11 死線を超え「エスプレッソ、ダブル」
強盗に襲われたり、キャベツを抱えたおばさんたちと話をしているうちに
我々アルバニアの内戦取材班は、午前中には南部の戦闘地区に入った。
そして突然にして、砲撃と機関銃の轟音が街中に響き渡る中、
アホな日本人記者ワタナベとアメリカ人カメラマン、ロバートがその交戦の中に突撃していく。
たどり着いたのは、政府軍なのか、どちらの側か分からないが、民家の屋根に上り、砲撃に機関銃で応戦している男の真下。その家の正面である。
銃撃音が交錯する中、
とにもかくにもカメラマンに「撮れ」と言って、頭を下げながら
その音に負けない声で「現在銃撃戦が~」というリポート。
砲撃と機関銃の弾が頭上で飛び交っているため家の裏庭に逃げ込むと、今度は、裏庭側から屋根の上で機関銃をぶっ放している男が見える。
「とにかく騒ぐな」とカメラマンに言うワタナベ。
その砲弾に応戦する屋根の上の男から、二人は身を隠していた。
幸いにもその機関銃の男は、地べたにいる我々には気付いていないのだ。
ひっそりと黙っていれば、それでいい。
しかし、カメラマンは次の瞬間、想像もつかない行動に出たのであった。
彼はカメラを、裏庭には二羽にわとりが、もとい、裏庭にぶん投げたのである。
強盗に対しても命がけで守ってきた商売道具をである。
そして彼は身を裏庭には二羽にわとりに投げ出して言った。
「あいむあじゃーなりすと!!!」
相手が当方の存在に気付く前に「命乞い」という手段に出たのである。
3回ほどその命乞いを繰り返した。
「あほ!このっ!じゃあなりすとっ!」と、ワタナベが彼の体とカメラを引きづり
裏庭には二羽にわとり、じゃなくて、裏庭から家の正面に戻った。
このカメラマン、ロバートは戦場でプレスは身の保証があると思っているようだが、
軍隊の規律の前ですら、敵味方が交錯する中で、そんなことは関係ない。
(既にワタナベは首都ティラナ市内で、外れたものの一発ぶっ放されていた)
このカメラマンがそれでもカメラマンだったのは、
カメラはぶん投げたけれども、その後取り戻したカメラを回し続けて、
我々が家の正面から、屋内に逃げ込むところまで全て撮影していたことである。
屋内には、そこに逃げ込んだ近所の子どもたち、大人たちがいた。
その恐怖に震える子どもたちの表情を、カメラはとらえ続けていた。
やはり戦争は死と隣り合わせで、子どもにひどいトラウマを負わせ
しかしそれを守ろうとする大人たちを映していた。
ロバート、これが戦争だよな。
戦闘の音が一時的に止んだ隙に、元のメディア待機の場所に戻る。
(その場所だって、攻撃対象となる建物が特にないというだけであって、いつ砲撃されるか分からないのだが)
もちろんカメラマン、ロバートも一緒である。
結構な距離を走り回ってきた自分を
イギリス人プロデューサーのジュリアンが迎えてくれる。
そしてそこにいたメディアの連中が、ロバートが今撮って来たばかりの映像を見返す。
そこにはカメラが乱暴に放り投げられた瞬間映像も「あいむあじゃーなりすと」の音声もあったはずなのだが、「ここはどうでもいい」と、ロバートカメラマンによってスキップされる ←おいっ!
結局、みんなが見せられたのは、ロバートカメラマンがとらえた、戦場最前線の爆音と走り回る取材者、そしてその爆音の下に怯える子どもたちの姿のみなのであたたたた。
それを、そこにいる各国の記者とカメラマンが讃えるのであたたたたたた。
一方、ワタナベが「あいつはカメラをぶん投げて『あいむあジャーナリスト』って叫んでいたんだぜ」とジュリアンに伝えている時だった。
その、カメラをぶん投げて「あいむあじゃーなりすと」と命乞いをしたカメラマン、ロバートが
戦地取材の一仕事を終えた体で、低音で一言。
「エスプレッソ、ダブルで」
遠くに視線をやりながら。
ただ、内戦の様子を撮影し、一仕事終えたカメラマンのセリフが
「あいむあじゃーなりすと」では情けないので許した。
武士の情け、ワタナベが編集して東京に送った映像の中には
「あいむあじゃあなりすと」は入れなかったが、「エスプレッソ、ダブル」は入れてやれば良かったと
後に思うのであった。
後日、アフガニスタンにアメリカが侵攻した際に、取材指揮を執ったデスク曰く
「アフガン取材で再び仕事をしたロバートは『あの頭のおかしいワタナベは生きてんのか?』と聞いてきた。スタッフは『残念ながら元気だが今回は来ないよ』と答えると、ロバートはホッとした様子でチャイを啜るのであった」
とのこと。
※この顛末は、イギリス人プロデューサー、ジュリアン、及び、アメリカ人カメラマン、ロバートの様子を自分の感覚で書いたものであって、決してdisるものではありません。
ジュリアン氏に関しては、個人的な相談も含めて、一緒に本当に楽しい取材をさせてもらって感謝していますし、アメリカ人カメラマンのロバートについても、その後のアフガニスタン侵攻での我が同僚が取材する際に、大変にお世話になり、感謝しております。




