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「第二章五節 父の再入院」

 それから半月後、父が疲労による卒倒で、急遽入院する事態となった。

 その日は、日中から珍しく多くのお客さんで賑わっていた。夜の部も開店当初から、お客さんはひっきりなしに訪れ、僕ら親子三人は、厨房、接客と、てんてこまいであった。

「親父……大丈夫?」

 調理に追われる傍ら、時々手を止め辛そうにしている父が、今日は随分気がかりであった。

「……全然平気だ。お前こそ、俺を心配する暇があるのか」

 結が帰って以降、父はますます元気を取り戻し、往年のスタミナを上回る程であった。

 朝、僕よりも早く起床し、仕込みの準備。昼夜も手際よく厨房を回し、客の回転を上げる一方、常連との交流は欠かさず密に。そして閉店後も、時々季節メニュー考案等、夜遅くまで厨房にいることも珍しくなかった。

 しかし気持ちは蘇っても、体の方はついていかないのか、ミスの量も並行して増えていった。

 仕出しの発注ミス、調理時の皿落とし。そして時々ガソリンが切れたように、虚ろな表情で遠くを見つめることも。

 いつだったか、深夜自宅へ戻らない父を心配し、厨房へ見に行ったことがある。

 その時、父は巨大冷蔵庫にもたれかかり、放心した表情で、あんかけソースをひっくり返していた。

「親父、大丈夫か!?」

 仰天し急いで父に近づくと、彼は暫く後、正気を取り戻し、

「おっ、おぉ、すまねぇ。少し疲れたのか、うとうとしちまってた。あぁ……ソースがびちゃびちゃ。悪い、今片付けるから」

「いいよ、俺がやるから。それより、無理しないでくれよ。病気もまだ完治していないんだから」

 申し訳なさげにしている父を家へ帰すと、

その日は辺り一面に散らばったあんを、僕は夜通しかけて片付けた。

 それから数日父は、反省したのか、おとなしかった。だが三日前から反動のように、また父は朝から晩まで過重労働を己に課すようになっていた。

「わかったって。けど本当、無理しないでよ」

 父の一喝に僕ももうひと押し出来ず、そのまま仕事を続けさせてしまった。一九時半、変わらず店内は満員の人であった。

「最近、とみに賑わっているねぇ。これも先日の宣伝効果か。ローカルテレビとコラボしちゃって。外から来るお客もちらぼらいるんだってね」

 カウンターで神戸氏が喜びながらも、急な変革に、若干不満げに、父に言葉を投げかけた。

「……」

 だがそれに応える、朗らかな父の返答が聞こえない。不審げに思い振り返ると、父はフライパンに炒め物を残したまま、随分苦しそうに、その動きを止めていた。

「おい? 親父、 今日はもう休め! 残り三〇分、俺とお袋で何とかするから、おいっ!」

 慌ただしい空気に飲まれていたのか、無意識に大声で叫んでいた僕に、父はうさぎのように、びくっと体を震わせると、

「すまん、龍平……」

振り返り際、怯えの中に悲しげな表情を浮かべると、彼はそのまま地面へと突っ伏した。


「おっ――おやじ!? うそ、おやじ? おやじっ! 」

 幸い灼熱のフライパンをひっくり返す大惨事にはならなかったが、彼の卒倒音は、店内中高らかに響きわたった。

「どうされました? って、清顕さん! 大丈夫ですか、大丈夫ですか!」

「清顕さんが、倒れた! 誰か救急車呼べ! おい、早く、早く!」

 一気に渾然一体となる店内。

「あなた! えっ、あなたっ、ちょ、しっかりして! あなた!」

 事態に気づいた母が、血眼になって厨房へ駆け寄ろうとする。しかしその刹那、

「皆の者、落ち着け!」

 店内に響き渡る、どすの効いたダミ声。

それが神戸氏の一喝だとは、暫く気づけなかった。

彼は一瞬の静寂を確認すると、

「何を無駄に騒いでいるんだ! 龍平、早く救急車呼ばんか! 奥さんも、旦那を思う気持ちは十分わかるが、それよりも今はお客さん第一だろう。皆さんご無礼致しました。こちら大丈夫ですので、どうぞ落ち着いてくださいまし」

 彼は客席に頭を下げると、母も硬直した体を店内の客へ向け、

「申し訳ありません。皆様。本日は、お代は結構ですから、どうかお帰り支度をしていただければと思います。誠に、申し訳ありません」

神戸氏と同様、深々と頭を下げ、お客をスムーズにお店の外へ帰した。

 その間僕は、一一九番に連絡を入れると、救急車が来るのをただただ待ち続けた。


 数分後白服の集団が、続々と店になだれ込んできた。そして入れ替わるように、神戸氏はそっとお店を後にする。

「患者一名、失神。目立った外傷無し! 担架こっち持ってきて! 狭い場所だから気をつけて!」

 てきぱきと担架へ運び出そうとする隊員に関心しながら、僕は震える母に寄り添い、その一部始終をじっと見守っていた。

「確認を取ったところ、最寄りの市民病院が緊急往診可とのことで、そちらへ向かいます。奥さんと息子さんですか、お二人共、救急車にご同乗なさいますか」

 隊員の言葉に、母は無言で肯定の意思を伝えるが、この時の僕はやけに冷静で、静かに首を横に振る。

「母が付き添うなら、僕の方は大丈夫です。何卒、宜しくお願いします」

「龍平! あなたも一緒に来るのよ!」

 一人は不安とばかりに、母が潤んだ目で僕を見つめる。

「家にじいちゃんがいるだろ。さすがに一人にしておくわけにはいかないし。病状がわかったら連絡頂戴。急を用するなら、二人ですぐに駆けつけるから」

「搬送の準備、完了しました! 出発しますので、ご同伴の方、ご乗車の方お願いします!」

 別の隊員の掛け声に、母は反対の顔を浮かべていたが、声に出さず諦め、

「わかった。病院には今回も私一人で行くから、家の方お願い。状況わかったら、すぐに連絡入れるから、よろしく」

 こう述べると、隊員と共に、母は急いで外へと去っていった。

 遠くで救急車の発車音が聞こえる。その後、先ほどの喧騒とうってかわった、恐ろしく不気味な静寂。

 僕は散らかった卓席に腰掛けると、なぜ先ほど同伴を断ったのか、自分でも驚きの返答に思いを巡らした。

 あの時は、祖父の存在を論拠に掲げたが、それは建前にすぎず、僕の本心ではなかった。なぜ同伴に抵抗感が芽生えたのか。父の失神が瑣末に感じたのか、まさか。救急車に乗りたくない、いやその逆だ。

 店内をゆったりと見回す。食べかけの料理が放り出された卓上。油の染みたメニュー表、漫画紙。片付けの終えられていない厨房。

 そう、僕は『めめだ』を離れることを、無意識の内にためらっていたのだ。

 以前父の入院で、お店は彼の回復まで閉店を余儀なくされた。今回僕も病院に向かっていれば朝の仕込みなど出来るはずもなく、お店は臨時休業とならざるをえない。

 事態が事態のため、それは当然といえる。だがもし、父の容態が軽く(ただの疲労による倒れ)、病院直行不必要と連絡されたら、僕は明日も通常通り、お店を開くことが出来る。

 それはあわよくば、自分一人で初めてお店を運営出来ると、心の奥底で期待していたのかもしれない。

 なんとも親不孝な、潜在意識である。だが僕はこの考えで、先ほどの疑念が解消していることを認めざるをえなかった。

 親孝行するためのお店の運営が、気づけば重要性が逆転していることに、僕はいいようのない自己嫌悪に陥った。


 雑然とした店内の片付けを済ませると、帰宅して祖父へ、父の卒倒を伝えた。

「お袋の付き添いで、病院に運ばれていったけど、まだ詳細の連絡はきていない。ここ数日働き詰めだったし、疲れが出たんじゃないかな」

「そうか、清顕のやつ。一度倒れているのに、無理なんかしおって。ところでもし、あやつが暫く入院することになったら、お店の方はお前どうする?」

「やるよ、自分一人で。多少の限界はあると思うけど」

 きっぱりと言い切った僕に、一瞬祖父は唖然とした表情を浮かべた。だが彼はすぐに口元を綻ばぜ、

「成長したのう、龍平。お父さんがいなくても、大丈夫ってわけか。よしわかった、頑張んなさい。人手が足りなかったら、わしも久々に現場復帰するから」

 そう述べ、軽く腕まくりをする仕草を始めた。緊張の糸が、初めて緩んだように感じ、僕も惜しげもなく笑みを浮かべた。

 それから三〇分後、母から一通のメールが届いた。そこには、父の卒倒は、やはり最近の過労によるもので、以前の脳卒中が悪化した訳ではないと記されていた。

 続けざまに、母から着信が入る。電話越しの母の声音はさすがに落ち着いていたが、安静名目で父が一週間程入院する旨を伝えられた。

「もしもし、龍平。お父さん、さっき意識取り戻したわよ。全く結に感化されたのか、無理しすぎよ。自分が以前の身体じゃないこと、本当に自覚あるのかしら」

「一応無事は確認出来たし、今から家に戻るけど、あなた明日からどうするの? お店の方は暫く休みにして、家でのんびりしていてもいいのよ」

「いや、お店は通常通り、僕一人で何とかするよ。じいちゃんも手を貸してくれるって、言ってくれたし」

 僕はしれっと、お店の営業継続を告げる。すると母は不安げに諭すように、

「何とかするって、あなた本当に一人でお店の切り盛り出来るの? じいちゃんがいるって、その力は微々たるものだわ。私も病院の往復で、全然手は貸せそうにないし」

「とりあえず、今から一旦帰るから、その話はその時に改めてしましょう。じいちゃんには、大丈夫だからって、寝るように伝えておいて」

 こう告げると電話は切れた。僕は居間に戻ると、祖父に父の容態を告げた。

「お店の方も、母から了承もらったから、明日から頑張るよ。暫く家に誰もいなくなり、不便かけるかも」

「わかった。わしのことなど、どうでもいい……頑張れよ、ただ無理はするな。自分のやれる範囲で、お客さんも理解してくれるはずじゃから」

「……ありがと、じいちゃん」

 ふっと笑みを浮かべると、祖父は自室へと去っていった。数十分後、タクシーに乗った母が家へと滑り込んできた。

 玄関に姿を現した母は、またもや少し気色ばんでいた。彼女は急ぎ足で父の部屋へと駆け出しながら、

「先程、お医者さんから連絡があって、また痙攣が再発したみたい! 全く安心したと思たのに、なによ!」

「母さん、お店のことだけど……」

 取り乱した母に、告げるのは忍びなかったが、白黒はっきりさせたかった。

 僕は母のところに向かい、改めて自分の意思を伝えた。

「……わかったわ。あなたも、もう大人だし、自分の言ったことに責任をもちなさい。ただ私とお父さんはいつ復帰出来るか、わからないからね。お店はあなた一人で回していくのよ」

 疲れ切った表情ながら、母は冷静に自分の意思を受け入れてくれた。すかさず僕は頭を下げる。

「ありがと、母さん、決して無理はしないから。くれぐれもお父さんのこと、よろしくお願い」

 母は嘆息すると、再び日用品をまとめ、数分後にはタクシーへと戻って行った。改めて時計を見やると、既に針は日付をまたいでいた。

 静まりきった室内。ワードローブの周りには、母が出した父の衣服が散らばっていた。ストライプの入ったパジャマに、父お気に入りのレザージャケット、ジーンズ。衣服を見ても僕とは真逆の好みが反映されている。

 幼心、パーカをよく着ていた僕に、父は毎度センスが無いと小言を言ってきた。他にもバイクやサーフィン等、父の趣味は(時に試したことはあっても)全く自分には響かなかった。逆に僕が何度か進めた小説も、父はどれも最後まで読んでくれなかった。

 同じ血が流れているのかと、疑いたくなるほど、趣味嗜好の異なる僕と父。だが今は、その父が心血を注いだお店を僕が必死に守ろうとしているから不思議だ。

 明日も早いし、そろそろ寝よう。僕はシャワーを浴びると、寝床に着いたが、その日は珍しく、中々寝付けなかった。

 ベッド越しに窓を開けると、そこには廃れたニュータウンの灯ではなく、ビニールハウスの電球が燦然と輝いていた。

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