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22.まるで嵐のように

 眩いばかりの月の光を受けながら、蝶たちが泉のほとりを飛び回る。じゃれ合って遊んでいるようにも見えるその様子に、わたしの表情も緩むばかりだ。わたしの髪で休んでいた蝶もいつしか飛び立ち、その輪の中に混ざっていた。


「美しい森ですね。……グラナティスの森も、とても美しい場所でした」

「宝石が実るんだろう? 一度見てみたいものだ」

「グラナティスが解放された暁にはぜひご覧になって下さい。色とりどりの宝石が実り、それが大きく育っていく様は、見ていてとても楽しいものですから」

「宝石は決まったものが実るのか?」

「いえ、実らせるものは指定できないと聞きます。ですから森の木々には様々な種類が実っていました。祈りを捧げる時の感情や体調によって宝石の実りも変わりますから、毎日宝石を見ている人達は、それだけで陛下の様子を知る事が出来たそうです」

「聞けば聞く程に不思議な国だな。お前もよく森に出入りを?」


 リアム様の問い掛けに、青々としたあの優しい森の姿が思い浮かぶ。最後に見た夜は赤い炎で空が染まる恐ろしい姿だったけれど。それでも──いまもわたしの胸に宿るのは、美しい森の木々だ。


「宝石を採ったり、加工をするのを見るのが好きだったのです。お手伝いもよくしましたし、魔石の選別などもその時に教わりました」

「お前の家も宝石の加工をしていたのか?」

「いえ……違う仕事に就いていたのですが、森の出入りは自由だったのです。……両親も兄も、あの夜に亡くなりました」

「そうか……」


 両親と兄の最期を忘れた事なんて一度もない。あの光景がいまもわたしの瞳に焼き付いている。


 わたしの肩に腕が回されて、そっと引き寄せられた。決して乱暴なものではないのに、抗えない温もりを感じて、わたしも体を寄せた。


「森を走るのが好きでした。天気のいい日にはよく森で遊んでいたのを思い出します」

「お転婆だったんだな」

「あら、意外ですか?」

「深窓の令嬢に見えなくもないからな」

「昔は落ち着きがないとよく注意されていたくらいなんですよ。森を走り回って沼に落ちてしまったり、動物を追いかけていたり……あの森はわたしの遊び場でした」


 楽しい思い出に頬が緩む。

 リアム様の肩に頭を預けると、抱き寄せる腕に力が籠った。肩にある手がわたしの髪を指先に絡ませて遊んでいる。


「それだけ外遊びが出来るなら、呪いが解けたら遠乗りに行くか」

「遠乗り……馬、ですよね? 今までに乗った事がないのです」

「俺の前に乗ればいい。気持ちがいいぞ」

「馬で駆けるのは、まるで風になったようだと聞いた事があります。リアム様のご迷惑でないのなら、ぜひご一緒させて下さい」


 呪いが解けたら、グラナティスの開放に向けて進軍が始まるのだろう。だからもしかしたら、遠乗りするような機会は訪れないかもしれない。それでも、夢を見るくらいは構わないだろう。


「迷惑なものか。楽しみにしている」


 その声があまりにも穏やかで、その眼差しがあまりにも優しくて。リアム様の心の中に、わたしが居るのではないかと錯覚してしまうほど。それが誤りでも、伝わる温もりも、髪に触れる指先も……今この時はわたしだけのものだ。


「わたしも楽しみです。そういえば……レイチェル様が、リアム様は魔術師団でもやっていけるだけの力量があると仰っていたのですが、軍を選んだのには理由があるのですか?」

「魔術師団でも前線に出る事は出来るが、それよりももっと前で戦いたかった。それだけだ」

「フェルザー家は軍人の家系、なのですか?」


 そう聞いてから、リアム様のご家族の事は聞いた事がないと思った。これだけ一緒に過ごしているのに、爵位や領地などの話を聞いた事もない。


「いや? 両親は田舎で農作業をしている。弟は皇城に文官として出仕して、末の弟は田舎の役場に勤めている。畑を継ぐ予定もないが、両親もそれに納得しているからな」


 皇国の貴族制度が分からない。家庭教師の先生に習った覚えはないから、もしかしたらあの後に習うはずだったのかもしれない。

 わたしが不思議そうにしている事に気付いてか、リアム様は可笑しそうに肩を揺らした。


「皇国は皇帝陛下の血族だけが尊いんだ。他は要職に就いている者も全て平民だ」

「そうなのですね……勉強不足でした」

「家格で力の優劣がないとは言わないけどな、基本的には実力主義だ。俺は魔力に秀でていた事もあって、皇都の学校に進学した。卒業後の進路先に軍を選んだって、それだけさ」

「武勲を重ねて、あっという間に将軍の地位まで上がったと伺いました」

「それだけ戦があったって事でもあるけどな。だが、これからも負けるつもりはないな」


 そう言って自信あり気に笑うお姿に、わたしは見惚れてしまっていた。胸の奥が苦しくて、締め付けられるように切なくて……想いは高まっていくばかりだ。


 共に過ごす時間が増えれば増える程に、新たな一面を知っていく。口付けを交わせば交わす程、胸に宿る熱は高まっていく。叶わない恋だと知っていても、この気持ちをなかった事には出来なかった。


「だからお前も、俺に全てを委ねればいい」


 低音が心に響いていく。

 わたしの全てを明かして、それでも……こうして優しい言葉をくれるだろうか。臆病なわたしは踏み出すことが出来ないでいる。


「これ以上、ですか?」

「言っただろう、全てだと。お前が俺に首を差し出したあの時から、お前はもう俺のものだ」


 鼓動が跳ねる。漏れた吐息が熱を帯びる。

 心の奥がざわめいて、何だか目の奥が熱くなってしまいそう。


 浮足立ってしまいそうな心を抑え、わたしは笑みを浮かべて見せた。リアム様の言葉に他意はないのだと、そう自分に言い聞かせて。


「あの時はお恥ずかしい真似を……。ピアニー様ではないと知られているのに、その振りをして交渉をするだなんて。思い返すだけで顔から火が出てしまいそうです」

「あの場から逃げ出した王族よりも、お前の姿は王女らしかったけどな。……首を差し出したあの時、お前は本当に命を差し出す覚悟があっただろう」

「……わたしの命でグラナティスを解放出来るのなら、それでも構わなかったのです」

「俺が約束を違えるとは思わなかったのか?」

「そう、ですね……それは思いませんでした。きっと今際の願いを叶えて下さると、わたしの首を取ったその対価を反故にはしない方だと、信じておりました」

「……お前のその真っ直ぐさが心配になるな」

「ですが間違いではありませんでした」


 リアム様はわたしを救って、グラナティスの解放についても陛下に進言して下さっている。あの時のわたしの判断は、間違いではなかったのだ。


 泉へと目を向けると、先程よりも映る月が傾いている。月華蝶は変わらずに飛び回っては鱗粉のような光を落としていた。その鱗粉に触れた木々や草花が仄かに光を放ち始めている。


「お前の純粋な高潔さには眩暈がしそうだ」


 買い被りすぎだと笑おうとしたのに──わたしの顎に指が掛かって、持ち上げられた。色を濃くした金の瞳が、わたしを真っ直ぐに見つめている。


 その瞳に映るわたしはあまりにも恋慕にまみれていて、羞恥に耐えられず目を閉じた。この後に何があるか、分かっていながら。


 吐息に熱が宿る。唇が触れる。胸が苦しくて、切なくて、想いが溢れ出してしまいそう。

 わたしの後頭部に手が回って引き寄せられると、口付けが深まって──わたしは縋るようにリアム様の首に両腕を回していた。


 今までは甘やかされていたのだろうか。そんな考えが浮かんでは消えて、端からほとんど無かった余裕は欠片さえも残さずに吹き飛んでいく。

 激しい口付けはまるで嵐のように、わたしの心をかき乱していくばかり。



 静かな夜だった。

 わたしの鼓動が響いてしまいそうなほどに、静かな夜。


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