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1・孤立する令嬢たちは婚約解消をしたい



 その昔、この貴族学院に在籍していたひとりの令嬢が、自ら命を断つという痛ましい事件が起きた。


 婚約者に冷遇され、そのことで周囲からも見下され、心が折れてしまったのだという。


 どうしたってこの世界は女性の立場が弱い。


 平等を謳う学院は、その事実を重く受け止めた。


 二度と同じような事件が起きないよう、その翌年から、理事長主導のもと、学院在学中に女性側から婚約の白紙を求めることができる制度が導入された。


 婚約を解消すべきと判断できる確かな証拠を集め、これ以上の関係維持が難しいと判断されたら、家の事情を顧みず、婚約解消を理事長が国に訴え出てくれるという素晴らしい制度。


 チェリーもその制度を利用して、婚約を白紙にしようと意気揚々と学生課に足を運んだのだが――……。



「なんで却下なんですかぁ!?」



 書類に目を通すことなく、学生課の先生に却下を言い渡されたチェリーは淑女にあるまじきカウンターを腹で乗り越えるという暴挙に出ながら必死に縋りついた。


「私は先日、婚約解消が認められるだけの証拠を集めて来なさいと言いました」


「だから集めて来たじゃないですかぁ! ほら、ほらぁ!」


 ずず、と肩を押し戻されたチェリーは、寝ずに書き溜めた婚約者の言動を記した紙を、カウンターの上でバンバンと叩く。


 学生課の先生は仕方なさそうに紙を一読した。ため息混じりで。


「これらがあなたの言う婚約解消の理由でしたら、絶対無理であると断言しましょう」


「なんでですかぁ……! ちゃんと見てください! ここ! わたしがほかの生徒と話していると必ず邪魔して孤立するよう仕向けて来るんです!」


「彼が邪魔をしなくても、あなたは孤立しているでしょう?」


「し、辛辣……!」


 確かに毒舌令嬢と噂されて孤立しているが、仕組まれているに違いないのだ。


「ほかの男子生徒と接触させたくないというのは、よくある婚約者に対する独占欲の表れです」


「ま、まだありますよ!? 嫌がるわたしを外に連れ出して、公衆の面前で辱めを!」


「あなた方がところ構わず濃密なスキンシップをしているのは、もはや日常の光景です。今さら誰も気に止めません。植物の受粉の方がまだしも有益で見応えがあります」


「辛辣!」


「それだけですか?」


「だ、だけどだけど! 毎日しつこく付き纏われて息をつく暇もないんです! 好きだの愛しているだの囁かれ続けて溺死しそうなんです!」


 学生課の先生は、ひとつため息をついてから、毅然とした顔をチェリーへと向けた。

 

「残念ながらあなたの言うそれは、世間では冷遇されているとは言わないのです。溺愛されていると言うのです」


「そんなぁ……」


「諦めて卒業後に結婚なさい。幸せになれるでしょう」


 チェリーは膝から崩れ落ちた。


 毎日この苦行を乗り越えて行けと言うのか。


 今はまだ学生の身だから最後の一線を超えていないが、結婚したらきっと……。


 考えるだけで震え上がる。一生ベッドの住人だ。外に出してもらえるかも怪しい。


 おいおいと泣き崩れていると、目の前にハンカチが差し出された。


(もしかしてわたしをこの苦境から救い出してくれる王子様が……!)


 期待して見上げた先にいたのは王子様ではなかったが、氷の女王と名高い公爵令嬢様だった。


 葡萄色の綺麗な長い髪に白い肌、切れ長の怜悧な瞳は長いまつ毛の影が落ちて憂いを含み、どこか色っぽくも見えた。赤い唇と目尻の黒子がそれを助長させている。


 体つきも女のチェリーが見ても悩ましい豊満さで、こちらに屈んでハンカチを差し出してくれているせいか、やたらと胸が強調されて、つい地元のおじさん衆みたいにけしからんと言ってしまいそうになった。けしからん。


 クラスが違うのでまったく交流はないが、とても冷たい性格で意地が悪いと悪い噂が流れている。おっかなびっくりハンカチを受け取ったが、彼女はチェリーの態度を気にした様子もなく、どこかほっとしように少しだけ微笑んだ。


(え、笑うと、かわいい……?)


「ありがとうございます……」


「……いいえ。あなたの気持ち、よくわかるから」


 そうぽつりと告げられてきょとんとしていると、彼女はさっきチェリーを一刀両断した学生課の先生に、一冊の日記帳と一枚の紙を提出して言った。


「これが婚約解消に相当する証拠です。どうぞご確認ください。時間はかかっても構いません。待ちます」


 いい匂いのするハンカチを握りしめながら、チェリーはその凛とした姿をぽーっとなりながら見つめていたが、遅ればせながら彼女が告げた内容への理解が追いついてきた。


(いや待って待って、彼女の婚約者って……)


 学生課の先生はとても苦渋に満ちた表情をし、やるせなさそうに首を振った。


「申し訳ありません、ミスティア様。王族の婚約に関しては学院が介入できる余地がないのです」


(そうだ、ミスティア様の婚約者は……)


 この国の王太子。


 それは確かに理事長の権力をもってしても難しい案件だろう。


 彼女ははじめからわかっていたのか、諦めた顔をして提出した日記帳と書類を手に戻した。


(ミスティア様、かわいそう……)


 謎の仲間意識が芽生えたのは、おそらく能天気なチェリーだったからだろう。


 持ち前の空気の読めなさで、俯いていた彼女の手をぎゅっと握った。


「え」


「ミスティア様! わたしもわかります、ミスティア様のお気持ちが!」


「え、ええ……」


 ミスティアは驚いた様子ではあったが、手を振り払おうとはしない。やっぱり噂は噂でしかないのだ。


 細かいことは気にしないのがチェリーの長所であり短所であった。


「わたしもついさっき却下されたのです! こんなに、悩んでいるのに!」


「え、ええ……そうね」


「まぁ、わたしだってわかってましたけどね!? 却下されるだろうなぁ、って。でも最後の砦に冷たくあしらわれるのは、つらいですよね!?」


「え、ええ。……そうね。わたしとあなたとでは、少し状況が違うでしょうけれど、感じ方は人それぞれだものね……」


「そうなんです! せっかくですから、わたしと愚痴り合いをしませんか?」


「愚痴り合い……?」


「わざわざ証拠集めするくらい、婚約者に対して不満があるんでしょう? 腹の中のもの、全部吐き出してやりましょう! ささっ、行きましょう行きましょうー!」


 目を白黒させるミスティアを連れて、チェリーは普段から使っている呪詛吐き出し室、もとい、寮の談話室へと招いて、ささっとお茶の準備をした。


 寮暮らしではないミスティアは興味深そうに室内を見ていたが、やっぱり噂とは違ってかわいらしい。


「まずは婚約者の呼び名を決めましょう!」


「え? 婚約者の呼び名……?」


「はい。もし誰かに聞かれたときに、誰の話をしているのかバレたら困るでしょう? ちなみにわたしは婚約者のことを『春先の猫』って呼んでいます」


「春先の、猫……」


 なおんなおんうるさいアレである。


「動物は発情期だけ我慢すればいいからましですよね」


 チェリーの明け透けな物言いにミスティアは頬を赤らめた。上級貴族のご令嬢には少々下品過ぎたらしい。普段から魔物とやり合っているような土地で生まれ育ち、がさつで豪快な辺境伯の娘であるチェリーとは、同じ貴族でも育ちがまったく違うのだ。


 チェリーはごほんと咳払いをして仕切り直す。


「とにかく執着が激しいんです。ところ構わずべたべたべたべた……。男子生徒だけでなく男性の先生と話しただけでもめちゃくちゃ不機嫌になって、しかも“春先の猫”でありながら、“舐め犬”でもあるんです。人の顔をぺろぺろぺろぺろ……。わたしはやつの唾液に塗れながら授業を受けるのはもう懲り懲りなんです!」


 チェリーがすべて吐き出すと、ミスティアはぽかんとしていた。美人のぽかん顔、めちゃくちゃいいな、とチェリーは真顔でそう思った。


「今度はミスティア様の番ですよ。素敵なネーミングをつけてやってください!」


「そんな、急に言われましても……」


「じゃあまず日頃の鬱憤を吐き出しましょう! 名前はそれから一緒に考えればいいので」


 促すと、ミスティアはかなり躊躇った様子だったが、一度学生課まで足を運んだ決意を思い出したかのように、少しずつその切実な状況を語りはじめた。





 ミスティア・レインは公爵令嬢である。


 歳の離れた兄がひとり、一歳上にもうひとり兄がいる、三兄妹の末っ子だ。


 一番上の兄は公爵家の後継、二番目の兄は王太子の側近、そしてミスティアはその王太子――フェリクスの婚約者。


 実家の公爵家は王太子派の筆頭として、王族とは幼い頃から家族ぐるみで親しくしてきた。


 金色の髪に紫色の穏やかな瞳を持つフェリクスは、厳しい兄たちとは違い、いつも優しく、まるでお姫様のようにミスティアを扱ってくれた。ミスティアが恋をするのは必然だった。


 幼い初恋。その淡い恋心を順調に育み、いつか国王夫妻のような仲睦まじい夫婦になるのだと、ミスティアは信じて疑わなかった。


 フェリクスは優しい。だがそれはミスティアが婚約者だからであり、ミスティアのことを愛しているわけではないと気づいたのは、いつの頃のことだったのか。


 距離が近過ぎたのがいけなかったのか。彼がミスティアに抱く感情は、恋情などではなく家族愛に近いもの。


 それでも、彼と結婚するのはミスティアであり、そこにたとえ激しい愛がなくとも、家族としての愛を育んでいげばいいのだと自分に言い聞かせてきた。


 ――隣国の王女が留学して来る、その日までは。


 はじめはまだ、ひとり留学してきた王女が心細くないようにと、フェリクスが世話を焼くことを同じ王族の責務として当然のことだと思っていた。


 ミスティアは余計な口出しをせず、王女が生活しやすいように配慮するフェリクスを誇らしくさえ思っていたのだ。


 だが次第に、少しずつ、少しずつ、自分たちの歯車が噛み合わなくなっていった。


 ミスティアがなにも言わないからなのか、フェリクスはミスティアとの約束があっても王女との予定を優先させるようになった。


 フェリクスが話す他愛ない話の中に、いつも王女が登場するようになった。


 稀にともに過ごす機会を得ても、王女に呼ばれればミスティアに謝りながらもそちらに行き、最近では出した手紙に返事すらなくなった。


 王女とは毎日、顔を合わせながらも文のやり取りをしているというのにだ。


 身分を鑑みれば王女を優先することは理解できる。それでも隠しきれない寂しさや抑えきれないつらさがあった。


 夜会でエスコート役を断られたとき。ミスティアの中でこれまで見て見ぬふりをしてきた疑念の種が、そっと芽吹くのを感じた。


 フェリクスはきっと、王女を選ぶ。


 だったらミスティアは潔く身を引くしかない。


 王太子と王女の結婚だ。たかだか公爵令嬢など、比べるまでもない。


 なによりミスティアはフェリクスの幸せを願っていた。


 彼の夢はこの国の賢王になること。


 そのために必要なものを揃えている最中なのだ。


 ミスティアと王女、天秤にかけてどちらを取るかなどわかりきっていた。


 何度も考え、考え抜いて出た答えが、学院の婚約解消制度だった。


 それも不発に終わったわけだが。


 自分についての悪評が広がっていることは知っている。


 知っていて静観している。


 ミスティアは待っているのだ。


 フェリクスから婚約解消したいと言われるのを。


 もうそれしか彼のためにできることはないから。


 王女と結婚したいのだと言われたら、ミスティアは喜んで応援する。


 切なさやつらさを胸に秘めて、笑おう、と。


 愛する人の幸せがミスティアの幸せ。


 悪役令嬢と呼ばれて見下されたとしても、散り際くらいは美くしくありたい。


 それくらいの矜持は許されて然るべきなのだ。



チェリー・ブロッサム(16)

嘘みたいな本当の名前

2年普通科Eクラス

得意科目 体力育成

苦手科目 概ねすべて


ミスティア・レイン(17)

一途な常識人

2年普通科Aクラス

得意科目 座学全般

苦手科目 強いて挙げるのなら体力育成


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