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ホラー育ちの霊 「後味」


 せ:入社してから俺の営業成績は順調だった。そもそもそんなに人と話すのも苦じゃないし、誰かに薦めるとかプレゼンがそんなに苦手でなかったので、新入社員の中では一目置かれていたし、周囲の人間もそんなに悪いやつばかりじゃなかった。だが俺の営業課の中で、どうも場違いなやつがいた。

『う』とする。そいつは元々別の部署希望だったが、同期が多いのが営業課だからかひとまとめにされて、まあ可哀想な感じだった。内気だし、喋るのも苦手みたいだ。同期のやつらはパリピやチャラ男が多いので(俺も似たもんだがw)いっつもからかわれてた。俺は『う』はそんなに嫌いじゃなかったんだけどな。真面目だけどなんか安心感がある感じが割と好きだったけど、つるむと他のやつらがうるせぇって感じ。まあそれは置いといて、順調な俺の生活にちょっとかげりが出てきた。

 ここ数日、高校から付き合ってる彼女がいて社会人になったら同棲してるんだが、彼女の様子がおかしいんだ。会社は休みがちになって、なんだか顔色が悪い。それだけならいいんだけど、俺がいない間に近所の人から苦情を言われて気付いたんだが、どうも俺がいないと奇行に走ってるらしい。廊下を意味も無くドタバタ往復してみたり、それもけらけら笑いながら往復するから、怖いって端の部屋に住むおばさんに注意されて知った。医者に行ったりも考えたけど、俺が声を掛けるとなんだかじっとして、しおらしくて部屋の隅にうずくまってたりするんだ。それと顔色がどんどん白くなってる。

彼女のおばさんおじさんも、長い付き合いだから知ってるけど、心配かけたくなくて電話してなかった。でも廊下を走ってる防犯カメラの映像を見せてもらったら、なんか俺だけでどうしようもないんだって気付いた。今度の休みの日に二人に電話して、様子を見に来てもらおう。そう思って金曜日の業務を終えて帰ろうとしたときだ。『う』が突然俺に話しかけてきた。俺は意図的に庇ってたわけじゃないけど、まあ必要以上にパリピがからかうの止めてたくらいだし、嫌われてるかと思ったんだけど。決意したみたいに「あの!」って大声出すからびっくりしたんだ。


 う:なんとか今日は声を掛けなきゃって、必死になった。終業前もそわそわして、『せ』が立ち上がる前に声を掛けようかどうしようか悩んでたんだ。そしたら立ち上がってしまったので、慌ててエレベーターに行く道の前に立ち塞がった。びっくりしてたよ。それはそうだと思う。大して走ってないのに心臓がばくばくして、必死に喉から声を振り絞ったんだ。


 「あの・・・!その、ごめん、急に」

 「いや、いいけど。それよりごめんな、俺電話するところがあったり行かなきゃ行けなくて」

 「あの、その件なんだけど。彼女さんと同棲してる?」

『せ』は驚いた顔をしていた。大して仲が良くないので、ぼくには何も話してないし、ぼくが知る限りは同棲の話を誰にもしていなかったから驚いたと思う。

 「なんで知ってるんだ?」

 「あのね・・・『せ』くんは、オカルトとか、信じる?」

『せ』くんは周囲を見渡して、ここじゃなんだからと会社の外に連れ出して近くのカフェに連れてってくれた。多分、あのまま話してたらパリピがまたぼくをからかうかと思ったんだろう。『せ』くんはそういう所が優しい。だから助けたいと思ったんだ。

 「彼女と同棲の話、誰かに聞いたのか?」

『せ』くんは二人分のホットコーヒーを頼んでくれて、店員がいなくなってから少しだけ声をひそめて話し始めた。ぼくは首を横に振る。

 「それでさっきの話に戻るけど、オカルトは信じるほう?」

 「オカルト?」

 「霊感、とか」

『せ』くんは驚いたような、それで合点がいったような顔をした。

 「お前、霊感あるのか?なんか分かるのか?頼むよ、彼女がおかしいんだ!」

 「お、落ち着いて。ぼんやりとしか分からないんだけど、何か変なものが見えたから。それで、助けたいなって思って。それで」

 「声を掛けてくれたんだな?」

 「そう。・・・良ければだけど、どう様子がおかしいのか教えてくれない?出来るだけのことをしてみるよ」

 「でもお前、そういうの危ないんじゃないのか?」

 「すっごくご都合主義みたいだけど・・・実は実家の伯父さんが祓う職業をやってるんだ。だから何かあっても伯父さんに相談してみるよ」

 「プロの力を借りるってわけか。それは頼もしいよ」

 「ぼ、ぼくがすごいんじゃないんだけどね」

 「でも『う』が気付いてくれたじゃないか。で、彼女の様子だけど」

ホットコーヒーが運ばれたので、『せ』くんは一気にそれを半分ほど飲み干した。


 せ:彼女の奇行を話してから、『う』は悩んだような難しい顔をした。ぼくは専門家じゃないけど、と前置きをしてから喋り出した。低級霊というより、少し厄介なものかもしれない。でも最近そうなったのなら、まだ希望はあるかもと。頼むから元の彼女にしてくれ、と俺は頭を下げてテーブルにこすりつけた。やめてよ、とおろおろした声が聞こえてきたけど、それでも俺は『う』が頼もしくて仕方なかった。こんな控えめでも、『う』がいてくれれば良くなるんじゃないかと希望が出てきたんだ。今日の朝も彼女は布団にくるまって、うずくまって俺のいってきますに返事だけしてきただけだった。辛そうだった彼女を救えるなら、俺はなんだってしたいんだと言うと、『う』は躊躇いがちに明日家に行ってもいい?と聞いてきた。そこで俺は速攻で許可を出し、ついでに電話番号とLINEを交換してナビで分かるように家の住所のデータを送った。何時がいいんだと聞いたら、奇行が起きる前に行くというので俺の出勤時間ならと朝7時を指定しておいた。分かったと『う』は頷く。相変わらず自信なさげだったが、俺にはあの時ほど頼もしいと思った人間はいない。朝が楽しみになって、俺は興奮状態で足早に家に帰っていった。相変わらず彼女はうずくまっていたが、いつもと様子が違った。電気を付けずにまっくらになってることはよくあるんだが、電気を付けると壁にべったりと何かで点々と塗られていた。線になっているようで、文字でもなく絵でもない何かが、塗りたくられて子供の落書きなんてもんじゃなくて気持ち悪かった。ひっと声が出ると、お帰りと彼女が唯一の言葉を口にする。

 「なあ、これどうしたんだ?」

 「なにが?」

 「壁紙だよ。こんな塗っちゃ駄目じゃんか」

すると彼女の目ががっとこれ以上大きくならないレベルで見開かれて、口が憤怒でへの字に曲がった。俺の知ってる彼女の顔じゃなかった。ひっと俺が声を漏らすと、すぐに彼女は生気の抜けた白い顔に戻り、ふらふらとしながら寝室に戻る。俺は安堵感で大きく肩を撫で下ろした。大丈夫だ、大丈夫。明日になれば『う』が来てくれる。俺はそう言い聞かせて、彼女の顔を忘れようとしてシャワー室に向かった。

俺はシャワー室から出られなくなった。彼女が暴れ出したのが聞こえたからだ。それもヒャヒャヒャヒャとか、聞いたことのない金切り声を上げながら壁を叩いたり部屋中飛び回っているような音が聞こえる。

 怖くて情けないけど、今までは俺がなんとか見捨てないでいようと頑張っていたし、可愛い昔の彼女を思い出してはこの笑顔を取り戻すまではと頑張ってきたつもりだった。だけど『う』に今日話したことで、なんだかいきなり糸が切れたというか、俺は異常な中にいるんだと分かった気がしてぼろぼろ涙が出てきた。

 助けてくれ。『う』に連絡を取るためにはスマホがいるが、脱衣所に置いてきてしまった。だから安全地帯のシャワー室から一度出て行かなければならない。彼女に見つかるかもしれない、でもこのままじゃ俺は朝まで持たない気がするから、意を決してタオルを下に巻いただけの状態で、シャワー室の扉を開けたんだ。脱衣所と廊下に繋がる扉は何故か開いていて、なんで数分前の俺は閉めなかったんだと後悔した。だけど洗面台に置いてあるスマホをなんとか掴んだとき、洗面台の鏡に白いものが映った気がして思わず扉の方を向いたんだ。そこに彼女がまっしろな顔でいた。真顔で、半分だけ扉の隙間にぴったり収まっていて、それで口はぶつぶつぶつぶつ何か呟いていた。もう情けないとか気にしてられなくて、うわあ!と悲鳴を上げても彼女は瞬きもせずに俺をじっと見つめたまま何か単語らしい物を呟き続けている。


体ががくがく震えて、そこから一歩も動けないで彼女を見つめ返すしか出来なかったが、通知が来たのかスマホの画面が点滅したから、俺は急いでそっちを見たんだ。『う』じゃなくて他のやつからのLINEだったけど、それを見たら急に怖さとか通り越して俺の意志関係なくわんわん泣いてしまった。それでこのままじゃいけないからと、無我夢中で『う』にLINEして、それが終わってもまだ彼女が真顔半分だけ見えてる状態でぶつぶつ呟いているから、俺は脱力してへたり込んだ。

 着替えないと『う』が来た時にやばいと頭では思ってるんだけど、体は彼女を見つめていると力が抜けていって、動く気力がなくなっていくんだ。そのうちに何にもしていないのに肩を大きく揺らさないと息が出来ないくらい苦しくなっていった。やばい、息が出来ない。このままじゃ俺は死ぬのか?そう思ってまた泣けてきた。彼女は相変わらず俺を瞬きもせずに見つめて呟いているけど、なんだか感覚が麻痺してきて、彼女に何の感情も起きなくなった。そうして時間の感覚が無くなってへたり込んでいた頃、ピンポンが鳴ったんだ。


 う:思わずドアを叩いた。夜だったけど、しんとして静かだったから怒られるかもしれないけどLINEの文面から見て『せ』くんが切羽詰まってることは十分分かった。

 「『せ』くん。『せ』くん、大丈夫?!」

思わず出た大声に、近所の人が怒って出てくるかと思って周囲を見渡したけどしんとしていて何も無い。だからもう一度扉を叩いてみた。すると、驚いたことにほぼ裸で泣き顔の『せ』くんがドアからよろよろしながら出てきたんだ。

 「『せ』くん、無事で良かった」

 「彼女が、彼女がおかしいんだ・・・」

 「分かってる。中に入れてくれる?それに服も着ないと」

よほど怖い思いをしたのか『せ』くんはまた涙を流しながら頷いた。玄関のドアを閉めると、奥からはケケケケと人間とは思えない奇声が聞こえてくる。横で小さく『せ』くんが呟いた。

 「さっき俺、シャワー浴びてたんだ。そしたら暴れ始めて、これじゃやばいとおもってLINEしようとしたら、ちょっと開いてた隙間にぴったり顔半分だけはめてさ、何分も瞬きせずに俺を見つめてなんか呟いてたんだ。そしたら、お前が来てチャイムが鳴った時に急に怒った顔になって・・・」

 「奥にいるの?」

 「うん・・・」

 「分かった。まず『せ』くんは服を着て。先にぼくが奥に行って彼女さんと話してみるから」

 「分かった」


 せ:ひとまず脱衣所兼洗面所に戻った俺は、タオルを洗濯かごに放って新しい下着とお気に入りのパジャマを着てなんとか人らしい体裁を整えた。服を着たらなんか落ち着いてきて、さっきのは夢だったんじゃないかとか、彼女と『う』が仲良くしてたらどうしようと要らないことを考えていた。俺がリビングに行くと、『う』も彼女もいなかった。慌てて俺は二人を探そうと寝室に入ると、そこでベットに彼女が寝ていた。そのサイドテーブルの上に、ウチにはないお香があって火が付いた線香の煙がゆらゆら揺れていた。

 でもその煙、なんだかおかしいんだ。普通上にのぼってくだけで、風でちょっと揺らぐくらいなのに、左右に大きくゆらゆら揺れてる。でも彼女はさっきの暴れ方と打って変わって、すごく大人しく寝てたんだ。相変わらず顔は真っ白だったけど、安らかな寝顔を見るのは久しぶりだった。そして彼女の横で、『う』が何か手を合わせてお祈りしているように見えた。儀式みたいだったから、声を掛けていいか悩んでると『う』がこっちに気付いたようで声を掛けてくれた。


う:

 「なんとか落ち着いたみたいだよ」

 「そうだな。お前、すごいなありがとう」

 「ううん。これは一時的だから、まだ治ったわけじゃないよ」

興奮してお礼を言う『せ』くんの顔が、一気に落ち込んだ。だからぼくは慌てて付け足した。

 「さっき話したよね?親戚にそういう関係の人がいるんだって。さっき連絡したんだ。だから明日来なさいって」

 「明日?どこに行くんだ?」

 「×県だよ」

 「遠いな?それも急に明日なんて」

 「でも今を逃すと、今日以上にひどくなるかもしれない。今落ち着いたのは、なんとか霊を静かにさせただけで彼女さんは疲れてる。だから話をする前に寝ちゃったんだ」

 「どういうことだ?」

 「彼女さんは彼女さんで、霊に憑かれながら戦ってるんだよ。生きてる人の方が本当は強いんだ。でも厄介なのに憑かれてしまって・・・今は憔悴してる」

 「このままだとどうなるんだ?」

 「分からない。でも、彼女さんが抵抗できなくなったら、きっと彼女さんは彼女さんじゃなくなるのかもしれない。だから彼女さんにどうして欲しいか聞こうと思ったんだけど、先に寝ちゃったんだ。このお香があるうちは、なんとか落ち着いてくれると思う。あと他に色々部屋に置かせてもらってるけど、とりあえず明日まではそれを動かさないで欲しい」

 「何を置いたんだ?」

 「たくさんだよ。でも一時的な物だから。今は結界みたいなのを作って、彼女さんから一時的に離しただけ。でも今も近くに」

 どん、どんと地団駄するような足音がして、ぼくと『せ』くんは顔を見合わせる。きっと結界のすぐ向こうに引き剥がしたモノがいて、苛立ち紛れにぐるぐる回っている。『せ』くんが怯えたような顔をしたので、ぼくは咄嗟に手を握った。


 「大丈夫、今日はぼくもいるし明日も連れてくから。とにかく、彼女さんを休ませて体力を戻させないといけないし、『せ』くんも休んで」

 「分かった。あの、ありがとな。巻き込んで・・・」

 「ううん」

それ以上は『せ』くんは泣いていて言葉が出てこなかった。ぼくはその手を握って、久しぶりにあたたかい手の感覚がくすぐったいようで嬉しかった。翌日、ぼくらは彼女さんの声で目が覚めた。気付いたら朝だったんだ。彼女さんを見て、『せ』くんはまた泣いて、二人で手を取り合った。彼女さんも泣いていた。

 「ごめん、ごめんね。わたし、朝起きたらこの状態で・・・今まで迷惑掛けたよね。でも、私抑えられなくて・・・」

彼女さんの言葉に『せ』くんはただ首を横に振った。傍から見たら本当にお似合いの美男美女のカップルで、ぼくは少し寂しいような気持ちになった。だけどそれがいけなかったのかもしれない。どん!と地団駄がまた復活したんだ。びくっと肩が震えたし、彼女さんは静かに怯えだした。

 「どうしよう、また戻ってくるかも・・・」

 「戻ってくる?」

 「わたし、わたしまたおかしくなるのかも・・・」

そう言ってすすり泣いた彼女さんを見て、ぼくは消えてたお香の灰を持ってきた小さいジッパー付きの袋に入れて、それを渡した。

 「これを持っててください。多分、その間は手が出せないから」

 「ありがとう。あの、わたし『せ』と同棲している○○といいます・・・」

 「えっと、あの、ぼくは『せ』くんの同僚の『う』です。はじめまして・・・」

 「すみません、昨日は挨拶できなかったから・・・。あなたが助けてくれたんですよね?ありがとうございます、なんてお礼を言ったらいいか」

 「まだ終わってません。さ、『せ』くんも出掛けるよ。昨日言ったぼくの伯父さんの所に」

 「え、でも×県なんだろ?」

 「遠くても行くんだ。今は彼女さんを諦めたように見えるかもしれない。でも、すぐやって来るよ。縁はまだ切れてないんだ。今切らないと、もう縁が切れるタイミングは無いかもしれない」

 「脅かすなよ。でも腹も減ったし」

 「持ってきたんだ。少ないけど食べて」

ぼくはそう言って、お香やグッズを詰めてきたリュックからカロリーメイトやウィダインゼリーを取り出す。

 「こういう時、手作りのおにぎりとかがいいんだろうけど。衛生的じゃないし。これなら少し腹持ちすると思ったから」

 「わざわざ買ってきてくれたのか?」

 「『せ』くんに呼び出されたとき、必要かと思ってコンビニ寄ったんだ。食べられるだけ食べて、すぐ出発するからね」


僕もカロリーメイトをからからになっている口の中に突っ込んで、無理矢理唾液を出して吞み込んだ。彼女さんはゼリーを、『せ』くんも同じくバータイプの栄養補助食品を噛んでいる。みんな無言で疲れていたけれど、なんとか吞み込んで朝日が昇る前に出発した。


 せ:それから車に乗って、俺と『う』が交代で運転すると言ったけど、『う』は彼女に着いていてというので殆ど任せていた。俺は情けないことに、今までの糸が切れてしまって彼女と寄りかかり合いながら眠っていた。でも時々、高速を走る車の、周囲に何もいないのに手の平でバンバンと叩く音が窓や屋根からして、眠りこけることも無かった。運転席の『う』は無言で、ラジオだけ流していたけれどなんだかその明るい世界が、遠い遙か向こうのことのように感じられた。そうしているうちに、高速を下りるとある山の中に車で上っていった。そうしているうちにある一軒家に辿り着く。

ぽつんと一軒だけ建っていて、テレビ番組の取材を受けそうだななんて考えていると、その立派な一軒家の前に男の人が仁王立ちで待っていた。中年の人だけどかなりの強面で、優男っぽい『う』の親戚と聞いてもぴんとこない。よろよろとした彼女の手を取りながら車を下りても、その強面は微動だにせずに俺達を見つめていた。

 「入りなさい」

 「はい」

俺達が一軒家に入ると、畳だけが一面に敷かれた大広間に通される。お寺で見たことがあるなあと思っていると、『う』が補足してくれた。

 「ここはお弟子さんとかと暮らしてるんだ。ここで朝晩修行とかするみたい」

 「へえ・・・」

俺はもう何が起きても頷いているだけだった。さっきから車である程度は寝たはずなのに、疲れて疲れてへとへとだ。何をしたわけでもないのにおかしいと思っていると、強面が白装束の弟子らしき人たちを数名連れて広間に戻ってきた。

 「あんたも魅入られてるみたいだな。にしても、こんな美人さんが辛かったろう。憑かれてる間に、意識はあったようだな?」

 「はい・・・」

彼女は泣いていた。

 「あんたもよく支えたな。二人とも立派だ」

ぶっきらぼうな言葉なのに、唐突に疲れ切った心に力が戻ったようで、俺達はどこにそんな力が残ってたのかと思うほど二人で泣いた。


 「あんたらのご先祖様がな、守ってくれてる。だが万能じゃない。厄介な相手から守り切るのは難しいから、持ってかれんようにしているので精一杯だ」

 「あの、助かるんでしょうか・・・?」

 「それをなんとかやってみる。だがこういうのを信じんもんもおるんでな。君らは信じてくれるか?」

 「はい・・・」

 「信じます。助けてください」

そう答えると、涙目で視界は歪んでいたが強面や弟子達が深く頷いたのが分かった。それからは大広間を貸し切り、結界というものを作って彼女と厄介なものとの縁を切るための儀式をするという。だけど俺も魅入られているから、結界の輪の中には眠る彼女だけだけど同じ場所にいろということだった。明るいはずなのに、しめきった広間の中で蝋燭の明かりと白装束の人たち。その中央の布団に眠る彼女に、焚かれたお香。何かお経のようなものを唱えている強面達と彼女を見ながら、俺は何故かくらくらしてきて、隣で座っていた『う』の肩にぶつかった。『う』が俺の手を握ってくれる。でもさっきのへとへとの状態がまた来たので、手を握ってくれてることに何にも思わなかった。

そのうち畳の上であぐらだったのが、脱力してずるずる足が畳の上に投げ出される。倦怠感でなんも感じなくなってきた。俺は麻酔でも打たれたかのように足先が変な方向を向いていても気にしなくなった。誰かが俺の足を掴んで、それを引きずってどこかに行こうとしている。それだけが分かったけど、俺はもう何にも感じなくなっていた。引きずられていくな、と思った時に『う』が力強く俺を抱き上げて、そのままそいつが見えないように腕で隠してくれたんだ。

 「あっちへ行け。お前の居場所はここにはないんだ」

『う』が聞いたことの無いドスの利いた声で言ったけど、その時の俺は感情がなくなりかけていたからただ聞いていただけだった。後で思い返すと、多分俺も連れて行こうとしたんだと思う。『う』がいなかったらと思うとぞっとした。


 う:儀式は翌日の朝まで続いた。長丁場だったけれど、ようやく終わったと伯父さんが言ってくれたので、ぼくは『せ』くんを離した。ずっと抱きしめていたので腕が痺れてたし、足も実は痺れていたけれど、目の色が戻った『せ』くんを見て安心した。彼女さんに真っ先に飛びついていった彼を見て、彼女さんはすっかり顔色が戻ってもう一度二人で泣き合っていた。お礼を伯父さん達に何度も言って、ぼくにも深々と頭を下げてくれた。多分厄介なモノは諦めたのか縁が切れたようだったし、そんなに力の無い僕にも二人からはもう暗い気配を感じなかった。だから終わったんだと思った。

 「こんな最高の日曜日、初めてだ」

 「そんな事無いよ」

 「お前のおかげだよ。なんでこんなにしてくれたんだ?俺は、お前をいじってたのに」

泣いている『せ』くんに、ぼくは少し考える。運良くというか役得というか、手も握ったし抱きしめられた相手だ。ぼくは色々と言おうかと悩んで、ひとまず理由だけ言うことにした。


 「『せ』くんはいじってこなかったよ。むしろ、庇ってくれた」

 「でも、嫌じゃ無かったのか?だから俺、嫌われてるんだと思ってた。それなのにお前、ここまでして・・・」

『せ』くんがもう一度泣いたので、ぼくは肩をぽんぽんと叩いた。

 「多分覚えてないだろうけど、入社式の時にぼく、トイレでパリピ達に絡まれてたんだよ。そこに『せ』くんが来てさ、あいつらを外に連れてってくれたんだ」

 「それは覚えてるけどさ・・・」

 「その時ぼくは救われたんだよ。だから、気にしないで」

 「いいやつだな。・・・ありがとう」

ぼくは笑って元気出すように言って、それからは会社に休みをもらって、僕らは二日静養した後に自分達の家に帰った。帰りは『せ』くんと運転を半々にしてもらったから、楽だったよ。


 せ:その後、彼女は会社を欠勤していたんだけど、『う』の伯父さんはどうやら医師免許を持っているらしく行った場所もナントカ診療院らしくて、診断書を書いて持たせてくれたみたいだ。俺が言うのもなんだけど、彼女は明るくて可愛いから結構心配されてたらしくて、診断書で納得してくれたみたいだ。

今は元気に会社に行ってるし、近所の人や大家さんにも同じ診断書とお詫びのお菓子を配って頭を下げて回ったりした。結局、引っ越したけどね。やっぱり迷惑だろうってことで、色々とお金がかかったけれど仕方なかった。親はこういうのを信じてもらえるか分からないって事で、黙っておこうと二人で決めた。

 結局どうして彼女が憑かれたのか、あの伯父さんに聞いても若い人にはたまにあるし、俺達が悪いんじゃ無くてタイミングもあるもんだからということだった。腑には落ちないけど、俺も彼女も恨まれる覚えはないし、新生活だからと心の隙を突いてくるから気を付けるようにということだった。俺と彼女は伯父さんからお守りをもらって、一年に一回送ってもらっている。古いお守りは返すように言われて、年末は忙しくてもお礼のお歳暮と合わせて送るようにしていた。俺達の奇妙な体験はこれで終わりだ。


 ああ、でも一つ変わったことがあったな。『う』にこの騒動の後に言われたんだ。

 「実はぼく、どちらかというと女性に近いみたいなんだ」

 「それって、性同一ってやつ?」

 「そう。それで、君を助けた理由だけど。・・・たぶん、ぼくは『せ』くんの事が好きなんだ」

 「え?」

 「あ、もちろん恋人にして欲しいなんて思わないよ。でも、あの時なんで助けたんだって聞かれたでしょ。その答えが実は・・・そういうワケなんだ」

 「そうか」

 「ごめん、引いたよね」

 「いや、まあ、俺は彼女といずれ結婚したいし。お前の気持ちには応えられないけどさ」

 「うん」

 「でもまあ友達ってことなら、これからも付き合っていけると思う」

 「本当?でも、パリピに言われない?」

 「会社のやつらは友達じゃ無くて仕事仲間だろ?あいつらとプライベートでもつるむ気ないし、別にいいよ」

 「わ、分かった。じゃあ友達としてよろしくね」

 「おう!」


 思いもしなかった『う』からの告白だったけど、俺は前から気に入ってたし、友達としてなら悪い気もしなかった。今でもたまにあいつとは出掛けてるし、今度有名なサーカスが来日するからって二人で見に行く予定だ。もちろん、彼女には通達済み。喜んで送り出してくれてる。ただ、本当になんで彼女が狙われたのかが気になるけど、何かあれば伯父さんが助けてくれるって言ってたし、俺達は運がいいなって彼女と今も言ってる。きっとこれからも二人で乗り切っていけたらいいねって、もう少し仕事に慣れたら結婚したい気持ちは変わらない。きっと俺がこれからも守っていきたいから。


 う:今日は有名なサーカスを『せ』くんと見に行く日だ。結構頑張っておしゃれにした。『せ』くんは背も高いし服のセンスもいい。休日に一緒に出掛けるようになって、すごくイケメンでびっくりした。多分男が好きなのかもしれないと気付いてから悩んだけど、なんか友達でも十分嬉しいし、一緒に並んで恥ずかしくないようにって気を遣うようになってる。

 鏡を見つめて完璧になったぼくのポケットに、梔子の実があるのを確認した。伯父さんのところで静養していたとき、一軒家の近くに生えていたんだ。その実を眺めていると、いつの間にか『せ』くんがいて、それなんだなんて会話したっけ。いつもそれをぼくは持っている。彼と会う時はいつもポケットに入れている。

 ぼくはあの家から帰る前に、見送ってくれた伯父さんをわざわざ運転席まで呼んだ。後部座席には二人がいるから、声をひそめて尋ねたんだ。


 「伯父さん。あのさ」

 「なんだ」

 「ぼくが原因って事は無いかな」

 「・・・お前は確かに生き霊を飛ばしやすい。だからなるべく穏やかに生きるように言ってきたはずだ」

 「うん。でも、あまりにも思い当たる節が無いのなら・・・」

 伯父さんはぼくの恋心に気付いていたのか、少しだけ黙った。後ろでどうしたの?と彼女さんが聞くので、ちょっと待ってねと返す。

 「・・・お前、二人が付き合ってること知ってたんか」

 「ううん。会社の誰にも言ってなかったし、ぼくは知らなかった」

 「そうか。じゃあお前じゃなかろう。知らん相手に飛ばせんだろうしな」

 「よかった。それだけ聞きたくて」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 伯父さんは黙ってぼくを見つめていた。だからぼくはありがとうと言って、車を出したんだ。ぼくの恋心が祟りになって、彼女さんを苦しめたなんてそんな馬鹿な事はきっと無い。言い切れないけれど、きっと無い。どんなに彼女さんにも『せ』くんに心当たりが無くたって、人の心なんて分からないものだし、きっと何か別の要因なんだ。


 梔子の花言葉は「とても幸せです」だ。死人に口はないし、きっとあの厄介なモノに聞く機会も暇もない。梔子の実をポケットの中で転がして、そっと指で撫でた。二人でこれが形がいいと選んだんだ、まるで二人の子供みたいだ。

『う』は満足げに微笑んだ。


原典:一行作家

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