3・もうひとりの家族
二人は馬車を停めておく小屋に立ち寄らず、城を囲う塀の外へ向かう道を黙々と進んでいた。
門を出ても、近くには草原と森くらいしかないのに、カームは歩きでどこへ行くつもりなのか。フェアルには想像もつかなかった。
「あの、カーム様」
フェアルの呼びかけに、カームは振り返る。
「カームでいい」
そこには先ほどまでの、知的な王子とも狡猾な盗賊とも思えるような冷静さはなく、あからさまに不機嫌だった。
「それに、敬語もわずらわしい。国は違うけど、フェアルは隣の領の貴族で、身分的に考えれば対等な地位のはずだ」
「ですが、付き人にしていただいたので、対等というのは……」
「それならなぜ、付き人なのに主人の考えを尊重しない。ああ、もううんざりだ。貴族は貴族という立場を利用して命令しないと、気軽に会話もできないのか」
その投げやりな口調を、フェアルには意外に思う。
カームは何でも涼しい顔でこなしているような印象だったが、身分の不自由さからくるわずらわしいことなども、あるのかもしれない。
フェアルに見上げられていることに気づくと、カームはきまり悪そうに立ち止まり、向き合った。
「悪かったな。フェアルに八つ当たりしていた。俺、貴族だからとかこうしろ、とか。まだ若いからとか、男だから、こうあるべきだ、とか。そういうの、ずっとうんざりしてて。だからつい、フェアルの父親にも、あんな態度をとってしまったけど。俺、フェアルに何かされたわけではなかったよな。ただ、気軽に話せた方が楽だって、そう頼めばよかったのに」
率直に謝ると、カームは返事を待たずに、また進み始める。
フェアルは少し早歩きをして、先を歩いていたカームの隣に並んだ。
「私、カームのこと、ちょっとだけわかった気がする」
「そんな風に言われると、俺は自分のこと、わからなくなったな」
「どうして? 思ってること、言ってくれたんだよね?」
「だからだよ」
「言ってくれたこと、嘘なの?」
「そうじゃない。だから、よくわからなくなってきた」
「変なの」
フェアルが不思議そうに首をかしげると、カームは小さく息をついた。
「フェアルのことは、もっとよくわからないけどな」
「それは、そうだよ。会ったばかりだもの」
「会ったばかりでもわかるほど、ひどい家庭環境だったみたいだな」
「そうなの?」
「自分のことだろ。あんなやつらに囲まれて、よくひねくれなかったな」
「それは、わからないけど……私のことを大好きでいてくれる相手が、いたもの。私を大切に育ててくれた乳母とか、妹が飼っていた犬も私に懐いていてね……」
そのままフェアルが黙り込んだので、カームもそれ以上聞かなかった。
城壁に沿って歩いていると、ようやく門が見えてくる。その壁際の一か所に、何かが埋められた証のように土が盛られていて、そばには少し大ぶりの石が置かれていた。
そこに書かれた文字に気づいて、フェアルは立ち止まる。
カームもつられて、足を止めた。
「どうした」
「あ、あの石に、名前……が、」
それ以上は、言葉にならなかった。みるみるうちに、フェアルの瞳に透明な液体が盛り上がり、あふれ出す。
唐突な出来事に、カームは明らかにうろたえた。
フェアルは戸惑っているカームに気づき、なんとか安心させようと、せいいっぱいの笑顔で説明しようとしたが、涙はほろほろとこぼれて、止まりそうにない。
「だいじょうぶ、私はだいじょうぶなの。ただ、リリちゃんが……」
「リリちゃん?」
「私の妹が、お父様に飼ってもらった犬なの。白くて、ふわふわで、食べることが大好きで……好きな人を見かけたら跳びついたりするのに、ごはんを取られると牙をむき出したりもするから、女の子なのにしつけがなってないって怒られるくらい、やんちゃで……。だから妹に、リリちゃんが森で迷子になったって泣かれた時、私だって心配で。森に入ったらダメだって言われていたのに、ひとりで勝手に入って……」
カームは城壁の隅にひっそりとたたずむ、動物の墓石の前に立つ。
貴族の愛犬の亡骸を埋める場所としては、彼らの居城から少し遠すぎるようにも、道のそばにある壁の端ではなく、もっと適切な場所があるようにも思えたが、それは口にしなかった。
「だけど、この墓は野生動物に荒らされない場所……城壁の内側に置くことができただろ。それはフェアルが、その犬を森から連れて帰ったからだよ」
「違うの。私はリリちゃんを見つけられなかった」
フェアルはその場にうずくまり、泣き声を殺した。
「私が森で一晩過ごして、朝帰った時、お母様がリリちゃんをだっこしていたの。私の姿を見て、お母様はショックを受けていた。そのまま、私はあの離れに連れていかれたの。あれが、リリちゃんと会った最後になってしまった。仕方がないのかもしれないけど、でも、私は……」
「おい、犬が迷子だとか言われたって、それ、本当だったのか? おまえの妹は、最初からだます気だったんじゃないのか」