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「第二章三節 休日は野郎と銭湯へ」

 火曜日、僕は一日休みを取り、日野、下田明史と車で三〇分の銭湯へ繰り出した。

 中高から腐れ縁の二人とは、進学で上京してもなお、盆暮れと戻った折、買い物や飲みに出かけていた。

 彼等には先日、自分が作家を諦め家業を継ぐこと、これから二人と同様地元で暮らすことを、グループLINEで伝えている。

 常に冷静沈着な下田も、この時は「マジで⁉」と返され、電話で詳細の説明を求められた。一方日野は、「そうか」とだけ呟き、後は沈黙を続けている。

 それは恐らく昨夏の一件によるものだろう。つい半年前、僕は彼の妹七海ちゃんに、出版社の仕事について、熱く語っていた身なのだ。

 それなのに半年も経たずしての、退職。きっと日野は呆れているに違いない。正直彼と会うのは怖かった。それでも下田が、急遽三人で会う計画を立て、警察官の彼が振休を取る火曜、一年ぶりに一同、介することとなった。

 

 約束の一〇分前、僕はお決まりの集合場所である、下田の家へ向かった。既に道路脇にはプロボックスが止められ、運転席で下田が紫煙をくゆらせている。

「……うぃっす」

「おぉ、ご無沙汰」

 僕に気付くと、彼は一瞬手をひらひらと振り、また何事もなく煙草を吹かし続けた。

 ぶっきらぼうさは昔からの彼の性分である。だが変わらぬ態度が、この時はなんとも心地よかった。

 荷物を後ろに乗せ助手席に座る。彼は少し沈黙を続けた後、

「正直驚いたよ。北原がこっちに戻ってきて、しかも『めめだ』を継いでいるなんて。以前から作家になるって言ってたのに……やはり険しく狭き門なんだな、作家って」

 珍しく感情的にこう続けた。

「うん、この数年で現実を思い知ったよ」

 彼には先日、電話でこれまでの経緯を説明している。元来、積極的に僕の将来を応援してくれていた身。話終えると、彼は我が事のように、深く悲しんでれた。

「まぁ、お前が決めたこと、俺は何も言わないよ。これからはお父さんを助けて、『めめだ』を盛り上げていくんだな」

「おう、言われなくてもわかってるさ」

 気まずげに外に目を向けると、日野が全速力でこちらへ向かってきていた。後ろのドアを開けると、彼は息を切らしたまま、

「っ、すまない! 朝方畑でトラブルがあって、対処してたら遅れちまった! 本当は早めに来て、龍平と話し合おうと思っていたのに」

 ワイドミラー越しに、僕を見つめると彼はニヤッと笑う。

 僕はどんな顔をしたらいいのか、わからなかった。てっきり気まずい空気に包まれると思っていたから、

「そりゃ突然、地元に帰って働いているって聞いた際は、驚いたさ。でもお前が必死に考えて決断した答えだろ、俺らは何も言わないよ……むしろ新たな売りつけ先と。安く食える飯屋の目途がたって、嬉しいぐらいさ」

「お前また野菜を、高く売りつけるつもりだな。龍平こいつの売り付けは、警戒した方がいいぞ。じゃないと家が、冬キャベツまみれになっちまう」

 いつものように軽口を叩く日野、的確に突っ込む下田。変わらぬ二人の態度に、僕の心に熱いものがこみ上げてきた。

 そう、わかっていたことじゃないか。二人が僕の現在に態度を変えるはずじゃないって、俺たちの付き合いはそんな甘っちょろいものじゃないって。

「出発するぞ」

 煙草を吹かし終えると、下田はギアを下げ、軽快なスピードで出発した。代償として車内では、2人から根掘り葉掘り近況を聞かれざるをえなかったが。


 平日の昼時にもかかわらず、銭湯「虎泉寺の湯」は混み合っていた。長き時間をもてあましている老父母、奥様コミュニティで盛り上がっている主婦、若い親子連れ。

 この商業施設を併設している、がたの入った銭湯は、地元人にとっては楽園なのである。彼らは、塗りの剥がれた大浴場を励みに、日々の生活を乗り越えているのだ!

「百円持ち合わせているか」

「やべ、少し切らしている」

 脱衣所を抜け、大浴場に繰り出すと、ロビーの人の量に比し、若干閑散としていた。僕はかけ湯をして、下田と共に洗面所へ向かう。日野は体が温まるのが先決と、一足先に露天へと向かってしまった。

「明史、さっき質問攻めされた分、俺からも一ついいか」

「んー、どうぞ」

「この春から、杉中志穂がこっちにまた戻ってくるらしい」

 僕の言葉に、下田は一瞬だけ眉を寄せた。だが即座に表情を戻すと、

「ふぅん、別にだから何って感じだね。もう俺らは赤の他人さ、今更気持ちを揺すられることはない」

「もしかして、彼女から何か聞いてたりしなかったか?」

 中学高校と、下田は志穂と三年程付き合っていた。遠距離の結果、高2の夏に彼女の方から別れを告げられたようだが、以降もやり取りは続けていたらしく、時々彼から近況を聞いたりしていた。

「聞いてなんかないよ。大体最後に連絡を取ったのも一年以上前だし。俺にとっちゃ杉中は、もう過去の人間だね」

頭を泡立てながら、無表情に淡々と告げた。

「そうか……なら、いいや」

 急に志穂のことで、頭が埋め尽くされている自分に、嫌悪感が湧いてきた。そう俺たちにとって中学のことは過去の遺物。新たな人生を歩んでいく上で、振り落とさなければならないもの。

「しかし逆にお前は何で知っているんだ? もしかして彼女から連絡あったのか!? すげえなやっぱり幼馴染の絆は!」

「別に、そうじゃないよ。ごめん、このことは聞かなかったことにしてほしい」

「いやいや、どう考えても気になる話題だろ。なんなら涼にも伝えなければ……って」

 気づけば僕は下田の肩を掴んで、苦し気に首を垂れていた。さすがに彼も空気を悟ったのか、

「わかったよ。何があったか知らないが、話したくないなら黙っているよ」

「ごめん、こっちの方から尋ねておきながら」

「いいよ、別に。気にするな」

 彼は自由になった左肩を軽く揺すると、体を流し浴場へと去って行った。

 曖昧な鏡に写る、ぼんやりした自分の表情。

 田舎という過去に戻ってきたこと、杉中翔の来訪でついつい思いも過去の延長線上を夢見ていたが、それはとっくに廃れ千切れているもの。そこに繋がりを探し求めるのは、十分無意味な行動。

 あくまで自分は、親を手助けするため、『めめだ』を立派に継ぐという未来のため、ここにいる。

 故郷は過去の気休め所ではなく、未来に向かっていくための新しい新天地。僕はこの日、改めて確認せざるをえなかった。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 季節は巡って二〇一九年三月、朝の空気も刺すような冷たさは無く、春の気配が感じられた。

 僕は食材買いの準備をするべく、いち早く居間へと降り立った。

「今日は魚市場休みだし、自転車でいっか」

 僕は今日から薄手のコートを羽織ると、大きなリュックを背負い、居間を後にする。

去り際、日めくりカレンダーをちらりと見る。三月二三日、今日は妹の帰省及び杉中一家の引っ越し日である。

 今夜は賑やかくなるな、それだけを感じ、取引農家宅へと繰り出す。道中、満開の菜の花畑へ出くわした。

 まさかこの光景を再度お目にかかれようとは、僕は晴れやかな気持ちで、ペダルを加速させた。

 

「今日、結ちゃん帰ってくんの? いいなぁ、今度飯誘ってみようかな」

 閉店直前のランチタイムの一時。日野はニヤニヤ笑いながら、のんきに昼間からビールを流し込んでいた。

「別に構わんけど、狙っているなら、諦めた方がいいぞ。あいつ絶賛彼氏とエンジョイ中だから」

「がーん。なんだよ、独り身なのはお前と俺だけかよ。明史は一段階超え、籍入れちまうし、本当人生は不公平だ」

 不平をたらたら述べ、早くも一瓶空けてしまう。それでも酒豪の彼にとっては、口ほどにも無い量だ。

「明史なー、見かけによらず、割と積極的だよな。そんな素振りは、全く見せなかったし」

 先月、下田はかねてより交際していた職場の先輩に、無事プロポーズを果たした。

 元来お付き合いをしているとは聞いていたものの、まさか結婚までいくとは思わなかった。全てを終えた下田から打明けられた時は、大層仰天したものだ。

ちなみに日野は僕以上に驚き、余程悔しいのか、未だにぼやきの語を並べている。

 かくいう日野も、冬キャベツの売値が良く、仕事の方ではかなりの儲けを叩きだしているようだが。

「清顕さん、今日は娘さんの帰省日ですか。いいですなぁ、この年になって、家族5人水入らずの時間を過ごせるなんて」

 隣では、親父と神戸氏が、同様の話題で盛り上がっている。親父も数日前から、今日を楽しみにしていた。彼も業務中にもかかわらず、医者から止められているビールをあおり、

「いや、今日を本当に待ち遠しにしてましたよ! 龍平がいるのもありがたいが、やはり可愛いのはうちの娘。年末年始は帰ってこなかった分、かれこれ半年ぶりの顔合わせですな」

 そう言い、親父はおもむろに時計を見やる。一三時五〇分、もうすぐ昼の閉店時間だ。店内には僕ら以外は、だれもいない。

 僕はつとめて冷静に、空になった日野のグラスを片付ける。神戸氏はそれじゃ、また明日と親父に告げると、微笑まし気に去っていった。対する日野は、まだ未練がましく、

「結ちゃんを一目見るまで、俺は帰らない。どうせ今日は予定無いんだろ、お前も俺に付き合えよ」

「あぁ、鬱陶しい。それに結を一目見るって、あいつ来るの夕方だぞ。それまでお前、店に居座り続けるのか」

「そうよ。いくらお客様といっても、お店のルールには従わなきゃいけない。それを前提とした上で、私たちはお客様に最高のおもてなしに勤しむわけなんだから」

 裏口から鼻につく声が聞こえた。もしや。振り向くと案の定、花柄のワンピースに厚めの化粧を施した、結がニヤニヤと笑っていた。

「結、お前早かったなー」

 親父がこちらも、驚いた顔でぽつんと呟いた。彼女はまぁね、とさすがに落ち着いた声音で、

「未来ちゃんにお茶誘われて、少し早く帰ってきたんだ。晩には帰ってくるから、この後少し出かけてくる」

 そう告げ、テーブルの一画に、足を組んで腰を下ろした。ニーソ越しに、露骨に太ももが目立つ。もしや日野を挑発しているのか。

 けれども彼女はお構いなしに、スマホをいじり続ける。

「結ちゃん、久しぶり!」

 それまで押し黙っていた日野が、突然立ち上がる。その拍子にビール瓶がごろんと転がるが、彼は全く気にせず、

「いやぁ、元気にしてた? 今京都にいるんだってね。どうよ、憧れのキャンパスライフは?」

「日野先輩! ご無沙汰ですー、楽しいですよ! 先輩こそ、最近家業の方は順調なんですか?」

「ありがたいことに、最近は懐具合も良くてね。どうよ、今度よければご飯でも行かない?」

「えぇー、本当ですかー! それじゃ私駅前に出来た、イタリアンのお店行きたいですー! 少しお高いかもですが、大丈夫ですかー?」

 結の満面の笑みに、日野が怯む。彼女の言ったお店は、田舎にふさわしくない、本格イタリアの高級リストランテだ。この冬オープンし、この地の富裕層を中心に、高いが味は一流と、人気を博している、

 相変わらず、迫りよる男へのあしらい方はピカイチだな。悲しいかな、彼も二の句を継げず、それを見計らうように彼女は腕時計を確認し、

「そろそろ時間だし、じゃ行ってくるね!

日野先輩、ご飯のお誘い、楽しみにしていますよ!」

 悪びれもせず、平然とお店を後にしようとする。

去り際、結はそうそうと思い出したかのように、

「そういえば、さっきそこの通りに、大きなトラックが止まっていたんだけど。引っ越しなのかな、家族総出で荷物を運び出していたよ」

「あぁ、杉中さんとこ、もう来たのか。おい、龍平。お前、お店のことはいいから、この後少し行って手伝ってやったらどうだ」

 父の問いかけに、僕の心が脈動する。ついにこの日がきたか。冷静にと思いながらも、心の奥底で、期待と不安の入り混じった心音が高らかに、鳴り響く。

 それでも僕はつとめて、平静を装い、

「わかった、今から少し手を貸しに行くよ。ということで、それじゃ涼、今日はこの辺でお開き」

「なんだ彼女の家、今日引っ越し日か。龍平、良ければ俺も一緒に行こうか?」

「えっ、杉中さんって、志穂先輩の家? 嘘、こっちに戻ってきてるの? やばい、挨拶しなきゃ」

 後ろで、わいわいぎゃんぎゃん言っている、パリピと酔いどれを無視し、僕は思いつめた表情で、厨房を後にした。

 その隅では親父が一連の流れを、ただただ微笑ましげにそっと見つめていた。

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