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友人は謎な性格をしている人間で、自宅の庭で何かモノを作るのが趣味の人だ。庭でモノを作るなんてのは別に謎ではなく、ごく通常の行為なのかもしれないが、その友人の場合は、製作するモノが異常なので通常でないのだった。
で、走り続けて息を切らしながら辿り着いた、久しぶりに訪れる友人宅。
見た瞬間に驚愕。
なんということか、庭に足を踏み入れることがまず困難だった。つうのは、庭に積み重なっているモノが邪魔で進入が不可能なのである。鉄である。鉄くずの集合体である。鉄しかない。それを私は足で蹴飛ばすが、硬いそれはビクとも動かない。
「めんどくせー」
ぐだぐだ言いながらも、ある意味『山』と言ってもいいその積み重なりを、私は懸命に汗水たらしてよじ登ることにした。試練だと思えばこんなの何てこと無い障害だ、とか思いながら。
陽の光の熱を吸収しているその鉄の積み重なりは、下手に触ると火傷するくらいだったので、慎重に運動神経をフルに活用してよじ登ったものだ。
そして私は十分くらい時間をかけた。めっちゃ暑い中、しんどいと何度も思いながら。しかし遂にその『山』を登り切りそうになった時。
突然、頭上から振り落ちてきた影。鉄パイプが一本、崩れ落ちてきたのだ。
慌てて避け、そして避けることに成功するが、しかしその際足を滑らせてしまう。
「うぉぁああああ」
と叫びながら絶望の心持ちに支配された瞬間、しかし、救世主。
ギュッと、手を掴まれた。
その手はボロボロで黒ずんでいる軍手。私はそれを見て安堵の息を付いた。そう、つまり、友人の差し出された手のおかげで、私は落下せずに済み、傷一つ付くことも無く、助かったのだった。
「熱っい鉄を素手でよじ登ってくるとは。…本当に、ご苦労さまだったね!」
優しい言葉で労わってくれる『変人』として有名な友人が、長い黒髪をはためかしながらニッと微笑んだ。
太陽を背負い込んだまま。
「お、めずらし」
山の頂上をガチャガチャと音を鳴らしながら歩いていると、坊主頭のもう一人の友人から声を掛けられた。彼がいるとは思っていなかったので少し驚きつつも、
「お。元気?」
などと軽い挨拶をしながら、この鉄くずの『山』が一体どういう試みで作られたのか尋ねようと思った。だが、その前に長い黒髪の友人、香田は、黒ずんでいる軍手を手から抜き取り、私がいろいろと尋ねる前に全部説明しようとしているのだろう、思案している雰囲気だった。
「うーん、これがどういう製作物かということをしっかり説明したいんだけど、どこから話したらいいか…。難しいな。……ねえ。……久国!」
彼女は坊主頭のスポーツマン青年、久国に叫んで手招きをする。
「んああー」
だが久国は気だるそうな怠け者の声。彼は、おそらく猛暑のせいだろう、うなだれているばかりで、腰を上げようとせず、しかし家庭用ビニールプールに水着一丁でぷかぷか浮かんで楽そうでもあるのだが、「…だるい」などとうわ言ばかり。
「うぐぐぐぐぐ」
久国が良い反応をしないことに香田は歯を剥き出しにして怒りを表しながら、作業服姿のまま腕を組み「う~ん」と唸る。そんな風に悩む彼女を見ながら私は、
「別に無理して考え込まなくてもいいけど。どうせろくな理由で作ってないんだろ、これ」
と、呆れたため息を付きながら、『山』を歩き、ウーパールーパーの水槽がどっかに転がってないかなあと目配せするのだった。その時私はウーパールーパーのことで頭がいっぱいだった。
だから『山』の製作理由など正直私はどうでも良かったのだが、しかし彼女は手をパンと叩き、「そうだ!」と目を輝かすのだった。
そして、
「バベルの塔って知ってる?」
と切り出し、そこからしばらく、楽しげな彼女の演説は続くこととなる。
バベルの塔と言えば。
神話が頭にパッと浮かんでくる。だが、それだけだ。特に知識は無い。
そんなもん知ってても知らなくてもどうでもいいと思っている私は祈りが足りない愚か者であるが、香田はぺらぺらとバベルの塔について淀みなく演説。
「バベルの塔ってのは旧約聖書の創世記11章にあらわれる伝説のお話の中の建造物ね。よく語られるバベルの塔のお話だと、塔は崩されたということがよく言われるんだけど、創世記の記述の中では塔が崩されたなんていう記述は無いのは知っておいてね。そもそもバベルの塔は何の為のお話かというと、世界には何故言語が様々あるのか、ということを説明する為のお話なのね。バベルの塔のお話によれば、昔々は人々は一つの同じ言葉を使って話をしていたらしいのだけれど、それがゆえに結束が強かったらしいんだよね。それゆえに力が強大だった。…そんな彼らの結束の強さを恐れた神様は、どのようにすれば人間たちの結束は弱まるのだろうかと考えて、そうか、人間どもがお互い言葉を通じ合わないようにしてしまえばいいのかと思い付いたんだって。人間たちはバベルという町で、有名になるために、天にまで届くとっても高くて大きな塔を作っていたんだけど、神様が言葉をバラバラにしてしまったせいで言語によって人々は統制されなくなってしまった。それによって人間たちはお互いの意思疎通が図れなくなってしまって、何時しかバベルの町を発展させることも、高くて大きな塔を作ることも止めてしまった。みんな各地に散らばっていっちゃって、そういう経緯があって、今の言語がバラバラな世界は生まれたの。とっても面白い話だよね」
熱弁だった。そこまでほとんど一息で彼女は言ってのけた。香田は額にいくつも浮かんでいる汗を「ふぅ」と言いながら作業服の裾で拭き取り、「いやあ日本語っていいね」などと笑っているので楽しそうである。
よくもまあ猛暑にも負けずペラペラ喋るものだ、と思いながら私はウーパールーパーを見つけられないのでがっかりする。そのがっかりした思いでビニールプールでくつろいでいる久国のだらけた顔を見ているとムカムカしてくるってなもんで、大きくなったウーパールーパーのようにお前もふやけて巨大化して破裂しちまえ、という悪態を心の中で呟いたりしていた。
久国はしかしだらけながらも香田の演説を聞いていたらしく、青空を目を細めて見つめながら、
「ていうかそれ全部、ウィキペディアからの引用じゃん」
と皮肉めいた言い方をしてから卑屈な笑い声を上げて、しかしやっぱりだらだら怠けるのだった。
そんな久国を眺めているとビニールプールはそんなに気持ち良いか?と問いただしたい気持ちに駆られてしまうので、もう彼のことを見るのは止めてウーパールーパー捜索を再開した。
鉄くずの『山』を歩いていると、意外と丁寧に鉄くずが組み立てられていることに気が付く。それが太陽に向かって積み上げられている。そんな『山』をしばし歩いていると、ああ、香田は鉄でバベルの塔を作っているのか、ということをようやく理解できた。ウーパールーパーに気を取られ過ぎている私は、そんなことにも気が付くことが出来ていなかった。
「さて、鉄を組むぞぉ!」
意気揚々。そんな言葉が似合うほどにテンションが高い香田は、鉄パイプを投げたり突き刺したりしている。楽しそうだな、と思ったが私はとにかくウーパールーパーのことしか興味が無い。久国はビニールプールにしか興味が無い。香田は鉄くずでバベルの塔を作ることにしか興味が無い。
神様が手を下さなくても私たちは自然と何処かへ散らばっていくんだろうなあ。そんなことを思いながら太陽を見上げていた。太陽の手前に、真っ黒な影が。
あれは何だろう、と不思議に思うのは一瞬だけのことで、私はすぐに『山』を歩いてウーパールーパー捜索を再開する。
香田に水槽の場所を聞けばアッという間に見つかるという答えには、なぜか行き着かない愚か者の私は額に浮き出る汚い汗を流しながら必死だった。