1-2 アモネ公爵家
余談だが、貴族が蔓延るこの大陸では国よって貴族家の分類に僅かな違いがある。まず、階級が上から順に【公爵】【侯爵】【伯爵】【子爵】【男爵】であり、国による違いは公爵のみ取り扱いが変わるということである。
最西端に位置するここクリスタンでは、公爵位を持つ家は僅か三家しか存在しない。【アモネ家】【バルタキス家】【ヴィルヘンブルク家】で、アモネ家は政治的決定権を持ち、バルタキス家は軍事・財源的決定権を、ヴィルヘンブルク家は商業的支配権や広い土地を持つ。クリスタンでは三家の釣り合いの下、公爵家以下はその支配下に置かれる。
大陸内で見ると、公爵家が三家しかないのは極めて珍しく、他の国では公爵家は二十家ほど存在し、さらにその国の王家に認められた上位五家が【大公】と呼ばれ、クリスタンの三家のように扱われている。他の国々から見ると、クリスタンの公爵三家は王家をも呑込むほどの力を持つとされ、どこか一家が傾国を企てたならば可能性は無ではないが、それを見張るのは三家の密かな牽制とアモネ家の政治的決定権に保護されているからだとされる。
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腕時計は十六時三十分を指す手前。
ここは、アモネ公爵家邸宅。城下町のはずれにあり、外壁が高く中の様子は見られないが、広大な敷地であるのは間違いないだろう。
学校を終えたリゲルは、オリヴィエとの約束のためにそわそわした足取りでたどり着いた。
邸宅の門の前まで来ると、警備の騎士らが数名おりリゲルを見て少しばかり気にした様子だった。
「す・・すみません。こちらの公爵様とのお約束でお伺いしたのですが、どちらで待てばいいでしょうか」
「・・・少し待てるかな、使用人の方に聞いてみるよ」
リゲルが声をかけた一人の騎士は、一瞬驚いたようだがすぐに門の中へ走っていった。
しばらくすると騎士は戻ってきて、メイドの格好をした若い女性を連れてきた。
「お待ちしておりました。旦那様からお話は聞いております。旦那様はまだお仕事のようでございますから、別室でお待ちいただきます。ではご案内します」
と、一度手で門の方へ差し示すとリゲルを門の中へと誘導した。
そばに居た騎士たちからは、「どう見ても庶民じゃないか」などあまりにも豪邸に似合わないリゲルを不思議そうに噂してる声が聞こえた。
門を括るとその先は、沢山の花々に彩られた庭園が広がっていた。そっと吹いた春風が強い花の香りを運び、リゲルは少し咽せそうになりながら、ゆっくり歩くメイドの後ろをついていった。
少し歩くと庭園の奥にお城のような立派な屋敷がぽつりと佇んでいるのが見えた。
「あちらが代々アモネ家の方々が住まわれているお屋敷です」
「へー」
丁寧に紹介してくれたメイドとは反対に、「広いな、大きいな」以外の感想が出てこなかったリゲルは、無意識にもそんな間抜けな言葉しか出てこなかった。
リゲル自身がそれに気づいていないのが面白かったのか、見知らぬ子供が少しだけ羨ましそうに屋敷を眺めている姿が愛らしかったのか、メイドは「ふふ」と聞こえるか聞こえないかの声で笑った。
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応接間と思われる一室に案内されたリゲルは、一人その部屋で待っていた。
メイドはというと、紅茶と茶菓子をリゲルに運んだ後「少々お待ちください」とだけ言ったまま部屋を出ていき、それから十分ほど経っただろうか。
応接間というだけに、細かな装飾が目立つ豪華な白と金色が基調の内装で、テーブルやソファーも高級な木材や駝鳥皮が使われている。
出された紅茶や茶菓子もきっと高価なものなんだろう、と口をつけようとしたとき、ふとオリヴィエ・アモネが自分を屋敷へ招き入れたことに疑問が生まれた。
もしかしたら、何らかの情報源を持っていてリゲルが命を狙いに来た刺客だと知っていたのであれば、ここまで潜入した油断によって毒が盛られた紅茶や茶菓子を簡単に口にするのでは・・・。
「色良し、匂い良し」
むしろ、美味しそうだ。茶菓子は、クリスタンが誇る有名パティスリー〈ポワゾン・デ・ムール〉のマドレーヌだ。レモンの香りが鼻腔をくすぐる。
こんな高級菓子に毒を盛ったなんて、人類の最高傑作がそんな卑怯な手を使うはずはない。しかし、噂では極悪人とも噂されるが、真実かただの妬みから生まれたものかどっちなのだろう。
リゲルは美味しそうな紅茶とマドレーヌを前に、食欲とありえくもない可能性に頭を悩ませる。数分経ってしまったのか、紅茶の湯気が先程まで立っていないような気もする。
いざ飲もうと、手を伸ばした時部屋の扉をノックされた。音の高さからして、あのメイドではない。
「は、はい」
入ってきたのはオリヴィエ・アモネ、ではなかった。黒髪の大柄な男性だ。
「悪いな、君が会いたがっている当主ではないが、本人はまだ仕事が終わらないそうだ」
「そ、そうですか」
「俺は、ラークン・デモケルトだ。オリヴィエの助手をしている」
「僕は、リゲル・ロードナイトです」
拙いリゲルの挨拶の後、二人は軽く握手を交わした。
たしか、デモケルト家はクリスタンの辺境の伯爵家だったはず・・・とリゲルは目の前にいる男について頭の中で情報を巡らせた。
爵位を持ってるとはいえ、公爵と伯爵にはかなりの差があり、ラークンはどんな経緯でオリヴィエ・アモネの助手となったのか。護衛としても優秀なのだろうか。
「君がオリヴィエの弟子を志願したと聞いたのだが、本当か?」
「そうです・・え」
今、この人は人類の最高傑作に、階級差が上の人物を呼び捨てにした??しかも、本人がいる屋敷の中でもし聞かれたら不敬罪として解雇、いやもっと厳しい処罰を受けるんじゃないだろうか。
そんな心配をするリゲルには気づかず、ラークンは続けて言った。
「あいつが弟子を取るとは思わなかったが、やつがそういうなら間違いないのだろうな」
あいつ。やつ。余罪が増えていく。聞かなかったことにしようか。
リゲルは心を落ち着かせるために、先ほどまでに毒入りを疑っていた紅茶を、何の躊躇もせずに一口飲んだ。
美味しい。以前、父が貰ってきた紅茶は香りがキツくて、到底ストレートでは飲みづらくミルクを入れていたが、この紅茶は香りが優しく、ふんわりと鼻を抜ける。
続けてマドレーヌを食べた。
「ふふ、美味しい」
マドレーヌに入ったほろ苦いレモンの風味が、紅茶の柑橘系の香りを一層引き立て、素晴らしい組み合わせとなっている。
バターや砂糖がたくさん入った高級菓子、紅茶。今日食べれたことが幸せ。
「気に入ったようだな」
「は、はい。とても美味しいです」
「まぁうちで弟子となれば、いつでも食べれるようになるさ」
「で、でも、弟子になれると決まったわけでも・・・」
リゲルは目線を逸らし、言葉は切れ切れになってしまい、少しだけ空気が重くなってしまった。
ラークンは、「ふむ」と自信なく縮こまっているリゲルを不思議そうに見つめている。
静かに時間が流れていく、二人がいる部屋へドッタバッタと足音が聞こえた。
門の外から見た美しく豪華な屋敷に似合わないその足音はどんどん大きく迫まり、リゲルは危機感から思わず立ち上がった。
足音が扉の前で聞こえなくなると、ゆっくりと静かに扉が開き、勢いよくその男が向かってきた。
オリヴィエ・アモネ、その人だ。
オリヴィエは、ラークンが座るソファの横にぐったりと座った。
「ま、待たせてすまない。とりあえず、座ってくれ」
「は、はい」
オリヴィエはタイもせず、高そうなワイシャツを着崩し、髪も乱れたままソファに溶けている。
リゲルが弟子入りを志願したときのような、優雅な立ち振る舞いも、余裕そうな笑みもどこにもなく、ただ美人がぐったりと疲れてた姿がそこにある。
「遅いぞ。この時間を指定したのはお前だろ?」
まず初めに口を開いたのはラークンだった。リゲルの前で呼び捨てにした通りタメ口で、ここまで来るとラークンとオリヴィエに階級と敬語の壁は無いのだろう。
「ラークンがもっと手伝ってくれたら、ここまで時間はかからなかったよ。朝から商談に行きやがって」
オリヴィエはすかさず荒々しく返したが、ラークンははぁ、と大きなため息をついて何も反論しなかった。
二人の様子を黙って見ていたリゲルに、オリヴィエは気づくと忘れていたように、きっちりと座り直した。
「おっと。本当に待たせて申し訳ない。知っていると思うが改めて、俺はオリヴィエ・アモネ。政治家だ」
「ぼ、僕はリゲル・ロードナイトです」
オリヴィエは手を差し出したので、リゲルは申し訳なさそうに握手をした。ラークンの時もそうだが、ただの庶民が貴族と握手だなんてしてもいいのだろうか。なんて恐れ多いことだろう。
「昨日伝えた通り試用期間は設けるが、弟子としてしっかり働いてもらうつもりだ」
「ほ、本当に僕がなってもいいんでしょうか」
変わらず自信のないリゲルに、オリヴィエは間をいれずに答えた。
「構わないさ。俺は弟子が欲しかったし、俺に弟子入りを志願するということは、将来は政治家希望なのだろう?君のような歳から育てられたなら、有望になる可能性は充分にあると思う」
「そう、ですか」
「試用期間は、君が俺の仕事を見て何か合わないと感じたり、忙しさから体を壊さないかこちらが心配した時の救済措置といったところかな」
つまりは、根を上げなければ正式な弟子ということだ。こうもすんなり認められてしまったリゲルは、オリヴィエへの疑念が深まる一方だった。
暗殺業で出会う人達は皆んな嘘が上手く、それを知るリゲルは嘘を見抜くのが上達し素人の嘘くらいは簡単に見抜ける。だが、この二人は何の違和感も感じなかった。
庶民として近づいた子供を何の疑いもせずに、弟子として招いたのは、本人たちの甘さから来るものか、何らかの刺客を疑ってのリゲルが見抜けないほどの高度な嘘なのか。それがあまりに怖かった。
「ところで、学校は行っているか?」
オリヴィエは先程までの疲れは消えたかのように、穏やかに聞いた。
「近くのヴェスト・ピア・ツェーレ・アカデミーに通っています」
「レベルの高い中間一貫の進学校じゃないか。ここからかなり近いな。今は寮で暮らしているのか?」
「はい」
「そうか。ラークン、今すぐ使える部屋はあっただろうか」
「あるが、一室だけだな」
オリヴィエに何か考えがあるのを察し、ラークンは少しめんどくさそうに返した。
「いいじゃないか。リゲル、君には弟子としての仕事のためにうちで住んでもらいたいのだが、いいだろうか」
オリヴィエは眩しいキラキラの笑顔だった。この笑顔が街中で発生した日には、一体何人の女性が落ちるのだろう。そんなことより。
「え!」
弟子を認めた上、住まい提供までするなんて、どこまで甘いのだろう。いや、甘い罠か?
「学校などの法的施設とは別に、学生寮はほとんど郊外に置かれていて、学校へ通うのに苦労するだろう。ここなら、徒歩十分といったところかな。弟子の仕事もあるが屋敷の仕事もしてもらいたいんだ。それは後で伝えるが、そういうことだ」
「わ、わかりました」
リゲルにとって都合が良すぎて、何も理解できないまま話が進んでしまった。誰が『人類の最高傑作』の弟子を認められ、さらに豪邸に住むことを許されるだなんてことが想像できただろう。
「それじゃあ、後はラークンに任せようかな」
「まだ仕事が終わっていなかったのか?」
「一区切りはついたが、これから東部の農地視察だ。もう行かないと」
オリヴィエは、すっと立ち上がると忙しなく部屋の扉に向かうと、一度振り返った。
「あぁ、そうだ。アモネ邸へようこそ、リゲル。明日からの予定はラークンに聞いてくれ」
「わかりました。よろしくお願いします」
リゲルはガタッとテーブルに膝をぶつけながらソファから立ち上がると、深く頭を下げた。急いでいたオリヴィエにそれが見えたかはわからないが、リゲルが頭を上げた時にはもうオリヴィエはそこにいなかった。
「オリヴィエはさっきうちへ住んでもらうと言ったが、すぐの引越しは難しいよな?寮や教師にまず話をしなくてはな」
「明日にでも寮母や先生へ手続きをお願いしておきます」
「そうか、詳細がわかったら教えてくれると助かる」
「はい」
オリヴィエがいなくなった後、先程までの慌ただしさのあった空気は流れて、またオリヴィエが来る前の少しだけ緊張感が漂う雰囲気に戻った。終始変わらないラークンの落ち着きは、リゲルにとっては苦手に感じてしまうのだろう。
「では弟子の仕事の他に屋敷の仕事と言ったが、まぁ家事もお願いしてもらいたい。嫌な役回りかもしれないが悪いな」
「とんでもないです。アモネ卿の弟子と認めてもらえた上、こんな立派なお屋敷に住まわせてくださること以上に嬉しいことはないです。それに家事はできるので」
「そうか。頼もしいな」
ラークンが申し訳なさそうな顔をしていたが、リゲルがアモネ邸に入ってから、ほんの少し違和感を覚えていたことがようやくハッキリとわかった。
この屋敷は使用人が少なすぎるのだ。というか、リゲルはここに来てまだ案内をしてくれた、メイドしか見ていない。
普通、貴族の屋敷は常に何十人規模の使用人を雇い、屋敷の家事に従事するもので、本当ならリゲルは客室に案内されるまでの庭園や廊下でその姿を少なからず見えるはずが、それが全く確認できなかったのでる。公爵家であれば財力から百人を超えてもおかしくないのだが、ここは一体どれほどなのだろうか。少ないことだけは、人気の無さから確かにわかる。
コンコンコン
また誰かが部屋の扉をノックした。きっと案内をしてくれたメイドだ。
「失礼いたします。あら、旦那様はもう行ってしまわれたのですね」
「あぁ、ついさっきな」
「お紅茶をお持ちしたのですが、それは残念です」
メイドが持つ銀のティートレイの上には、レモンのスライスを浮かばせた淹れたての紅茶が湯気を漂わせていた。
「ならそれは俺が飲もう」
ラークンはメイドが持つ、ティートレイからその紅茶を受け取った。
「ありがとうございます」
「マルタ、今お前を呼ぼうとしていたところだったんだ」
「私にですか?」
マルタ、と呼ばれたメイドは何も無くなったティートレイを脇に持ち変えながら、目を丸くして聞き返した。
「うちに新しい後輩ができた。オリヴィエの弟子のリゲルだ。家事も手伝ってくれる」
ラークンはリゲルの背をポンと押して、マルタに紹介した。
「よ、よろしくお願いします。リ、リゲル・ロードナイトです!」
リゲルは軽く押された勢いのまま、今日1番の深いお辞儀をした。
「ま、まぁ!」
マルタは二歩下がり、ティートレイで口元を隠していたが、目は感動してか涙ぐむように細くなっていた。
それからハッと思い出したように、右手は長いスカートの裾を持ち、左は胸に手を当てお辞儀を返した。
「わたくしは、マルタ・リアノスと申します。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
と柔らかく、にこりと笑った。
「家事のことは使用人として一番長いマルタに聞くといいだろう。マルタは、リゲルが覚えるまで出来るだけついてやってくれ」
ラークンは紅茶を一口飲んだ後に、ニッとして二人に言った。
「わかりました」
「承知いたしました」
時計は18時を指す手前、夕焼けがアモネ邸に差し込み辺りはオレンジ色に染まっている。
マルタが出て行った客室で、ラークンは紅茶を飲み終えた後、ほっとしたように言った。
「不本意かもしれないが、来てくれて助かった」
それを聞いたリゲルは少し、聞きづらそうに目線を逸らしながら、申し訳なさそうに聞いた。
「あの、ここの使用人はどれくらいいるんですか。僕はまだマルタさんしか見ていなくて」
「あぁ、五人だ」
即答だった。
「ごにん??」
ごにんってなんだ。五人で合ってる?五って片手で足りるし、さらに五を足したらそれは十で。
など、あまりの少なさから数字の五を認識するのに時間がかかるほど、理解が及ばなかった。
アモネ邸という、貴族の上位階級上位に入る公爵家の屋敷でありながら、使用人はたったの五人しかいない。城に間違うほどの広大な敷地の中に、手入れの行き届いた庭園と、何室あるのかわからないほどの大きく立派なお屋敷を五人で維持できるなんて、この屋敷の使用人はエリートに違いない。
「今日はまだお前の部屋の手配ができていないが、明日にはできるだろう。明日も学校だろうから、同じ時間に来てくれ」
「わかりました。これから、よろしくお願いします」
「ああ」
会ってから堅苦しい緊張感があったラークンにリゲルが慣れたのか、ラークンが少しづつ気を緩めたのか、リゲルは話しづらさを忘れて、堂々と礼をしてその日は屋敷を去った。




