第六話
★2
「ささ、天使様。どうぞ、お好きなものを召し上がりください。ペトラ様も」
「ありがとうございます」
目の前には豚の丸焼き、村で獲れた野菜のサラダに、スパゲッティ、それから近くの森でとれた木の実を使ったタルト。俺たちは今、あの爺、もとより村長の家でごちそうになっている——
「協力って?俺が?」
「ん?そう、あなたが、ルーシーが。村を騙すの手伝ってほしいのよ。私はあの村長が持ってる宝を手に入れる必要があるの、だからお願い!」
「ちょっと待ってよ。いきなりそんなこと言われても、大体なんで私が初対面のあなたに手を貸さなければいけないんだ。私にはあなたを手伝う理由がないだろ」
「もう後がないのよ!村長が疑い始めてて、私に対する監視の目も強くなった。そんな時に、ルーシーが現れたのよの、まさしく天使!これは神が私に与えてくれた好機!!あなたと私が協力すれば絶対に村長を騙せる。そう運命が告げてるのよ!!」
ペトラはテンションが最高潮なのか俺の眼前まで迫ってきていた。さらに無意識なのか狙ってるのか、俺の右手を両手で掴んでいる。バッチリその豊満なお胸にサンドされてる。や、やわらけえ……。これ、男だったら絶対コロッといってるよ。息子さんがいれば、対空砲並みに頂上向いてるよ。……ていうか、ブラってこの世界にはないのかな?むにゅぅって低反発な肉の感触が、ここまで腕にダイレクトに伝わってくるなんて。落ち着け、俺。いくら綺麗な子に言い寄られても、この話は胡散臭すぎるだろ!それに、もうこの子に納められる刀は存在しない。この身体は女なんだから!そうだ、こいつについていっても何もいいことなんてない!女同士、せいぜい仲のいい親友止まりだ。そうだ、この女の話に乗っても俺に徳なんてない。
グググー
その時であった。俺の腹の虫は、まるでタイミングでも見計らっていたかのようにペトラの前で、見事な音を立てたのであった。そういえば、昨日は結局何も食べられず、極限に腹が減っているのを思い出した。
「ルーシー、今お腹すいてるんでしょ?」
ペトラはニヤニヤしながら俺に訪ねてきた。相変わらず顔の距離は近く、腕も胸に当たったままだ。
「す、空いてる」
ま、不味い……。計画に参加する理由ができてしまう。
「私に協力したらおいしいものが沢山食べれると言ったら?」
ペトラのニヤニヤは加速する。俺が必ずこの話に乗ると踏んでいるようだ。全く失礼な話だ。俺はそんな安い天使じゃない。ましてや、こんな詐欺師の術とわかっているのに、わざわざ引っかかりに行くなんてそんな愚かなことはしない。しないのだが、今回は特別に、特例法として、万に一つが存在したとして……仕方なく了承しようと思う。うん、腹が減ってはなんとやらだもんな。こんなに可愛い子と、おいしいものが沢山食べれるのだったら、付いていかない理由がないもんな。
「決まりね」とペトラはしたり顔で言った。
「それで、騙すってどうやって?」
「ルーシーは特に何かする必要は無いわ。いてくれるだけでオッケー。この村の近くの森に昔天使が降りたという神殿があるんだけど、そこで儀式があるのね。で、その儀式のときにただ突っ立ってればそれで大丈夫。難しいことなんて何も無いわ」
「そんなもんでいいの?」
「ええ!私に必要だったのは儀式を執り行う理由と、儀式中に村長たちに隙を作ること。あなたがいれば儀式が行われるし、儀式中は視線があなたの方へ釘付けになるから私が自由に動けるわ」
ただ突っ立ってるだけでおいしいのが食べられるなら問題ないよなと思いつつ、最初から浮かんでた疑問をここで解決しようと思った。
「なあ、一つ聞いていいか?なんでペトラは村長たちを騙そうとしてるんだ?」
「それは……」
俺の疑問にペトラは固まった。しばらく考えて、そして険しい顔をしながら再び口を開いた。
「村長が持ってる宝、ラグナスの杖って言うんだけど、この杖がね……私のお父さんの形見なの。私の家わね、そこまで身分が高くなかったんだけど、貴族の家でね。あの村長は使用人だったの。ある日、目が覚めると屋敷中血の匂いがしたわ。私は急いでお父さんの部屋に行ったの、屋敷の異変を知らせるために、そしたら、あの村長が、血だらけのナイフを持って、お父さんの目の前に立っていたわ。私に気づいた村長は、私を殺そうとしたけれど、お父さんが止めてくれた。その命をもって、私は最後にお父さんが言った『逃げろ』という言葉に従って、屋敷を出て、遥か彼方へ逃げ失せたわ。村長は……あいつは、お父さんが持っていたラグナスの杖を狙っていた。あれにはとても強力な力があったから。だから、お父さんを殺して」
ポロリとペトラの頬に涙が光った。なんということだ。あの村長はそんな罪を犯していたのか。
ペトラは涙を拭って「ごめんなさい。でも気にしないで。もう過去のことだから。私はただあれを取り返したいだけ。村長に復讐しようとかそんな気はないわ。だからルーシー?お願い。手伝って」そう俺に懇願してきた——
「お口に合いますかな?」
村長が俺に料理の感想を尋ねてきた。昼間のことをぼんやりと考えていた俺は、突然の不意打ちにうまく答えることができなかった。
「は、はい……」
不味くはない。けど美味くもない。なんだろう、酸っぱいような、辛いような、しょっぱいような……味がするんだけど、味がないみたいな。豚の肉も筋張って固いし、痩せている。野菜も素が入っていたりして味も薄いし小さい。パスタも油が貴重なのか塩茹でされたものがそのまま出されている。トマトソースが高価なのはわかるけど、せめてペペロンチーノぐらいは食べたかった。バターもやはり無いらしく、タルトも生地は小麦と水だけの固いものだった。木の実はおいしいけど。
何か具体的な感想を言わなければいけないのだろうか。でも特別褒めるところなんてないぞ。絞り出して「素材の味が活きた素朴な味ですね」ぐらいだ。
返答に困ってペトラの方を見る。聖職者にあるまじきテーブルマナーもへったくれもない粗雑な食事を繰り広げていたペトラは、俺の懸案事項をたった一言で蹴散らした。
「不味いわね。もっとまともな食事は出ないのかしら……モグモグ」
おーいっ!俺の配慮を返せ!ペトラの歯に衣着せぬ物言いに、ちょっとだけ居心地が悪くなった。爺もピクリと眉を動かして苦笑いをしている。大丈夫なのかこの女?
「はっはっは、いや、申し訳ない。使用人にもっとまともなものを作らせるように言っておきますよ。おっと」
ドンドンドンと扉を叩く音が聞こえてきた。
「ちょっと失礼。使いが帰って来ましたので出迎えに行ってまいります。どうぞ、そのままおくつろぎくださいませ」
そう言うと、村長は俺たちを置いて食堂を出ていった。
「ねえ、ルーシー」
村長が席を外すと、ペトラがズズズッと椅子を引いて近づいてきた。
「なんだよ」
「ねえ、これから村長の家を捜索するから、ルーシーは村長の注意を引いててくれない?」
またしても眼前に迫るペトラ。村長宅でくつろいでいるのか、襟が緩んでいて胸元が覗ける。少しだけ顔が熱くなった。
「わ、わかったよ。だから、その……近いって」
見えそうだよ。
「あ、ごめん。……じゃ、決まりね。私はトイレに行ったと伝えておいて」
「う、うん」
ペトラが食堂から出ていくと同時に、村長と、ガラの悪そうな騎士が入ってきた。使いってこいつか?なんかますますきな臭くなってきたんだけど。
騎士の鎧はすべて黒く、まさしく黒騎士と呼べる様をしていた。身長は2メートル近くあり、目がぎょろついて殺気が感じ取れる。
「おや?ペトラ様は」
「あ、トイレに行ってます。それより、そちらの方は?」
「ああ、こちらは騎士ユグス。私の私兵です」
「私兵?」
「ええ、このように私の家は屋敷のように立派でございましょう?だから、たまに盗賊が侵入して荒らしてしまうのですよ。だからこのユグスに守ってもらっておるのです」
「天使様、お目にかかれて光栄です。私はユグス。よろしく」
と、ユグスは腹の底から響く低い声であいさつした。
「よろしく」
「ふむ、しかしトイレですか。この屋敷は広いですから、迷ってないといいのですが……失礼少し探しに行ってきます」
「あ、多分大丈夫だと思います。ペトラなら、きっと……それよりも、私村長様にお尋ねしたいことがあるのですが」
「そうですか。何なりとお申し付けください」
村長はユグスを席に着かせ、また自分も俺の目の前に座った。よかった。とりあえずはペトラの行動がバレない。……えっと、聞きたいことがあるって言ったけど何を聞こう?適当に引き留めてしまったけど……あ、そうだ。
「あの、村長様は貴族なのですか?このように立派なお屋敷にお住みになられて、さらに私兵もお抱えになって」
「ああ、そのことですか。いえ、この家はもともとこの地域の領主のものでしたが、その領主がとても重い税を敷いて民を困らせていたのですよ。なので私とユグスと、勇気ある村人たちで反乱を起こしましてね。領主を追い出したのですよ。その功績を讃えられて、村人たちからこの屋敷をプレゼントされましてね。それで住んでいるわけですよ」
「そ、そうなんですか。勇敢なのですね」
嘘くせえ。お前みたいな爺が先頭に立って反乱指導するかよ。
「いえいえ、それほどでも」
「あの、では先ほど村が貧しいとおっしゃってましたが、その、ここの食事は豪華ですよね?こんなに奮発して大丈夫なのですか?」
「いえいえ、天使様をもてなすのですから、豪華なものにしないと、普通の食事では失礼でございましょう」
「そんなに気を使わなくてもよろしいのですよ。私の食事よりも、村人の食事を気になさってください」
なんて素晴らしいお言葉なのでしょう。でまかせで言ってるけど、自分からこんな言葉が発せられるなんて思いもしなかった。
「おお、そうですかな?では、その気持ちだけ受け取っておきます。ですが食事はかえませぬ。この食事はあなたへの敬意を表しておるのです。ご理解ください」
これは、本当なのかな?ちょっと判断しずらいけど。でも、確かに、みすぼらしい料理を出されるよりはよっぽどいいから、気持ちに甘えちゃおうかな?
それからも、適当に気になったことを質問して、適当な言葉を取り繕ったり、なんてことを続けていると、用が済んだのかペトラが戻ってきた。
そして、俺たちは村長宅での食事会を終えて、教会へと戻るのだった。