29話『伏魔殿』
『――では、皆の今後の繁栄を祈って』
アラヤの腕輪から、ギュンターが乾杯の音頭を取る声が聞こえてくる。
キアナは岩に背中を預けながら、その音にじっと耳を傾けていた。
親睦会の会場は、王都の東にある古城だ。
何の目印もなく、月明かりに頼るほかない荒野を、何キロも行かなければたどり着けない場所。
また参加者でさえ、全員が開催地を知らされるわけではないため、知っている者に同行することは必須。
限られた情報を掴むことに成功しても、出発は日中なので尾行は難しい。
夜になってから潜入しようとすれば、すぐに見張りに気づかれてしまう。
馬は夜目が利くが、御者はどうしても地図を読むための光源が必要だ。
そもそも、古城が打ち捨てられたのは数百年の昔。
現行の地図には記載すらされていない秘境である。
そんな場所に、急ごしらえの地図だけで到達するのが、まず困難だ。
慎重を期したギュンターの隠蔽工作は万全だった。
ローレンでさえ、アラヤたちの帯同は不可能と諦めていたほどである。
ではどのようにして、アラヤは古城の付近までやって来たのか。
単純な話、暗くなってから馬の足跡を追跡してきたのである。
とはいえ、王都の東門は毎日膨大な数の人馬が通過するため、街道はデコボコだらけだ。
だが、先日降った雨のおかげで、新しい足跡は比較的、見分けやすくなっていた。
それに加え、ローレンが馬の世話係を買収し、通常とは異なる形状の蹄鉄――馬の蹄を保護するための金属製の馬具――を馬につけさせたのだ。
目星となる足跡が区別できるようにするためだったが、アラヤ曰く、
『蹄の形は一頭一頭違うので、一度見れば分かりますよ』
無論、キアナにはさっぱりだった。
今、彼女たちがいるのは、古城から百メートルほど離れた岩の陰だ。
ローレンの腕輪から届く音声を拾える、ギリギリの距離である。
『そうですか。西方の攻略は順調。それは結構なことで――』
『グラニエ公国の件、お聞きになりましたか? 反体制派が蜂起したとかで――』
とはいえ、一言一句を聞き取ったところで、大半が関係のない話ばかり。
また、王都内の世間話も多く、あまり実のある内容とは言い難い。
おまけに、時刻は夜の零時をとうに回り、そろそろ夜が明けようかという頃合い。
抗いがたい眠気と格闘していたキアナだったが、不意に耳に入った声で我に返った。
『――挨拶が遅れて申し訳ありません。ギュンター先生、本日はお招きいただき、ありがとうございました』
『ああ。何、気にするな。私とお前の仲じゃないか』
ローレンとギュンターだった。
かたわらのアラヤも、身を固くしたのが伝わってくる。
キアナは固唾を呑んで会話が進むのを待った。
いくつか他愛もない話をした後、ついにローレンが切り込んだ。
『それにしても、ずいぶんな御歴々《おれきれき》がお揃いですね。ワルド商会の会長に、商業連合の幹部の方たち、元老院の議員までいらっしゃるとは。驚きました。てっきり、学院内の情報交換が主と思っていたもので』
『それは一部に過ぎん。お前もここで繋がりを作っておけ。卒業後、必ずお前を手助けしてくれるだろう』
『心得ています。しかし、これは良いワインですね。王都では見ない銘柄ですが……?』
『それは帝国産だ。私の伝手で仕入れたものでな。平民どもに流しているような粗悪品とは訳が違う。ここでしか飲めない上物だ。よく味わっておくといい』
『感謝します』
キアナは無言でぐっと拳を握り込む。
アラヤも、心なしか口元の笑みが深くなっていた。
さりげない流れで、ローレンが重大な手がかりを得ることに成功したのだ。
上質な酒が、ギュンターの口の滑りをよくしたのだろう。
親睦会の参加者だけでなく、ギュンターとワルド商会の関係性を示唆する言質までとることができた。
あとは、アラヤが全速力で王都まで戻り、オフィリアが用意した、革新派の実行部隊や憲兵たちを連れてこれば、ほぼこちらの勝ちだ。
これで、秘密の会合を暴き、そこで繰り広げられていた密談を、伝統派であるローレンが告発するという流れが作れた。
敵対するオフィリアならばともかく、ギュンターからの信頼も厚いローレンによる証言ならば、第三者からも信憑性の高いものとして受け取られるだろう。
キアナと頷き合い、アラヤが腰を浮かせたときだった。
『そういえば――良い腕輪をしているな。ローレン』
底冷えするようなギュンターの声を最後に、音声が途絶えた。
ローレンたちの話し声はもちろん、雑音として入っていた周囲のざわめきもだ。
腕輪そのものが機能を停止した、と考えるのが妥当だろう。
そして、持ち主であるローレンの身に何かが起きたのだ。
キアナがそう確信したときには、すでにアラヤは動いていた。
「失礼します……!」
「わっ!」
キアナの腰を片手で抱え上げ、アラヤが風のごとく走り出した。
数秒と経たずに城の外壁まで来ると、助走の勢いのままに跳躍。
途中、積み上げられた石材の隙間に足をかけ、さらに上昇速度を増すと、十メートルの壁を苦もなく乗り越えた。
開け放たれた大扉から漏れる照明によって、中庭の朽ち果てた像やベンチが黒々と浮かび上がっている。
羽根のように地面に降り立ったアラヤは、一直線に城の中を目指した。
「な、なんだお前ら……!」
「止まれ!」
止めようとした二人の門番をすり抜け、アラヤはキアナを抱えたままホールに突入した。
所々、欠け割れた石の床は掃き清められており、古びた外観に見合わぬ清潔さを維持している。
正面にそびえる大階段を駆け上がり、、アラヤは目の前にある大広間へ続く扉をくぐった。
中はまさに大混乱の様相を呈していた。
床に飛び散った料理や皿の破片。泣き叫ぶ貴婦人。青ざめた顔の紳士。
その中心には、血溜まりの中でうずくまるローレンと、傲然と立ち尽くすギュンターの姿があった。
「ローレンさん!」
「すまない、アラヤ君。しくじった」
「今から治します。手をどけてください」
キアナを下ろし、素早くアラヤはローレンのもとへ駆け寄った。
腹を刺されたのだろう。
きつく抑えている手の下で、夜会用のシャツに鮮血がにじんでいた。
傷口を凍らせ、強引な止血を試みた形跡がある。
だが、内部の損傷はどうしようもないのか、ひどく弱々しい声色でローレンはつぶやいた。
「いい。血を流しすぎた。もう魔法は使えない。僕には構うな」
「問題ありません」
ローレンを無視し、アラヤは回復魔法をかけた。
神聖な緑色のオーラが二人を包む。
見る間に惨い傷が塞がり、ローレンの身体から力が抜けていった。
と、ギュンターがおもむろに口を開いた。
「貴様、なぜここに居る」
「失礼ですが、ギュンターさん。今はあなたとお話しできません。これから血管や神経をつなぐ大事な工程がありますから」
外道ながら、彼なりにローレンのことを信頼していたのだろう。
怒りもあらわにギュンターは口ひげを震わせる。
「その若造は私を裏切りおった。あれほど目をかけてやったというのに、なんという恩知らずだ。絶対に許さん。一族郎党諸共、敗戦奴隷より惨めな境遇に叩き込んでやる。
貴様もだ、アラヤ・ベルマン! いつまでも私の目の前をチョロチョロと羽虫のように飛び回りおって。死に損ないのベルジュラックの小娘と一緒に、地獄に送ってやるぞ!」
だが、アラヤはまるで取り合わなかった。
ギュンターの方など見向きもせずに、粛々と治療に専念している。
ギュンターはこめかみに血管を浮き立たせ、手のひらをアラヤへかざした。
すると、アラヤの背後に、灰色のオーラで構成された甲冑騎士が出現する。
「っ――!」
まるで、影が立ち上がったかのような気配のなさ。
暗殺上等。
真っ向勝負など、最初からする気のない、ギュンターの性分を表したような魔法だ。
百戦錬磨のローレンも、この不意打ちによって、戦わずして敗れたのだろう。
キアナが警告を発する前に、騎士は両手に構えた長剣を、躊躇なく振り下ろした。
しかし、
「……発想は悪くありませんが、基本がなっていませんね。魔力の具現化も遅すぎます。鍛錬不足では?」
長剣を掌底で受け止めながら、アラヤが淡々と講評を述べた。
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