自分の望みの言語化、の話
『わたしが必要としている手助けとは何か』を言語化できない人は、まずはそこが課題。男尊女卑とは何か、男女平等とは何か。
っていうか、男女平等じゃなくて、男女雇用機会均等法とか、男女共同参画社会とか、なんだよね。男と女は違うものだけど、機会は平等に与えろ。男女ともが自分にできる範囲で社会に参加しよう。そういう趣旨。
その辺、あえて混ぜているのか、知らずに混ぜているのか、混同している人が多い印象ですが。
男と女は違う生き物ですよ。でも同種なんだから、協力して社会を形成しましょうってことだよ。できることとできないこと(能力)で分けたら、男女では分けられない。
これまでの社会は女性が抑圧されていたから、解放しましょうって時流。学歴いらない、就職口はない、結婚しか道のない時代があった。歴史を学べば奴隷解放に準備期間が必要だったように、抑圧されてきた女性が社会的に自立するのにも、時間がかかって当たり前なんだよ。与えられたマイクでなにを訴えればいいのか、現在模索している真っ最中でしょ。
ポリコレだ、ツイフェミだ、とかなんとか、そりゃあもう見苦しいほどぶっ叩きに来る男性がいるようですけど。
「女のほうが優秀」なんて思ってないけど、席取りゲームの参加人数増えれば競争は過酷になるだろうから、ある意味彼らは「女性を対等に見ている」人たちかもしれない。
見苦しいけど。
『わたしが必要としている手助けとは何か』を言語化できない。別に女性に限らない。
自分の感情と向き合う。
これ、自立することが結婚という将来のマイナスになりかねない文化があったため、あえて消極的だった女性はいる気がします。そのように育った親に育てられた子どもも含む。自分の感情を言語化できるくらい分解するのは、知識と練習が必要。『社会的に求められてこなかった(黙って三歩後ろ)』女性と、逆の意味で男性も学んでなさそう。『社会的に必要とされてなかった(部下とか母とか妻とかの他人にケアさせる)』。
乗った方が楽な人生のレール、変に悩まない方が楽に乗れる。「ちょっと頼りないくらいの女の子がかわいい」とか言われていた名残ですよ。男女とも、レール以外はいばらの道。いばらの道でもレール以外の将来へ向かいたかった女性にとって、レールに乗せようとする外圧は悪だった。これがフェミニズムだな、たぶん。自分の人生の責任は自分で取るから邪魔するな、そっちの道には行かない! と言える女性たちの女権運動。並外れて優秀じゃなきゃムリ。
つまり大抵の女性にはムリだった。死屍累々。
学問、勉強、教育は時間がかかるから、社会に出るまでの経験は無視できない。親からの教育、影響大きい。学校に行けるかどうかも親の意見は強いからな。土台ができていないんだから、そんなに賢く活動はできないだろう。よってたかって否定されれば、人間だから頑迷にもなるし。
ところで日本の男性諸氏に聞きたいのだが、自分でパソコンの配線とかをすいすい片づける女性、『本当に』恋人や嫁として求めるているか? いまは結婚しても稼ぐ気のある女性が評価され始めているけど、結婚相手として、真実、モテているか?
「おまえは一人でも生きていける。でもあいつには俺がいないとだめなんだ……!」みたいなマンガが山ほどあったじゃないか。デフォルメしているとしても、実際にそれでさよならされた女性が多かったからだろう? 一人でなんでもできる女性じゃなく、俺がいなければと思わせる女性のほうになびいたんじゃ? まぁ、本当に頼りない依存傾向のメンヘラじゃなく、男を立ててくれるけど好かれるために頼りなさを演出できる、とっても賢い女性がお望みなんだろうけど。
現実にいるかよ。n=1の意見はいりません。
べつに男性だけが悪いとは言わない。女性も需要に合わせただけだが。『男性から選ばれなければ経済的、社会的に生きていけないから結婚した』母親に育てられているわけだからね。内在化するよね。男性が「稼げなければ男の価値ない!」って思っているのと同じで。
まあ実際は、結婚したら家事育児で仕事どころじゃなくなって退職。ってケースが多々あるけど。それ見て育った女性なら、自分が働けなくなったときのことを考えて、できる部分は外注できる財力を持つ配偶者を選ぶでしょう。とうていできそうにない収入の男性を足切りするという方向で。
まあ将来的には、女性が稼いで男性が家事と子育てをするモデルケースも増えると思いますよ。妊娠期間を考えると、共働きから役割逆転へ進むケースは多くなさそうだけど、なくはないでしょう。
明らかに家事育児向いてない女性が、明らかに会社勤め向いてない男性と結婚するケース、出てくると思いますよ。ケンカしたときに「(妻より収入の少ない)俺をどうせバカにしているんだろう!」って拗らせが発生していなければ、粛々と進むんじゃないでしょうか。知らんけど。
しかしサラリーマンと専業主婦の家庭が成り立っていたのは、夫の稼ぎで妻と子ども二人くらいを養って大学まで行かせることのできる給与があったから。
子どもが贅沢品などと言われる現在、サラリーマン女性と専業主夫って構図が成り立つとは思えないけどな……。景気上向くといいですねぇ……。
結婚……。恋愛感情に支配されている状態異常ないと、なかなか実現しづらい気がする。損得を考えれば、わりとマイナス面多いでしょ。「好きだからいっしょにいたい!」みたいな激情でもない限り。
で、時間経過とともに状態異常が解けて、そこからが結婚生活本番なわけで。
「わたしの望みはAです。妥協ラインはBです」
「自分の望みはCです。妥協ラインはB´です」
「「BとB´はどこまですり合わせできますか。すり合わせできないところはどう分担しましょうか」」
そういう話し合いができなければ、結婚生活は継続できない。どちらか片方だけが我慢する結婚生活は地獄だ。どちらも我慢しないなら離婚しかない。どちらも少しずつ我慢するなら、納得して自分が決意した方がいい。
だから、『わたしが必要としている手助けとは何か』を言語化しましょう。コミュニケーションできるようになりましょう。女性も、男性も。
一度ならず、家族になりたいと思った相手なんだから。