チラシの裏でぐだぐだと弱メンタルな繰り言を続けていますが、
タイトル通りチラシの裏に書き連ねただけの繰り言ですよ
わたしがコミュニケーションにコンプレックスある理由がなんかわかった~……。ふつうのよく見る例と同じで、親とか家族に原因があるわ~……。
愛されなかったとか虐待されたとかそういう話ではない。生まれてきた子どもが『最初に学ぶ』コミュニケーションは『親が行なうもの』っていう話です。親のコミュ力が残念なら子どもも残念な方法を吸収してしまい、なかなかにハードな試行錯誤を繰り返さなければならないって意味。
いまさら「わたしが生きづらいのは親のせい……!」なんて情けないことを言う気はないけどね。『自分育て』がんばってきたし。
メンタル不調に悩んでいる人へ向けて書かれている本にはたいてい、「頭の中だけで悩んでいないで、悩んでいることを書き出せ」というトレーニングがしたためてある。だれかに聞いてもらうのは、相手次第で否定されたり笑われたり説教されたりする可能性があるので怖いけど、紙とペンは否定しないし笑わないし説教しないからね。そこにそれが書いてあるとしたらそれは自分自身が言っていること。
それがわかったら、自己否定をしない方法を探す、とかの次のステップに進める。
なんで自己否定するのか、分析することもできる。
まあしんどい作業なので休み休みですが、二歩進んで三歩下がるような、三歩進んで二歩下がるような作業でも、試みた経験が自信につながったりする(らしいので)。
なので、チラシの裏でくどくどと悩みを吐き出しています。
原因は親のコミュ力にあったっぽい。
とは、どういう意味か。
わたしが大嫌いだと公言している『話の通じない人』が父親なんですけど、聞いているというポーズはとてもお上手ですが、応答から、まったく相手の意見を聞き入れる気がないことが伝わるんですよ。まあよくいるけど、そんな人。でも他人じゃなくて自分の遺伝子の半分だからね。
真剣に聞いている態度をとって自分が話し、途中で相手の言い分が正しいかもと思ったら、長広舌の合間にあたかも最初から自分がそのように主張していたかのように、正しいと思った言い分を取り入れて、相手を否定するんですよ。いいやおまえの言うことは正しくない、と。
まああれだ、「同じ言語を喋っているのに話が通じない、だと……?!」ってやつですよ……。それが家族にいる、親であるというついてなさよ……。
「言ってること無茶苦茶ですよ……?」と思いながらも、感情的な言い分を叩きつけてくる人間に対して「知らんがな」という態度が貫けない自分、たぶんこの父親の態度を反面教師にしているからだ。聞いているふりして聞いていない相手に疲労困憊した過去があるからだ。
フリじゃなくちゃんと聞かなきゃいけない。
正しいと思えばその部分を正しいと認めなければならない。
自分の意見だけが正しいわけじゃない、相手の言い分にも一理あると思いながら聞かなきゃならない。
自分にそう課しているのは自分だ。自分がなぜ自分にそう課しているのかといえば、子どものころの傷つきがあるからだ。あんな風にはならないぞ、と思って成長してきたからだ。
そして本当に一理もない罵言は存在しない。一理もなかったらただのアタオカだから、そもそも理解不能ですし。
それから母。性格がまじめで勤勉、責任感も強い。こういう父を配偶者に選んだせいでバグってる、とわたしは見ているんだが、本人には自覚はないし、配偶者は自分が悪いなどと欠片も認める気はないので、わたしが思っているだけです。離婚は父がうなずかないので成立していない。
今ならば、父の母に対するガスライティングと表現できる。正しいことを言っている人にお前は間違っていると言い続け、周囲にもそのように吹聴し、やがて本当に可怪しくさせる、非常にたちの悪い悪行ですよ。
母がおかしいのはガスライティングのせいなのか、そもそもそういう性格なのか、それはわからない。わからないけど今現在、コミュニケーション技術がおかしいことは事実だ。
父はしかし家庭を顧みないで働いているタイプだったので、家族とはいえ接する時間はそれほど長くなかった。それに、父親として何もしてこなかったじゃないか、などとは言えない。
だから「おかしい」と、「明々白々」と断じることができなかったんだけどさ。思うところがあって、『父』『母』ではなく一人の人間として考えてみたら、わたしはこういう人たちと仲良くはできないな……と気づいてしまったわけですよ。育ててくれた父や母でなかったら、親しくならない。
仲良くならない理由を考えると、他人と仲良くできないわたしの性質に重なっているんですよね……。
結婚なんて、というか見ず知らずの他人を好きになることも、配偶者を持つ(自分の人生に他人を取り込む)ことも、地獄の入り口なのでは……? って恐れもここからきてる気がする。
まあわたしのきょうだいはさっさと家を出て、結婚して子どもも作っているんだが。
わたしの引きこもりたい(なにもしたくない)(が経済的に許されない)という性質が生まれつきなのか、生まれたあとに形成されたものなのか、それはわからないけど、共依存のパーツとしては都合が良かったんだろうな。
さっさと家を出たきょうだいは、両親のコミュニケーション技術に難がある、耐えられないと飛び出していったわけですが。
どのようにがんばっても話が通じない人がいると、父から学んでしまったため、不快な人からは距離を取るのね。わたしもそうだけど。
しかしそれで、きょうだいでも不適切な言動で怒らせたら距離ができるんだ、とわたしは学習してしまったわけです。お互い歳をとってきて、きょうだいは子育てにがんばっていることもあり、すこしは仲も回復したけどさ。わたしもきょうだいにとって、不快なコミュニケーション手段を持つ一人だからな……。これ以上近づくことはできない。好き好んで傷つきに行く趣味もない。
それぞれの人生を生きている人たちなので、三人のコミュニケーション技術が間違っているとか指弾する意図はありませんよ? 彼等の人生だし。ただ、わたしが自己否定するのはそういう家族のコミュニケーションを最初にインストールしてしまったからだなぁ、と思ったんですよね。
女の腹に一物ある人間関係(AさんとBさんへ言っていることが違う)とか、当事者の意見を聞かずに自分本意な庇護を与えようとする男の性質とか、どちらも面倒くさくて共感できないので、父から受け継いだ遺伝子と母から受け継いだ遺伝子を、否定的に捉えてしまうようなんですね……。
つまり自分自身をまるごと、否定的に捉えると…………。
遺伝子レベルで受け入れられないとなれば、他人が褒めてくれても、あまり意味はないんですよねぇ……。そういう階層の話じゃないんですよねぇってことで。
自分でどうにかしなきゃならない。
だから人と関わりたくないんだけど、社会で生きていくには人付き合い必須なわけで。
これまでのわたしの人生の結果、父親に寄り添うことをわたしはできないし。
母親の悲観や歪みに共感してしまえば巻き込まれて共倒れだし、こちらも寄り添うことはできない。
親どちらとも、寄り添うことを愛情だと認識していたとしても、わたしはそれをできない。できることがあってそれを行なっていたとしても、求めているものを返さない子どもは親にとって『残念』なままだ。
他人ならばなおさらだ。
この満たされなさを他人に求めたら、まあまずハズレを引いて依存の泥沼に踏み入るわけですよ……。そりゃあ人間不信すぎると断じるには、幸せじゃなさそうな人間が多すぎる。それにまともで人格の優れた人が、好かれたくないわたしに興味を抱くはずない。やべぇやつは嗅覚鋭いからいじめても大丈夫な人間を絡め取るし、うまく拒否できないならすべての人間に近づかないほうが安全。
変なのに捕まったら確実に現世で地獄行きと思えば、幸せを追わないほうがまだマシなんじゃ? って、思っちゃったんですよ。やべぇやつとも近づかないけど、わたしの認知の歪みを解いてくれるような巡り合わせもついでに拒否している状態だと理解しているけど。
だがこれ、わたしを傷つける人は自分本位に近づいてくるけど、癒やしてくれる人は礼儀正しく距離をおいていてくれるんだよな……。選ぶ道が間違ってるんだよな。わかってるけど、臆病なんだよな……。
じょうずに拒否する方法を学べば、挑戦する気になれるのか? もっとやべぇやつを選別しちゃうんじゃない? それとも傷つくことを恐れなければいいだけ? それができるなら、この道は選んでない。
傷つきたくないからいやだ、と毛布にくるまる自分の弱さを否定したとして、だれが安寧をもたらしてくれるんだ? 自分で自分をいたわることを否定されたくない。
まあ、袋小路だけど。
『誰からも嫌われない』なんてありえないんだから、思うままに振る舞っても大丈夫な環境を探すべきなんだろう。
でも『なんとも思わない人』から嫌われるのはスルーできても、好きな人から嫌われるのはすごく痛いじゃないか……! 好きだと思った人に嫌われるのはとてもつらいじゃないか。失望されたくないじゃないか。
失望されて距離を取られるくらいなら、最初から近づきたくない。
つまりこれって自分の『感情』が、怖い……?




