14 ルクソールテロ 夫婦
母は、親父がこのまま意識が無くても、植物人間状態になっても(植物人間という言い方は問題になったっけ?)病院で生命維持装置をつけたままでも親父に生きてほしいという。
親父はそうしたことを望む人間ではないのは、よく自分も姉も知っていたが、誰がこの60近い妻の思いに口をはさむことが出来ようか。
結婚して35年、俺も姉もこの夫婦には愛されていたと思うが、それ以上に、夫婦の間ではなれそめから愛情の過去もいざこざの過去もあったことは間違いない。
ラブラブな夫婦ではないが決して憎み合うようなことも無かった。
意識もなく横たわる父の横で「パパ、パパ」と呼びかける母は、いつもの才気煥発で言いたいことばかり言っている母ではなかった。
弱弱しくいかに父を頼りにして生きてきたのかが、今更のように分かった。
1週間、そして親父は亡くなった。脳挫傷で。
最期の最期、確か電気ショックで、親父の体がはねた記憶がある。
その後の記憶はまだら模様で、近親者だけで葬儀をし、のちにお別れの会を開いた。衰弱した母の代わりに喪主挨拶をしたが、何を言ったのかよく覚えていない。
死まで10日近くの猶予があったが、それでも「事故死」という突然の出来事には、遺族の心はついて行かない。記憶は飛んでいる。
ふと思うのは、一緒にしては不遜だとは思うのだが、ルクソールのテロで亡くなった人々である。そしてその遺族である。
楽しい観光の最中、突如奪われた命と、その遺族は更に、気持ちの整理がつかないままエジプトに飛び、現地の葬儀に出て、遺骨を胸に日本に帰る。
そしてそこにはさらにそれを待つ遺族がいる。
悪い意味で、青天の霹靂であったはず。
ショックは想像をはるかに超えている。
その後、自分はまだ若かった姉を病気で亡くした。
それはそれで、長い治療期間は気が動転したり、感情が落ち込んだり、姉とケンカもした。
「突然」の死はショックだが、闘病生活中の姉の希望と絶望の繰り返しにもまた、あたふたとした。
姉の頼りは義兄であった。母が父を頼りにしていたように。
姉がホスピスで亡くなって恐らく5分後くらいに姉の亡骸に対面した。
その直前まで、自分も母も姉の枕元にいた。姉は静かで感覚の長い呼吸をしていたが、病気でやせ細った姿が悲しかった。
しかし自分と母は一旦帰ってしまったのである。
ただ、姉は義兄のおかげで幸せだったと思う。
そして最後も義兄が看取った。
その後、義兄とは疎遠になってしまったが、最期の最期まで姉が信頼していたのは義兄であったことは間違いがない。
感謝している。




