「第二章一節 辺鄙な田舎の大衆食堂」
筆が中々進まず、約一月半ぶりの投稿
(最後途中で切れています、ご容赦を)
ここから大衆食堂『めめだ』を舞台に、
田舎の人々の群像劇が始まります。
松の内も明けて暫く経った、寒の堪える日の出前の早朝。
僕は夜行バスから、小柄なリュックを引っ提げ、ゆったりロータリーへと降り立った。
そこは、スーパーもチェーン店も売店もない、ただただ殺風景な田舎の駅である。
後ろでは同じバスに乗車していた女子学生達が、迎えが来る前に凍え死ぬと、駅中の待合室へ入って行った。
腕時計を確認する、始発のバスまで後一五分。空っ風吹きすさぶ外から、自分も逃げるように、女子学生へと続いた。
駅中の休憩室も、寒さは外とさほど変わらない。それでも風の心配はしなくてすむ。一五分なら十分苦無しに過ごすことが可能だ。
女子学生達は少し離れたテーブルで、誰々にいつ会う、家族全員で食事に行く、と話に花を咲かせていた。
帰省前のちょっとした興奮、それはかつて自分自身も経験した感覚である。
しかし今の僕は、興奮など微塵も無い。あるのは人生への絶望と、この辺境に生涯骨を埋めることへの不安だけである。
僕は彼女たちからそっと遠ざかり、二Fの交流ゾーンへと足を踏み入れた。
そこは地元の広報職員が制作した、市の特産物や観光名所がポスターやグッズで展示されていた。
いかにもチープに描かれた、市公認のマスコットキャラ。丁度陽の光を浴び、彼の黄緑の肌は黄金に輝いていた。
この時再度絶望の風が、僕の心を吹き抜けた。僕はこれからこのマスコットを、故郷を、そこに暮らす人々を受け入れていかなければならない。
今後必要なのは、物事を様々な角度で見つめる創作的見方ではなく、相手をただただ受け入れる営業の精神である。
その未来に耐えられず、マスコットに思い切り蹴りを入れた。割と頑丈に造られたマスコットの体は、僕の足を無情に打ち砕く。
時計を確認する、バスの発車まで後三分。僕は予め決められたレールの線に沿って歩くように、よろめきながら休憩所を後にした。
人気の無いバスに揺られること三〇分、最寄りの停留場で下車すると、既に太陽はこの町を十分に照らし出す角度まで上がっていた。
僕は周囲に暮らす人々の朝の営みを横目に、我が家へ向かった。
朝食には少し早い時間か。僕はなんの気無しに、裏の畑へ足を向けた。
「あっ」
「おぉ!」
小さな農園の手前、丁度大根の収穫をしていた祖父一平と目が合った。
「なんだ龍平、早かったな。清顕は昼前みたいなこと言ってたから、それまでに畑仕事を終わらそうかと思ったが……おかえり、東京生活お疲れさん。なにはともあれ、生きてる間にこうして戻ってきてくれ、わしゃ純粋に嬉しいよ」
快活な体はまだまだ健在であるが、年相応の腰の曲がりは認めざるをえなかった。僕が高校までは、祖父も父母共に、お店を切り盛りしていたが、近年はお店の手伝いは稀で、趣味の家庭菜園と夕方のご近所付き合いを生きがいとしている。
「じいちゃん、ただいま……これから当分御厄介になります」
「なんの、こちらこそ! 龍平、すまんが、これ持っていってくれないか。これが家庭用でこれがお店の分、わしゃ区切りまで、もう一仕事続けるから」
「うん」
でっぷりした大きさで形の整えられた大根は、販売用と何ら遜色無かった。祖父は何をやっても結果を残す万能人である。
自宅へ戻ると、丁度朝食の準備が済み、父母から挨拶もそこそこ、祖父の呼びつけを命じられた。
朝食を終えると母から、
「年末年始と引っ越しの準備で疲れたでしょ。お店のことは来週でいいから、今週は荷解きしつつ、ゆっくりしてなさい」
さばさばした表情でこう告げられた。
「えっ、でもお店大変じゃないの。何なら今日からでも働くつもりでいたのに」
「大変なもんか。昼と夜の限られた時間での開店、来るのはいつも顔なじみの人ばかり。まぁ今の俺の体じゃ、かつての客数はもうさばけないが……」
横でこう呟く親父に、僕はなんと声をかけていいのかわからなかった。
ご馳走様と呟くと、僕はその空気から逃れるように、自室へと上がっていった。
荷解きの方は、二日足らずで片が付いた。もとい段ボール中心の引っ越し荷物である(しかもそのほとんどが、書物中心)、布団や衣装棚は実家に置き続けていたので、それを使用すればよい。
荷解きが終わった三日目から、随分暇を持て余すようになった。かつては暇があると、机に向かい文章を書き続けていた。だが既に僕は断筆したのだ。文章はもう絶対書かない。読みかけの『老人と海』を拾い上げると、その日は本書の読破に全てを捧げた。
実家に帰って最初の週明け月曜、僕は六時に目を覚ますと、ダウンコートを引っ提げ、お勝手へと向かった。
はたして母はそこで、大量の野菜を裁いていた。大根はいちょう切りに、冬キャベツは千切り。
「母さん、おはよう。今日から俺、お店に入るわ」
それまで黙々と作業をこなしていた母は、一瞬びくんと腕を止めたが、
「そう……確かに週明けの月曜は、かつてとは雲泥の差といえど、お客様は入るから、手伝ってほしいわね。それじゃこれ、はい」
彼女はあかぎれした手で、大量のザルに入った白菜を差し出すと、
「これ、漬物用にざく切りお願い。後ここにある人参とジャガイモ、全部洗っておいて」
「私は朝食の準備をするから、それまでにお願い」
彼女はこう述べると、いそいそと家へ戻って行った。
飲食店「めめだ」の初めての業務、野菜のカッティング。冷たい井戸の水と、延々と白菜を切っていく業務は、一瞬で僕のやる気を削いでいった。それでも僕は朝食の時間まで無心に、全ての白菜を無事切り終えた。
「龍平、飯食ったら、仕込み始めるから、予め食材の準備をしといてくれ」
暖房に満たされた室内は、冷え切った体を温めほぐしてくれた。かぼちゃの味噌汁で、体内もほくほくになったところで、父の清顕は告げた。
「準備って一体」
「油ののった鰤を大量に仕入れたから、今日のお昼は鰤メニューで行く。鰤大根、鰤の照り焼き、刺身。お前魚裁けるんだっけか?」
「ん、まぁ」
一応軽く相槌を打つと、清顕はうんうんと頷き、
「それじゃ、それぞれのメニューごとに分けといてくれ。俺はよっちゃんの所に行って、卵を安く仕入れてくるから」
そう言い終えると父は、ご飯と鰯を豪快にかっ込み、颯爽と部屋から出ていった。
あっけにとられている僕に、母は嬉しそうな笑みを浮かべ、
「お父さん、あんなに張り切るなんて、とんと無かったわ。息子とお店をやれるのが、余程嬉しいのね」
「そんなに嬉しいのかね、嫌いな息子なのに」
過去に何度かお店を手伝ったことがあったが、父は喜ぶどころか、邪魔になるだけと冷淡だった。
そんな親父が今では、有頂天。やはり年をとり、また今回の病気で随分丸くなったと、言わざるをえない。
「もう何度も言うように、お父さんは龍平を嫌ってないって。何度も言っているのに、あなたどうしてわからないの」
「ふん、どうだか」
僕はゆったりと食器を片付けると、楽園の室内から、シベリアの調理場へと気だるげに向かった。
「親父、遅いな」
仕込みを終えた鰤を横目に、店内の時計を見据えた。懇意の鶏卵屋の吉田さんのとこまで、三〇分もかからないはずだ。それが彼是一時間。その時、入口の扉が開く音が聞こえた。
「親父、随分遅かった、仕込みの方は……」
振り返った僕は、唖然とした。
目の前には、卵黄塗れの段ボールを携え、憔悴しきった表情の親父の姿があった。
「龍平――すまん、車から降ろした時、丁度震えが」
不安げに僕を見つめる親父。だが僕には、声をかけることすらできなかった。
「あっ、親父。だいじょ……」
「龍平、仕込みの準備はって、お父さん!」
丁度その時、母が顔を覗かせ、この惨状を目の当たりにした。
「お母ちゃん! 駄目だ、この通り」
「あらら、手の震えが出ちゃったのね。大丈夫、下の卵は割れてないのも、多いし、選別しましょ」
即座に父に歩み寄った母は、実に手慣れた手付きで父を慰撫し、どろどろの段ボールを受け取った。
「龍平、何ぼさっとしているの! こっちに来て、卵の選定を手伝いなさい」
「あっ、はい。今行く!」
選定の業務に取り掛かったのを確認すると、親父は申し訳なさげに再度、扉に手をかけた。
「……足りない部分は、よっちゃんに謝って追加をもらってくる」
そう述べると、親父は首を垂れ、再び調達へ向かった。
「親父、手の震えはまだ残ってんのね」
二人きりになった店内、片付けで卵黄塗れになっている僕は、同様に使える卵を、器へ移し替えている母へ、こっそり尋ねた。
「そう、最近頻度は減ったけど、時々発作的に生じるみたい。お皿を割ったり、今みたいに食材を落としたり」
母は声のトーンを落としつつも、極めて淡々と答えてくれた。
「初日の朝に見て、勘違いしないでほしいけど、発作が出るのは本当時々だからね。いつもは病気前と、変わらない質と時間でやっているし」
「それでも、やっぱり龍平には、お父さんの失敗をカバーして、この『めめだ』をまた元に戻してほしい」
母の真剣な頼みに、僕は無言で頷いた。もとい、父のサポートを兼ねての、お店の切り盛りである。
それでもあの時、父になにか声をかけるべきではなかっただろうか。無言で僕を頼り気に見つめる、老いた父。それに応えられず、途方に暮れている僕。
何とか選定を終えた僕は、器を厨房へと慎重に運んだ。その間母は黙って、僕の初々しい姿を見守っていた。かすかに灯した期待と救いの眼差しが、僕にはとても直視出来なかった。
絶え間なく続く包丁の切る音、具材の煮えたぎる大鍋、高らかに弾ける油。
「お母ちゃん、お味噌汁と副菜、準備完了! お昼に必要なキャベツも全部切り終わった!」
「はーい。こっちも日替わりの下ごしらえ全部終わりました。通常メニューも、とりあえずは一区切り!」
「龍平! お前、味付け違うじゃねぇか! 青菜の白和えは薄口醤油って言ったろ! 何濃口使ってんだよ!」
開店一〇分前、慌ただしく働く親の厨房に僕は自然と隅に追いやられていた。そこでせわしなく準備をこなす父は、今朝の面影は微塵もない、昔と変わらぬ姿であった。
でも厨房の外と中では、緊張感がまるで違う。僕はおどおどと父に近づき、文字通り首を垂れた。
「あと、今朝裁いた鰤の刺身、骨が数か所残ってた! 魚を裁けるとか言ったくせに、全く出来ていないじゃないか!」
「すいません」
「後下準備した照り焼きの煮汁――」
「お父さん、開店時間です!」
「よしきた、龍平、暖簾を外に出せ!」
僕は解放された人質のように外へ飛び出すと、
「いらっしゃいませ、お待たせいたしました」
そこには既に数組が列を作っていた。一瞬訝しみ気に僕を見つめる、客たち。だがすぐに何事も無く、店内へ足を踏み入れた。
「はい、らっしゃい! おっ、林さん。今日はまた別の彼女を連れてきちゃって!」
「勘弁してくださいよ! 僕の宣伝で、ご新規一名をまた連れてきてあげたんですから。彼女、普段はお弁当なんですけど、気に入ればこれから食べ続けたいって言ってるぐらいなんすから」
林と呼ばれた、プラカードをぶら下げた若い市職員は、同様に遠慮気に微笑を浮かべる女性へ卓を薦めた。
「そうか、それじゃ今日は一段と気合を入れて、作らなければいけないな。注文はいつも通り日替わり二つでいいか?」
「はい、一つはライス大盛で!」
「あの若造、今日で通食一一日目じゃないか。毎日別の職場仲間を連れてきてるし、よっぽどここを気に入ってるんだな」
カウンターに腰を下ろした、ハンティング帽を被った老人は、彼を見つめると、無表情に呟いた。
随分久しぶりの対面だ。近所の鉄鋼職人神戸氏は、僕が幼少時より、お店に定期的に訪れてくれている常連だ。
「まぁ、んなことどうでもいい。それより、厨房にいるのは、龍平君か。さっきの開店作業といいその姿といい、もしかしてこれからお店を手伝っていくのかい」
「はい、その通りです。これからよろしくお願いします!」
仕事の手を止め、厨房越しに頭を下げる。随分ご無沙汰にしていたとはいえ、やはり覚えていてくれたか。嬉しさ半面・恥かしさ半面で、僕はすぐに鰤大根の入った大鍋に、火をかけた。
「龍平! 日替わりはいいから、順番にメニューを裁いていってくれ! ってことでまずは神戸さんのから揚げ定食、よろしく」
初っ端から料理補助でなく、一メニューを任され、面食らう。だが親父は気にすることなく、林さんたちの日替わりランチをつくり始める。
「から揚げ……事前に下準備をした鶏肉を揚げればいいか」
予め日替わりとよく出るメニューは、先程父から教わった。後はそれを実践するだけ。
「なぁに、空揚げは一人暮らしで何度も作ってきた。それに教えられたことをこなせばいいんだ」
冷蔵庫にしまっていた鶏肉を取り出すと、粉をまぶし高温の油に放り込む。その間、配膳の準備だ。鶏肉がこんがりキツネ色に仕上がると取り出し、たっぷりドレッシングのサラダに盛り付け。
「から揚げ定食、あがりました」
配膳前に一応親父に確認する。親父は一瞬眉をひそめたが、
「ん、問題ない。神戸さんにお出しして」
一言呟き、再び調理を続けた。
11月中下旬に、同様の量を投稿できればと思っています。