始まりの初まり
真っ暗だ。陽の光も当たらない何も見えない部屋に男は佇んでいた。
蝋燭はある。しかし男は蝋に火をつけられなかった。
その状態が5分ばかし続いた後、部屋にある唯一の扉が重々しく開いた。部屋に光が差し込む。
「お待ちしておりました」
ようやく顔が明らかになった男は、端正な顔立ちの二十歳半ばぐらいであろう容姿をしていた。
眉間には皺を寄せ、明らかに不機嫌、いや、怒りを隠しきれない様子で、扉を開けた女性を迎え入れた。
「…ごめんなさい」
光をもたらした主は今にも泣きそうな声で、ようやく振り絞り言葉を発した。
*
「レイシュ先生!」
廊下の先からひとりの少年が走ってくる。大きく手を振って、何がそんなに嬉しいのか、笑顔が絶えない。
「ニアくん、廊下は走っちゃだめだよ。」
答えたレイシュ先生、その正体は先ほどの男であった。
忠告虚しくニアは全速力でレイシュの元にやってきた。
「だってレイシュ先生!ついに!ついに今日ですね!」
目を輝かせてレイシュを覗き込む。ニアの瞳には微睡などちっともない、清い水の青さをしていた。
「そうだね、ククルカンの儀まであと半刻だ。だがしかし!そんなに落ち着きがなければ、僕から君は不参加と神官に伝えてもいいんだよ?」
意地悪な笑みを浮かべ、ニアに「先生」としての毅然な態度を取ってみせる。
「すみません!ああ、でも…緊張がおさまらないんです!」
ニアの慌てふためいた幼さ残る仕草にレイシュはふふっと笑い、
「無理もない、2000年に一度のククルカンの儀だもんな。僕だって緊張するよ。」
ニアはキョトンとした顔をした。
「え、レイシュ先生でも緊張なさることあるんですか…?」
いつも余裕ある大人を気取っているレイシュに限ってと少し失礼な疑問をニアは抱いてしまった。
「そりゃあるさ、なんたって今回はこの竜…」
「バカレイ。クソ邪魔だ。どけ。」
レイシュの背後に悪寒が走る。恐る恐る振り返ると、そこには目つきの鋭いレイシュと同年代であろう女性と、ニアよりは歳の大きそうな弟子が立っていた。
「これはこれはエルニカさん。そして、タタくん。失礼しました…。」
罰が悪そうに苦笑いを浮かべるレイシュを押し退ける形ですれ違って行く。
「共有スペースではしゃぐな、クソが。」
「クソが!」
エルニカに続き、タタも暴言を吐いてわざとニアにぶつかって行った。距離が離れるのを確認しつつ、まだ慎重に小声で
ニアはレイシュに耳打ちしてきた。
「エルニカ先生とタタくん、今日いつもにも増して機嫌悪くないですか?やっぱり緊張しているんですかね?」
「そうかもな。」
また笑顔を取り戻したレイシュはニアと目と目で笑い合う。
レイシュは気を取り直したようだ。
「さて、準備準備!転記の書の最終チェックは終わったかい?」
「はい、もうバッチリです!…でも最後にもう一度確認します!」
と言ってニアはもう一度来た方向に廊下を走り出した。
「ニア!神官に…」
と言われた瞬間、ニアは歩きになった。我ながら可愛い弟子を持ったものだと、レイシュは満足気だった。
そして振り返ると氷のような視線を落とし、足早にその場を後にした。
*
「そもそもです。僕には、今回のククルカンの儀って何なのか上手く説明できませんし、理解してないんです、ニアさん。」
ニアは大聖堂の同室である弟弟子に質問を投げかけられていた。弟弟子はニアより5歳も歳が低く、まだここへ来て2ヶ月ちょっとだった。
「いいかい、パック。君も歴史には終わりが何度も訪れていたのは知っていよね?」
はい…となんとも自信のない返事が微かに返ってきたのでニアは続けた。
「歴史は全て『創世の書』に記されたとおりに始まり、そして終わりを迎えるんだ。だけど、終わりを迎えて世界が滅亡するわけではない、また新たな歴史を次の『創世の書』によって創造する。そのために歴史が終わりになりかかると『創世の書』を造るためにこの大聖堂に選ばれた人たちが集まって、次の世の創造を行うんだ。」
「その中でも『創世の民』だけが『創世の書』に書き込むことが出来る、つまりこの大聖堂ではエレナ様ただ一人だね。でも、創世の民だけがいればいい訳ではない。この大聖堂は世界のヘソにあって、『創世の書』に書かれた新しい歴史を地球に刻み込む唯一の場所なんだよ。」
一通り話終わった後で、パックが眠そうにしている。分かってはいたが、自分だってこの仕組みを憶えるのに随分時間がかかった。仕方ない。
しかしパックはハッとした。まだ学ぶ意力は残っているのだろう。
「で、ニア様が持っておられる『転記の書』って一体なんなのですか?」
「全ての世界を創造するのは容易なことじゃない。だから創世のスペシャリストのレイシュ先生やエルニカ先生たちが手分けして担当地区を決めて創成案を造るんだ。それが下書きに当たる『転記の書』だよ。僕が持っているのはハルル地区からガルディア国の『転記の書』。ククルカンの儀ってのは『転記の書』から本物の『創世の書』に写していき、地球に歴史を刻む儀式のことだよ。」
パックは分かっているのかいないの、複雑な顔をしている。
「まぁ、追々理解していけばいいよ。」
「はい!」
今度はしっかりとした返事をした。追試は決定のようだ。
「今日はククルカンの儀の始まりの日…レイシュ先生のお言葉を一番弟子として転記したこの書を持って…運命の日なのだ!」
えっへんと自慢げに弟弟子に対して鼻を鳴らす。やはりまだ子どもなのだ。
そんな座談会で時間が結構経ってしまった。ニアは焦って『転記の書』を確認する。大丈夫、レイシュ先生は完璧だ。
*
ククルカンの儀が始まった。
場所はレイシュがいた陽の当たらない暗闇の部屋だ。ただ違っていたのは今度は蝋燭がついていた。
中央には祭壇があり、直径5メートルはあろう大きな地球の模型がある。目の前には先ほど話に出てきたエレナという『創世の民』が分厚い本を広げて立っていた。
立会人は100人近くいるであろう、それくらいの人数がいても窮屈に感じないほど部屋は広かった。
エレナの一番弟子、キサが『転記の書』を読み上げる。それに続いてエレナが言葉を復唱し、分厚い本、『創世の書』をなぞるとそこに文字が現れていった。そして文字が完結すると、大きな地球の模型の一部が光りを放った。
仕組みはこうだ。『創世の書』に刻まれた新たな歴史が地球の模型を通して現地に届き、大地に根付く。そうやって終焉から始まりを告げるのだ。
「28ページ1章2節、ハルマンの終焉。200年の歳月を経て絶滅する。」
キサがオオカミ族の一種ハルマンの絶滅を宣言する。
「28ページ1章2節、ハルマンの終焉。200年の歳月を経て絶滅。」
続いてエレナが本に手をなぞり文字を刻む。地球の模型が光る。それの繰り返しだ。
ニアは目を輝かせその光景に魅入っていた。歴史が代わる。その瞬間に立ち会えていることに感動していたのだ。
「ハルマン絶滅しちゃうんですね、かわいいから好きだったのに。」
小声でパックがニアに残念そうな顔をして耳打ちをする。
「しっ。私情は禁物。」
「すみません。」
少し邪魔された気がして強く叱ってしまった。
「今日は100ページまでですよね?」
しかしパックは何にも気にしていなかった。
「そうだよ。ククルカンの儀式は1ヶ月続く、僕らの先生の出番は来週だよ。」
「先生はどちらです?」
「『転記の書』を作成できる幹部は祭壇近くにある石碑横に待機してらっしゃるよ。」
『転記の書』を作成した幹部は全てで21人居る。それぞれが出番までエレナ近くの特等席に待機している。そこから離れたところに各幹部の弟子たちが見守っている状態だ。
「しかしすごいですね、こんな瞬間を間近で見てられるなんて。」
「そうだね、感動だね。」
ニアは少し涙ぐんでいた。歴史が代わる瞬間、新しい歴史を自分が決めている気にすらなった。
心がざわざわする。そしてどこかうずうずしていた。この感情はなにか?感動という言葉だけで表していいのだろうか。
次の瞬間、つうーっと涙が頬をつたった。
「ニア様?」
「あ、ごめん。なんでもないんだ。ただ…」
パッと灯りが消えた。
真っ暗だ。