7・食後の趣味
古の森には、しめった植物の匂いが立ち込めている。
フェアルが歩くと、若葉のようにみずみずしい緑髪と、そこに絡みつく柔らかなツタが揺れて、遠目には森と同化しているように思えるほど、風景になじんでいた。
「ここがアドバーグ様の住まれている森なのですね」
前方に声をかけると、森を分け入り進むハリネズミが振り返る。
アドバーグは得意げな様子で背中を膨らませると、無数に生える針が逆立った。
『うむ。この先がワシの住む世界だが……その前に、あの不味くなった木の実のある場所へ寄ればよいのだな』
アドバーグは言いながら、口の中でなにやらムグムグやっている。
そこから両生類の片足が飛び出していることに気づき、フェアルは小さく跳ねた。
「あっ……アドバーグ様! 口から……何か、何かが出ています!」
『あぁ、カエルはワシの好物でな。しかもこれはアタリだ。頭にレアが詰まっておる』
「レア……ですか?」
『そうだ。たまにだが、カエルの頭に茶色い石ころみたいなものがあってな、たいしてうまくはない……が、レア感があるだろう? だから、それを舌の上で転がしながら、どうすればおいしく食べられるようになるのであろうか? と思いをめぐらせる。というのが、ワシの食後の趣味と言っても過言ではない。優雅であろう』
「カエルの頭に時折、石のようなものができて、おいしくはないけれど、なめている……ということですか?」
『そういうことだ』
アドバーグは深々と頷くと、再び先導を始める。
続いて歩く旅慣れた様子のカームに、疲れた様子はなかったが、森へ入ってからずっと、口数が少なかった。
フェアルはそれが気にかかる。
「私たち、うるさかった?」
「ああ、うるさいな」
「やっぱり……ごめんなさい」
「いや。その方がいい」
「そうなの?」
「俺の気が紛れるから」
「そう、なんだ」
意味はよくわからなかったが、フェアルは相槌を打つ。
しかし、カームの表情は少しほぐれたようにも見えて、森に入ってからは珍しく、自分から口を開いた。
「フェアルの言葉から類推すると、あいつは相当、食い意地が張っているようだな」
「確かに、食に対する執着は強いみたい」
「アドバーグがトープルカリアハリネズミのわりにでかいのは、この森が豊かなせいだと思ってたけど、あいつ個体の問題でもありそうだな。全く……飢えに強い種族が、暴食できる環境にいるのも考えものだな」
フェアルは不安定な足元に気を配りながらも、あたりの木の葉や枝、石や草花を目に映す。
思考の片隅には、ドライアドであることを武器にしろと言われた言葉が、ずっと残っていた。
例えば、そこら辺に落ちている木の枝や石も、しようと思えば簡単な武器になるが、それは本人が使い道を決めたことによって、武器にもなるということだ。
本人の考え方次第だと思うと、フェアルは心細くなった。
「どうして、カームは森を治したいの?」
「じゃあ聞くけど、フェアルは自分の指先が腐ってきたら、そのままにしておくのか? それとも切り落とすのか? 治せるのなら、治すだろ。それと同じだ」
「そっか。わかりやすいね」
「俺、難しいことなんて、考えないから……。あれ、またガキ扱いされてるのか」
「ちがう、ちがうよ! 私、ずっと自分に考えがないって思ってたけど、難しく考えすぎていたのかも。私が思っているより、単純なのかなって。カームの気持ちも、わかったし」
「俺の気持ち?」
「カームが古の森を、自分の体のように大切にしているんだってこと。わかったよ」
「ふーん……」
「カームはこの森のこと、本当に好きなんだね」
カームは何も言わず、行く先を見つめていた。
その表情に影が落ちた気がして、フェアルはさっと目をそらす。
なぜか、見てはいけないものを見たような気がした。
『フェアル、ついでにカーム、こっちだ!』
アドバーグの声に呼ばれて進むと、木々の生い茂った道が開けて、居心地のよさそうな水辺が現れた。
「ここがアドバーグ様の好きな木の実のなる場所なのですね」
『うむ』
アドバーグは一本の大きな木の根元の前で止まる。
『ワシはいつも、こいつから一番うまいところをもらおうと、木の実の交渉をしている。しかしあの日は、こいつから具合が悪いと言われてな。木の実の味も期待できないから、やめておけと。まあワシは腹が減っていたので、気にせず食ったが』
「この辺りの木の実を食べて、おなかが痛くなったのですね」
見回すと、フェアルの領内でも見かける、ころんとした木の実が散らばっていた。
そのうちのひとつを拾い上げる。
見ると表面は白く、妙に甘酸っぱい匂いを発していて、それを吸い込むと胸が悪くなるようだった。
カームはフェアルの指から木の実を取り上げた。
「気軽に触るな」
そう鋭い口調で告げると、検分するように目を細める。