RECORD
ワタシたちはずっと、彼女を遠くから見守ってきた。
晴れの日はもちろん、雨や雪が降る日も。
静かに読書をしている日も、鳥に昼食のパンを取られた日も。お世辞にも上手いとは言えない、この街をスケッチをしていた日も。
うたた寝をして塀から落ちかけた時は、助けにはいるため干渉しそうになった。
――――あの時はさすがのワタシも、肝を冷やしたものだった。
そうやってワタシは、朝から夕方までずっと……塀の上に一人で座っていた彼女のことを見ていた。
そんなある日のことだった。
突然、彼女はワタシに「アナタたちは変わるのにどうして私だけ、何も変わらないのか」と質問をしてきた。
だからワタシは答えた。
「貴女は『アムネシア』。魔族から人類を救う希望であり――『自身の記憶を代償に力を得る忘却魔導兵器です」
彼女は驚きとともに酷く傷ついた顔をした。しかし、それと同時に――――どこか納得したような表情もした。
ワタシはあの時、彼女自身については答えた。
だがワタシの正体については、一切答えなかった。
――――本当はワタシ自身も……真の意味で、何一つ変わってなどいないのだ。
我々は、忘却魔導兵器と呼ばれる古代アーティファクトだ。
流れる時間は周りとは異なり、肉体の変化は造られた時から止まっている。
ほとんどの忘却魔導兵器は力を使うと、反動で長い眠りにつく。だから全ての忘却魔導兵器が眠ってしまわないよう、順番に役目を与えるのだ。
――――少々酷ではあるが……そろそろ潮時か……。
「貴女が力を使い果たして眠ったら、他の忘却魔導兵器が世界を守ります。逆に他の忘却魔導兵器が眠った場合、貴女が世界を守る番です。そして、それが今です」
そうやって例外なく、世界は守られてきたのだ。
「ワタシが貴女に干渉しなかったのは、貴女にできるだけ多くの記憶を持ってもらうためです。記憶が多ければ多いほど、貴女の力は強くなる。とくに貴女自身の……『忘れたくないほど大切な記憶』なら……なおさらです」
「……そう、やって……過去の私は、みんな……みんな記憶を失くしたの、ですか?」
「そうです」
――――前回の貴女も、前々回の貴女も……。
「今の私も……力を使ったら……今までの思い出も、全て……全て忘れるの……?」
「そうです」
――――その前も、そのずっと前の貴女も……。
「あの子と過ごした時間も、記憶も……全部、忘れて……」
「そうです」
――――貴女は覚えていないでしょう、ワタシと過ごした時間も。
「その後、何年も眠って……」
「……そうです」
――――……そうしてワタシも、次の貴女が目覚めるのを待ち続けるのです。
本当は逃がしたかった。
世界のことよりも、役目なんかよりも。今までの貴女が大切にしていた記憶を……ワタシとの思い出を優先したかった。
――――私の名を呼んでくれた、優しい貴女のことを……。
だが現実は非情だ。
「仮に忘却魔導兵器……今回の場合貴女がが役目をまっとうできないと判断された場合、強制的に自我をなくして力を行使させます」
貴女に残された選択肢は二つ。
『貴女の意思で記憶を失う』
か
『ワタシの介入で記憶を失う』
「……選んでください。貴女が深く執心している……『リコード』という名でしたか。あの者を守る方法を」
この日は、そうして彼女と別れた。
数日後、決意した彼女がワタシの前に現れた。
◇
「これをどうぞ」
世界の脅威である魔族との戦いに向け、ワタシは彼女にある物を渡した。
「……これは?」
「前の貴女も、その前の貴女も使っていた……貴女だけの武器です」
「私の……」
彼女の身長より少し大きな杖。
「この杖の先に装飾された青い水晶玉には、貴女の記憶を魔力に変換する機能があります」
「記憶を……」
「記憶の質や量によって、その青水晶は輝く。その輝きが失われた時……貴女の記憶は全てリセットされ、深い眠りにつきます。貴女の意志とは関係なく、全て」
ワタシの言葉に、彼女は一瞬躊躇いを見せた。が、私の前に現れた時点である程度の覚悟は決まっていたのだろう。彼女が杖を受けとると、青い水晶玉が輝きだした。
「記憶はすぐには失われません。貴女が気づかないほど、少しずつ……しかし確実に失われていきます」
「分かり……ました……」
それからの彼女は、見てられるものでは無かった。
何度も繰り返し見てきたと言っても、徐々に記憶を失う彼女の姿は見ていて痛々しかった。
記憶を失った反動で、時折自我を保てなくなっていた。
その度ワタシは姿を変え、彼女の思い出と記憶を擦り合わせた。
そして彼女は――――守りたいと願った者の顔も名前も、最終的には思い出せなくなっていた。
それでもなお、思い出だけは頑なに手放そうとはしなかった。
力を使う度に自我が崩壊しかけ、泣き疲れた彼女の頬に手を伸ばして……寸前で止める。
「今の貴女にとって大切な『リコ』は……あの者ですかネア?」
夢でうなされている彼女の涙を、そっと拭う。
「……もう二度と、ワタシのことを『リコ』とは呼んでくれないのですか?」
――――ワタシはもう、貴女の記憶の一部にはなれないのですね。
ワタシの名はリコルド。
『存在を忘却する』忘却魔導兵器。
そして貴女の中から、ワタシという存在を消した張本人。
◆
彼女はいつも優しい人だった。
『存在を忘却する』忘却魔導兵器として造られたボクは同じ忘却魔導兵器以外、他者の記憶に残らない。
その能力のせいか、それとも元の性格のせいか。ボクは他の忘却魔導兵器より捻くれた性格だった。
口を開けば一言目には必ず皮肉、二言目にも皮肉。会話の始まりから終わりまで皮肉ばかりの捻くれ者。
そのうち同胞にも煙たがれたが、彼女だけはずっとそばにいてくれた。
彼女のその優しさがどこかむず痒く、彼女に心惹かれていると素直に認めるまで時間はかかった。だが本心では、とっくの昔に彼女にはこの感情は抱いていた。
認めてから紆余曲折を経て、特別で親密な関係になった。
彼女がボクを『リコ』と呼び、ボクは彼女を『ネア』と呼ぶ。その時間がとても心安らぎ、心地よかった。
彼女は忘れられるボクをずっと覚えてくれると言った。
だからボクも、彼女の思いに応えるため……自身の記憶を失う宿命の彼女のために、ボクは彼女を忘れない。
ボクは彼女を守ると誓った。
――――だが、それが逆に彼女を苦しめた。
ある時、彼女の力が暴走した。原因は魔力に対し、彼女の記憶の代償が足りなかったのだ。
その時、彼女の意志とは正反対にボクに関する記憶が消えた。あの時はそうするしかないと彼女を慰めたが、優しい彼女は自身を許せなかった。
そうして彼女の自我は徐々に崩壊し始めた。
今までは『ボク』という存在で保てていた彼女の心が、完全に壊れた瞬間だった。
「リコ……リコルド……ごめんなさい、リコ……」
『ボク』という存在で何とか保てていた彼女の心が、今では『リコ』という不完全な存在のせいで保てなくなった。
――――だからワタシは……。
「すまない、ネア……許さなくていい。憎んでくれていい」
彼女の記憶の中から、『ボク』という人物を『ワタシ』は消した。
◆
彼女が眠った数年後、当時の彼女が拠り所にしていた『リコード』という人物に会いに行った。
リコードは彼女がいつもいた塀でずっと、彼女の帰りを待っていたようだった。
「アナタがリコードさんですね。ワタシは彼女の……『アムネシア』という人物について知っているモノです」
ワタシはリコードに話した。
彼女に記憶がないのは、力の代償が記憶と引き換えなのだということ。
そして彼女は今、力の反動で深い眠りについているということ。
「……それを自分に話して、どうするんですか?」
「……彼女は最期まで、アナタの記憶と思い出を手放そうとはしませんでした。まぁ最終的には、顔も名前も思い出せなくなっていたようですが……余程アナタとの記憶や思い出は、彼女にとって大切だったのでしょう」
表情を変えずに淡々と言葉を発するワタシを、『今すぐ殴りたい』といった表情でリコードは睨みつけてくる。
「しかしそのおかげで、この世界もアナタも平和なのは事実です」
「彼女の犠牲の上に成り立った平和です……」
「その通りです。が、彼女が願ったのもまた事実です」
「……もういいですか?」
立ち去ろうとするリコードに、ワタシは声をかける。
「……最後に一つ」
「まだあるんですか?」
これは自分自身と重ねた、渾身の皮肉。
「彼女との『約束』……叶うといいですね」
その後――ワタシはリコードの拳と怒鳴り声を只々聞いていた。
コレはワタシへの罰だ。
あの日救えなかった、彼女からの。
そして、私自身の招いた結果なのだと。
アムネシア――――。
次の貴女は、どうか幸せでありますように。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
『AMNESIA』と『RECORD』。
二人の詳しい過去についてはまたいずれ書こうと思います。
忘却魔導兵器とは一体何なのか。
少しづつ明らかにしていくつもりですので、何卒よろしくお願いします。
良ければブックマーク・感想・評価・レビューなどいただけると嬉しいです。
今後も忘却シリーズをよろしくお願いします。