出会い 3
「うん…あー……あ?」
カチャリと扉が開く音がして、自分たちとは別の部屋の向かいの扉が開く。
向かいの扉前だと、少し覗き込めば、私たちの姿が見える。
ちかさんだった。
私たちに気がついて、訝しげにこちらへやってくる。
私は背にしていて分からなかったけれど、なちさんはすぐに気がついたようだ。
反射的にそちらに顔をあげ、それにつられた形で、私も背後を見やる。
「なんかありました?」
「やー、あったと言えばーあってー、なかったと言えばーなーい」
「はい?」
「ゆっこのーおかげでー…ふふふ」
何がおかしいのか、今になっておかしいのか、なちさんは面白そうに笑った。
ここにきて私は、なちさんがかなり出来上がっていることに気がついた。
嘘でしょ?
さっきまで普通に話していたではないか。
なぜ?って思うも、緊張が一気にとけたのが原因だろう。
にしても。
ものすごい美人がふにゃふにゃになると、ものすごく可愛い!
「つい今まで普通に喋ってたのに!」
「ふふふ、酔ってるー、ふははっ、やべー楽しー立てなーい」
「……肩貸します」
ちかさんが呆れたように呟いて腕をとると、なちさんはその腕を拒む。
「やだ、戻りたくない」
「何言ってんすか」
「だってーまた盛られたくないしー」
「え……えっ?!」
ちかさんがびっくりした声を上げ、隣にいた私の顔を確認するように見つめる。
なちさんの名誉のためにあえて言わなかったのだが、なちさんが自分から言い出したのだから仕方ない。
「副サークル長の鈴木さんって、前に具合悪い子お持ち帰りとかしたことある?」
「えっ?!」
「あ、なちさんは大丈夫、飲んでないから。でも、なちさんのジョッキに何か混ぜてて」
「で、それ、ゆっこさんどうしたんですか?」
「何混ぜたか分からないから、つまずいたフリしてジョッキ倒したの。中身は殆ど空の大皿の上に零れたから被害も最小限で済んだと思う」
「確かに、前回、前々回ってあって、その子らから苦情来たらしくて。でも、同意の上だっていうのが言い分で。
だから今回席順考慮して、両隣古参の男にしたはずなんだけど……嫌がらせとか?なちさん、今回の綺麗どころ無下にしてたし」
「嫌がらせで、あの密着はないでしょう?」
「あの人、普通に女の子大好きなはずだけど」
「なちさんくらい美人なら、ちょっと一回食ってみるかーくらいに思ったんじゃない?それに普通に女の子大好きだったら、薬なんか使わないでしょう?
ぶっちゃけ最初からちょっとおかしいなっていう雰囲気あったよ?私ですら飲み物だけは気をつけてたし、ショルダーのポーチは肩掛けしたままでいるくらいには」
「……」
「ぶふっ!ゆっこって、やっぱいいよねー」
ちかさんが言葉に詰まっていると、なちさんが笑いながら口を開く。
とろんとした満面の笑みだ。
なちさんがどの辺がツボだったのか疑問だが、ちかさんには、わかってしまったみたいだ。
ちかさんに焦りの顔が見える。
「普通に、女の子大好きってさー……ちか、俺がゲイって、知ってんの。だからだよ」
「や……違くてっ!」
ああ、そういう意味か。
言われてから私は気が付いた。
私は特に意識して言葉にしてはいなかった。
でも、だからといって、ちかさんにとっての『普通に』と私にとっての『普通に』は意味が異なるものだっていうのはわかった。
なちさんが言うように、ちかさんの『普通に』は、『女の子が好きだから、男には興味無い』にかかっていた言葉だった。
けして傷つけるつもりはなかったんだろうけれど、否定は出来ない。
「いーのいーの。俺、普通じゃねーもーん……んーなんか、あっつい」
笑いながら着ていたVネックのセーターをなちさんは引っ張り、その場で脱ぎ出す。
幸い下には襟ぐりの緩い2色のカットソーを着ていたから、止める理由はなかった。
部屋よりも廊下の方が暖房がきいている。
脱ぎづらそうにしてるので、私は見かねて手を貸した。
「脱ぐの?なにをもって普通っていうかは人それぞれだと思うけど、普通にはいないくらい美人なのは確かだから、警戒心もってね?それにちかさん、別にゲイフォビアでもないと思うよ?」
「んー……」
「え?ゲイふぉびあ?」
曖昧ななちさんの返事に、ちかさんの言葉が重なる。
聞きなれない言葉だったのだろうか。
「同性愛嫌悪な人」
「あー……まぁ、直接自分に関わらなければ、別段何も」
「でしょ?あ、待って、なちさん寝ないで!……迎えに来てもらった方が良いかな、これは」
「というか、本当になんもない、大丈夫なんですかね?」
「なちさんって、いつもどれくらい飲むの?」
ちかさんの顔が段々と険しくなる中、私は別段慌てもしなかった。
学生時代は、このくらいの者は多くいたし、前の会社の部署では、皆、浴びるように酒を飲み、同じように出来上がる者もいて、お約束だったからだ。
呼吸も安定してるし、顔色も悪くない。
念の為なちさんの手首をもらうよう促し、腕時計のない右手を掴む。
自分の腕時計の針に目を向けること、15秒。
特に問題は無さそうだ。
「あー、そういや、今日はピッチ早かったかも?…てか、ゆっこさんって、看護師の経験とか」
「んーん、ただの医療事務……というか、今は健診事務だから、正確には医療事務でもないけど。
脈は安定してるし、暑いって言ってるし、多分大丈夫。
なちさんなちさん、ここで寝ないで。連絡出来る?」
「んー、はい」
なちさんは、尻ポケットからスマホを取り出すと、私に手渡してきた。
「えー」
戸惑いながら受け取りケースを開くと、免許証とその奥にSuicaがさしてあり、態度と同様、持ち物に対してもあけすけで心配になった。
まさかと思ったが、当然ロックもかかっておらず、画面に2度触れ、促されるままに上にスワイプしただけで簡単に立ち上がる。
履歴から辿ろうか、そこまで勝手に見てもいいのかと数秒悩んでいると、電話がかかってきた。
表示には、怜司、とある。
「ちかさん、なちさんのパートナーって、怜司さんって人?」
「あー、多分。会ったことないけど、たしか、そんな名前だったと思います」
「ありがと…、はい、なちさんの携帯です」
躊躇せず電話を取った。
ここで切れて、私がかけ直す方が相手の警戒心を煽るはずだ。
『は?あんた誰?』
「あ、ごめんなさい、私、本日カラオケサークルでご一緒してます平木綿子と申します。失礼ですが、なちさんのパートナーの方ですか?」
『そうだけど…』
「あ、良かった!なちさんかなり出来上がってて、ちょうど今、お迎えに連絡しようとしていた所なんです」
私の様子を、ちかさんはぽかんと見つめていた。
サークルメンバー内では、ニックネームを使っている。
なちさんのは本名そのままだけれど、苗字は名乗っていなかった。
スマホのケースには、内側の透明なビニール部分に入っていたから、がっつり見てしまった。
そこに好奇心が一ミリもないと言ったら嘘になる。
そして、住所もだ。
びっくりすることに、ご近所さんというほど近くはないが、恐らく歩いて十分ちょっとしか離れていない場所だろう。
本名をフルネームで伝えたのは、出来るだけ相手の警戒心を解くためだったけれど、免許証を見てしまった罪悪感もあったかもしれない。
当のなちさんは、うとうとしながらにこにこするという器用な表情を浮かべて、ときおり『ゆっこはいい女ー』だとか『ぷぷぷ、なちさんだってー』とか呟いている。
『…代われそう?』
「…かな、ちょっと待ってくださいね、…なちさん、電話、怜司さんから。出られる?」
「んー…あい、もしもーし」
なちさんにスマホを返すと、荷物を取りに行こうとちかさんにひと言告げて踵を返す。
すると、そのスカートの裾をなちさんが掴んだ。
それを見て、ちかさんがすぐに動く。
「持ってきます。ゆっこさんのコート白っぽかったから覚えてるんですけど、他にバッグ持ってましたよね?」
「ありがと。うん、紺のサテンのサブバッグでこれくらいの。お弁当箱とタンブラーが入ってる」
「わかりました。なちさんのコート覚えてます?」
「うん。黒で膝丈くらいの長めのモッズコート。内側と帽子の部分がファーになってて、あったかそうな感じの」
「了解です」
私が取りに行くよりは、ちかさんが取りに行ってくれた方が精神的には楽だ。
ほうっと息を吐き、ちかさんを見送った後、なちさんに目を落とす。
座り込んだままのなちさんは、ずっと言い訳をしているようだ。
だって、だとか、ゆっこのおかげ云々、だとか、へーきだし、だとか、呟いている。
多少会話にはなっていそうだが、反省の色は全くない。
だが、段々と機嫌が悪くなり、相槌の声が低くなっていく。
しまいには、まだ相手が何か言っているのに、途中で切ってしまった。
すっごい不機嫌そうな顔だ。
これだけ美人だと不機嫌そうにぶすくれていても綺麗だから凄いなと思う。
案の定、電話はまた相手からかかってきた。
舌打ちしたなちさんは、スマホを私に押し付けてくる。
スカートの裾は掴まれたままだ。
私の気分は悪くないどころか、すこぶる良い。
こんな美人の生き物から頼られるのは、とても気分が良いものだ。
ここは代わりに出てあげましょうと、スマホを受け取り、通話をタップした。
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
「あ、もしもし、平です」
『あー、すいません。……あいつ不貞腐れてる?』
電話の相手、怜司さんからは少々のばつの悪さは窺えるものの、先ほどのような棘は感じない。
とりあえず私に対する警戒心はなくなったようだ。
「機嫌、悪そうではありますね。気分の方は大丈夫そうですよ」
『迎えに行くんで、それまでお願いしてもいい?場所、今回も錦糸町?』
「はい、ちょっと駅前から中に入ってますけど」
『四階から上カラオケになってるとこでしょ、一階から三階まで飲食店がいくつか入ってる……二階にカフェがあったと思うからそこに押し込むか、それも無理そうなら、二階の中央ロビーの休憩所で』
「了解です」
『じゃ、悪いけどよろしく』
「はい、気をつけて来てくださいね」
『…ん、ありがと』
電話を切ったところで、ちょうどちかさんがコートや荷物をもって戻ってきた。
「ありがとう、ちかさん」
「いえ、全然。───で、どうでした?」
「迎え来てくれるから、このビルの二階のカフェかロビーの休憩所にいてって」
「良かった」
私は自分のコートを受け取ると、それを羽織り、サブバッグとなちさんのコートそしてセーターを手にする。
「部屋の雰囲気大丈夫そうだった?」
「あー……」
「色々言われちゃった?損な役回りだったよね、ごめんなさい」
あの状態でそのまま抜けて、挨拶もなしに帰ろうとしてるのだ。
ちかさんは、年も若い上に古参で会計担当、人柄的にもあたりやすそうな子だ。
そんな子が私となちさんのコートと荷物を取りに来たのだから、何も言われないはずがない。
正直とても助かったけれど、鈴木氏に対するちかさんの立場は、悪くなってしまっただろう。
とばっちりを受けたのにも拘わらず、一言目になちさんを心配し、続いて『良かった』とほっとするような子だ。
いい子なんだろうなあ。
あ、そうそう。
因みに私は、可愛かったり気に入ったり良い人認定した場合、一つでも年下であれば、男女関わらず人ではなく子を使う。
そのほうが、なんかしっくりくるからだ。
というわけで、ちかさんはもれなく私の中で《《いい子》》である。
「や、ゆっこさん全然悪くないし、むしろ初参加なのに、悪かったっていうか。
けど、俺は一度戻った方が良さそうだから、なちさん運んだら戻ろうと思うんだけど……ほんと、後、お願いしても大丈夫です?」
「あ、うん。それは大丈夫」
ちかさんが、なちさんの腕をとりそのまま肩に回して立ち上がる。
「んー……」
「っちょ、なちさん!危ないから、しゃんとして」
「あーい……」
なちさんは、辛うじて自分の足で歩くが、思い切り身を任せている状態だ。
ちかさんとなちさんのウエイトの差はそれほど無いにしろ、力が抜けた人間を支えるのは結構大変だ。
にしても。
ちかさん相手なのがいいとして、こんな状態なら薬なんか使わずともお持ち帰りできちゃうではないか。
本当に危ない。
なちさんのパートナー、怜司さんの私に対する第一声が警戒心丸出しだったのもわかる。
私が悪い女だったら、タクシー捕まえてホテルに連れ込むことくらい出来そうだ。
……過去、すでにそういうことがあったとしたら学習能力がとても欠けている生き物だ。
逆三角のボタンを押すと、エレベーターは既に私たちの階まできていて、その口をゆっくりと開く。
再び開いたエレベーターに乗り込み、二階のボタンを押した。
私たち以外に誰もいなかったエレベーターは、途中止まることもなく静かに降下していく。
二階に着き、扉が開いた。
カラオケの階とは違い、いくつかの飲食店が入っている二階のロビーは、明るく比較的天井も高めの造りだった。
そこまで大きくもなくわりと古いビルだなと思ったが、古いからこそ明るい作りなのかもしれない。
新しいビルであれば、黄色味を帯びたLEDの間接照明を上手く使い光を落としている造りが多い。
その方がお洒落で広く見える上に汚れも目立たずエコだからだろう。
でもそれは、光が届かない場所が出来るわけで。
『日中なのに、こうも暗くて日が入らないのは良くないよ。まして場所が───』云々言っていたのは弟の侑斗だ。
それを考慮するなら、エコなど全く考えないようなこの造りも悪いだけじゃないのだろう。
エレベーターそばにあるカフェをちらりと覗く。
うん……無理かもしれない。
“それも無理そうなら”と言っていた意味が分かった。
「休憩所の方が良さそうかな」
「あー、ですね……」
ここまでぐでんとしてると、ひとりで座らせること自体難しいかもしれない。
カフェはよくあるチェーン店だった。
ソファはあるものの幅は狭く、向かいがカウンターチェアのハイツールで、二人掛け用のテーブルがいくつか並んでるだけだ。
他に二人掛けの席もあるが、背もたれのない椅子なのでそれこそ無理だろう。
一方、休憩所は、中央にどでんと木が生えていて、その周りをぐるりと丸いソファが囲んでいる造りである。
まだ時間が早いからか人はまばらだし、きちんと背もたれのあるソファだ。
エレベーターとエスカレーターの裏にいれば人目もそこまで気にすることはないだろう。
怜司さんは着いたら連絡が来るだろうし、変に絡んでくる輩はいないだろうが念のためだ。
「ほんと、すみません、ゆっこさん」
「ううん、大丈夫。サワー倒したのは私だし」
ちかさんは、私の肩に頭を預けるなちさんを見おろして小さなため息を吐いた後、私を見おろす。
心底申し訳なさそうな顔をしているが、私にそこまで気を遣わずともいいのだ。
私は私で、自分のやりたいように動いていただけだし、誇りたいくらいに気分は良い。
なんせ、この美しい生き物を救い出すことに成功したわけで、薬を入れられた時点でいくつかの分岐点が生じたとすれば、一番いい選択の道を選べただろう。
薬を入れられたことがわかっているのにも関わらず、何もできずにその場で連れ去られるのを指をくわえて見てるだけになる───という最悪のパターンもあったはずなのだ。
「これに懲りずにまた参加してもらえると良いんですけど……」
苦笑いを浮かべるちかさんは、無理そうだなっていうのがわかる顔だ。
鈴木氏がいない時なら参加してもいいが、公式で参加するとメンバー表示に私の名前が載ってしまう。
まあでも、当日飛び入りなら出来るか。
だが私の心は、なちさん次第だ。
……とはいえ、怜司さんは絶対反対するだろう。
「ありがとう、ちかさん。あ、お金、今渡しちゃっていい?」
「はい、大丈夫です」
参加するともしないとも言えず、私は曖昧に笑いお礼を言って話題をかえた。
後から連絡をして振り込むことも出来るしSNSの機能で徴収することも出来るのだが、基本は当日現金払いでとなっていた。
先払いでないのは人数の入れ替わりが多いのと、飲み屋と違って人数のキャンセル料などは発生しないからだろう。
私は今日初めてだし、先に払っておいた方が良い。
「お願いします」
「多いです」
五千円札一枚と千円札二枚を渡すと、財布を開いたちかさんが手をとめた。
「なちさんの分も。あとで貰うから大丈夫」
「───助かります」
ちかさんが躊躇したのは、ほんの一瞬だった。
初めての場合、こういった金銭のやり取りはいつも他人の目があるところでするようにしている。
けれど、ちかさんなら大丈夫だろう。
これで万が一受け取った受け取ってないの問題に発展するなら、単に私の見る目がなかっただけだ。




