元王太子(ウィルデンガー)は、今…………
留年コンビ、元王太子ウィルデンガーと恋人ガーベラは、追試と再試験を繰り返し、何とか翌年に学園を卒業した。それには、全教師陣の頑張りと団結があった。
「王族を何年も留年させれば、学園教師達が無能だと疑われる。何としても卒業させるんだ!」
「「「了解です(わ)。エイエイ、オー!」」」
知力も筋力も乏しいウィルデンガーは、卒業後も現国王ジョルニアンから爵位を貰えず、ガーベラと共に男爵領地へ追いやられた。
「ようこそ、ウィルデンガー様。何もないところですが、ゆっくりして下さい」
「お疲れですよね。ゆっくり休んで、体調を整えて下さいね」
王家の護衛付きで、ガーベラの生家であるナッツビー男爵家に無事到着したウィルデンガーとガーベラは、男爵夫妻に温かく迎えられた。
ガーベラは王太子妃になるどころか、爵位を継げないウィルデンガーを疎ましく思い、馬車の中や途中の宿屋でずっと喧嘩をしていた。いや、一方的にガーベラが責め立てた感じか。
「もう、どうして私が、何にもないウィルデンガー様と結婚しないといけないの? 約束が違うじゃない。こんなことなら小金持ちの子爵、アスパロール様と結婚した方がマシだったわよ!」
「酷いじゃないか、ガーベラ。あんなに俺に愛を囁いてくれた君が、どうしてしまったんだ?」
「ばっかじゃないの? 何も持たない貴方なんか、好きでいられる訳ないじゃない。私は貴方が王太子だから好きだったの。
もし平民なら声もかけなかったわ」
「そ、そんな。いくら何でも傷つくぞ!」
「はぁ? ジョルニアン様に睨まれなければ、とっくに別れてたわよ。もう、最低!」
「っ! (酷いよ、こんな態度。全部演技だったのか?)」
取り繕わないガーベラの態度に、ウィルデンガーは深くダメージを負った。
卒業までは冷たい視線の中でも王宮に居られたが、その時も屈辱にまみれていた。
今までちやほやしていた者が去り、腫れ物扱いされたからだ。
それでも立場が弱い使用人達に当たり散らし、何とか気持ちを沈めていたが。
その態度により、僅かに同情していた長く仕えてきた使用人からも、見放されたことに気付けずにいた。
「どうして俺ばかりが……。逃げたベロニカにも責任はあるだろう。あいつが俺を見捨てなければ、今頃は。チクショウ!」
自己の非を認められず、他者の不満ばかりを募らせていったのだ。
◇◇◇
男爵領への旅の道中は、ある意味誰も言わなかった事実をガーベラに突き付けられ、彼の自尊心はバキバキにへし折られていた。
城の者や学園の生徒達の気持ちも、今更ながら分かり始めた。
(あぁ、俺はそんな風に思われていたのか。考えればそうだろうな。面倒くさいことはベロニカに押し付けて、何にも努力をしなかった俺などが王になれば、国が傾くだろう。
俺がギリギリ王太子でいられたのは、ベロニカの努力のお陰だ。俺の価値は王族と言うことだけで、支えてくれる彼女を蔑ろに出来る立場にはなかったのに。
あんなに俺に尽くしてくれたのに、酷いことばかりしたなぁ。もっと早く気付ければ良かったな)
カラン、カラン、カラン………………
罵声を浴びせ続けるガーベラの声に疲れ疲弊する中、車輪の音と鳥の囀りだけが、彼の安らぎになった。
男爵領は王都から2か月もかかる遠い場所だ。
その旅の間にウィルデンガーは、これまでのことを振り返っていた。そして今まで憤っていたベロニカに対し、漸く自分の方が悪かったのだと思い始めたのだ。
(虐げるような言葉ばかりの、俺から離れられて良かったのかもな。思えばいつも忠告してくれたのに。
すまなかったな、ベロニカ)
ガーベラが愚痴を喚いている時に、ウィルデンガーはへこんでへこんで…………そして初めて自己を見つめることが出来たのだった。
そんな気持ちの彼が、男爵夫妻に温かく迎えられ涙が止まらなかった。
厄介者でしかない自分なのに……と、冷遇を想像していたから、もう感謝しかなかった。
「ありがとうございます男爵夫妻。俺も出来ることがあれば、一生懸命に取り組みます。お世話になります」
そうして深く頭を下げたのだ。
噂では彼のことを傲慢で、我が儘な子供のようだと聞いていたガーベラの兄夫妻。けれどきちんと挨拶が出来る彼に、途端に気の毒になっていく。
(ガーベラが言い寄らなければ、この方は今頃次期国王となったかもしれないのに。申し訳ないことだ)と思った兄のジョンソン。
(若気の至りだったのかしら? でも王族だから許されなかったのね。おとなしそうな子なのに、可哀想に)とジョンソンの妻、ルナ。
ここは王都から遠いので、噂もあまり入って来ない。
さすがにウィルデンガーや前国王夫妻のことは、新聞で読んだので知っていたが、貴族が足を引っ張りあうことは常識だったので、鵜呑みにはしていなかった。
今回は真実だったのだけどね。
そんな訳でウィルデンガーは、その後も温かくもてなされたのだった。
ガーベラより7才年上のジョンソンは、ウィルデンガーを弟のように接した。ルナも家政経営のことを少しずつ教えていった。
だがガーベラは田舎で、山と畑しかないこの地を嫌がり王都に戻りたがっていた。
王命でウィルデンガーとガーベラを結婚させるように言われていたが時期は決められていなかった為、未だに二人は夫婦ではなかった。
ジョルニアンは男爵領から出なければ良いと思っていただけなので、男爵領に送った後は好きにして良い許可を出していた。
◇◇◇
自分を受け入れてくれたジョンソン達に報いる為に、ウィルデンガーは懸命に仕事に取り組んだ。
勉強が苦手だったウィルデンガーだが、真剣に向き合うことで少しずつ経理などを学び、徐々に出来るようになっていった。
ただ慣れるまでは脳が受け付けず、何度も頭を叩きながら活を入れたものだ。
(頑張れ俺の脳。怠けていた分を取り返すぞ。俺を受け入れてくれた人達に恩を返すのは、今しかないんだ!)
そんな彼も地頭は良かったようで、一度乗り越えたらスムーズに対応出来ていった。
さらにプライドをへし折られた後のウィルデンガーは、人を選ばず周囲との友好を築いていけた。
もともと人懐っこい気質だったのだろう。
噂ではどうしようもない奴だと悪い評判しかなかった彼だが、彼の態度と男爵夫妻の可愛がりようで、少し違うようだと思われ、徐々に受け入れられていったのだ。
そんな彼は仕事の合間に、仲良くなった木工細工職人と仲良くなり、自らも木工細工を楽しむようになっていた。
「ウィルデンガー様は筋が良いです。蝶のブローチの羽の模様部分が素晴らしい。平行してクズ宝石を嵌め込む位置も絶妙です。数手先の完成予想図が頭に入っているのですね」
「い、いや、そんなことはないよ。これで良いのか、いつも迷うもの。それとね……。もう様は付けないで欲しいんだ。俺は城から出たし、領地もないただの貴族だし。結婚すれば平民になるのだから。ね、頼むよ」
「そ、そんな。……でもそうですね。さん付けの方が仲良くなれる気がしますし、良いですか?」
「うん、ありがとう。俺も気が楽になるよ」
「じゃ、じゃあ、ウィルデンガーさん、で良いですか?」
「うんとさ、俺の名前言い辛いから、ウィルで良いよ。男爵夫妻はそう呼んでくれてるよ」
「そ、そうですか? じゃあ、ウィルさんで。今はこれ以上譲れませんよ。良いですね」
「うんうん。ありがとうね、ラムジーさん」
「ウィルさん。それこそ俺のことはラムジーで良いですよ。今更、さん付けは水くさいですって」
「いやあ、それは俺も譲れないな。今は。ふふふっ」
「はははっ。こりゃあ、一本取られたな!」
長く一緒にいることで打ち解けた二人は、泊まりに行けるくらい仲が良くなった。
ラムジーの妻ミントも娘のレモンも、快く歓迎した。
「今日はウィルさんが来るのよ。楽しみねえ。今夜もレモンが食事を作ってくれるの?」
「え、ええ。お手伝いするわよ。別に特別なことじゃないし」
「へえ、そうなの。ふーん」
「な、なんでそんな顔するの。……だって彼はガーベラ様と結婚するんでしょ?」
「どうなんだろな。いつもあの娘は、男爵が止めても隣の領地に行ってばかりだし。化粧も濃いし。ウィルと一緒にいないからな」
「ウィルさん良い人なのに。可哀想だよ」
「……レモン。お前」
「ち、違うよ。別に何とも思ってないよ」
「そうか……」
明らかにウィルデンガーを心配する娘は、彼に惹かれているのだと分かった。けれどラムジー達はそれ以上は深く聞かなかった。
この時ウィルデンガーが23才、レモンは17才だった。
その後もウィルデンガーは、男爵領の事務仕事を手伝いながらラムジーの元に通い、精巧な木製のブローチや小物を作り上げていくのだった。
元王族の審美眼は確かで、貴族の好む物が分かるウィルデンガーの作品は、王都から買い付けに来た商人に高値で買い取られたのだ。
その商人こそジョルニアンの諜報で、男爵領に8日程留まりウィルデンガーの身辺を調査した。
その結果ウィルデンガーは手に職も付け更生し、まっとうに生きていけそうだと判断された。
未だに我が儘を通し、男爵夫妻に迷惑がかかるようなら、場合によっては暗殺されたかもしれなかったのだ。
けれど…………。
ウィルデンガーを不幸にした要因の一つ、男爵令嬢ガーベラの振る舞いには困惑した。
ウィルデンガーは己のせいでガーベラの未来を奪ったと思い、給金を使わず貯蓄し結婚式の費用に当てようとしていたのに、当のガーベラは他の子息に乗り換えようと物色していると言う。
現国王である、ジョルニアンの王命だと言うのに。
「いやもうさ、半分くらいどうでも良いとは思ってたけど、ちょっと酷くない? 仮にも国王の甥を誑かした女がさ、甥を放っておいて婚活って。僕を馬鹿にしてるのかな?」
王国一陰険な過激派を怒らせたガーベラは、愚かとしか言えなかった。
「そんなに王都に戻りたいなら、職場を準備してあげようじゃないか。ウィルデンガーからも離せるし、一石二鳥かもね」
◇◇◇
諜報からの報告に青筋を立てたジョルニアンは、その後ウィルデンガーとガーベラの結婚を取り消す書状を送った。
本来王命を覆すことは禁じられているが、国家に影響がないと議会で判断され承認されたのだった。
その裏ではウィルデンガーが懸命に頑張っている報告と、彼が作成した木工細工の素晴らしさがあった。
「ウィルデンガー様にはこんな才能があったのですな。王都の職人にも匹敵する素晴らしい物です。
結婚して環境が悪くなり、作品の質が低下することは芸術への冒涜になる」
「ああ、本当にそうだ。この猫や犬の置物もそうだ。毛の一本一本が本物のように表現されている。少し離れて見ると、生きていると思うことだろう」
「……あのウィルデンガー様が更生し、頑張っているなんて。爺は感動して涙が止まりません……うっ」
元王太子と言うことを除いたとしても、作品は忖度なしで素晴らしく、ガーベラとの結婚は酷だと思われたのだった。
さらにウィルデンガーは、幼い時は天使のように可愛らしくみんなに愛された歴史があり、往年の者には彼の処遇は未だ重いと思われていたのだ。
そんなことでガーベラとの結婚はなくなったウィルデンガーは、さらに作品作りに取り組むことになった。
男爵夫妻もガーベラの態度に憤りがあったから、それを好ましく思った。馬鹿にし蔑ろにされる彼を犠牲にすることは、違うと思っていたから。
仕事はしないしツケで隣町まで行ってドレスなどを買うガーベラは、いくら注意をしても子供のような我が儘を続けていた。
さすがに男爵家の資産を見ながら頼んでいたようだが、彼女にばかりお金を使えないのだ。
男爵夫妻にも息子と娘がいるのに、彼女のツケ支払いをすると、殆ど子供に予算を回せなかった。
ただでさえ贅沢などせず倹しく暮らしているのに、絵本の一つも買えないのは辛いことだ。
それを見かねたウィルデンガーが、籍にも入っていないのに支払いをしてくれた時は、申し訳なくて夫婦揃って心底辛くなった。
『何故妹は、こんなに愚かなのか』と。
だからこそその後にジョルニアンから、ガーベラの王都行きの打診が来た時、一瞬迷ったが受けることにした。
「あの子も少し苦労を知るべきだ。苦労を知れば変われるかもしれない」そう思いながら。
ガーベラには、王都で働くことを条件に結婚をしなくても良いと告げれば、すぐさま「私は行くわ。貧乏なウィルデンガーとの結婚なんて嫌だもの!」と、職種も聞かずに飛び付いた。
ウィルデンガーは複雑な表情をしたが、少し経つと安堵したようだった。
(俺は生涯責任を取ろうと思っていたのに、そんなに嫌がられていたなんて。でも離れた方がお互いに良いのかもしれないね。さよなら、ガーベラ)
「きっと王宮からの連絡だから、侍女か悪くてメイドよね。格好良い人にも会えるかも。キャッ。じゃあねえ、お兄さん、お義姉さん、子供達、ついでにウィルデンガー」
お気楽な様子で迎えの馬車に乗り、王都に向かうガーベラを男爵夫妻とその子供達、ウィルデンガーは複雑な面持ちで見送った。
「あの叔父からの迎えなんて、きっと辛い職場に行くことでしょう。逃がさないように連れに来た気がしますから」
「そうだな。けれど少し鍛えられた方が良いんだよ、ガーベラは。心配しなくて良いからね、ウィル」
「そうね。あの子はお金の価値が分からないから。頑張って貰いましょう。遣り繰りは若いうちに学ぶべきよ。ふふっ」
ルナの氷の微笑みを見ると、だいぶん溜まってたんだなと男達は頷いた。その後もウィルデンガーは男爵家で暮らしている。
まるで彼の方が、本当の家族のように。
◇◇◇
そんなガーベラの就職先は、孤児院のシスターだった。ガーベラの場合はシスターと言うより、介護員に近かった。
確かに王都にあり休みもあるが、ガーベラの男爵家へのツケ払いは全ての商人に却下するように通告されている。
住み込みである為、ほぼプライベートなしの生活となる。
おまけに彼女がウィルデンガーの婚約を破棄させた女性だと言うことも知られていた。
そんな彼女はビシバシしごかれている。
「ほらほら、ご飯を食べさせてあげて。この子はだまだ一人で食べられないのだから」
「だって、ヨダレが。汚い!」
「何を言ってるの? きちんと仕事をしないと、給金をあげられないわよ」
「……分かりましたよ、やりますよ! ほら、あーんよ。遊ばないの。口を開けて。ああ、もう」
遊び食いの時期の子供は、素直には食べない。
気に入らない者には余計にそうなるのだ。
「え、えっ、この子ウンコしてるわ。私、無理です!」
「慣れれば出来るわ。ほら、頑張って!」
「うっ、うっ、いやあ、ウンコが手に付いた。汚い」
「ホギャ、ホギャー、ホギャ……」
「大きな声出さないの。赤ちゃんが怖がってるでしょ!」
「は~い。いやぁ、臭いよぉ」
「煩いわよ、風邪ひく前に、手早くしなさい」
「ホギャ、ホギャー、ホギャ……」
「あぁ、酷いよぉ。私の方が泣きたいわよ!」
「オムツを洗うんですか? 私が?」
「そうよ、今日の順番は貴女だからね」
「だってウンコが……。手に付きます!」
「お便は捨ててからタライで擦るのよ。後で汚れをチェックしますからね」
「そんなぁ、こんなに洗うんですか?」
「天気が良い午前中に干すから、急いでよ。湿気っていると取り込めませんからね」
「……分かりました」
「ほらこれ、やり直しよ。丁寧にね」
「っ、(うっさい、クソババア。あっちに行けよ!)」
不満たらたらで働くガーベラは、取りあえず一月働いたが、給金の安さに文句を言った。
「あんなに働いたのに、これだけですか? 何にも買えないじゃないですか?」
「何を言ってるのかしら、あの仕事振りで。文句はきちんと熟してから言いなさい。まあ元々孤児院の仕事は、そんなに高給ではないけどね」
「もう、やってられないわ!」
「何怒ってるのかしらね。近頃の若者はまったく、ブツブツブツブツブツブツ…………」
ベテランシスターは、良い人だが話が長かった。
ガーベラには、それも苦痛だったのかもしれない。
乗り合い馬車まで移動するガーベラだが、今はツケ払いがきかないことになっている。
以前は出来ていたのだが、支払わない客がいたとの苦情があったことで、全面的にツケが禁止になったのだ。
全面的に禁止の決定的な理由が、ガーベラを男爵領に返さない為とは誰も知らない。
結果的に支払わない輩の乗ることを止められ、治安が良くなることにも繋がった。
「もう、どうしてよ。前(に帰省した時)は乗れたじゃない! 嘘でしょ」
そしてガーベラは、仕方なく孤児院へ戻った。
やらかしたガーベラに、王都の知り合いは少ない。
ガーベラと仲の良かった男性の貴族達にも、協力しないように通達している。
ないと思うが娼館にも連絡を入れている。
「王家と因縁のある娘だ。もし客なんか取らせたら、どうなるか……」などと、わりと脅迫的に。
見た目だけは可憐だからすぐに客が付きそうだが、それは絶対に駄目だ。
ウィルデンガーや男爵夫妻が、自分達が働きに出したせいだと精神的負担がかかることはやらせられない。
なので、肉体労働なのだ。
何処にも行けないガーベラは、今日も喚きながら孤児院で頑張っている。
最初はビクビクしていた子供達も、最近は慣れて驚かなくなった。
そして手際も良くなって来たので、ほんの少しだけ給金も上がった。彼女も逃げられないと分かり、漸く腹を括った。
「もう、小言が多過ぎるって! きちんとやれば良いんでしょ? やってやるわよ!」
◇◇◇
「お姉ちゃん可愛いのに、性格が残念だね」
「かわいいけど、口が悪いねえ」
「最近はちゃんと働いて、偉いねえ」
「頑張れば神様も見てるよ」
「お金を貯めて親孝行しなよ。両親がいないなら、親代わりの人に孝行しなね。僕らは肉親がいないから、羨ましいよ」
「ここでちゃんと出来れば、お嫁さんに行けるかもよ」
「もうすごい年になってて、お嫁さんなんて無理だよ。それともあんた達が貰ってくれるの?」
「それは無理。性格が無理。それに年が上過ぎ!」
「もう、いい加減なガキが。だったら生意気言わないのよ」
「「「「わー、逃げろ~!!!」」」」
もう2年が過ぎた頃だから、子供達とも職員とも打ち解けていた。
何とか頑張ってきたガーベラは、お金の大事さを知り、給金で遣り繰りが出来るようになっていた。
それでもまだ、男爵領には一度も帰っていない。
漸く周囲が見れるようになると、恥ずかしくて顔を出せなくなっていたのだ。今なら帰れる賃金も持っているのに。
「あんなに我が儘言って、お金も使いまくって。頑張ってたウィルデンガーにも文句言ってさ。
もう合わす顔がないよ。
…………ウィルデンガーには酷いことばかりしたわ。あの人、本当に優しいのよ。
私が嘘ついて、婚約を駄目にしてさ。
バレた後も、それでも仕方ないって、私を責めないでいてくれたのに。
ベロニカ様だって、普通に王太子妃になったら、外国に逃げるように行かなくても良かったのに。
そのせいで家族も崩壊したって聞いたわ。
きっと私と違って、勉強とか頑張った筈なのに、全部捨ててさ。私って最悪よね。
暗殺されたって仕方ないくらい、最悪。
もう、どう償っても無理じゃない?
こう言う時に助けてくれるのが、神様なんじゃないの?
何とかしてよ。あぁ、もう…………」
真剣に懺悔するガーベラに、隠密達に一瞬緊張が走った。
(バレてないよな? 適当に言ったんだよな?)
勿論適当である。
そんな能力をガーベラは持っていない。
時々ガス抜きで懺悔室に通うガーベラの、毎月のルーチンだった。
子供達に揉まれ人の気持ちが分かるようになった彼女は、今さらながら過去の行いを後悔し、どうしようと押し潰されそうな気持ちだったから。
『戻れるなら過去に戻り、誰も不幸にしないのに!』
そんな祈りは虚しく、現実があるだけだった。
衝立の向こうにいる懺悔の聞き役は、当然教会関係者だから、ガーベラの気持ちを痛いほど分かっていた。
時々泣きながら話す彼女を抱き締めたくなるが、聞き役はそれは出来ない約束なのだ。誰が聞いているかは秘匿となっているから、心に留めるしかない。
(いつか貴女の気持ちが届くと良いわね。うっ、私まで泣けてくる。堪えないと)
教会と一体化している孤児院だから、祈りに来る人の出入りも比較的自由だ。毎月、定期的なミサも行われている。
そこには今日、男爵夫妻とその子供達が来ていた。
「ガーベラ、頑張っているみたいだね」
「お兄様、どうしてここに」
「会いに来たんだ。元気そうで良かった」
「その手を見れば分かるわ。苦労したのね」
「お義姉様……。いいえ、そんなことないです。それより私、謝りたくて。今までごめんなさい。
少し貯金が出来たので、使って下さい。少ないけど、今度は領地に送りますから。何度でも送りますから、本当にごめんなさい。ぐすっ」
泣きながら謝るガーベラを見て、夫妻は頷いた。子供達も苦手だったガーベラの反省を聞いて、許そうと思ったのだ。
ダメダメな叔母さんだったけど、ちゃんと後悔していると分かったから。
「これは貴女が使って。私達は、貴女がお金のありがたさを分かってくれただけで良いの。頑張ったわね」
「ううっ、ありがとうございます。もう許して貰えないと思ってた。本当にありがとう」
「大丈夫だよ、お姉ちゃん」
「いつでも遊びにおいで」
「ごめんね。迷惑かけて。ありがとうね。うっ、うっ」
ガーベラはいつも不安だった。
教会のシスターや神父、子供達とは仲良くなれたけれど、外の人は恐かった。
きっともう、見放されたと思っていた。
それは家族に対しても。
だって酷い態度を取ってきたから。
実際に付き合いのあった男性貴族とは、国王からの横やりで関われなかっただけで、女性貴族にはベロニカの件で嫌われていたから、元々あまり知り合いはいなかった。
買い物で行く八百屋のご夫妻とは普通に話せているし、ミサに来ている人達とも普通に関われていたのに、すっかり自信を失っていたようだ。
兄夫婦とその子供達とは和解が出来た。
けれどウィルデンガーは、ここには居なかった。
「ウィルデンガーは来ていないのね……」
「彼は仕事を頑張っているわ。今はレモンちゃんと、お付き合いしているのよ」
「……そうなの。元気なのね。良かった」
僅かな喪失感を抱えたが、彼が幸せそうで良かったと思えた。複雑な気持ちは未練なのだろうか?
これからはみんな、別の道を歩いていくのだ。
何となくそう思えて、少し気持ちも軽くなった気がした。
「みんなが元気で幸せで良かった。次は私も旦那様を見つけないとね」
「今のお前なら、きっといい男が見つかるさ」
「ええ、こんなに美人だもの。大丈夫よ」
貴族の適齢期を過ぎたガーベラだが、彼女はもう結婚には拘っていなかった。旦那を見つけると言ったのは、ウィルデンガーのことを諦めたと伝える方便だった。
けれどその様子を見ているミサの参列者達は、良い方向に変わったガーベラを知り、見守っていた。
そして数年後、良縁が舞い込むのだった。
◇◇◇
ジョルニアンの隠密は、ガーベラが王都に来てからずっと監視をしていた。
勿論国王の指示である。
「人間は楽な方に流れやすい。ガーベラはよく頑張ったよ。早期に始末しなくて良かったな。ははっ」
柔和に笑う彼だが、目が笑っていないのはいつものことだ。
彼は今日も王都の全てを統べていた。
◇◇◇
ウィルデンガーの木工細工は、世界的に認められるようになった。隣国への売り出しにはジョルニアンの働きがあったことは、言うまでもない。
その後ベロニカとのコラボ商品が発売され、大ヒットして国も税金で潤うのだった。
元王太子のウィルデンガーは、彼なりに国の為に働いたことになった。
後にジョルニアン自ら領地に出掛け、涙の対面になるのは、今から3年後のことだった。
「頑張ったな、ウィルデンガー。よく立ち直ったよ」
「ありがとうございます。ありがたきお言葉です」
ウィルデンガーはジョルニアンが苦手、いや恐かった。
決して下手なことは出来ないと、緊張で手汗が滲む。
とっくに彼を認めているジョルニアンと、真意が分からず困惑するウィルデンガー。
二人が心を許しあうのは、まだ先のようだ。
(恐いよ。もう許してくれ~)
(失礼な奴だな。顔を見れば恐がってるのが分かるぞ。まあこの子には、このくらいの緊張感があった方が良いのかな? 面白いし。くくっ)