第5話『アラヤ様、試されるー下』
目にも留まらぬ速攻。
事実、キアナはテオドラの動きに反応することさえできなかった。
空を裂く横薙ぎの一撃。
胴体を狙った回避の難しい攻撃だったが、これをアラヤは難なくバックステップで回避。
棒の先端が服をかすめるような、ギリギリの間合いだ。
そこから、顔面への猛烈な連続突き。
一発、二発、三発。
だが、全て体捌きと、軽く首を反らすだけでかわされてしまう。
「この、ちょこまかと――!」
業を煮やしたのか、テオドラは大振りな袈裟殴りを打ち放つ。
次の瞬間、彼女の身体は宙を舞っていた。
「なっ……!」
その場にいた全員が息を呑む。
瞬時に懐に滑り込んだアラヤが、足払いを仕掛けたのだ。
挑発し、大技を誘ってからの搦め手。
柔よく剛を制すを地で行くような、鮮やかな戦法である。
「ふんっ!」
しかし、敵もさる者。
半回転して背中から落下するところを、自ら身体を丸めて一回転。
その勢いのまま、全体重を乗せた踵落としを見舞ったのだ。
「むっ!」
とっさにアラヤは顔の前で両腕を交差させる。
衝撃。
ズドンッ!! と、肉弾戦とは思えない大音響が演習場を揺さぶる。
アラヤの踏ん張った両足を起点に、床に放射状の亀裂が走った。
並みの使い手なら、防ごうとした両腕ごと頭蓋を砕かれているだろう。
さしものアラヤも、これにはかなり堪えた様子だ。
(……この人たち、本当に人間?)
多少の手ほどきを受ければ、子どもでも数十キロの重石を上げることはできる。
それくらい、魔力を用いた身体強化は初歩的な魔法だ。
だが、目の前で繰り広げられている光景は、キアナの常識を遥かに上回っていた。
「ハッ! なかなかやるじゃねえか坊や! だが勝負はここからだ!」
軸足で素早く跳躍し、アラヤと距離をとるテオドラ。
だが、蹴り足に体重をかけた途端、ガクンと体勢が崩れてしまう。
「はっ……?」
何が起こったのか、すぐには理解できないようだった。
愕然とした目つきで、自らの右脚を見つめるテオドラ。
なんと、彼女の足首は、つま先が完全に背中の方を向いてしまっていた。
「申し訳ありません、外す余裕がなくて。ですが、筋は傷つけていませんから、あなたなら一ヶ月ほどで完治するでしょう」
己の至らなさを恥じるように目をつぶるアラヤ。
だが、テオドラを含めた外野は唖然とするばかりだった。
「そ、んな……壊されたのか? この私が……」
「テオドラ先生、あなたはとても強い。イスラにも、あなたほどの戦士はそういなかった。そしてこの学院の誰もがあなたの強さを認めている。あなた自身も。それが敗因です」
「……どういうことだ」
「私を格下と見下し、孤児と侮ったあなたは、あの程度の挑発にあっさりと乗ってしまった。よくいえば気位が高く、悪く言えば余裕がない。自らの実力に絶対の信頼を置くあまり、それを疑う者が我慢ならない」
「っ……!」
「気位が高いのは結構。自分を大切にしている証拠です。しかし、強さ以外でも自分を好きになれるようになりなさい。そうすれば、多少の挑発では揺るがない、強い心を手に入れることができます」
足元に転がっていた八角棒を、丁寧に両手で拾い上げるアラヤ。
そして、ひざまずくテオドラの前にそっと置いた。
「一応、お返ししておきます。……そういえば、試験の結果はどうなるのでしょう?」
「テオドラ先生!? まさか、これだけ見事に負けておいてゴネたりはしませんわよね!?」
「……私も戦士の端くれだ。そんな恥を晒すつもりはない。もちろん合格だ」
「ありがとうございます!」
やった、とキアナは軽く飛び跳ね、すぐに眉をしかめた。
(いや、何で私が喜ぶわけ? 意味分かんない)
苦虫を噛み潰したような顔のギュンターに、オフィリアが追い打ちをかける。
「あら副長先生、どうなさいました? また一人、この学院に才能あふれる生徒が増えたんですのよ。何か気に食わないことでも?」
「……何もない。試験が終わったのなら、私は帰らせてもらう」
さすがに、この期に及んでちゃぶ台返しをする気はないようだ。
しゃがみこんだままのテオドラに、ギュンターは刺すような一瞥を浴びせる。
「テオドラ君。君は来月の親睦会には来なくていい。来季も、これからもだ」
「……承知しました。今までお世話になりました、ギュンター副長」
「正直失望したよ。私は君の腕っぷしだけは買っていたのだがね」
うなだれるテオドラに痛烈な皮肉を投げかけ、ギュンターは他の教師たちとともに演習場を出ていった。
去り際、ギュンターとアラヤの視線が交差する。
「……薄気味悪い餓鬼が」
そんな捨て台詞に、アラヤはただ微笑を持って応えた。
◆
「……この借りは必ず返すからな。覚えておけ」
「はい、よく覚えておきます」
「くっ……! 馬鹿にしやがって……!」
デジャヴを感じるやり取りの後、テオドラはリーシアとアニェーゼに肩を借りて出ていった。
満を持してとばかり、オフィリアがよく通る声を響かせる。
「それではアラヤさん、貴方は晴れて我が学院の生徒となったわけですが、住まいはどちらがお好みかしら? 貴族用の学生寮か、それとも私の邸宅がよろしいでしょうか?」
「え? いや、私はどこでも。何なら野宿でも構いませんよ」
「私が構いますわそんなことは」
早速入学後の話を始めた二人の間に、キアナは割って入った。
「その話なんだけど……」
「何かしら、キアナさん? もう貴女に用はありませんから、授業に戻っていただいて結構ですのよ?」
「申し訳ないけど、私もあなたなんかに用はありません。あるのはそっちよ」
水を向けられたアラヤが、目をしばたかせる。
「私ですか?」
「そう。アンタにお願いがあって……」
言いかけたところで、邪魔が入った。
『おい、テオドラ先生が負けたってマジかよ!?』
『またあのガキだろ!? 何者なんだよあいつ!』
「……場所を変えたいのだけど」
「その方が良さそうですわね」
オフィリアはバフっと扇を広げた。
◆
所変わって、アラヤとキアナとオフィリアは庭園の一角にあるベンチに腰掛けていた。
最初に口火を切ったのはアラヤだった。
「キアナさんは、私にお願いがあるとのことでしたが」
「そう。そのことなんだけど……」
いざとなると、言いよどんでしまうキアナ。
魔法も武術も超一流のアラヤとの間に縁ができたのは、凡人たる自分に、唯一与えられた幸運なのだろう。
これを逃せば次はない。
強迫観念じみた緊張感が、彼女の舌を鈍らせる。
だが、ついに言った。
「アラヤ、あなたには私の師匠になってほしいの」
「師匠、ですか」
さすがに予想外だったのか、考え込むように顎に手をやるアラヤ。
やはり、オフィリアが食って掛かってきた。
「貴女突然何を言い出すのです! 私はアラヤさんの推薦者! いわば後見人ですのよ! そんな勝手は許しません! 私、アラヤさんの衣食住のお世話もさせていただくつもりですが、平民の貴女にそんな甲斐性がありまして!?」
「うっ……」
痛いところを突かれ、キアナはうめき声を漏らす。
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
キアナの真っ直ぐな眼差しが、アラヤを見つめた。
「でも、アンタ言ったでしょ。さっきテラスで――私の夢を応援するって」
「!」
「上等な服も、美味しいご飯も、広い部屋も柔らかいベッドもないけど――その代わり、いつか私は最強の魔法使いになってみせる。アンタが言ったことは何でもする。絶対に弱音なんか吐かないし、文句も言わない。だからお願い。私に魔法を教えて」
「……一応、理由をお聞きしても?」
「帝国に復讐したいから」
強い決意を秘めた言葉。
彼女の脳裏に去来するのは、おぼろげな過去の出来事。
燃え盛る街。倒れ伏す人々。
母親の亡骸の前に立つ、異形の人影。
珍しい話ではない。
クラリオン王国に隣接する大帝国レムリアは、いくつもの小国や少数民族を、武力に任せて侵略していた。
ふつふつと湧き上がる怒りをこらえ、キアナは深々と頭を下げる。
こんなに真剣に何かを頼み込むのは、生まれて初めてのことだった。
数秒の沈黙。
やがて、アラヤは口を開いた。
「……私は人を導く器ではありません」
「……!」
「ですが、一度口にしたことを翻すのは主義に反します。キアナさん、あなたの夢を応援させてください」
「……! はい!」
「なっ……!」
「オフィリアさん、大変魅力的な申し出でしたが、お断りさせていただきます。この通り、私はキアナさんの師匠を務めることになりましたもので」
口をパクパクと開閉させ、絶句するオフィリア。
まさか断られるとは夢にも思っていなかったのだろう。
慌ててものすごい勢いで喋り始めた。
「わっ、私のお家に住んでいただけるなら、選りすぐりの召使いを十人つけますわ! 食事は何でもお好みのものを出させますし、お小遣いは月に四十万リオン差し上げます!」
ちなみに、庶民の一ヶ月分の生活費が九万リオンである。
食費すらカツカツに削っているキアナからすれば、涎が出るような金額だった。
しかし、アラヤは困ったように首を振った。
「自分のことは自分でできますし、食事はパンと水だけで結構です。自分のお金は自分で稼ぎますよ」
「ううう……! 何故です!? 何故この私の提案を蹴ってまで、キアナさんのお家に住みたいなどと……!」
(あれ、私そこまで言ったっけ?)
「いやだって、オフィリアさんはキアナさんをいじめていたではないですか。そんな人のご厄介になるのは気が咎めます」
「はぐっ!」
ド正論だった。
オフィリアは歯ぎしりしながらも、きっとアラヤを睨みつけた。
「そんな……な、なら貴方の推薦は取り消しますわ!」
「そうすると、私にコテンパンに負けたのを誤魔化せなくなりますが」
「はぐうっ!」
(あ、ちゃんとそのへんは把握してたのね)
のほほんとしているようで、察しは悪くないようだ。
ついに地面に崩れ落ちたオフィリアは、ガクガクと震えながら立ち上がった。
「し、仕方ありませんわ……今回は私が引くことにします。ですがキアナさん! もしアラヤさんを少しでも不自由させていると知ったら、すぐにお迎えに上がりますからね!」
「ああ、そのことなんだけど――お金だけ援助してくれない?」
「ふざけないでくださいましっ!」
ダメ元で言ってみたら、案の定キレられた。
オフィリアは青筋を立てながら、荒々しく校舎の方へ去っていく。
と、途中で振り返ると、
「――言っておきますけど、アラヤさんは貴女のような凡人とは釣り合いませんわ」
「……そのくらい分かってる」
「どうだか。――人は竜とは暮らせませんのよ。遠くから眺めて憧れるくらいが、ちょうどよい身の振り方というものです」
いつになく真剣な調子で言い残し、オフィリアは今度こそ植え込みの奥へ消えていった。