揺らめいてる。

 また、太陽を背負い込んでる。






「一緒に行けるのは一人だけなんだよぉ」

 黒髪をはためかしながら作業服姿で仁王立ちをしているというのは勇ましいが偉そうで色気があんまり無い。とか思いながら、僕はうーん一人しかいけないのは困ったなあとかいう現実的なことも考えてる。

 香田に首根っこを掴まれて僕と口裂け少年は鉄くずバベルの頂上まで連れてこられた。香田は両手が空いてないのにひょいひょい身軽に鉄くずバベルを登ってしまうのはもはやかっこよかった。頂上に到着して首ねっこを放されて自由にしてもらうと、早速頂上からの眺めを堪能してみる。頂上は高いから僕の住んでる街を一望することが出来て、しかもカラスやすずめたちと同じ高さになってる。学校はどうなってるのかなと目を向けてみると、学校全体が変な黒い霧みたいなもやもやしてるのに包まれちゃってて、みんながどうなってしまったのかわからない。だけどパトカーとか救急車とかがたくさん黒い霧の周辺にたくさん集まってて、赤い点灯がたくさんキラキラしてる。黒と赤のコントラストがちょっと綺麗だったけど、みんなのことは心配だった。そうだ、みんなを助けなくてはいけない。だからこそ僕は香田に会っていろいろと話を聞こうと思っていたんだ。香田ならこの問題を解決してくれるんじゃないか、って想像したんだ。……だけど、僕は小さくなってしまった。子供になってしまった。こんな僕に香田の難しい話を理解できるのか不安だ。だけど頑張るしかないんだ、だから香田の言うことをしっかり耳を澄まして聞き取って理解して情報を引き出さなくちゃいけないんだ。それに、僕は今子供になってるけど頭脳まで完璧に子供になってるわけじゃないみたいだし。名探偵になった気分でちょっと嬉しい。って、そんなこと考えてる場合じゃない。

鉄くずバベルの頂上は思ってたより全然涼しい。

高いんだから太陽が近づいてきて余計に暑くなるのかなと予想していたけど、頂上には時々強い風が吹いてくるからどちらかというと涼しいかな。足元の鉄くずが熱を持っているから足元は汗だくで困ったものだけれど。

「どうする、少年たち。行ったら、もう戻ってこれないかもね。このウーパールーパーの入ってる水槽を二人の男女が天に掲げた時、神様は怒りを静めてくれるという話だけれど」

「俺か彼かのどちらかか。くひひ」

 口裂け少年はまだはしゃいでいて楽しそうに笑う。だけど僕も楽しくなってきた。彼と僕でどちらが香田と共にウーパールーパーの水槽を神に捧げるのかということを争うのだ。勝負に勝ったほうが勝ち組で負けたほうが負け組だ!こんにゃろう、ばとるぜ!

 しりとりがはじまる。

「しりとり」「りす」「すいか」「かもめ」「めだか」「からす」「すずめ」「麵棒」「う…し」「信号機」「金閣寺」「神保町」「運動会」「印刷機」「きんのたま」「まりも」「森元レオ」「あ、漢字が違う! 森本レオだよ」「え」「やった、勝った」「漢字が違うってどういうことだよ」「ギャーギャー騒ぐんじゃない」

 こうして僕が勝った。口裂け少年はよたよたと後ずさりして、「う、うそだあ」と叫んだ後、絶望に満ち溢れた表情に変わって鉄くずバベルから飛び降りようとした。絶望から自殺を試みようとすることになったのだ、口裂け少年は。

「だめだ!」

 僕はすごい勢いで鉄くずをダッシュ。今にも落下する寸前の彼に向けて、手を差し伸べて助けようとしたが子供だから予想よりも腕が短い。これはもうダメか、間に合わないかもしれないと思ったが背後から「跳べ!」という香田の声。それを信頼した僕は跳躍して無理矢理口裂け少年の手を掴んだ。

「あぁっ!」

だが、僕だって跳んだからこのままでは落っこちてしまう。ペチャンコに潰れることを僕は一瞬、覚悟した。だが僕は香田が助けてくれるものと確信していたから、大丈夫だ、という思いのほうが強く、今にも僕の浮かび上がっている両足を香田がむんずと掴んでくれると思っていたものだが、しかしその瞬間が一向訪れず、ずっと僕は跳んだままで、すでに重力に引っ張れられ始めていて地面のコンクリに降下するのは時間の問題と焦る。さっさと香田足掴めよ、と思うがそれでも香田は足を掴んでくれない。どうしたことだ、まさか羽目られたのか、という暗雲が頭を過ぎる。

 その疑心暗鬼で人間不信に落ち込みそうになったその寸前。僕の両足は、グワンと勢い良く怪力で引っ張り上げられた。それに付して口裂け少年も宙を舞う。

「ぐああああ」

「うわあああ」

 ガツン、と鉄くずに全身を打ち付けてひどく痛くて泣きたくなった。口裂け少年は「うひひひ」とこんな時でも笑っているのか、と思って振り向いたら黒い顔を赤黒く変えてくしゃくしゃになって号泣していた。歯を折ってしまったのだろう、口から血が止め処なく流れているのが痛そうだったが慰めるわけにもいかなかったのは僕も歯がおっかけてしまって激痛だったから。

 二人して歯が折れてしまったので争ってる場合じゃない。口が痛くてしりとりも出来ないし、そもそもしりとりで争うなんていう行為自体がいくら子供と言っても子供染み過ぎてる気がする。子供というよりは幼児じゃないかこれじゃもう。っていうことを激痛と共にやけに冷静に感じた僕だった。

 学校のほうをふと見ると。

黒い霧はさらに濃く黒ずんでいた。パトカーと救急車の数が先程よりも増えている。

 「いててうひひひいてて」

 久国の泣き喚きを煩わしく思いながら。

 こんな茶番劇をやっている場合ではないような気がして、罪悪感が生じた。

 


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