ラウンド2:治癒とは何か?
(舞台は少し温かい色調に変わり、中央には穏やかに揺れる光球のようなインスタレーションが現れる。あすかが手元のカードを一枚、そっとテーブルに置く)
あすか(司会者):
「第2ラウンドのテーマは『治癒とは何か?』です。
“病”が何かを知った私たちは、次に“それをどう癒すのか”という問いに向き合うことになります。
癒しとは、薬か、祈りか、環境か、それとも―」
(パラケルススが、まるで待っていたかのように言葉を挟む)
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【パラケルススの爆発】
パラケルスス:
「―“知ること”だ!治癒とは、真理への到達に他ならん。
祈ってよし、煎じてよし、だがそれだけでは足りない!
医師は知識を得るために、肉を切り、毒を味わい、死と踊らねばならん!
現代の医者どもは安全地帯で数値をいじっている!それが“治癒”と言えるのか!」
(声が一段と鋭く響き渡る。ナイチンゲールが眉をひそめる)
ナイチンゲール:
「…叫ぶことで人は救われません、パラケルススさん。」
パラケルスス(椅子に深くもたれ、笑う):
「おや、冷静の化身が怒ったか。だが、あなたこそ、“癒し”を何と定義している?」
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【ナイチンゲールの反論】
ナイチンゲール(毅然と):
「癒しとは―人間が本来持つ回復力を、最大限に引き出す環境を整えること。
治療の主役は患者であり、医者ではありません。」
ヒルデガルト(穏やかに口を挟む):
「あなたの看護論は、まるで聖務日課のように整っていて、美しいですね。」
ナイチンゲール:
「看護は祈りのようなものです。整えられた空間は、心を清めます。
清潔、換気、光、静けさ――それらはすべて、“見えざる薬”です。」
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【華佗の視点:動きと静けさ】
華佗(手を組んで話す):
「東洋では、癒しとは“流れを取り戻すこと”とされています。
治癒は静けさの中にある。呼吸を深め、気を整える。
五禽戯のような体操や、鍼、薬草――それらは身体が自ら正す力に添える手です。」
あすか:
「華佗さん、あなたは“人が自分で自分を癒す”という思想を持っていらっしゃるのですね?」
華佗(微笑む):
「ええ。私は、患者に『この薬を飲みなさい』と言うよりも、
『あなたの暮らしにこの動きを加えなさい』と言いたいのです。」
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【ヒルデガルトの霊性】
(ヒルデガルトが、そっと目を閉じてから口を開く。まるで賛美歌のような静けさが場に漂う)
ヒルデガルト:
「治癒とは、神の声にもう一度耳を澄ませること―魂と身体を一つにする和解の儀式です。
“病”は私たちに問いかけています。
『あなたは、自分自身に正直か?』『神との調和を忘れていないか?』と。」
あすか(聞き入るように):
「それは…治癒が、ある種の“回心”でもあるということでしょうか?」
ヒルデガルト(静かに):
「ええ。魂が目覚めるとき、身体もまたそれに呼応して、癒えていくのです。」
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【議論の熱を帯びた瞬間】
パラケルスス(苛立った様子で):
「だが、それは“癒し”なのか?“信仰”と“治療”を同じ皿に盛るなど、混乱のもとだ!」
ヒルデガルト(真っ直ぐに返す):
「混乱しているのは、あなた自身でしょう、パラケルスス。
神を排除した真理など、脆くて危うい。」
(しばし、空気が緊張する)
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あすか(割って入るように):
「お二人とも、ありがとうございます。
それぞれの“癒し”への思いが、熱いほど伝わってきました。
治癒は、薬であり、祈りであり、空気であり、動きでもある―
それぞれが“全く違う方法”で、しかし“回復”という一点に向かっているのですね。」
(やわらかな拍手が観客席の方から静かに広がる)
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【ラウンド2 締めくくり】
あすか:
「“治癒とは何か”―それは他者に触れること、自分と向き合うこと、自然とつながること。
そして時には、科学や霊性、そして情熱が交差する場にこそ、その奇跡が宿るのかもしれません。」
(舞台がゆっくりと暗転し、次のラウンドの準備が始まる)