25話『殺意切迫』
深夜。
使用人たちも寝静まったベルジュラック邸。
その二階にある一室に、小さな明かりが灯っていた。
オフィリアの部屋だ。
学院の教室が二部屋は収まるほどの大部屋に、赤を基調とした調度類が品よく配置されている。
目にした色が人間の心にもたらす影響は小さくない。
赤い家具や壁紙は、食欲を増進させ、人を活発にさせる働きがある。
反面、集中して何かに取り組むための部屋に、そういったインテリアは相性が悪いのだが、オフィリアはお構いなしだった。
机に並べた大小様々な紙切れを見つめながら、オフィリアは小一時間考え続けていた。
この三週間、部屋中を羊皮紙まみれにしてまで、様々な書類を調べていたのは、何も暇つぶしのためではない。
彼女が見ているのは、ワルド商会の酒類関係の出納帳だった。
それも、金銭のやり取りまでが記録された正式なものではなく、倉庫で働く人夫たちのまとめ役が、出した酒の数や種類を乱雑に書きなぐったメモ書きだ。
最初は帳簿に施された改ざんの痕跡を探ろうと思っていたオフィリアだったが、開始一週間で見切りをつけ、方針転換を図っていた。
モノを売買して利益を出している商会にとって、商品の仕入先は、商売敵に知られれば致命傷になりかねない、重要な企業秘密だ。
オフィリアが持つ伝手の力では、そういった深い情報が記された帳簿を入手できなかったのだ。
代わりに、もう少し重要度の下がる卸先との取引帳簿を手当り次第に洗ったのだが、今度は数が多すぎてキリがなかった。
どの道、帝国との関係を匂わせるような帳簿など、真っ先にギュンターが処分していることだろう。
よって、オフィリアはギュンターの目が届かないような部分にまで、手を広げることにしたのだ。
しかし、まとめ役とはいえ、かろうじて読み書きができる程度の人間が、激務の最中に書いたもの。
手に入れたメモ書きはとにかく文字が読みづらく、解読には多大な時間を要した。
それでも、地道に学業や魔法の修練の合間を縫って作業を続け、ようやくオフィリアは一つの手がかりに辿り着こうとしていた。
あいにく、帝国とギュンターの関係を証明できるような類のものではなかったのだが。
(このワイン、聞いたこともない銘柄なのに、定期的に搬出されてますわね。それも大量に)
幼い頃から、王都の社交界に出入りしていたオフィリアには、誰がどの酒を好むのかは、だいたい把握できていた。
地元愛が強く、名酒の産地が近郊にある王都において、外国産の酒を愛好する貴族は珍しい。
ただでさえ帝国との国交が悪化している現状、国外から酒を仕入れるとなれば、国産の同ランクの銘柄と比較して、十倍近く費用が跳ね上がることもある。
そんな大損をしてまで、よその不味い酒を飲むなど売国奴のすることだ、などと公言してやまない貴族もいるほどだ。
(この線で調べれば、何か出るかもしれませんわね……)
期待に胸を高鳴らせる一方で、オフィリアの疲労は限界に達していた。
数週間ぶりにアラヤが訪ねてきたために、夜遅くまで彼に魔法の修行をつけてもらっていたのだ。
ローレンとのねんごろな関係を演出するため、アラヤは滞在先をローレンの屋敷へ移している。
今晩も、オフィリアのしつこい誘いもやんわりと断り、ローレン宅への帰路についてしまった。
(まあ、仕方ありませんわね。ギュンターめを成敗するまでの辛抱と割り切りましょう)
オフィリアはメモ書きをざっとまとめて、机の引き出しにしまう。
そして、足元に散らばった大量の書類に眉をしかめ、拾おうとその場にかがみ込んだ。
そのときだった。
「『禽嘴剣』
けたたましい音とともに窓ガラスが割れ、部屋の飾り棚に錆びた短剣が突き刺さった。
あと一秒、頭を下げるのが遅ければ、飾り棚の扉ではなく、オフィリアの頭に穴が穿たれていたことだろう。
「――っ!」
突然の襲撃に、しかしオフィリアは素早く対応した。
椅子をどかし、取っ手を掴んで床板を持ち上げると、下から五十センチ四方の脱出口が現れる。
災害などの緊急時に備え、オフィリアは屋敷の中にこうした設備をいくつも用意していた。
(まさかこんなときに役に立つとは思ってもみませんでしたが……!)
飛び降りるように足から滑り込む。
一瞬、内臓が浮き上がるような浮遊感があったかと思うと、猛烈な勢いでオフィリアの身体は急降下を始めた。
かと思えば、すぐに緩やかなカーブを経て減速。
停止したところで立ち上がり、真っ暗なトンネルの天井を手探りする。
手応えを感じ、ぐいっと押し上げると、星一つない暗黒の夜空が彼女を出迎えた。
オフィリアが停止したのは、彼女の私室から平面上で二十メートルほど離れたところにある、庭園の植え込み付近。
闇夜は不吉と嫌うオフィリアだったが、今夜に限ってはむしろ好都合だ。
夜道を来たであろう襲撃者の目は、オフィリアの部屋の明かりに急速に順応しているはず。
となれば、暗い庭園の片隅で、地面に偽装した蓋が開いたところで、気付きはしないだろう。
それでも、念の為オフィリアは十秒ほど待ってから、一気に地上に躍り出る。
そして、すぐに近くにあった石像の陰に隠れ、屋敷の方角を窺った。
(私個人を狙った奇襲……物取りの類とは思えませんわ。すぐに私を探しに来るでしょう)
予想通り、襲撃者はすぐオフィリアの部屋に面した大窓から、ベランダへ身を乗り出した。
神父服を纏った、痩身の大男。
顔や手をくまなく包帯で覆い隠した奇妙な風体。
事務仕事の息抜きでもしているかのように、ゆっくりと外を見渡している。
間違いない。
アラヤから報告を受けていた、撃滅手の片割れと人相が一致している。
(ー―ブルート・フォン・ゼッケンドルフ)
緊張に喉が干上がる。
知らず呼吸は浅くなり、手のひらがじっとりと湿り始めた。
アラヤならば、手の内を知られた上、キアナを庇いながらでさえも圧勝できた。
だが、自分ひとりではどうだ?
アラヤに有効打一つ与えられなかったローレンに、自分は十八番としていた速攻勝負で完敗した。
そんな自分が、たった数人で軍を相手取る撃滅手に、一体何ができると?
次から次へと不安が湧き上がり、オフィリアの思考を停滞させる。
いっそ、このまま夜陰に乗じて逃走し、アラヤの助けを求めに行くのが正解なのではー―。
弱気になりかけたオフィリアだったが、次の瞬間目を見開いた。
「お嬢様!?」
「貴様、何者だ!」
ガラスの音を聞きつけてか、ベルジュラック家の使用人たちがオフィリアの部屋へ駆け込んできたのだ。
とっさに立ち上がったが、遅かった。
振り返りもせず、ゼッケンドルフがつぶやく。
「『魔剣工房・鼠針棘』
直後、その背後で血しぶきが上がった。
ゼッケンドルフの背中から発射された無数の針が、召使いたちの全身を串刺しにしたのだ。
死角からの急襲に対処する、残酷にして合理的な殺人術。
一本一本が腕の長さほどもあるそれらは、針というよりも、テントを固定するのに使う杭に近い。
「――――」
怒りのあまり、視界がかすむ。
噛み締めた奥歯が軋みを上げる。
遠目からの輪郭と、声だけで、誰が殺されたのか分かった。
絶叫しながら魔法を放とうとして――アラヤの教えを思い出し、寸前で手を止める。
『感情的になってはいけません。心が乱れれば、技も思考も乱れます。相手の言動は全て、こちらの冷静さを奪うための作戦と思ってください』
(ええ。貴方が自ら実践していることですものね)
戦いの前に、挑発して敵を怒らせるのはアラヤの常套手段だ。
その必要がないほどの実力差があっても、決して彼は油断しなかった。
どんな強者であっても、我を失えば簡単に足元をすくわれる。
逆説。
平静を保ち、策を練り、揺さぶりをかければ、どんな強者にも食い下がることはできる。
アラヤが言いたかったのは、そういうことだろう。
オフィリアは目をつむり、深く深呼吸をする。
(必ず報いは受けさせますわ、ウォレス、グント、ユリア)
心の中で誓いを立てると、死んでいった使用人たちのことさえ、一旦頭から締め出した。
そうして、オフィリアは勝つための算段を立て始める。
まともにやりあえば勝ち目はない。
だが、こちらには圧倒的な地の利がある。
幸運に助けられたとはいえ、完全な不意打ちから逃れ、こうして仕切り直すことに成功しているのは、紛れもなくそのおかげだ。
さらに――これは憶測に過ぎないが、ゼッケンドルフはこちらを侮っている。
奇襲に失敗し、あろうことか暗殺対象を見失ったというのに、のうのうと身体を晒しているのがその証拠だ。
以前のオフィリアなら、侮辱と受け取り、怒り狂っていたところである。
しかし、今のオフィリアは違った。
(もっと私を見くびってくださいまし。貴方が悠長にしていれば、それだけアラヤさんが到着するまでの時間稼ぎになりますから)
考えてみれば、アラヤを呼びに行くことなど、使用人の誰かが思いつき、とうに実践しているはず。
ならば、屋敷の主として、貴族として、自分のするべきことは決まっている。
オフィリアは杖を構えると、ゼッケンドルフの方へ狙いを定めた。
魔法使いの杖には、魔法の精度や威力を高める効果がある。
使用する魔法の性質に合わせた材質のものを使うことで、より効率よく魔力を魔法に変換できるとされているのだ。
しかし、実のところ、杖そのものが魔法使いの力量に寄与する働きは、さほど多くない。
むしろ、実戦において、使い慣れた杖を失うことによる動揺や、戦力の低下を懸念し、日頃から杖なしで訓練すべきという説も根強かった。
だが、杖による恩恵が無視できない状況も当然ある。
それはたとえば――遠距離からの狙撃を決めるときだ。
「『火炎の嚆矢』」
オフィリアの杖先から、拳大の火の玉が放たれる。
ゼッケンドルフの『穿通剣』に勝るとも劣らない高速の一撃。
二十メートルの距離を瞬時に駆け抜け、狙い過たず仇敵の頭部へ着弾しようとする。
だが、その直前。
ゼッケンドルフの目がぎょろりと動き、殺到する火球をしっかりと捉えた。
「『孤角槍』」
口元を覆う包帯を引き千切り、ゼッケンドルフの顎が開かれる。
その口腔から覗くのは、禍々しく錆びついた槍の穂先だ。
撃発。
弩砲のごとき加速度で飛び出した大槍が、『火炎の嚆矢』をロウソクの火のようにかき消す。
その勢いのまま、槍は不用意な狙撃手へと襲いかかった。
凄まじい衝突音が屋敷中に響き渡る。
オフィリアが隠れていた石像が、台座部分から粉砕されたのだ。
石像の台座は、高さ一・五メートル、一メートル四方の直方体。
石像分を足せば、重量にして五百キロは下らない代物を一撃で破壊する魔法を、呼吸でもするように発動するその技量。
まさに、撃滅手の名に恥じぬ使い手である。
「火炎魔法で狙撃とは笑わせる。闇に紛れた利点を、自ら殺していることにも気づかぬとは。所詮、学生風情ではこんなものか」
蔑むように鼻で笑い、ゼッケンドルフは二階から飛び降りる。
すると、落下地点を目指し、三発の火球が飛んでくるが、
「『禽嘴剣』」
両掌から連続で短剣を撃ち出し、それら全てを迎撃する。
まるで、最初から読んでいたかのようだった。
地上に降り、血の混じった唾を吐き捨てると、朗々と言い放つ。
「弱者を嬲る悦楽も捨てがたいが、真の強者と剣を交える昂揚には、及ぶべくもない。……そら、とっととアラヤ・ベルマンを呼びに行くといい。逃がすつもりもないが、万に一つの生を拾いたいのならば、それ以外の選択肢はない」
血走った目に殺意を宿らせ、異容の痩躯が疾走を開始した。




