トランスジェンダーの話②
そもそも心に性別ってあるんだろうか……?
わたしは女の体で生まれ育って、自分は男だと思ったことはないが、女らしい性格だとも思っていない。というか、客観的に見れば女でしかないんだろうという理屈で、わたしは女です(性自認)と思っている。
男になりたいと思ったことはないが、男装の麗人には憧れたな。骨格その他、向いてないので試みることもなく、あきらめたが。
あと月経は毎月毎月嫌になる。
男だったことはないので、女として得をしてきたのか、損をしてきたのかは、わからない。
でもまあ男性もそんな感じなんじゃないの?
トランスジェンダー。
男の体のままでいいけど心は女なの、ってどういうことなのか、まったく理解の埒外。
「わたしは女だから男性の性器がついているような、男性的な骨格のこの体がイヤだ」というならわかるんだ。
自分は男だけど女性らしい服装が好き。というのもわかるんだ。
女のようにやわらかな乳房がほしい。これも欲求として、理解できる。
女性として、あるいは男性としての、肉体美というものも存在している。異性の肉体を『体現したい系統の理想』と考える人もいるだろう。
しかし、股の間に✕✕✕をぶら下げたままでいい、その上で「わたしは女として扱われたいの!」って主張するのは、全っ然理解できない。異性としての見た目の完璧さ(パス度)に合格したい気持ちもわかるが、そんな個人の欲求で社会制度変えようとされても困る。
男だとか女だとか関係のない、わがままを言ってません?
「わたしが思うようにわたしを扱って!」
(それが女らしさだと思っているなら、残念なロールモデルを選んじゃったんだな……)
トランス、越境するのはあくまでもジェンダー。セックス(肉体的性別)ではない。肉体的な性別まで変えたい人は、まあわかる。
まあわたしにわかられなくても好きに自分の人生を生きればいい。自己責任だが。
でもトランスジェンダーは、社会的な性別の越境なのね。社会的に、つまり周囲の人みんなから女性として扱われたい。
シルクのドレスを着てピンヒールを履いて重量挙げはしないよね。「重量挙げ、しないです。お高いドレスとピンヒールなので」って主張だけなら、許容範囲なんですよ。
『重量挙げをしないこと』と『その理由はドレスとヒール』について、責められたり怒られたり嫌われたりするかもしれないけど、それを選んだのは当人だから仕方ないね。一時的にスニーカーとジャージに履き替えることをしなかったわけだし。
ドレスとヒールで重量上げしちゃう人や、重量挙げのために着替える人もいるんだから、「ドレスとヒールだから重量挙げしません〜」って人と同じくらいに、白い目で見られるでしょうね。義務に全力で取り組んでいない、という意味ではもっと当たりはひどいかな。
人生に全力で取り組むかどうかも自己責任だから、他人の評価など知ったことではない。ないが、敵が多いのは仕方ない。
化粧する、スカート履く、事務職をして力仕事はしない、家庭の大黒柱にはならない、『危険な敵』に立ち向かわない。
うおおおお……、『らしさ』の押しつけが気持ち悪い……。
肉体が男性だからこそ、女性らしい服装をしたい。化粧をしたい。女性らしさというジェンダーに寄せていく。
トランスジェンダーというアイデンティティは、男性だから女性らしさを追求する。女性だから男性らしさを追求する。
逆説的に、トランスジェンダーの『肉体性別男性、心は女性』のひと、自分は男性だと自覚していることになるんだが……。心は女性? なにを指して自分は女性だと確信したんだろうな……。
シス男性とトランス女性の犯罪率はあまり変わらないけれど、シス女性とトランス男性の犯罪率は有意に変わる。男性的であることに暴力性が含まれているからなのか。ではなぜトランス女性の犯罪率は、シス女性の犯罪率に近づかないのか。
この追及にトランスセクシュアルは含みません。GIDのみの傾向はわからないので。
トランスではないという意味でのシス、区別するためにある言葉だから好きではないんだが、表す言語があるので使っていこう。「トランスであるわたしと違って性別に疑問や違和感のないあなた」という意味での『シス』ならば、特に女性は反発する向きが大きいと思う。
疑問や違和感、抱かずに生きてきた女性はむしろ希少だと思うので。特にジェンダー。
女性にとって、自分が女性であると言うのはただの現実だ。毎月の月経とか、夜間外出するべきじゃない規範とか、法事で働かされがちなこととか、痴漢やナンパへの警戒とか、女子力とか家事育児担当とかエトセトラ。常に身近にある現実。
男の子も精通迎えたあたりは違和感大きいらしいけど、第二次性徴期に体が変わっていくのは女の子も同じ。
性別気にしないで走り回っていた子ども時代が終わって、周囲の扱いがおとな向けになっていく。
子ども時代は男女ともに「気をつけなさい」だけど、女の子はやんちゃが許されなくなってゆく。「大事にされている」なのか「窮屈な抑圧」なのかで捉え方、違うな。「自由」なのか「放置」なのか、捉え方が違うように。
女の子みたいに、大事にされたかった、なのかな……?
自分で自分のケアをできなきゃ、けっきょくはしんどいだけだと思うけどなぁ。女同士の人付き合いはお互いさまでケアしている。コミュニケーションには努力がいる。本音言わない関係も含む。
女性に求められるような、自由はないけど安穏としたレールの上の人生、ってことだろうか。安穏としている、幸せになれる、とは限らないのに? まあ経験しなければ夢は持つか。「あっちのほうがマシな人生だったはずだ」
女性のようにレールに乗って運ばれたい人生だった男性がトランスするのは、本末転倒な茨の道になるけど。だから満たされなくて病むのか……? メンヘラ。「生まれつき女だったあんたたちシスにはわかんないのよ!」
「……。わかんねぇよ……」
で。
女性と同じで、男性にも色々いるはずだ。
バリバリ働きたい、自由でいたい、幸せな結婚がしたい、専業主婦(主夫)になりたい。家事子育てどんとこい。
男っぽい服装が好き、女っぽい服装が好き。
化粧で可愛くなりたい。化粧したくない。女子力とかいう言葉滅びろ。
モテたい。モテたくない。
女性の中にはこれらの要素は全部含まれる。実現しやすいものとしにくいものはある。でも許容されている。
男性の中には含まれていないものが多い。
つまり増やすべきは『男性の』多様性なのでは?
トランス女性(体は男性、心は女性)は、女性の一部なのではなく、男性の一部として認められるほうがいいんじゃないのか? 女性の服装をしたい、女性のように社会的に扱われたい男性。
男性の多様性の証左。
男性のようにバリバリ働きたい女性も生きやすくなるはず。しかし女性のように扱うってなんだろう。ジェンダー解体されつつあるから、いずれなくなりそう。
服装はねぇ、自由にすればいいと思うのよ。社外の人に会うとき奇抜な格好だったら引かれるかもしれないけど。フリーランスのキャラ付けみたいなものは可能よね。当人の能力的に可能かどうかはともかく。
でもそれはシスも同じだからね。
どんな生き方をするにしても自己責任で、プラス面もあるけどマイナス面もある。
自分の遺伝子継いだ子どもやっぱりほしいし手術はイヤ。っていうならその分、『女性扱い』も減るよね。
「やだやだやだあたしの思うとおりに扱ってくれなきゃだめなの〜!」って喚くぶんには自由。ただし聞いてくれる人はいないかもね。社会(法律、政治)からそう扱われたいっていうのは、無茶な話よね。個人のわがままに政治が応えてはいけない。
ずっとトランスセクシュアルは除外してるけど、不可逆の変化が起こるんだから、まともなクリニックで時間をかけて、決意したほうがいいとは思う。
「わたしは女/男じゃない!」と強く感じる理由は、性同一性障害とは限らないからだ。生殖能力取ったあとに気づいてももう遅いから。
なにがいやなのか、よくよく考えて、医者やカウンセラーと相談しながら、決めてほしい。
他人に押しつけられる男らしさ/女らしさつまりジェンダーを無視できるようになったら、もしかしたら肉体は男性のまま/女性のままで、安心して生きられるようになるかもしれないので。




