2・噂の毒舌令嬢、噂の悪役令嬢と仲良くなる
「なぁ、チェリー? 俺、今、すげぇ怒ってるんだけど?」
チェリーは婚約者、“春先の猫”で“舐め犬”こと、グレアムの膝の上で震えていた。理由は言わずもがな、婚約解消しようと企んでいたことがバレたのだ。
騎士科の生徒らしく長身で引き締まった体格のグレアムに比べ、同年代の少女たちよりも小柄なチェリーに逃げる余地などなかった。
「めちゃくちゃ傷ついたわ。傷心で死にそう。今すぐぶち犯してやりてぇ」
(それだけはやめて!)
なにせ場所は学院の中庭。衆目の中そんな破廉恥なことをされたらチェリーの精神が死ぬ。
「しょ、初夜の約束が守れないなら、結婚しないんだから!」
婚約当初からこれだけは伝えてある。婚前交渉だけはしないと。グレアムは律儀にそれだけは守ってくれている。一応は。
しかしそこを譲るからとばかりに、それ以外はやりたい放題だ。こうしてベンチで膝に乗せられ、騎士の逞しい腕でしっかりと背後から抱きしめられ、こめかみに熱いキスをして、耳をねちっこく舐めてくるグレアムから逃れる術はない。
「はぁ……。まじで覚えておけよ? 次また俺から逃げようなんて考えたら……」
「や、やだなぁ、逃げないって!」
「目ぇ、泳いでるぞ」
「ぐぬぅ」
「ははっ。ぐぬぅ、だって。食べちゃいたいくらいかわいいな、チェリーは」
半分食べられている気もしなくないと思いながら、キスなのか舐められているのかわからない感触に遠い目をしていると、ミスティアが葡萄色の髪を靡かせながら歩いて行くのが見えた。今日も変わらず凛としていて美しい。
「あ、ミスティア様だ」
「んー? 公爵令嬢様? 昨日お茶会したんだっけ? なに、仲良くなったの?」
「うん。なんか噂と違って、めちゃくちゃかわいい人だった」
「はあ? 俺のチェリーの方がかわいいんですけど」
なぜそこで対抗意識を燃やす。
「わたしとじゃ、系統が違うでしょう?」
チェリーはあえてカテゴライズするのなら元気かわいい系であり、ミスティアはミステリアスな美女系だ。
「まぁ、それは確かに。普通に美人だけど、なに考えてるかわからなくて近寄りがたい感じ?」
「見た目はね」
だけどその健気さを知っている人は少ないのではないだろうか。
ミスティアは自分のためではなく、婚約者のために婚約解消を願っているのだ。
(殿下のことを好きなのに身を引こうとしているとか……健気!)
昨日ミスティアが語った内容はチェリーからするとおおよそ信じられないものだった。普段からべたべたしつこいグレアムに半ば洗脳されて普通の婚約者同士の距離感の基準が狂いつつあるものの、すべて黙って聞き終えたチェリーは思った。それはもはや婚約者ではなく、他人だ。赤の他人。
ゆえに“赤の他人”と名づけた。
我ながらあだ名づけが天才過ぎないだろうか。
これで不敬な話をしていても王太子のことだとは思われないだろう。
残念ながらそれ自体が不敬という考えはチェリーにはない。
「殿下、最近は王女様につきっきりだからな。たぶん上から言われてるんだろうけど……」
「だとしても、おかしくない? 王女の方が泥棒猫ポジションなのに、なんでみんなミスティア様を悪く言うの? ……え、まさか……みんな頭悪いの?」
学年順位が下から数えた方が早いチェリーが真剣な顔でそうつぶやくと、騎士科で成績トップ三に入るグレアムが思い切り噴き出した。
「チェリーのそういうとこ、めっちゃ好き。無自覚で人をぶった斬るとこ、ほんと尊敬する」
チェリーはただ思ったことを口にしただけで、ぶった斬った覚えはないのだが。
隙をついてブラウスの中をまさぐろうとするグレアムの右手をどうにか引き剥がした。尊敬とは一体……。
「殿下はなにを考えているんだろうね。このままだと本気で愛想尽かされると思うんだけど」
「いやぁ、あの完璧主義の王子様は、あえて噂をそのままにしてんだろうと思うけど」
「え、なんで?」
「学院内での噂話を鎮静化できず、あまつさえ令嬢たちをまとめられないようでは、王太子妃として失格だから?」
チェリーでもなんとなく理解した。
「ま、人の好意の上にあぐらをかいて慢心してる愚かな人間が愛想尽かされたところで、俺らに関係ないし」
痛烈だがその通りだ。
チェリーは学院を卒業したらグレアムと結婚し、辺境に帰る。騎士の名門レイデ家の次男であるグレアムが、ブロッサム辺境伯のひとり娘であるチェリーに婿入りする形だ。政とは無縁の辺境で、主に国防に力を入れる予定となっている。
待ち受けているのは国に侵入せんとする魔物を狩る日々だ。
そんな過酷な土地に婿入りしてくれるグレアムに、感謝の気持ちはもちろんある。もちろんあるのだが、それをぶち越える勢いでスキンシップが激しいのが問題だった。
グレアムには普通人が持つべき羞恥心がまるでない。快楽主義の異常者なのだ。
辺境で魔物を屠りながら生きるか死ぬかの暮らしを選ぶような者たちは、多かれ少なかれ頭がイカれているとチェリーは思っている。国のために魔物と戦う、などと、崇高な志は持ってはいないのではないだろうか。
もちろんみんな大事な仲間であり、領民たちではあるのだが。
「ぶっちゃけ、結婚相手が隣国の王女でも問題はないと思うけど? 友好国とは言え、他国の王女を王室に迎え入れるのって、多少のリスクもあるけど、たぶんメリットの方が大きいだろうし」
「だけどわたしは、ミスティア様が王妃様になったらいいなって思うよ?」
「ふうん? そんなに隣国の王女が気に入らないなら、消してやろうか? 魔物に喰われた感じで自然に処理する?」
「いや、国際問題!」
「あははっ」
「あはは、じゃなくて」
「ほんとチェリーは飽きないわー。かわいい」
グレアムはチェリー以外、本気でどうでもいい男なのだ。
「わたしのことは置いておいて。このままミスティア様が孤立するのは、よくない気がする」
チェリーがミスティアを追いかけるために立ち上がると、グレアムが不機嫌そうに低く唸った。
「あぁ? 俺より公爵令嬢を優先するわけ?」
その鋭い眼光にびくびくしながら目を泳がせる。
「や、やだなぁ。そんなわけないじゃん。“グレたん”も一緒に行こっ?」
グレアムが一瞬黙ってから、にこっと笑ってチェリーの差し出した手をしっかりと恋人繋ぎで握りしめた。
「“チェリたん”がそう言うのなら、行こうか」
精神の半分くらいにダメージを負ったが、グレアムに嫉妬をさせずに済むのなら、悪魔に魂を売ろうと思った。
*
カフェテラスでミスティアはひとり憂い顔で紅茶を飲んでいた。それだけで妙な色気があるのだが、本人にその自覚はまるでない。
というのも、近くの席にかけた令嬢たちが、先ほどからミスティアに対する悪意ある噂話を、わざと聞こえるように囁いているからだった。
「またおひとりで……ふふ、お寂しいこと」
「殿下は王女様に夢中ですものねぇ?」
「この前の夜会でも殿下は王女殿下をエスコートしていらして、とてもお似合いでしたわね」
ここで席を立ったら負けだと思い、意地で座り続けていたミスティアの前に、すっと影が差した。見上げるとチェリーピンクの髪をツインテールにした小柄な少女――チェリーが、にこにこしながら正面に立っていた。彼女は騎士科の制服を着た、癖のある黒髪に軽薄そうな笑みを浮かべる青年を連れている。――グレアム・レイデ。言わずと知れたチェリーの婚約者だ。
この学院の生徒の名前や経歴など、ミスティアの頭にはすべて入っているが、彼ほど掴みどころのない人はいないのではないだろうか。婚約者のチェリーを溺愛する印象が強いが、成績は騎士科のトップクラスであり、一度フェリクスが側近にと声をかけたらしいが、一刀両断されたという。「チェリーと結婚できなくなるから、やだ」と言われて。
「ミスティア様、ここいいですか?」
尋ねられたのでミスティアはうなずく。ちょこんと席にかけたチェリーの隣に、当然のようにグレアムも腰かけた。
そして挨拶もそこそこに、彼女は笑顔のままこう切り出した。
「ミスティア様! ガラカラスって魔物を知っていますか?」
「え?」
急に魔物を話題に出されて瞬いてしまったが、確か、低級の魔物だったように思う。王都にも人の害にならない魔物はいくらか存在しているが、ガラカラスは本物のカラスとの見分けはつかないほぼカラスだったはずだ。
「仲間内でガラガラ声でうるさく鳴いて、見た目は普通のカラスそっくりなんですけど、実は羽をむしると鶏ガラみたいだからガラカラスって言うんですよ! なんかさっきそこにいたんですよねぇー」
チェリーは笑いながら、陰口を言っていた令嬢たちの方へと指を向けた。
その痛烈な嫌味に驚いたのはミスティアだけであり、チェリーの顔はなぜか屈託なく、隣のグレアムなど、「ぶはっ」と思い切り噴き出して肩を震わせ笑っている。
当然だが令嬢たちは顔を真っ赤にしてチェリーを思い切りにらみつけた。
当のチェリーはというと、「えぇ……? なんで……?」と、本当になにも分かっていない様子で戸惑っている。
彼女たちは憤慨しながら席を立つ。その様子をチェリーは首を傾げながら見送っている。
一拍置いて、グレアムが弾ける声で笑い出した。
「いやー、うちのチェリーはやっぱり天才だわ。無自覚に嫌味を言う天才。さすが噂の毒舌令嬢」
(無自覚……なのね)
ミスティアのためにあの令嬢たちを遠回しに批判してくれたのだと思ったが、違ったらしい。
そういう意図がなくとも、彼女たちにはこう聞こえたはずだ。悪口ばかりでうるさい、外見ばかり着飾った中身のない人間、と。
昨日はじめて話してみて、噂とはずいぶん違う雰囲気の子だと思っていたが、これは……。
「嫌味……? なに言ってるの? そこにいたじゃん、ガラカラス」
「まぁ、いたけど」
ミスティアはチェリーをつぶさに観察するが、おそらく彼女の言う通りそこにちょうどガラカラスがいたのだろう。そして魔物を見かけて嬉しくなって、ミスティアに教えたら偶然彼女たちへの嫌味になってしまった、というところか。
挨拶もそこそこに魔物の話を出してくるのも人としてどうかとは思うが、救われたのは事実である。しかし感謝したところで彼女にはわからないのだろうことを思えば、ここは流しておく方がいい。
「あっ、ミスティア様、これがわたしの婚約者のグレアムです」
その目が、『春先の猫』で『舐め犬』です、と続けているように見えた。昨日から思っていたが、心配になるくらいに表情豊かな娘だ。
チェリーのことは情報として知ってはいたが、噂の方もいくつか耳にしている。婚約者と人目も憚らずいちゃいちゃしている恥知らずだとか、嫌味ばかり言う嫌な女だとか。悪い噂ほど広がるものだ。ミスティアが一番よく、それこそ身をもって知っている。
対峙すると毒気というか、とにかく気が抜ける娘だ。表裏があるようには見えない。
「うちのチェリーがお世話になってまーす」
グレアムが軽薄そうに口の端を持ち上げているが、その目はこちらの一挙一動をじっと観察しているのを感じた。
(わたしという人間を……人間性を、見極めようとしているわね)
おそらくチェリーが親しくするに相応しいかどうかを、目で見て判断しようとしている。
(軽薄そうな見た目はフェイクなのかしら?)
チェリーに悪影響を及ぼさないかどうかを見極められている。弾かれれば二度と彼女には近づけなくなるだろう。
ミスティアがもしフェリクスと結婚して、王太子妃、ひいては国母となったとき、辺境伯との関係が良好であるに越したことはない。このふたりはこの国の守りの要、次世代のブロッサム辺境伯夫妻だ。
(だけど……)
ミスティアはチェリーに打算的な関係は求めていなかった。
婚約解消されれば、ミスティアが国のことを考える必要もなくなる。
ふ、と肩の力抜いて、昨日と同じように彼女と向き合った。
「今日は一緒なのね」
「昨日の件がバレて、ねちねち言われてましたぁ……」
チェリーには悪いが、ねちねち言われる程度でよかったと思う。
グレアム・レイデのチェリー・ブロッサムへの偏愛は異常だ。これは紛れもない事実。グレアムがにらみを利かせているので、よほどの用でもなければ誰もチェリーに近づこうとは思わないだろう。
「ミスティア様は、なにか言われたりしませんでしたか?」
「言われていないわ。会ってもいないからね」
フェリクスがミスティアの行動を把握していないとは思えない。情報を得た上で噂が広がらないよう箝口令を敷き、その上でミスティアは放置されている。
ミスティアの意思など、どうでもいいのだろう。
あれは遠回しな抗議の側面もあったが、結局無意味に終わった。
いや、こうして風変わりな出会いがあったと思えば、すべて無意味だったというわけではないのかもしれない。
「さっすが、赤の他人〜。グレアムと足して二で割ったらちょうどなのに」
「俺と足して二で割ったところで、チェリーへの執着は消えないから。迫られる人数が倍になってチェリーがしんどくなるだけだっての」
(執着している自覚はあるのね……)
冷静に自己分析した上でのこれならば、相当たちが悪い。
「グレアムの成分が強過ぎる……」
「チェリーのことは髪の毛一本まで愛してるから。殿下五人くらい連れて来ないと中和出来ないって。……てか、どんな話だよ。ドン引きされてんじゃん」
チェリーがはっとした様子でこちらを見た。ドン引きはしていないが、ふたりの間合いに入って行く勇気はなかったので聞き手に徹していただけだ。
「わたしは人の話を聞いている方が好きだから」
そういうところも、王太子妃に相応しくないのだろう。
ミスティアは胸のうちでそっと自嘲した。
グレアム・レイデ(17)
春先の猫で舐め犬
2年騎士科Aクラス(特待生)
得意科目 実技全般
苦手科目 道徳、倫理




