ラウンド1:病とは何か?
(会場は柔らかな間接照明に包まれ、中央の円卓を囲んで、ヒルデガルト、パラケルスス、ナイチンゲール、華佗が腰かけている。司会のあすかが中央に立ち、視線をゆっくりと巡らせる)
あすか(司会者):
「さあ、いよいよ本題に入っていきましょう。
第1ラウンドのテーマは『病とは何か?』です。
この問いは、“医学とは何か?”の出発点とも言えます。皆さま、それぞれの時代や思想から、お考えをお聞かせください。」
(あすかが目を向けると、ヒルデガルトが静かに頷き、ゆっくりと語り始める)
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【ヒルデガルトの視点】
ヒルデガルト:
「病とは、魂と身体の調和の崩れです。
神が創ったこの世界には、“緑の力”―viriditasが流れており、
それは人間にも宿っています。病はその流れが鈍り、あるいは消えてしまったときに起きる。」
(手を胸にあてながら)
ヒルデガルト:
「たとえば怒りに囚われた者は肝を痛め、絶望に沈む者は胃を冷やします。
身体と魂は鏡のように映し合い、神の秩序と共にあるのです。」
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(ふっと鼻で笑うように、パラケルススが口を開く)
【パラケルススの視点】
パラケルスス:
「おやおや、詩人のような医学だな。だが面白い。
私も“病とは調和の崩壊”だと思っている――宇宙と個人の調和だ。」
あすか:
「宇宙と個人、ですか?」
パラケルスス:
「そう。“人間は小宇宙”だ。星々の動き、大地の鉱物、炎の力――それらすべてが人の中にある。
病とは、それらが乱れたときに現れる“兆し”だ。」
(手を宙にかざして)
パラケルスス:
「治すには、その“兆し”の背後にある真理を読み解かなければならない。
血を抜き、熱を冷まし、名前だけの病に薬をぶつける?そんなものは屍体を修理しているだけだ。」
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(ナイチンゲールが、静かにだが凛とした口調で応じる)
【ナイチンゲールの視点】
ナイチンゲール:
「その“屍体”にも、私は触れ続けてきましたよ。」
(パラケルススが片眉を上げる)
ナイチンゲール:
「病とは、“自然治癒力を妨げる何か”です。
それは汚れた水かもしれない。湿った床、閉じた窓、あるいは人々の無関心。」
ナイチンゲール:
「身体のなかの理は確かにあるでしょう。ですが、その前に“環境”があります。
命は光と空気を必要とする。それを満たせば、人は自然に癒されるのです。」
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(華佗が頷きながら口を開く)
【華佗の視点】
華佗:
「私もそう考えています。“病”とは、気の流れが滞ったとき、あるいは過剰になったときに現れる不調です。
怒りは肝を傷つけ、恐れは腎に影を落とす。感情と臓腑はつながっている。」
ヒルデガルト(柔らかく):
「まるで兄弟のような思想ですね、私たち。」
華佗(静かに微笑み):
「西も東も、自然を見れば同じものが見えるのかもしれません。」
華佗:
「私は、病を“排除すべき敵”とは見ていません。それは調整の機会であり、身体の声です。
患者が自分の心と向き合い、食事や呼吸を整える。治療とはその手助けです。」
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(あすかが皆を見渡す)
【対話の交差】
あすか:
「皆さん、それぞれ“病”を敵ではなく、サインや秩序の乱れとして見ていらっしゃるんですね。
ですが現代では、病は“外敵”として扱われることが多いです。ウイルス、腫瘍、自己免疫など……」
パラケルスス:
「ウイルスだと?それも宇宙の構成物だ。“敵”にするのは、自分が理解できないからだろう。」
ナイチンゲール:
「ですが、人が病で死ぬとき、その“敵”に名がついていることは重要です。
統計があれば対策ができ、助かる命もある。知ることは、守ることでもあるのです。」
ヒルデガルト:
「名を知ることが、“神の言葉”を読み解く助けになるなら、それは善でしょう。
ただし、名に囚われることが、人を盲目にすることもある。」
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【ラウンド1締め】
あすか:
「“病”は、身体と心の不調和であり、自然の警鐘であり、時に魂の沈黙かもしれない……。
皆さま、ありがとうございます。ここで初めて、私たちは“病”という言葉の重みを、
ただの診断名以上のものとして捉えることができたように思います。」