12
僕と久国は鉄くずを掴んだり離したりということを、一体どれだけ繰り返したのだろうか。手は腫れ上がってしまっているし足だって疲労のあまり震えてしまっている。
「やったな」
「うむ」
僕たちは遂に頂上へと足を踏み入れた。そこは地上で見ていた、つきの手前にあった黒々とした影。そこはまるで空中庭園といった様相の場所で、淡い青色の花がたくさん咲き誇っているのだ。それが月光を吸い込んでいるのか、花は一輪一輪全てがわずかに光を発していて、それがとても空中庭園を幻想的に見せる役割を果たしていた。僕たちはそんな花だらけの庭園の、しかし一本だけ長々と奥へと伸びている細い道を、途中休憩したりもしながら、とことこ歩いた。
見上げればまるでここは宇宙だ。星が万遍なく夜空で煌き、月が丸々とでかい。流れ星が数多く夜空を横切っているし、地上の喧騒は遥か空中のこの場所では、一切聞こえてこない。
僕たちは道をとにかく進む。長い長い一本道を、飽きることなく突き進む。子供の僕たちがどこまでも長い長い一本道を歩く。歩けば歩くほど、僕たちは気がついていなかったけれど、身長が高くなっていた。それでも僕たちはどんどん突き進む。飽きることなく、空中庭園を、歩き続ける。
歩き続けることを繰り返し、そして遂に、僕は私になった。口裂け少年とも呼ばれた男も、大人の久国へと姿を戻した。
そして、終着点へとたどり着いたのだ。道が建物を前にして、そこで終っていた。
「これは…なんだと思う?」
「そうだな…。単純に見ればお寺、って感じだけど、ここまで来てお坊さんに出会うってのも空しいものがあるけど」
そう、それは街の至る所どこにでもありそうな簡素な外観のお寺だった。
大人に戻った私たちは、しばらく決断を遅らせてそこに立ち尽くす。だがもちろん、入るべきか入らないべきかと考えれば、当然、答えは出る。
そして、勢いをつけて、お寺の中に入り込んだ。
「あ」
思わず、素っ頓狂な声を私は出してしまう。
部屋だった。そこは、そう、お寺の外観はしていたが。
内部は、二十年前に見たような、相撲部屋だったのだ。懐かしすぎて嫌になる部屋。
ここまできたら香田に会えると思っていたのに、なんで力士の部屋に飛び込まなくてはならないのだ!
「なんだお前ら」
「何しにきた」
「邪魔だよ」
「それとも一緒にみるか、激闘」
「それなら居てもいいんだけど」
十人の力士たちが次々に、恐ろしい形相をしながら話しかけてくる。彼らは以前のようにテレビを見ているが、そこには野球の映像は映っていない。
「激闘?」久国が恐る恐るといった様子で尋ねると、一番強そうな力士が「ウーパールーパー対人間という激闘が、今面白い」と仏頂面に述べる。「一緒に見るか? ていうか、見ないならば・・・」
力士たちが全員で一斉に力こぶを作って見せ付けてきたので、大人の私たちは冷静に「あ、これはやばい」と悟って笑顔を作った。
「「あ、みます」」
私と久国はへこへこしながら適当に腰を下ろし、テレビで流れている『ウーパールーパー対人間』の激闘を力士たちと一緒に観覧することとなった。出演している男がどっかで見覚えのある顔だなー、とずーっと見ていたら私の親族の一員、吾郎くんだった。俳優になったとは私は知らなかった。
そんなことを思いつつ、どういう結末になるのだろうと注目する。テレビによれば、吾郎くんは「ウーパールーパーになりたい」らしく、そしてその相手の女性は実はウーパールーパーという展開だった。その女性はどうみても人間なのだが、テレビによれば、人間がでっかい建築物を作ることにウーパールーパーたちは怒っているらしく、その八つ当たりとして人間たちに嫌がらせをしているのだそうだった。悪臭を撒き散らしたり、人間を文房具や別の動物へと変えてしまったりしているのだそうだった。で、吾郎くん演じる稲垣が、嫌がらせなんて止めてくれ、と叫んだ後さらに尋ねる。
「じゃあ何で俺のところにあんたはわざわざ現れたんだ! ていうか、悪臭は俺の親族たちに特に撒き散らされてきたが、一体全体それはどういう理由だ。お前たちがやったんか」
なかなか格好良い言い方をするな、吾郎くんは。いい俳優だ、などと呑気に眺める。力士たちも見入っているらしく、みんな目を細めている。「うぅむ」とか仏頂面の力士が唸ったりもしている。
テレビの中で、ウーパールーパーの化身である女性が、吾郎くんが演じる稲垣を嘲笑う。
「あなたたち親族は、まだ気がついていないのね」
憎憎しげに化身は稲垣に向けて叫ぶが、稲垣には何のことだか理解が出来ない。
「なにをいっているんだ?」
「あなたたちの親族の誰かの家が、我々ウーパールーパーの亡骸を辱めているということを知れ! それに気がつかず、『ウーパールーパーになりたい』などと言っているあなたに私は怒り奮闘」
「亡骸を辱めているだと?」
「庭を掘れっ!」
ここで会話は終了して、あとはテレビの画面の中でアクションシーンがひたすらに流れる。が、が、が、とブルース・リーやジャッキー・チェンも真っ青になるほどの身体を張ったアクション。なかなか見応えがある。力士たちも自然と拳を握ってしまっていて、「うおお」などと仏頂面の力士は吠えてしまうくらい興奮しているではないか。
私は興奮している場合ではなくて、これが実話であることに気が付いて困った。ウーパールーパーの怒りを買ってしまい人間たちが次々と姿を変えられている原因が実は私たち親族の誰かの家がウーパールーパーの亡骸を踏み潰しているせいだったのだと言うのだから、私は正直言って皆様に謝罪したい気持ちにも駆られた。私は神様が怒ったのでみんなが姿形をバラバラにされたのだと思っていたが、とんだ勘違いだったらしい。
怒っていたのはウーパールーパーだったのだ。神様などではなかったのだった。
でもそこで疑問が生じる。ていうか、だったら結局、鉄くずバベルの塔は何で作られたのだろうかという疑問だ。私は、香田が『神への挑戦』的な意味合いで鉄くずバベルを製作したと思っていたのだが、この街で生じている異変の原因がウーパールーパーの怨念であるとするならば、そもそも神だとかどうだとかっていうのはただの私の勘違いだったわけである。神話関係の話を香田に持ち出されて、すっかりそっち関係だと思っていたのに、ウーパールーパーの怨念だったわけである。
「うーん。香田の野郎。なんだか騙されたわけではないのに騙された気分だ!こんちくしょう!」
「お、おい、どうした」
久国が落ち着けというが、私はものすごいぶち切れた表情のまま立ち上がった。その尋常の様子でない私に、力士たちが威嚇のにらみを向けてくる。
「ああ」
「なんだ」
「なんか怒ってるのか」
力士たちの圧倒的な威圧感は以前の私だったらたじたじだったが、ぶち切れた私はちっともそれが怖くなくなってしまって、ぼかぼかと力士たちを薙ぎ倒して見せた。
「ぐわあああ」
十人の力士たちは私にやられてしまってどっかに飛んで消えていってしまった。部屋の壁とか天井を突き抜けて消えたので、部屋は崩壊寸前であったが、その中で私は穴ぼこを見つけた。縁の荒い穴ぼこには見覚えがあって、何だろうと思案すれば答えなんてあっという間である。
私はびくびくしている久国が腰を抜かしてしまっているのを見て、このままでは崩壊していく部屋に押し潰されて久国が死んでしまう、と思った。だけど久国は腰を抜かしてしまっているから自力では逃げようにも逃げられないに違いない。
「う~ん」
とか唸りながら大人の癖に小便を漏らしてて情けない。
私は穴ぼこと久国を何度も見比べて、そして、自分に香田並みの怪力があるのだろうか、と不安になったりもした。そんなことを考えている間にも部屋は崩壊している。速くしなければ私も久国も二人まとめて圧死である。それは困る。
だが、私には、二十年前の香田ほどの自信が無い。香田の瞳は輝いていたが、私の瞳はまるで光が灯ってない死んだ魚の目状態である。
「ち、ちくしょう、だめだあ」
情けない声を久国があげる。久国、そんな情けない声を出さないでくれ。私まで情けなくなってくる、とか思うと余計気持ちが暗くなってやり切れないほどに自信が無くなる。部屋が崩壊して
いく。
もうだめか、と私も久国も思って絶望してやりきれなかった。だが、なんということであろうか、その瞬間である。
大丈夫
この声は、と言った感じであった。不思議なほどに自信に満ち溢れたその声。二十年前に失われてしまったはずのその声。そう、それは間違いなく、鉄くずバベルを作った、あの作業服姿の女性の声そのものであった。
私も久国もキョロキョロと辺りを見回したが、しかし姿は無い。
一体全体が何がどうなっているんだ、と思っているともう一回その「大丈夫」という自信に満ち溢れた声が聞こえたのであって、正直言ってむかついた。大丈夫もなにも、今や部屋は崩壊寸前なのであり死亡寸前五秒前なのだから大丈夫な状況ではない。それなのに香田は相変わらずの自信で「大丈夫」などと言っているわけだが、だったら姿をさっさと見せて欲しい。ここまで、鉄くずバベルを私たちは登り切って見せたのに姿も見せず、危機的なこの状況でどっかから「大丈夫」なんて言われてもあんまり説得力が無い。困る。
「大丈夫じゃない!」
そう私が叫んだその瞬間に、頭に激しい衝撃。
あ、死んだ、と思いながら、私の意識は暗転しそうになった。視界がぼやける。
そのぼやけが一瞬だけ長い黒髪を映したような気がしたが、きっと幻なのだろう、私の意識は暗転してしまったのであった。