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このお話の主人公と久国が鉄くずバベルを登っているその同時間、一人の男が二十年振りに「ウーパールーパーになりたい」と思っていた。
何を隠そう、主人公の親族の一人、吾郎くんである。
吾郎くんはまずどうすればウーパールーパーになれるのかと考えながら、夜の街をとぼとぼと歩いていた。吾郎くんはその日仕事が休みであったのには理由があって、みんなが急に姿形を変えてしまったので仕事どころでは無かったからである。というか、休みも何も、みんなが人間をお休みしているのであった。とりあえず彼もいろいろとビビったりしたが、しかし彼の脳みその中は何時の間にか「ウーパールーパーになりたい」という思いだけである。そういうことを言い出した夕方頃から、家に懐かしい悪臭が漂い始めたので、彼は「あ、これは懐かしい」と思いながら鼻呼吸を控えて口呼吸へと転じて臭いをもろに食らわないように気を付けていた。で、「ていうか家にいるから悪臭を嗅いでしまうんだ」という当然のことを思い、夕方の街へと飛び出したわけなのである。
吾郎くんは街が自分の思っている以上に大変なことになっていることに気が付いて焦る。車道でなぜかエンジンを点けたまま停止している車の中をふと覗けば、そこには巨大なタコがいたり、巨大なウサギがいたり、巨大なシャー芯があったりなどなど、あり得ない光景ばかりが目に付いたのである。しかも夜になるころには妙な、霧らしきものが街中を漂い始め、家の中だけで嗅いでいたあの悪臭が、街のどこへ行っても臭ってくるようになってしまうではないか!吾郎くんは慌てて口呼吸をして、「いったいなにがどうなってるんだ」とパニックに陥りそうになったが、やっぱり「ウーパールーパーになりたい」という気持ちが一番大切だったので、とりあえずどうしたらウーパールーパーになれるのかと考え、図書館へと赴いた。その途中の道で親族の一人を見かけた。息を切らしながら地面に膝をついてしまっているその親族を見て、声をかけるのはよしておこうと思った吾郎くんは、結局彼には声を掛けないまま図書館へと向かった。
そして、図書館。真っ暗で、蛍光灯も何も点いていない。明かりが皆無の、真っ暗な図書館。
だが、彼は気にせず扉を開ける。扉には鍵がかかっていなかったから、入ることが出来た。
巨大な懐中電灯が転がっていることに気がつき、それを片手で担いで、真っ暗闇の中を進んだ。
「うーん。そういえば昔もこんな風にウーパールーパーになりたいと思って、図書館に来た覚えがあるなあ。だけどその時のことはよく覚えていないな…たしか本がみつかって、それで…」
と、静寂の気味の悪い図書館の屋内を、彼は独り言を言うことで気を紛らわしながら進んだ。そして本をひたすらに探す。探すこと、一時間。その間ずっと、彼の歩く音以外、図書館はどんな音も鳴らない静寂であった。しかし。
……かつん…かつん……
吾郎くんは思わぬ突然の足音に、全身ビクっとさせて肩を強張らせてしまう。
……かつん…かつん……
どんどん足音が近づいて来ていることがわかる。ヒールの踵で鳴らすような音。吾郎くんの脳裏に、あやふやな記憶が甦りそうになる。だが思い出すか思い出せないかというあやふやなその状態、宙ぶらりんの脳みその彼、その彼に声は掛けられた。
黒スーツの青白い肌、死んだ魚のような目をしている黒スーツの女性。
吾郎くんは思い出す。二十年前の、図書館の。
「おれはウーパールーパーになりたい」
「そんな単純なものじゃないのよ」
図書館の巨大懐中電灯だけの明かりの中で。
激闘が、始まろうとしているのだった。
激闘が。