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通り過ぎた夏の名は

作者: 百木 桃

 第4レーン——大江戸中学校。

 第5レーン——昭和中学校。

 第6レーン——。

 

 無機質な音声が各レーンの出場校を読み上げていく。

 

 陸上競技、地区予選大会。

 4×100mリレー決勝。

 

 中学3年の夏。俺は昭和中学校の第3走者のレーンにいた。

 

 特にやりたい部活が無くて始めた陸上競技。

 しかし友達と切磋琢磨し、他校のライバル達と競い合い、いつしか誰よりも負けたくない競技になっていた。

 

 ライバル校——大江戸中。

 3年間ずっと、ここと比べられてきた。先輩たちも、ずっとここに負けて終わった。


 ——けれど今回は違う。

  

 大江戸中が前回の県大会で入賞を果たし、今回はシード枠で出場する。

 その結果、今大会で俺たちのいる地区から、県大会に出場出来る学校は大江戸中を除いた上位1校。

 予選では、俺たちは大江戸中に続く2位。条件は、整っていた。

 ——この大会だけは、絶対に負けられない。

  

 そして今回のリレーオーダーはこれだ。

 第1走者——田村 部内2位

 第2走者——島津 部長・部内1位

 第3走者——俺・雪乃 部内4位

 第4走者——津田沼 部内3位

 

 俺は練習の通り、テークオーバーゾーンから21歩の所にマーキングをした。

 

 テークオーバーゾーンとは、リレーの第2走者以降に与えられた30mの範囲で、いわばバトンを受け取ることの出来る助走ゾーンだ。

 

 この“21歩”という数字は、島津と俺の間で何度も調整を重ねた上で導き出した“正解”だった。

  

 『位置について……。』

 

 号令と共に走者達が次々とクラウチングの体勢に入った。

  

 『よーい……。』

  

 場内が一瞬、息を呑むような静寂に包まれる。

 そして——。

 

 『タァン!』

 

 電子音による号砲が鳴り響いた。

 会場に歓声が爆発する。

 

 田村が走る。滑らかで、無駄のないフォーム。

 さすが田村だ。部内2位の実力者。一気にコーナーを抜けてきた。

 そして——バトンが、部長・島津へ。

 完璧なタイミング。加速。追い上げ。観客の声が跳ねる。 

 それと同時に俺が待つ、第3走者の位置へグングン近づいてくる。

 

 俺は体勢を低くして、島津がラインを越えるのを待った。

 歓声が聞こえる。

 走者達のいくつもの地を蹴る足音と、通り過ぎた風、そしてバトンを渡す時の掛け声が聞こえる。

 そして、島津がラインを——越えた。

 スタート!

 

 後方に伸ばした右手。風の中に、重さを感じるはずだった。 

 …………。

 

 ◇◇◇

 『これより閉会式を行います。』

 

 全てのプログラムが滞りなく終わり、俺たちは部長を先頭に整列していた。

 列の中からは鼻の啜る音や嗚咽が聞こえてくる。

 俺はそれらを横目に壇上を真っ直ぐに見た。

 

 『では最後に4×100mリレーの結果を発表します。1位——大江戸中学校。2位——飯田中学校。……そして8位——昭和中学校。』

 

 会場の空気が、ゆっくりと遠ざかっていく。

 ただ、現実だけが突き刺さるように残った。


 ——終わった。

 

 最後のミーティングだ。

 顧問の待つテントへ向かった。

 涙を堪え切れずに声を上げて泣く者や、誰かに支えられて歩いている者がいる。

 

 俺の背中には部長の手が優しく添えられていた。

 

 顧問を中心にして部位達が囲うと、先生が口を開いた。

「仕方ない!こういう時もある!皆んな頑張ったんだ!胸を張って帰ろう!」

 

 ようやく実感した。

 俺の、俺たちの中学最後の夏はこれで終わりなんだと。 

 視界が滲んだ。今まで堰き止めていた感情の波が一気に溢れ出した。涙が止まらない。拭いても拭いても、次から次へと出てきやがる。

 

 俺たちは負けた。

 俺が原因で負けたのだ。

 バトンを落とした。

 島津からちゃんと受け取れなかった。

 なんでだかわからない。

 気持ちが高揚していたのか、スタートが一瞬早かったのか。原因なんて今更わからない。

 

 ただひとつ確かなのは——俺のせいで、負けたという事実。

 

 だけど、誰も俺を責めない。誰も文句を言わない。

 先生すらも励まそうとする。

 

 何で……何でだよ!

 

 バトンを取りに引き返した時の島津の顔が忘れられない。バトンを渡した津田沼の歯を食い縛る顔が忘れられない。ゴールした時の2位の部員達の歓声が忘れられない。

 

 一気に溢れ出す感情の波で処理し切れなくなった俺はただ一言呟いた。

 

 「ごめん……。本当にごめん……。」

 

 それだけ言うと、今まで背中を支えていた部長がボロボロと泣き出した。

 

 すると他のメンバー達も先生すらも涙を流した。

 

 俺のせいで負けた。

 負けたんだ。

 

 こうして中学3年の最後の夏は終わりを告げた。

 

 ◇◇◇

「高校行ったらどうするの?」


 島津が徐に口を開いた。

 卒業式の日、3年のリレーメンバーは陸上部の倉庫に集まっていた。

 みんな別々の高校に行く事が決まっていた。


「俺は陸上やるよ。」


 そう答えたのは津田沼だ。


「俺もやるつもりだよ。」


「田村もか。雪乃は?」


「俺は……。」


 皆んなの視線が集まる気配がした。


「やるよ。あんな終わり方でやめられるわけがない。」


「じゃ、俺たちが次に集まるのは県大会だな。」


 島津がニヤリと笑うと、皆んな釣られる様にヘラヘラと笑った。


「いや、1人都内に行くやつがいるから、全員集まるのは関東大会だな。」


 そりゃ無理だろー!なんて言う声が聞こえる。

 笑い合う友達の声が聞こえる。

 

 俺はきっと忘れないだろう。あの日のことを。

 バトンを落とした瞬間を。この悔しさを。

 

 ——通り過ぎていった、夏の風の名前を

   

   

 その1年後。

 

俺は、県大会のスタートラインに立っていた。

 

 4×100mリレー、第1走者。

 

 血の滲むような練習を続け、俺は県大会への出場を果たした。

 

 クラウチングの姿勢に入る。

 

 ——すると。

 

「雪乃、ファィッットーー!」

 

 俺だけに向けられた声援が聞こえた。

 

「あいつは、声がデカいんだよ。」


 ボソリと呟いたその一言。

 ようやくこの時、あの日に受け取れなかったバトンを受け取った気がした、

 

 かつての戦友達からの熱い声援が聞こえる。


 あの日と同じ風が、今、俺の背中を押している。   


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