第9話『アラヤ様、守られる』
ある種宣戦布告ともとれる問いかけに、オフィリアは胸を張って答えた。
「ええ。この私のお墨付きですもの」
「確かに。君は魔法戦でなら学内随一の腕前だからね。それはこの僕のお墨付きだ」
伝統派の生徒たちの間から、忍び笑いが漏れる。
まだ癒えていない傷を抉られ、オフィリアは耳が真っ赤になった。
しかし、声には出さず毅然と言い返す。
「なら、わざわざお越しにならなくてもよろしかったのでは? 貴方の副学院長も、彼の実力は認めておりますのよ?」
「それはそれさ。この学院の生徒代表として、学院の伝統を貶めるような生徒の入学は歓迎できないからね。……ああ、別に特定の誰かのことを言っているわけではないよ、念のため。ただの一般論さ」
遠回しに、貴族以外の生徒を揶揄するような発言をするローレン。
伝統派の生徒たちから、さらに大きな笑い声が上がった。
舞台へ降りる座席横の階段を降りながら、ローレンはじっくりとアラヤを見る。
さすがに、浮浪児のようなボロは着ていない。
真新しいシャツとスラックス。
長い黒髪には香油を塗り、後頭部でポニーテール風にまとめている。
遠目にもその整った目鼻立ちが際立つよう、顔には軽い化粧が施されていた。
まるで良家の執事見習いのような出で立ちに、ローレンは小さくうなずいた。
「見た目は悪くない。僕の召使いにしてあげてもいいくらいだ」
「してあげてもいい? 気に入った相手には、誰彼構わずそうして粉をかけていらっしゃいますの? なんて節操のない。見た目通りの色男ぶりですわね」
「ただの社交辞令だよ。まあ美しいものに目がないのは事実なんだが、革新派の子は何でも言葉通りに捉えるんだね。もう少し余裕を持って、会話を楽しむという心構えを持ってみてもいいんじゃないか?」
「あら、ご忠告痛み入りますわ。伝統派の方たちはいつもお芝居でもしているようですものね。仮面をかぶって上っ面の会話ばかりして」
愛想笑いとともに飛び交う痛烈な皮肉の応酬。
ローレンはいかにも心外だとばかり肩をすくめる。
「困るな。そういちいち突っかかってこられると。僕は普通に話がしたいだけなんだけどね」
「貴方が人の義弟を召使い呼ばわりするような無作法を謹んでいただければ、すぐにでも実現できますわよ?」
(おい。いつから弟になった)
昨日の今日で、もう養子縁組の手続きを終わらせたのだろうか。
本人の署名どころか、同意すらしていないはずなのに。
やはり金の力か。
最前列まで降りてきたローレンは、軽やかに舞台へ飛び乗った。
「……いけないな。誇り高き『九大名家』同士、つまらない遺恨は早めに解消しておかなければ」
「ならどうしますの?」
「雪辱戦の機会を設けよう。もちろん魔法戦だ」
「いいですわね。日時はどうなさいますの?」
「今日。今ここで」
「乗りますわ」
どっと観客が沸き立った。
歓迎パーティでの小競り合いとは違う。
大舞台を戦場にした、本気の魔法戦が見物できるのだ。
素早く杖を抜き放ち、構えるオフィリア。
「アラヤさん、下がっていてくださいな。一瞬で終わらせますから」
「勇ましいことだね。でも――手、震えているよ?」
「お黙りなさい!」
オフィリアはヒステリックに叫んだ。
二ヶ月前の屈辱を晴らす、またとない機会。
だが、ここで負ければ、今度こそ序列は確定してしまう。
今、オフィリアの双肩には、ベルジュラック家四百年の歴史がかかっていると言っても過言ではなかった。
緊張のあまり腕はこわばり、顔から血の気が引いている。
とても戦いに臨むコンディションではない。
その様子を見て取り、ローレンはふっと微笑んだ。
「先手は君に譲るよ。それをもって開始の合図としよう」
「い、いいんですの? そんな余裕をかましていて」
「ああ。せっかくだから宣言しておこうか。僕は君を完膚なきまでに敗北させる、と」
「その言葉、忘れないことです」
沈黙が続いたのは、数秒か。あるいは数分か。
呼吸すらためらわれるような、痛いほどの静寂。
不意に、客席のどこかで誰かが小さく咳払いをした。
「『火炎の嚆矢』!!」
「『強襲え、氷禽の嘴』」
ほとんど同時に両者の魔法が激突する。
片や呼気を焼く業火球。
片や大気をも凍らせる氷の槍。
自然現象としての相性関係なら、無論前者に分がある対決だ。
しかし、魔法で生み出した現象であるなら、必ずしも物理法則に従いはしない。
炸裂。
蒸発した氷が水蒸気となり、舞台を白い煙で覆い隠す。
しかし、生き残ったのは氷の槍。
大人一人分ほどもある剛槍が、オフィリア目掛けて殺到する。
「あっ――――」
もはや回避も防御も間に合わない必殺の間合い。
失意。恐怖。絶望。
全てがないまぜになった表情のまま、オフィリアはただ呆然とその場に立ち尽くし――。
ガキンッ!!
硬質な衝突音が響き渡る。
己の死を確信していたオフィリアが、恐る恐る目を開けると、
「あ、アラヤさん……!? どうして……」
黄金の盾を片手に、彼女を守護する聖者の姿がそこにあった。
見る者に言い知れぬ重圧を与える盾だ。
大きさは直径一メートル。厚さ十センチ。
見た目同様に金で作られていたなら、まず人間が扱える代物ではない。
表面には、太陽と女神を象った荘厳な紋様。
長大な氷の槍を受け止めたにも関わらず、一切の傷も歪みもなし。
アラヤはオフィリアの言葉には応えず、構えを解いて身体を起こす。
わずかな所作だったが、見た者すべてに、彼が身につけた武術の練度を感じ取らせた。
ローレンは感嘆したようにため息を漏らす。
「素晴らしい盾だ。金で作られているとはとても思えない……まるで鋼鉄。いや、『防衛』という概念が付与されているね? しかもそれを無詠唱で……一体どれほどの修練を積めばその領域に達するのか、想像もつかないよ」
「ほんの二、三年といったところですよ。あいにく、そのほかはからっきしなもので」
「本当かな?」
好戦的な笑みを浮かべ、ローレンが右手を掲げる。
先の剛槍よりは細く短い。
だが、数にして数十もの氷の槍が出現した。
「『降り頻れ、凍える豪雨』
驟雨のごとき刺突の雨。
一本一本が、肉を裂き骨をも断ち割る魔法の槍だ。
だが、どれ一つとして標的には届かない。
それらを阻むのは、床から伸びる黄金の宝槍。
互い違いに林立した槍の壁が、襲来する氷柱の群れを全て叩き落としたのだ。
ヒュウ、と楽しげにローレンは口笛を吹く。
「また無詠唱か……だが盾は使わないのかい?」
「これで十分かと思いまして」
「はは、言ってくれる――!」
ローレンの足元から、純白の霜が走り、舞台を覆っていく。
アラヤが創出した宝槍もまた、穂先まで凍結させられてしまった。
「オフィリアさん、失礼します!」
「『穿通て、氷原の樹海!』」
靴まで凍らされる前に、アラヤはオフィリアを抱えて床を蹴った。
直後、彼が立っていた場所から氷の大樹が一気に伸びた。
それも、一本ではない。
四方八方から、アラヤを取り囲むように氷樹が生え揃う。
二人の姿が完全に見えなくなったところで、
「爆ぜろ」
爆砕。
長さ五メートルはある氷の木が、破片を撒き散らしながら自壊したのだ。
当然、それらは客席や舞台袖にまで飛んでいくが、誰も傷つけることなく霧散した。
舞台上は、微細な氷の粒子で満たされ、見えなくなってしまう。
「アラヤ!」
思わず、袖から少年の名を叫ぶキアナ。
この一連の攻防だけで分かる。
ローレンは、学生のレベルを遥かに超越した戦闘巧者だ。
点の攻撃を盾で防がれたなら、次は面の攻撃を。
それをしのいだ槍の壁を攻略する、氷樹爆破による全方位攻撃。
複数の攻撃魔法を操るだけでなく、それらを状況に応じて的確に使い分けている。
さすがのアラヤも、無事では済まなかったのでは。
危機感にはやる胸をぎゅっと抑えながら、キアナは氷の霧が晴れるのを待った。
「……おいおい、それは反則だろう」
呆れたように目を細めるローレン。
彼の視線の先には、舞台中央に鎮座する黄金の球体がある。
その表面には、太陽と女神をモチーフにした神秘的な紋様。
蓮華の花が開くように、球が八方に裂け割れる。
中から現れたのは、オフィリアを抱きかかえたアラヤだった。
圧倒的な実力を見せつけてなお、彼に浮き足立った様子はない。
それどころか、怒りに駆られているようでさえあった。
「理解できません。戦場でもなければ仇でもない相手に、このような度を越した暴力を振るうなど。しかも楽しむように。まったく度し難い」
一語一語、噛みしめるように言葉を紡ぐアラヤ。
その口調の端々に、にじみ出るような怒気をはらんでいる。
「で、ですが……これは私がお受けした勝負ですのよ? こんな横やりを入れられては、私の面目というものが……」
自分でも、無理のある物言いだと理解しているのだろう。
苦渋の面持ちを浮かべ、アラヤから目をそらしてオフィリアはつぶやく。
それに対し、アラヤはわずかに表情を柔らかくした。
「無粋は承知の上です。しかし、それでもあなたをお救いしたかったんです。どうかお許しを、オフィリアさん」