「第三章一節 ウド」
午前六時、寝不足の重たい体に鞭打ち、僕は着替えを済ませると、父のワゴンに乗り近所の農家宅へと向かう。
「今日からは時間の短縮。自転車は当分無しだ。運転は苦手だが、くそ、どうか無事帰宅出来ますように」
車通りの少ない国道を慎重に運転し、畑路へと入る。途中朝靄で道から逸れそうになったが、何とか日野の宅へとたどり着いた。
「おっ! こんな朝早く、誰かと思ったら、龍平か。どした? 柄にもなく、車になんか乗って?」
丁度大きなメロンを抱え、自宅へ入ろうとする日野とばったり出くわす。もう収穫の時期か、色鮮やかなマスクメロンは、陽の光を浴び、黄金色に輝いていた。
「うるさい……やむにやまれぬ事情が生じたんだよ」
僕は気だるげにワゴンから降りると、日野に昨夜の顛末を簡潔に説明した。
「……というわけさ。食材を調達して、帰宅後、昼の下ごしらえ。だから今日はお前とのんびり、話してる余裕もねぇんだよ。いつもの野菜の余り、購入しようか」
普段は僕が食材の調達、父が朝の下ごしらえを分業していたため、よく調達先で話し込むことも多かった。だが今日はそんな悠長なことはしていられない。
僕はいつもの納屋裏の野菜置き場に、足を向ける。
「あぁ、野菜なら、お前の分そこに置いてあるよ。なぁ、もし良ければ俺もお前の店、手伝おうか」
「ありがとう、気持ちだけもらっとくよ。あくまで家の問題だし。おっ、ウドも入っているじゃないか! 今日の副菜はこれで決まりだな」
気にする日野を心配させぬよう、とりわけおどけて収穫物の取引をすると、すぐに助手席の籠へと積み込んだ。
「出荷準備で忙しいけれど、少し時間が取れたら、様子を見に行くよ」
運転席に腰かけると、日野が心配げにこう投げかけた。それに僕は否定するでも肯定するでもなく、ただ曖昧な笑みを浮かべ、日野家を後にした。
帰宅すると下ごしらえの前に、僕たち二人の簡単な朝食を済ませることにした。さすがに時間も無く、おかずは昨夜の残りと、インスタント味噌汁。普段なら、味噌汁は手作りと激昂する祖父も、この日はさすがに何も言わなかった。
「龍平、今日はどんな収穫があったんじゃ」
「ん、涼からウドをもらって、酢味噌和えを作ろうかなって思っている。今日の日替わりは、旬の野菜炒めかな」
祖父がお店のことを聞いてくるのは珍しい。やはり心配なのだろうか。僕が安心するよう応え、片付けに取り掛かると、黙考していた祖父は突然顔を輝かせ、
「もし良ければ、今日の日替わりはウドの炊き込みご飯なんて、どうじゃ? わしも若い時分、一度試して成功した覚えがある。それなら旬の野菜も混ぜ込めるじゃろうて」
「炊き込みご飯?」
旬のウドを味わうなら、酢味噌和えが一番ではないか。しかも炊き込みご飯となると、専用のだしを取り、竈で炊かなければならず(うちのお店の炊飯器は一台だけだ)、若干手間がかかる感はある。
だがせっかくの祖父の提案。僕はんーと一考した後、
「ありがとう、少し考えてみるよ……それじゃ俺は仕込みに入るから、家のことよろしく頼む」
「おぉ、任せとくれ。いってらっしゃい、気張れよ」
祖父の励ましで、つかの間のやる気を貰うと、僕はお店へ向かった。
裏口から厨房に入り、側面の電気を灯すと、僕は改めて店内の掃除に取り掛かった。それから注文の食材が届いた後は、常備メニューの下ごしらえ。野菜をカットし、魚介類の捌き、豚肉を生姜たれへ漬け込むと、時計は一〇時を迎えようとしていた
「やべ、そろそろ日替わりメニューを決めないと」
僕はフロアに出ると、カウンター前の小さな黒板文字をかき消した。
白を失い、濃緑色に染まった黒板。僕は暫くチョークをもてあましていたが。日替わりと書かれたマグネットの下に、ウドの炊き込みご飯と記すと、急いで炊き込みだしのこしらえに取り掛かった。
一一時半、通常より三〇分遅めで暖簾を出すと、待ってましたとばかりに、二名の常連が店になだれこんできた。
「今日は遅い営業時間……って、あれ? 今日は龍平君だけかい? 清ちゃんはどうした?」
「あー、実は昨日……」
昨夜の事情をかいつまんで説明すると、常連は少し残念そうに、
「そうなんですか、お大事にと清ちゃんに言っておいて下さい。それじゃ龍平君、今日は初の一人営業ってわけかい?」
彼はいつもの力の入った筆致ではない、馬鹿丁寧な黒板文字を見つめ、微笑んだ。
「そんなところです。拙いながら、よろしくお願いします」
きっと親父なら、こういう時、気を利かした冗談の一つでも飛ばすのだろう。だが僕にはそんな芸当は一つも出来ない。
会話を続けるリーダー格の漁師(以前父と漁獲量の話をしていたから、恐らく)は、特に気にしていなかったが、もう一人の顎鬚はさもつまらなそうに僕たちの会話を眺めていた。
「へぇ、ウドの炊き込みか。旬の食材、使っているじゃないか。それ一つ注文しようか。けんちゃんは、どうする?」
「おれもそれで」
「承知しました、ありがとうございます!」
初っ端から日替わりの注文で、緊張もあるが、やはり嬉しかった。僕は準備に取り掛かると、彼らは魚市場の現状について、ぶつくさ愚痴を零しあっていた。
準備を進めること一〇分。山菜とだしの入り混じった春の香りを、櫃に漂わせ、
「お待たせ致しました。日替わり二人前になります」
僕は緊張した声音で、恐る恐る常連に膳を配した。
「ん、ありがと」
丁度話のきりがついたのか、彼等は受け取るとすぐに、箸に手をつけ、櫃を搔き込んだ。
瞬間、リーダー格が首をひねる。駄目だったか、彼が口を開き、僕が身構えたまさにその時、
「へぇ、普通にうまいじゃん」
隣から感心の一言が、僕の耳に届いた。
「うん、炊き込みにしては、少し味が薄い気がするけど。ってか、この店で味飯食べるの初めてかも。清ちゃん、米は銀シャリに限るって、譲らなかったし」
賞賛の言葉を唱えながら、二人は美味そうに、ご飯をかっ込んでいった。
「おかわり!」
顎鬚が、冗談交じりに、二杯目を告げた。僕がそれに応えようとすると、二人は「真に受けるなよ」とケラケラ笑い、満足げにお店を去っていった。
3月の文芸イベント出店準備や別の作品の執筆等(仕事の事情も)で、
更新がまた遅くなるかもしれません。
忘れず細々と書いてはいきますので、気長に更新をお待ちください。




