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「第一章二節 2018年7月 愛知」

最後途中で切れていますが、少しスランプぎみで書けず、一度投稿します。

 七月上旬、僕は会社に一週間の有給休暇を申請し、地元に帰る選択をした。承諾されるか多少心配ではあったが、校了後の時期だったこともあり、上司はあっさりと受理してくれた。

 帰省の前日、昼休みに今回の件を矢島さんに話した。父親が倒れ、実家の食堂の手伝いをすることに、彼は一瞬驚いた表情をしたが、

「まぁ実家に戻って、今後について、ゆっくり考えてみるといいさ」

 こう述べると、缶コーヒーをぐっと飲み干し、不安げに見つめる僕をよそに、彼はふらふらっと休憩室を去って行った。

 

僕は一週間に必要な、最低限の荷物を詰め込むと、三鷹のアパートを後にした。中央線の特別快速で、東京まで出て、そこから新幹線に乗り換え豊橋まで行く。

 新幹線の車内は予想に反し空いていた。駅で購入した、缶酎ハイとじゃがりこをつまみに、車窓をぼーっと眺める。

 ふいに子供の叫び声が聞こえた。「地球だ、あれ地球だよっ!」声の方に目を向けると、男の子が、都内のビル群に指を差し、しきりに何かを叫んでいた。

 だがその意図する所以はよくわからない。子供は感受性豊かだな、そう苦笑すると、残りの酎ハイを一気に喉元へ流し込み、ゆったりと座席のリクライニングシートに体を委ねた。

 

 暫く寝ていたのか、目を覚ますと、既に三島を通過していた。辺りは人工的建造物から東海道の自然豊かな風景へ移り変わっていた。前方を見やると、既に下車したのか、例の子はいなかった。僕は冴えた頭で、読みかけの『復活』を熟読する。

 豊橋からは、地元のローカル線で揺られる。

心地良い晴天の昼下がり。停車駅の半分も過ぎると、既に乗客は僕と老夫婦、観光で来たのか、大きなカメラを引っ提げた鉄ちゃんの四人だけだった。灼熱に照り付けられた、無人駅を、彼は熱心に撮り続けている。

 そしてその姿を僕は何とはなしに、ただ飽きもせず眺め続けていた。

 

「龍平、遅かったじゃない!」

 終点駅をのんびり出ると、母は待ちかねたように、車の前で手を振り続けていた、

「悪い。帰りの支度に、少し手間取って」

 重たい荷物を後ろの座席に置き、助手席に座る。運転は出来ないわけではないが、母は一度たりとも僕にハンドルを預けてはくれない。親とは対照的に、車に全く無関心な僕としては、むしろ気が楽ではあるが。

「親父の調子はどうなの?」

発車すると、僕はおもむろに聞いてみた。

 ややあって母は不安とも安堵とも取れる、小さなため息をつくと、

「別に。しっかりリハビリは続けているし、快方に向かっているよ。うまくいけば、今月には退院できるみたい」

 車は馴染みの道を外れ、市民病院への道へと向かう。駅からは直線で一キロも無いのに、普段通らないせいか、物珍しさのある車窓である。

「ただね、少し精神的に参っているのか、情緒不安定な日がたまにあるの。あの人、何だかんだ、順風満帆で生きてきたとこもあるし。今回のことで、少し自信を失っているみたい。だから、そこだけ気にかけていてほしいな」

 そう述べる母の表情は暗鬱で、それだけこの数週間が壮絶であったことを、感じずにはいられなかった。

 しかしこれまでの修羅場を何度も乗り切ってきた彼女は、それを打ち消すかのように、

「でも、龍平に会えば案外治っちゃうものかもね。あの人単純なところが、性分でもあり、また魅力でもあるから」

 彼女はおもむろにアクセルを踏むと、病院への道を一直線に駆けた。


 駐車場は大分混んでいた。母が言うには、明日から一部の科で臨時休診が続くため、その前に多くの患者が診察に来ているためだという。

 車から出ると、田舎には似合わない、真黄色の人工的建造物に、妙なノスタルジーを感じた。

 子供の頃病弱だった僕は、事あるごとに、この病院へと通っていた。だが中学を境に、健康に満ち溢れ、次第に訪れる機会は減っていった。

「ほら、龍平。お父さんの病室はあそこよ。先日まで東向きの部屋だったんだけど、朝暑くてたまらないって、丁度一昨日変えてもらったの」

 そう言い、母は比較的高い病院の一室を指さした。

 僕はその楼閣を見つめながら、ふいに第三者としてこの建物を訪れることに、自分の成長を感じた。

「せっかくだ、親父に果物の一つでも、買って行ってやるか」

 僕は極めて一般的見舞人のようにこう述べ、マスクをした幼女がだだをこねている入口へ、きびきびと入って行った。


「あれ、お父さん、いない」

 母が地上で指さした方角とは、随分離れた病室はもぬけの殻だった。

通りがかったナースに声をかけると、この病室の患者さんはこの時間、全員休憩室に集まっていると伝えられる。

彼女は、ご家族様ですかと声をかけ,母が神妙に頷くと、律儀に休憩室まで案内してくれた。

母はあの人ったらと、恐縮しきっていたが、僕は入院してでも変わらぬ、父のマイペースさにどことなく安心した。

 休日にも拘わらず、休憩室はどことなく閑散としていた。入院患者とその家族が数組、自動販売機の飲料片手に、のんびりと談笑していた。

 そんな彼等から離れた奥の一画で、大型のテレビを、薄ピンクの病衣に身を包んだ男たちが取り囲んでいた。

「お父さん、龍平を連れてきたわよ。もうっ、一四時には部屋にいてねって、予め連絡を入れてたでしょ」

 同じ服を着た患者が、一様にモニタを囲む異様さに僕は少し怖気就いたが、母はものともせず、その中心にいた父に平然と声をかけた。

「おぉ、来たか! しまった一四時過ぎてたか。ついつい熱中しすぎてしまった」

「へぇ、君が清顕さんとこのお子さんか。お父さんよりも、よっぽどしっかりしてるように見えるね」

 父の左隣にいた、中肉中瀬の患者が野球から目を離し、僕に向き直った。血色の良い顔立ちで、見た目からはどこも悪そうには見えなかった。

「いえいえ、とんでも……」

 よく交わされる挨拶に、こちらも決まり文句で返そうとするが、途中で父に遮られた。

「なぁに、しっかりしてるとは、傍から見た感想で。中身はひどくつまらんやつだよ。もう少し元気があればいいんだけど、そこは妹の結を見習ってほしい」

「あなた! 本人の前でそんなこと言うのはやめて!」

 父のめったに言わない本音に、母が慌てて取り繕う。

僕は形式上黙って下を向き、やはり親父は精神的にかなりきてるんだと、改めて実感した。


 父は、ドラゴンズファンの同室者に別れを告げると、ゆったりと病室へと向かった。

 大きな松葉杖を、まだうまく使いこなせないのか、時々母に介助され、よろよろと歩く。その姿は、食堂で元気にやり取りする父とは、全く似ても似つかなかった。

 病室のベッドに辿り着くと、父はやっと安堵の吐息を漏らし、何事もなかったかのように、

「8回裏で4点リードなら、さすがに逆転はないだろ。今日勝てば四連勝か。まだまだチームは終わっちゃいないな」

「あなた、観戦はいいけど、なんで休憩室まで行っているのよ! テレビならここにもあるじゃない。今日は人が少なかったけど、普段は他の……」

「うるせぇ! 部屋のテレビは皆で見るには小さすぎるわ! それに俺も周りの状況ぐらい、随時確認してるさ。なぁ、龍平?」

 不意に同意を求められ、僕は曖昧に頷く。

 確かに二〇年以上飲食業をやっていた父に、周りを見ろとは、やぼな言葉だ。ただ父が気さくに、しかも同意を求めるのは稀で、純粋に面食らった。

「龍平、わざわざ見舞いに来てくれて、ありがとうな。どうだ、仕事の方は。順風満帆か?」

「まぁ、ぼちぼちかな」

 実際執筆業はスランプ、会社も業績は右肩下がりの状態を迎えているが、本音は口が裂けても言えなかった。

「そうか……まぁ、ぼちぼちならいいってことよ」

 僕は父の言葉に違和感を覚えた。普段の父なら仕事の話になると、作家になんかなれない、出版業は不安定だなど、一言二言、難癖をつけるはずなのに。

「あなた、はっきりと言いなさい。そのために連れてきたんでしょ!」

 突然、何事か母に促され、父は一瞬子供のような迷い顔を浮かべた。

何だろう?

しかしその表情は一瞬で、父は軽く咳ばらいをすると、僕を正面から見据え、

「龍平、実はお前を呼んだのは他でもない。どうだ、お前うちの『めめだ』を継ぐ気はないか」

「……」

それは、初めての提案だった。父は、僕が上京する時も、就活をする際も、一言足りとも、「お店を継げ」とは言わなかった。

 それは高校以前も同様だった。実家にいた頃時々手伝いをしていた折、父にお店はどうするかと尋ねたことがあったが、

「お前か結が継いでくれるなら、有り難いけどなぁ。そうでなければ、父さんの代で終わりさ。まぁじじいが、道楽で始めたお店だし、お前たちには、押し付けないよ」

 こう述べた父の、苦渋に満ちた表情は僕の脳裏に深く焼き付いていた。

 以降部活や勉強に、時間を取られるようになった僕は、手伝いを徐々に減らし、ついには父母も頼み込むことは無くなった

「あなたの作家の夢を否定するつもりはない。でもこのお父さんの入院は、お店にとって、死活問題なのよ」

 母は外聞も気にせず、息子に頭を下げ続けた。こんな頼み事はまさに初めてのことだ。それだけ父と母はお店を愛していたのだろう。

「結には、このことを話したのかい? そもそも僕より、あいつの方が、お店に憧れをもっていたじゃないか」

「もちろん話したさ。ただ、あいつは今年京都に行ったばかり。それに結は、幼い頃より教員を目指しているから」

 その言葉に僕はカチンときた。僕は病院の中だということに一定の配慮を入れつつも、

「そんなの僕だって同じじゃないか! それを父さんは結と比較して、諦めろっていうのかよ!」

 珍しく僕が感情的になったことに、父は若干の驚きを見せた。だが、江戸っ子気質の彼は、売り言葉に買い言葉の姿勢を見せ、

「龍平、現実を見ろ! お前は作家にはなれない。大学を卒業して二年、いい加減落ち着くところに落ち着いてくれないか!」

「あなた、龍平、やめてっ!」

 院内に響き渡る醜い口論は、母の一喝で尻つぼみに終わった。

丁度野球が終わったのか、休憩室まで声が届いたのか、同室の患者が続々と部屋へと戻ってきた。

 僕は気にせず、彼らの合間を縫うと、憮然と部屋を後にした。そして二〇分母が帰りの連絡を入れるまで、僕は手持無沙汰に外園をぶらついた。


 その晩僕は、地元若者の交流所である居酒屋で、腐れ縁の日野を待ちかねていた。

 予定より一〇分経ったが、彼は全く現れない。僕は目前のホームセンターの外装が変わったことや、隣の民家が畑になったことに、思いを馳せて適当に時間をやり過ごしていた。

「龍平、悪い!」

 中古のアクアが滑り込んできたかと思うと、日野が片手を挙げ、申し訳なさそうに小さな駐車場へ停めた。

「こいつと合流するのに、時間がかかっちまってな」

 彼は一歩後ろに控えた、白いワンピース姿の、女子大生に親指を向けた。

「七海ちゃんか、いや久しぶりだねぇ」

「お久しぶりです、北原先輩。お変わりなさそうで、安心しました」

 声をかけるとそれまでの無表情から一転し、彼女は人懐っこい笑みを僕に向けた。

「変わりないって、こいつは。大学時代も、髪型も一切変えず、服も無頓着。高卒後久しぶりに会っても昔のままで、逆に仰天したぐらいよ」

「それを言うなら、お前は変わりすぎだ。俺も、お前と会った時は、最初の一言まで誰か全くわからんかった」

 約束の最寄り駅で、紙を真っ赤に染めた彼に声をかけられた時は、正直飛び跳ねる程、恐ろしかったものだ。

 そう考えると今の、日野は大分落ち着いた感はある。

 

 居酒屋「大丸」は七時前近くにも関わらず、閑散としていた。僕たち以外の客は、ほとんど見当たらない。

 日野が馴染みの店長に、俺たちのために貸切にしてくれたんだよなと皮肉ると、店長は追い出すぞと一喝した後、

「龍ちゃん。親父さん大変だったね、どうなんだい。今でも入院しているっていうけど、調子は?」

「はい。まぁ、父は病院でも、陽気にふるまっていますよ。ただ医者の話を聞くと、もう少し退院には時間がかかるみたいで」

「そうか。お店も早く再開してほしいけど、まずは健康第一。親父さんに、お店復帰したらいの一番飲みに行くよと伝えておいてよ」

 そう述べると、店長は厨房に戻り、仕込みの作業をのんびり始めた。

 その間、日野は電子煙草を吹かしつつ、黙って聞いていた。

その隣の七海ちゃんは、ただただモルモットのように小さく縮こまっていた。


「さて本題に入りますか」

 乾杯後、店長お手製のアスパラ和えをつつき、日野は不器用に声を張り上げた。

 案外仕切るのは苦手なんだ。そう思いつつ妹のために必死な日野を微笑ましく感じ、僕は本日の要件を改めて想起した。

 それは、七海ちゃんの就活相談である。

 彼女は現在、名古屋の大学三年生であるが、進路として東京の絵本出版社を希望しているという。

 その連絡が日野からあったのは、半月程前のことである。折しも僕が丁度この時期帰省すると返信すると、彼はこの会合を半ば強引に、お膳立てしたわけだ。

「でも七海ちゃん。同じ出版社といっても、絵本と地域情報誌じゃ、全く分野が異なるんだよ」

 僕は以前日野に言った言葉を、そのまま七海ちゃんに投げかけた。

 彼女は、はい、それは承知していますと前置きした後、

「確かに私は絵本社を目標にしていますが、それ一本だけではありません。小説やもちろん雑誌にも興味ありますし、出版以外も興味を持っています」

 彼女の真面目さに、どうして同じ血を分けた兄妹でこうも違うと素朴な疑問が湧いてきた。

 日野は時折共感するように、頷いている。それは内容ではなく、彼女の一途な思いに対してだろう。

「わかった。それじゃ役に立つかわからないけど、包み隠さず全て話すよ。ただ僕の会社は出版社のほんの一部分だけでしかないから、そこだけは予め理解しておいて」

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