15 ユーゴ戦記 単身バイクでベオグラードへ
1999年、旧ユーゴスラビアはクロアチア、セルビア、ボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロ、スロベニア、マケドニアなどに分かれたのち、セルビアとモンテネグロによって、新たなユーゴスラビア共和国が誕生していた。
その後、アルバニア系住民が多いコソボ地区ではコソボ解放軍がユーゴスラビアからの独立を求めて闘うことになり、セルビアとの間で激しい戦闘を繰り広げることになる。(ここは既に述べたアルバニア戦記と密接に関係している)
そしてNATO軍がユーゴスラビア、特にセルビアに対し空爆を行うことになるのだが、その間には、多くの政治的な駆け引きがあった。しかし、それは後述しよう。
とにもかくにも、ユーゴ空爆の取材のためにハンガリーとユーゴ国境に駆け付けたワタナベは、とりあえずユーゴ側に入国することがかなわず、ハンガリー国境で一度中継をしたのち「さて、どうしたものか」と考えた。
なぜ、入国がかなわなかったのかというと、検問で見せた紙幣が気に入らなかったようなのである。
なるほど、その当時、一番信任があったのはドイツマルクであり、ほかの通貨はほぼ通用しなかったのだ。
ワタナベはロンドン支局から来てくれたスタッフを「俺はまだいるけど、先に帰って」と解放し、国境で策を練った。
先程、国境で跳ね返されたのは、通貨の問題だけではないだろう。やたら車に機材を積み込んでいたせいもあるかもしれない。警戒されたのだろう。
そこで、ワタナベは国境、ハンガリー側で車以外の移動手段を探した。基本的には自転車で良いのである。そうこうウロウロするうちに、バイク販売店をみつけ、日本でいうスーパーカブを安値で購入。あとで経費で落としちゃえ。(→のちに自腹となる)
いつバッテリーが切れるか分からないビデオカメラを片手に、国境へ再び向い、ドイツマルクを検問に渡すと、難なく国境を越えた。
既に夕刻を迎え、周辺が暗くなり、そして間もなくNATOの空爆が始まる。
ナゾの東洋人が独りスーパーカブにまたがり、片手にビデオカメラを携え、首都ベオグラードへの交通看板案内を頼りに南へ向かう。
ベオグラードにはEBU=ヨーロッパ放送連合がいる。戦時状況を伝えるため空爆の中、各国の映像を配信するため命がけでギリギリまで駐留しているのである。ワタナベはEBUに既に連絡をしていた。EBUがワタナベの撮影した映像を送るために、到着を待っている。
それだけで200キロ以上あるベオグラードへスーパーカブを全速力で走らせる価値はあるのである。
ただ、異国のスーパーカブは日本同様、全速力でもさほどスピードが出なかったのが、のちの不幸となる。




