33話『偽神調伏』
――それはまるで、月下に舞う二振りの剣のようだった。
唸りを上げて、白き牙が月闇を裂く。
先のような全身を使った全力の投擲ではなく、腕だけで投じた牽制の一投の連続。
言うまでもなく、狙いは全て正確そのもの。
塔と塔の間。屋根の上を駆け巡る超高機動戦にも関わらず、一つとして無駄に終わる一撃はない。
速度・力・技量ともに、人の領域を超えている。
だが、その猛攻を凌ぐアラヤもまた魔人の類。
「……はは。なんて動きだ。彼を好敵手だと公言していた自分が恥ずかしいよ。羽蟻が隼に憧れていたようなものだね。僕には彼との次元の違いすら認識できなかったわけだ。左腕一本で、あそこまで凌ぐなんてね」
「え?」
「気が付かなかったかい? アラヤ君の右腕、まったく力が入っていない。外傷がないところをみると、あの女性の魔法によるもの。恐らくは概念武装だろう」
閂ごと白釘を打ち込まれ、封鎖された城門のそば。
一段低くなった植え込みの陰からアラヤたちの戦いを見ていたローレンが、自嘲げに苦笑する。
ローレンという人間の澱み――心の奥底から溢れ出した、深い絶望を目の当たりにしたような気がして、キアナは思わず彼の表情を覗き見た。
けれど、そこには思っていたような嫉妬や憎しみの念はない。
すでに見切りをつけたような、どこか晴れやかな面持ちでローレンは微笑んでいた。
キアナの視線に気づくと、ローレンの口元が悪戯っぽく吊り上がる。
「気遣ってくれているのかい? 生憎だけど、僕はこの類の挫折には慣れている。魔法の世界はそういうものだ。深堀りすればするほど、自分がいかに浅いかを思い知らされる。だからこそ極め甲斐があるというものさ」
けれど、とローレンはアラヤを見上げながらつぶやく。
「何かを極めるには、何かを捨てる必要がある。たとえ何でも天から授かったように見える天才だとしても――さて、彼は一体、何を犠牲にしてあの力を手に入れたんだろうね?」
キアナは忘れかけていた疑問を思い出す。
ヘルムートと同じく、彼女はアラヤに隠れて彼の来歴を調べていた。
聖者アラヤ。本名アラヤ・イスラ。
王宮を追放された後、紆余曲折を経て白翼教を立ち上げ、没したとされる年齢は七十五歳。
衆生救済を祈願し、はるか西方の地にて御堂に籠もったのが、アラヤに関する最後の記録だ。
地面に届くほど長い白い髭。その肢体は病人のように痩せ細り、一歩として自分の脚で歩くことさえ敵わなかった――と、当時の書物には記載されていたはず。
なのに、現代に蘇った彼は紅顔の美少年そのもの。
そして、若返ったことに違和感を覚えている様子もない。
一体、これはどういうことなのか。
「どの口が博愛など語るのでありますか!? 父王ダルマを殺し! 忠臣ルドラを殺し! 数万数十万の異民族を殺してきた貴方が! 何を今さら白々しい!」
空中から連続で白釘を撃ち放つヘルムート。
都合七発、跳梁する雷霆が、狂笑とともにアラヤを打ち据える。
「ぐうっ……!」
三発目までは、フットワークと身の捩りで回避。
だが、四発目以降は盾による薙ぎ払いを余儀なくされる。
一撃一撃が、着弾の衝撃だけで臓腑をも殴りつけるような大威力。
先に限界がきたのは、胴体ではなく関節の方だった。
バキ、と木の枝を折るような音を上げ、アラヤの左腕が肘からへし折れる。
「ッ――!」
開いた体。たたらを踏む脚。
もはや回避など望むべくもなく。
神罰の雷が、容赦なくアラヤの肉体を穿ち抜いた。
◆
古城の屋根から、アラヤが一直線に地上へ激突する。
苔むした東屋を打ち崩し、その華奢な身体がキアナたちの隠れていた植え込みの方まで転がってきた。
「アラヤっ!」
とっさに飛び出していこうとしたキアナの肩を、ローレンが掴む。
鬼気迫る形相で振り向いたキアナだったが、彼の瞳に宿る執念に気圧される。
「離れよう。戦闘の余波で、外壁が崩れているかもしれない。そこから外に出る」
「何言ってるの? アラヤを置いていく気?」
「君くらいは守らせてくれ。頼む」
消耗のためか、目の下に濃い隈を作ったローレンが、絞り出すように告げる。
目の前で、かつての恩人を喪ったことを引きずっているのだろう。
だが、これ以上誰も死なせたくないという彼の思いは、アラヤのそれと一致していた。
二度の魔法使用によって、キアナはある程度コツを掴みつつあった。
心臓の停止は、発動に際しての必須条件ではない。
胸を貫かれるほど強い痛みを脳に与えることこそが、黒いオーラを起動する鍵なのだ。
しかし、能動的に発動するためには、やはり自決をしなければ心もとない。
また感情に駆られ、勝てもしない相手に挑めば、アラヤに受けた教えに泥をかけることになる。
一瞬の逡巡の後――キアナは断腸の思いで首を縦に振る。
(大丈夫。きっとあいつなら、何か奥の手くらい用意してるはず。あんな女に負けるわけない)
今のキアナにできることといえば、そう盲目に信じることだけだった。
だが、二三歩歩いただけで、ローレンが膝から崩れ落ちてしまう。
「ちょっ……!?」
もともと、絶対安静の状態で動いたツケが回ってきたのだろう。
見れば、彼の額には大粒の汗が浮かび、目の焦点がどこにも合っていない。
なんとか肩を貸し、立ち上がろうとさせるが、もはやほとんど意識がないのだろう。
八十キロ近い彼の身体を動かすことさえ、キアナには敵わなかった。
そして、物音が予想以上に響いていたのだろう。
高さ十五メートル近いところから、軽やかに着地したヘルムートが、無造作に白釘を投じた。
物陰にいたにも関わらず、正確にキアナの頭部を射抜く軌道。
しかし、キアナはそのことに気づきもせず、必死にローレンを担ごうともがいていた。
「…………えっ?」
だから、何が起こったのかを察したのは、全てが決定的になってからだった。
肉を穿つ鈍い音。何かが植え込みにぶつかり、激しく揺れる音。
右胸と腹を、それぞれ一箇所ずつ白釘に射抜かれた、アラヤの身体が、キアナの視界に飛び込んでくる。
「まだ動くのでありますか。つくづく往生際の悪いことであります。愚にもつかない悟りを開き、口先だけの理想を広め――それが一体何になると? それで己の罪を拭えるとでも? まったく救いがたい」
さして疲労した様子もなく、ヘルムートがアラヤたちの方へ歩み寄ってくる。
彼女の体躯に一切の弛緩は見られない。
だが、その手に白釘は握られていない。
悪意に満ちた言語でもって、アラヤを心身ともに打ち砕こうとしているのだ。
それこそが、彼女の使命であるとでも信じているかのように。
「罪人は罪人。一度でも穢れた魂は、幾度の転生を繰り返したとて、その汚濁を祓うことなど能わず。罪を犯す前に信仰を知り、十数年を崇高なる教義に捧げてきたこの私に、貴方のような穢らわしい殺人鬼が敵う道理など、元よりありはしなかったのであります」
陶酔しきったように目を細め、自らの潔白を語る狂信者。
それまで殺してきた者たちへの悔悟など、芥子粒ほどもあろうはずがない。
「ですが、私も救世の徒の端くれ。もはや救えぬ魂とあらば、たとえ異教の輩であろうとも、偉大なる神の御許へ還して差し上げるのもやぶさかではないのであります」
ヘルムートの左手に、一本の槍が召喚される。
それを見た瞬間、キアナは背中に氷柱を差し込まれたような寒気に襲われた。
二メートルを超える長物。
研ぎ澄まされた切っ先。
純白の柄は神具のようでありながら、銀色の穂先はどこまでも実用的な殺意を帯びている。
単なる飾りではなく、紛れもなく数多の人命を屠ってきたのだと確信させるような怖気。
清冽と狂気の同居。
それはまさしく、ヘルムートの在り方を象徴したような武装だった。
「――貴方の理想は誰も救えない。自らの罪悪から逃れるために見出した救いなど、同類の弱者にしか響かない。偽りの神よ、真なる信仰をもって、その罪を雪ぎましょう」
そして、ヘルムートは一筋の雷光となった。
残像すら霞むほどの疾走。
腰だめに構えた聖槍が、神をも穿てとばかり突き出される。
「『終天・誰が為の盾』……!」
残った力を振り絞って、アラヤが最強の護りを解き放つ。
あらゆる害悪を拒絶する黄金。
背にしたキアナたちを守ろうとする彼の意思が、何物をも通さぬ防衛概念を具現化する。
だが――その理想さえも白槍は突き砕いた。
磔の釘に見立てた白釘を三度命中させることで、四肢を拘束。
その状態でのみ発動が可能となるこの概念武装は――あらゆる防御を貫通する。
「『恩寵を謳え、神伐の愴』――!」
聖歌のごとき歓喜に震えた詠唱。
異端を処刑する悦びに蕩ける脳髄。
狙い過たずに、槍はアラヤの心臓を刺し貫いた。




