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17.ロズと呼ぶのは

「シェリル」

「はい」


 わたしを呼ぶリアム様の声はいつだって優しい。

 出仕されるリアム様を見送る為にエントランスに出る事も、今ではすっかりと慣れてしまった。


 リアム様はわたしの頬に触れ親指でそっと撫でてくれる。擽ったさに肩を揺らすと、リアム様も目を細めて少し笑った。

 頬に触れる手はそのままに、逆手が後頭部に回って髪に忍ぶ。わたしは両手をリアム様の胸に添えて、ゆっくりと目を閉じた。


 吐息が触れて、唇が重なる。

 何度繰り返したって、鼓動は落ち着く事を知らないようだ。魔力を注がれて体に熱が巡っていくのはいつもの事なのだけれど、今では──心の奥が甘く疼く。

 伝えられなくても、この気持ちはわたしのものだ。


「……苦しくないか?」


 唇が離れても、まだ吐息が重なる距離でリアム様の囁きが聞こえる。頷いて目を開くと間近に美しいお顔があって、また鼓動がひとつ跳ねた。


「はい、大丈夫です」


 注がれる魔力はわたしが酔ってしまわないよう上手に加減されているのに、リアム様はいつもこうして気遣ってくれる。

 わたしの返事に頷いたリアム様は屈めていた体を起こして、離れて控えてくれているグレンさん達へと目を向けた。


「では行ってくる」

「行ってらっしゃいませ」


 少し下がったわたしは、グレンさんとイルゼさんと一緒に腰を折る。踵を打って転移の術式を起動させたリアム様は、紫色の光に包まれて一瞬にして消えてしまった。



 今日は新しく裸石が届く予定になっている。

 届くまで何もしないでいるのも落ち着かない。それを知っているイルゼさんはお手伝いをさせてくれて、わたしは一緒に掃除や洗濯をして過ごしていた。


 今日もいい天気。

 レースのカーテンが閉じられて陽光を直接感じる事は出来ないけれど、夏らしい深くて濃い青空を見ているだけで気分が上がるようだった。


 午後になって、裸石を受け取る為にエントランスへ向かったわたしを待っていたのは、グレンさんと──バルトさんだった。最初の一回以降は別の方が届けに来て下さっていたから、思わず身構えてしまう。

 息を飲んだわたしに対して、バルトさんは麻袋を両腕にしっかりと抱えたままで、勢いよく頭を下げてきた。


「申し訳ありませんでした!」


 予想外の謝罪に、思わずグレンさんを見てしまう。グレンさんも困惑したような表情を浮かべたけれどそれは一瞬の事で、すぐにいつもの柔和な笑みに戻っていた。


「……バルトさん?」

「シェリル様は大切なお客様だとようやく理解致しました。いままでの無礼をどうぞお許し下さい」


 あまりの変わりように、どうしていいか分からないけれど……頭を下げてくれる人を無視しているわけにはいかない。


「バルトさん、お顔を上げて下さい。確かにわたしの事をバルトさんが不審に思うのも致し方ない事だと理解しています。これ以上はどうぞお気になさらずに」

「ありがとうございます……」


 顔を上げたバルトさんは、ほっと安堵の息をついている。以前のように麻袋を揺らしたりする事も無く、裸石を大事に扱ってくれているのも分かる。それならもう、今までの事は流していいと思った。


「では裸石をお預かりしましょう」

「いえ、今回は量が多いので僕がお部屋まで運びます」

「しかし……」

「グレンさん、今回はバルトさんにお願いしようかと。後で裸石の数を確認して下さいますか?」


 折角、バルトさんが歩み寄ってくれているのだ。それを無下(むげ)にするのも申し訳ない。

 グレンさんは思案するようにわたしとバルトさんを交互に見てから、頷いてくれた。きっとわたしの思いも汲み取ってくれたのだろう。


「では少し片付ける仕事がありますので、それが終わりましたらお部屋へ伺います。イルゼを先に向かわせましょう」

「ありがとうございます」


 バルトさんとお部屋で二人になるのを避けてくれるのだろう。「ではこちらへ」と先に立って歩き始めると、バルトさんも一緒に歩き出した。



 廊下を歩く中、わたしとバルトさんの間に会話はない。

 共通の話題もなく、わたしも先程までは苦手意識が強かった人だ。それはきっとバルトさんも一緒だろう。

 幸い、作業部屋までは遠くない。この何とも言えない空気感も、もうすぐ終わりだ。


「……今日はお天気がいいですね」

「そうですね。皇国の夏は暑くなると聞きましたが、今年はどうですか?」


 そんな事を考えていると、不意に話しかけられた。内心の動揺を押し隠し、にこやかに答えるとバルトさんが足を止める。


「今年はまだそれほど暑くないですね。カーテンをしていたら、暑さも分からないでしょう」


 そう言うとバルトさんは麻袋を床に投げ出してしまう。何をするのかと問うよりも早く、バルトさんは手近なカーテンを勢いよく開けてしまった。


 強い日差しが廊下に注がれる。

 すぐ側で陽光を浴びてしまったわたしの顔が、一瞬にして焼かれていく。


「きゃああああ!」


 久し振りの痛みに、わたしは耐えられなかった。顔を隠そうと両手で覆うけれど、今度はその手が焼け爛れていく。

 熱くて、痛くて、涙が滲む。それがまた火傷に触れて、突き刺すような痛みが全身を駆け巡っていく。


「醜いな。そんな呪いを受けながらリアム様のお側に居るなんて恥知らずもいいところだ」


 バルトさんの冷たい声に、先程の謝罪は嘘だったのだと目を瞠った。この人は変わらずにわたしの事が嫌いなのだ。


 心の奥がすうっと冷えていく。その間も私の体は焼かれていく一方だ。少しでも日の光から逃れたくて日陰に移動しようとしても、わたしの腕はバルトさんに強く掴まれていた。動く事も出来ずに、わたしはただ焼かれていくばかり。

 このまま陽光を浴び続けたら、わたしは焼かれて死んでしまうのではないだろうか。


「どうして、わたしを……」

「リアム様の隣にお前みたいな女は相応しくないんだ。リアム様がお優しいことにつけこんで屋敷に入り込んだ害虫が」


 言い返したくても、声が出ない。

 滲む視界にバルトさんを映すと、その輪郭が二重に見えた。……バルトさんではない、誰かの姿が見えるような気がする。


『お前が幸せになるだなんて、おかしいでしょう。お前は呪われているの。わたくしの側を離れたって、わたくしから逃れる事は出来ないのよ』


 聞こえた声に体が震えた。


ロズ(・・)、お前はわたくしのものよ』


 目に映るバルトさんの姿が変わっていく。まるで人形のように美しい、あの姿は──

 息が出来ない。目の前が暗くなって……何も見えなくなっていく。


「シェリル様!」


 イルゼさんの声が聞こえる。でもそれが、現実なのか夢なのか。わたしにはもう分からなかった。


 


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