18 ダイアナ元妃死去
1997年8月31日、ダイアナ元妃はパリにて自動車事故で命を落とす。
その際、イギリスは悲しみに包まれ、国民はケンジントン宮殿に世界中の花を集め捧げた。
もちろん、ロンドンで一報を受けた自分も日本時間の9月1日にはフランスから確かAPTVの中継車から生でリポートを届けたのであるが、その後、ワタナベが東京から言われたのが「予定通りベネチア映画祭の取材をして来い」ということであった。
そのころ、ベネチア映画祭では北野武監督の「HANABI」が金獅子賞の最有力候補に挙がっていた。
北野監督が偉業を達成するところは取材するべきだし、片や、ロンドンではダイアナ元妃の死去である。しかも、この時、タイミングの悪いことに、ロンドン支局長は休暇でギリシャに行っていた。
俺一人に両方取材させようという東京が悪いのである。
ワタナベはベネチアで北野監督の「HANABI」の評判やフォトセッションの様子などを取材しながら、一方で「ロンドンのダイアナ元妃の取材」に戻りたい、と当時の国際部のデスクに何度も懇願するのだが、「ロンドン支局長をギリシャから呼び戻すのでお前はベネチア映画祭の取材を真っ当しろ」と電話の向こうから怒鳴り声がしてくるのであった。
ダイアナ元妃の葬儀はベネチア映画祭の真っただ中である。
イギリス国民全体の悲しみの中、行われるというのに、支局長一人で取材や中継が出来るわけがない。
もちろん北野監督のベネチア映画祭も、日本国中の注目の的であるが、ダイアナ元妃の葬儀は世界中の注目を浴びている。
しかも聞くや聞かざるや、ロンドン支局長はギリシャへの夏休み旅行から帰ってこれるかどうか分からないというのである。
あちゃー。
額をぺしっと打つワタナベ。
どうする?




