配達
月曜日
目が覚めると寝間着が汗で湿っていた。ただでさえ寝苦しい熱帯夜に妙な夢を見たせいか、寝覚めが悪い。気持ちよく寝ていたと思ったらインターホンに起こされて、ドアを開けると真っ赤な制服にピザの箱を持った青年が薄っぺらな笑顔を浮かべて立っている、という毒にも薬にもなりそうもない夢のせいで、頭がどうもすっきりしない。リビングの時計に目をやる。メイクの時間を考えるとかなりギリギリだが、気分を切り替えるためにもシャワーを浴びることにした。今日の夕飯はピザでも取ろうかな。
火曜日
くだらない夢に週の出鼻を挫かれたせいか、どうも調子が上がらない。今日も散々な一日を過ごして帰宅し、シャワーだけして布団に飛び込むとすぐに眠りに落ちた。そして私はまた、昨日と同じ光景を見ることとなる。部屋の中にインターホンの音が鳴り響く。「まさか、また?」と訝しく思いながら戸を開ける。青年の服装や表情は気持ち悪いほど昨日の夢のままで、違いといえば箱の数が一つ減っていたことくらいだ。私は昨日と全く同じ光景がなんだか無性に恐ろしくなって、大きな音を立てて戸を閉めた。
水曜日
今朝もやっぱり寝汗でびしょびしょだった。暑さのせいだけではない、冷や汗も混ざっているのが分かる。酷似した内容の夢を複数回見る、という体験自体は珍しくないのかもしれないが、こうも続いて同じ夢を見ると気味が悪い。もはや日課となりつつあるシャワーを浴びながら、長い溜め息をつく。無言の配達員に夢枕に立たれるようになってからろくなことがない。次第に夢が長くなっている上に夢の中でも意識がはっきりとあるために、全く寝たという実感がないまま朝を迎えるようになり体調は最悪だ。時計がなる前に飛び起きるためシャワーをしても化粧の時間が十分取れるようにはなったが、毎日目の下に隈ができてしまうのであまりありがたくはない。ひょっとするとこれはピザ屋の新手の宣伝方法なのだろうか。最近ではそんな考えが頭をもたげるようになっていた。今夜もきっと、同じ夢を見る。
木曜日
昨日は同じ夢が続くことを空恐ろしく感じていたが、今朝は予想していたからか、あまり恐怖感はなく目が覚めた。
今週では一番の早さでオフィスに出社すると、何やらみんな浮かれていた。職場で大口の契約がまとまったため、祝賀会が開かれることになったそうだ。と言ってもドライな、よく言えばホワイトな職場なので、業務時間中の昼休みにオフィスで出前をとるだけのものだが。出前を受け取ろうとエレベーターホールに出た私は思わずぎょっとした。遠目にも鮮やかな赤色の制服が、薄い正方形の箱を3つも重ねて抱えながら近づいてくる。思わず後ずさる。だが、驚いたのも束の間、当然ながら夢の中の青年とは別人で、夢の中と違って誠実さの感じられる笑顔を浮かべているので私も苦笑いしながら代金を支払った。商品を引き渡した青年は、私のカバンを指さしていつも贔屓にしていただいて…と話しかけてきた。見てみると、知らぬ間に私の鞄の肩紐のところにピザ屋のストラップがぶら下がっているのだ。正直、青年に言われるまで全く存在に気づいてすらいなかったのだが、そこは社会人としてうまく合わせておく。久々のピザは、まあまあおいしかった。
カバンのストラップが気になって調べてみると、どうも去年の夏のキャンペーンで配布していた有名バンドとピザ屋がコラボしたものらしい。期間中に五千円以上購入した人を対象に数量限定で配っていたもののようで、オークションアプリや価格の比較サイトを見ると結構な額で売られている。記憶にもなかったようなものなので、売っ払って新しい家電でも買いたいのだが、誰かに貰ったものかもしれないので暫くは手元に置いておこう。同僚や学生時代の友人に心当たりがないか聞いてみて、誰も知らなければコードレスの掃除機を買おう、そう心に決めた。
金曜日
ピザを食べてもピザ屋の夢は見続けるものらしい。どうやら連日の夢はピザ屋の新手の宣伝方法というわけでもないようだ。昨夜はあまりにしつこいので、警察呼びますよ、と携帯を見せてみたが薄っぺらな笑顔を一瞬剥がしてやることすらできなかった。夢を見るたび数を減らすピザの箱も残りニつとなっていた。この箱が夢の残り日数を知らせてくれているのだろうか。それなら、あわよくばこの夢ももうじき見なくなるだろう。
ピザの箱が何らかのカウントダウンを為しているのなら、今夜であの夢も最後になるはずなので今朝は幾分心が軽い。ストラップの件も今夜ではっきりさせなければ。あれから知り合いに一通り聞いてみたが、誰も知っている人はいないみたいだ。さらに写真を見てみると、少なくとも先月の私はカバンにストラップなんてつけていなかった。あのストラップは私のものでは無い。
土曜日
最終夜の夢は拍子抜けするほどいつもと変わらず終わった。朝はまた寝汗まみれになっていたが、これは夏のせいだろう。夢のお陰で早起きとシャワーの習慣がついたので結果的には良かったのかもしれない。上機嫌で支度を済ませ、少し早めに家を出た。今夜はきっと、ぐっすり眠れる。
帰宅後、久々にのどかな夜を楽しんでいると、不意にインターホンが鳴った。飲みかけの牛乳が入ったコップを置いてドアスコープを覗く。ドアの向こうには見慣れた赤色が、薄っぺらな笑顔を浮かべて立っていた。