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34.終幕は月宿る中

 月宿る穏やかな夜だった。

 日中の暑さも和らいで、月華の下でそよぐ風が波音のような葉擦れを響かせている。


 リアム様の私室は薄く窓が開けられていて、風の音が優しく部屋を満たしていた。

 ソファーに二人並んで座り、わたしはリアム様の腕の中に居る。唇が重なって、注がれるのは解呪式を宿した魔力。夜に頂く魔力は朝のものよりも少し多めで、わたしはいつも少しばかりふわふわとした気持ちで部屋に下がるのが常だった。


 だけど、今夜は違った。

 朝のように、わたしが酔ってしまわない程度に調整された魔力だった。


 唇を離したリアム様は、その唇をわたしの頬や顎に滑らせる。その擽ったさに肩を揺らすと、リアム様も少し笑ってから体を離していった。

 それでも、わたしの肩に腕が回ったままで、わたしは引き寄せられるままに体を預けてしまう。まるで元は一つであったかのように落ち着きのいい場所。そんな事を思ってしまうくらいに、この温もりに慣らされてしまっているようだ。



「……グラナティスへの進軍が決まった」


 ゆっくりと紡ぎ出された言葉に、息を飲んだ。

 グラナティスは呪術によって黒霧に覆われている。近付く事も難しいあの場所を、皇国は攻略できたのか。わたしの呪いが和らいだというのも大きな理由の一つかもしれない。

 進軍する時はわたしも連れていってくれると、以前にリアム様が仰っていた。グラナティスに残る人々へ状況説明をする者が必要だろうと。


「霧を晴らす算段が?」

「リンがどうにかするらしい。魔術師団からもリンの他に数人が出張ってくるから、任せて問題ないだろう」

「レイチェル様もご一緒なのですね。あの……リアム様は?」

「俺も行くに決まっているだろう」


 その言葉に安心してしまったのも事実で。ほっと胸を撫でおろすけれど、でも……グラナティスが解放されれば、もうリアム様のお傍には居られない。

 あんなにもグラナティスが解放されるのを夢見ていたし、今だってそれを心から望んでいたのに。ずっと皇国に居られないのだって理解していたはずだった。

 それなのに、胸がざわめくのは……わたしが、リアム様に恋をしているからだ。


「グラナティスに居るルダ=レンツィオの王族共を捕らえれば、グラナティスも解放されたと言っていいだろう。その後は王女を中心に国を復興していくだろうから、皇国はその支援をする事が決まっている」


 わたしの髪を指先に絡めながら、なんてこともないようにリアム様が言葉を紡ぐ。


「……グラナティスは皇国の属国になるのでは?」

「王女の意向次第だが、国として再建できるのならばそれがいいだろうと陛下も仰っている。グラナティスの宝石やその技術を材料に、王女が取引をする事になるだろうが、悪いようにはならんだろう。心配しなくてもいい」

「そうなのですね……。温情に感謝致します」


 わたし(王女)がどんな選択をするのか、進軍までの時間でわたしは考えておかなければならない。もちろん国を復興させられるなら、それが一番だというのは分かっているけれど。


 リアム様の肩に頭を乗せると、髪に触れていた手がわたしの頭を撫でてくれる。その手があまりにも温かくて、胸の奥が少し苦しい。


「お前はどうする?」


 問い掛けに鼓動が跳ねた。いつものように甘い疼きを共にしてではなく、緊張や驚きを含んだもので、背筋が震えてしまいそう。


「片付けなきゃいけない諸々が終わってからになるだろうが……グラナティスに戻っても、このまま皇国で過ごしてもどちらでも構わん。お前が選んでいい」

「わたしは……」


 リアム様と一緒に居たい。

 でもそれは叶わない事だと知っている。


 わたしは王女だ。国を再興し、民を守り、導く使命がある。


 いつか来るだろう別れの日が、訪れただけの事。覚悟だってしていたし、この想いや与えて下さった思い出があれば、生きていけると思っていた。

 それなのに、いざその時間が来てしまうと……こんなにも寂しくて、切なくて、胸が苦しい。


 言葉を紡ぎ出す事が出来ないわたしの動揺を、リアム様は見逃してはくれなかった。


「何がそんなに不安だ?」

「不安など、そんな……」


 わたしから体を離したリアム様が、わたしに向き直るよう座り直す。わたしの両肩に手を置いて、枷のようにわたしの動きを封じてくる。


「俺の目を見ろ、シェリル」


 言われるままに視線を重ねる。

 目尻の下がった金瞳は、真摯にわたしを見つめていた。その気高い眼差しに何度救われて、何度心を寄せた事だろう。


「お前が何かを隠している事は知っている」


 衝撃に眩暈がした。

 リアム様は……まさか全てをご存知だった? そのうえで、わたしをお傍に置いてくれていた?


 血の気が引いて、顔色が悪くなったのが自分でも分かる。喉が渇いて呼吸が出来ない。無理矢理に吸い込んだ息は震える吐息となって逃げて行ってしまう。

 震える指先を隠そうとぎゅっと拳を握るけれど、それでも足りなくて、寝着の布地をその手に握りこんだ。


「それでお前の心が落ち着くならと問い質す事はしないでおいたが、逆にお前を不安にさせるだけになったか。シェリル、お前は俺のものだ。お前が首を差し出した、あの時からずっと。お前の抱える不安も痛みも、それらも全て俺のものだろう?」

「……リアム様は、全てご存知だったのですか」


 わたしが王女だという事を。

 わたしが、リアム様に恋をしているという事を。


「いや、何を隠しているかは知らん。調べればわかる事なのかもしれんが、俺は……お前の口から話されるのを待っていた」


 それはきっと、わたしへの信頼でもあったのだろう。

 それをわたしは裏切っていたのかもしれない。自分を、守る為だけに。


 これ以上、リアム様に隠し通す事など無理なのだろう。わたしの心が限界だと訴えている。もうこれ以上は裏切る事が出来ないと。

 

 きっとリアム様は軽蔑されるだろう。

 ひとり、国を離れた王女を。

 素性を明かさずぬるま湯に浸かっていた王女を。

 信頼を裏切っていた、わたしを。


 今までの優しい記憶が巡っていく。

 思えばリアム様はずっとわたしを大切にしてくれていた。わたしを守り、わたしを救い、その全てでわたしに向き合ってくれていた。


 もうそれも、終わりにしよう。


 いつの間にか、わたしの鼓動は落ち着いていた。

 深く息を吸い、ゆっくりと吐く。


 リアム様を真っ直ぐに見つめて、口を開いた。自分でも驚く程に落ち着きを取り戻した声だった。


「わたしは……グラナティスの第一王女、シェリル・レティ・グラナティスです」


 優しい世界に、終わりを告げよう。


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