第四話
★7
「どうすればいいんだ……」
俺は愕然としていた。目の前に途方もない難問が浮上し、それの対処に苦戦していた。この世界に転生して初めて抱えた不都合は、多分これからの生活の大きな課題になる続けるであろう。
「とりあえず……あそこの沢に行ってみよう」
まだ闇の森は抜けていない。意外と長く続いている森の上空を、多分3時間ぐらいは飛んでいたんじゃないかな。薄着で上空の冷たい空気に、何時間も当たっていたのが俺に災いした。
沢に着いてすぐさま近くの茂みに隠れた。いや、別に誰かがいるわけじゃないけどなんとなく。ボロボロになったネグリジェの裾をたくし上げ、パンツを脱ぐ。……結構セクシーなの穿いてたんだな。
仁王立ちして何分か経ったところでまた最初のセリフ。
「だからどうすればいいんだよ!!女の小便の仕方なんてわかんねえよ!!!」
そうです。私、西島裕太。尿意を感じて、先ほどから慌てております。
そりゃ、この身体は生きてるわけだし、そういう生理現象が起こるのは仕方ないと思う。でも、何百年も封印されてたとか、背中から12本の翼が生えてたりとか、そういうあまりにもファンタジーな設定が、俺の中でこの身体を特別扱いさせていた。
「立ったまんまって、行けるのか?」
竿がない分、多分軌道がブレブレでひどいことになりそうだ。しかし、もはや残された時間は長くはない。俺は決断を迫られていた。
その時であった。自分がどこに降りたのか、視界の端に映る水しぶきと、それに伴ってマイナスイオンをガンガン出してそうな音を聞いた時、思い出した。
ごくり
生唾を飲み込む。いや、さすがにマナー違反かな?でも誰もいないからいいよね?ここは森の中の沢。人っ子一人いない闇の森を流れる水辺。行きつく先ではきっと飲料水にはならないはず……はず。いや、仮にここがプールとかだったらそんなことはしないよ?でも森の中だし。そもそも注意する人なんてどこにもいないし。
俺はゆっくりと、それはとてもゆっくりと沢に入った。きっとその光景を見た人は、女神が身を清める場面と勘違いしかねないだろう。それほどの緊張感が流れていた。もっともネグリジェの裾が濡れないように、胸元までたくし上げている姿には、女神なんて上品な言葉は似合わないだろうけど。
沢に入った俺は、またゆっくりと腰を落とした。丁度腰元が水に浸かるぐらいの高さまで。タイムリミットはすぐそこにやってきている。限界は近い。そして、ついにその瞬間がやってきた。
「お、おおおぉ……」
腹の底から漏れ出るような声。いや、女捨ててるわ。もともと女じゃないけど。下腹部が沢の冷たい水で冷やされたことが、ダムの決壊の最後の一押しを担った。窮屈な圧迫感から解放される。出し終えた最後はブルルと体が震えた。
……。
「いや、何やってんだよ」
セルフ突っ込みをかましてしまう。本当に何やってんだよ!今考えれば、普通にしゃがんですればよかったんじゃないの?なんでわざわざ沢の中まで入ってしてんの?バカなの?死ぬの?
唐突に沸き起こる自分への失望は、誰かに話せば楽になるんだろうけど、こうして一人でいると胸の中をぐるぐる輪廻してしまう。はあ、バカやってないで早く人里に向かお。
★8
沢を後にした俺はさらに東を目指していた。東と言ってもモロに指示された方角なので,本当に東かどうかはわからない。でもそれも関係ない。目的なんてあるようでいて無いから、行きつく先がどこであれ関係ない。
そろそろ日が暮れそうだ。ずっと東へ進んでいると景色が変わってくる。今までは眼下の森は真っ暗闇で、おどろおどろしい雰囲気を纏っていたが、ここまでくると、木々の青々とした葉っぱが、あふれ出る生命力をもって大地を覆っていた。頭上の空も同じだ。鈍色に紫が差したような重たい空も、遥か高く、黄昏時の紅を薄っすらと映した清々しいものになっている。
「さしあたって今までいた場所が魔界で、ここからは人間界か?モロの話だと俺が封印されてたのは魔界らしいし、魔界と人間界の境はわからないけどきっと陸続きにでもなってるんでしょ」
さて、では人間界まで来たと仮定して、これからどうしていこうか。とりあえず人里を探すのはもちろんだけど、このままだといつ見つかるともわからないし、だとすれば野宿かなぁ……。野宿かぁ、今まで野宿ってしたことないんだけど大丈夫かな?テントも寝袋も持ってないし、そういうところは考えてなかったな。何とかなるでしょって、ワンチャンあるっしょって、大学生特有のそんな思考できてたから。
野宿を迷ってはいたが、ほかに道もなさそうだったので、丁度下に見えた木々が少なくなっている場所に降り立った。闇の森と違い、地面がほのかに暖かく感じた。
「はあ、ええっと、野宿って何したらいいんだ?とりあえず火を起こした方がいいのか?」
ステレオタイプの野宿をイメージして必要そうなものを集める。森の中で手に入るものなんて薪ぐらいしかないけども。
「食い物は……いいや。どうせろくなもん取れないだろうし、口にも合わなそうだし」
薪を集めたはいいがこの後どうしようか?もちろん俺に火おこしの技術なんてない。原始人張りに手の皮が剥けるまで、グリグリ薪をこすってればいつかは起きるだろうけどそんなめんどくさいことするくらいならふて寝する。
「むむむ……あ、魔法!」
思い出した。俺には魔法が仕えた。狼を追い払った時みたいに念じれば火ぐらい点くだろう。よし。
薪に手を向ける。そして
「燃えろ!」
……何も起こらない。
「ファイア!炎!」
言い方を変えても何も起こらなかった。クソ、使えない魔法め。攻撃しか能がないのかよ。
「ファ〇ク!」
あきれて投げやりになった時に思わず口走ったセリフ。そのセリフを言い終わるや否や、今まで手を向けていた薪がいきなり爆発した。
「え?」
突然の出来事に目をパチクリさせる。なにが、何が起こったんだ!?敵襲ではなさそうだ。周りに人の気配は感じない。だとすれば、まさか?
俺はもう一度同じ場所に手を向けて同じセリフを言った
「ファ〇ク!」
ボンっ
今度は下の土も巻き込んでの爆発。体が砂埃にまみれた。
「ゴホゴホ……うう、火は起こせないけど、爆発させることはできるみたいだな」
テレレテッテンテン!魔法:ファ〇ク!を覚えた。
いや、そうじゃない。そんな魔法要らないから今は。
思わぬ能力の覚醒であったが、今の俺には無用の長物だ。火が欲しい。
それから、いろいろ試行錯誤をしてみたが結局火を起こす手段は見つけられなかった。あと、別にこの爆発の魔法。わざわざファ〇ク!って言わなくても爆発するみたい。そんなどうでもいい情報を得ながら、俺はその日の探索を諦めることにした。
適当な芝生の上に寝転がる。空にはいくつもの星が瞬いていた。こういうファンタジーにありがちな二つの月もあった。
目を閉じて考える。なぜ俺はこの世界に来たのか。正直言って、今でも信じていない。どこか長い夢の中にいる見たな気分だ。だからだろうか、前世に対する未練とか、この先への不安とか、そういう気持ちはまだ、感じていない。
こういう異世界転生ものって、主人公が現実世界でニートだったり、引きこもりだったりして、社会的に隔離されたような存在ばかりだったけど、俺自身はそういう例に全く当てはまらないんだよなあ。大学に通ってるし、友達もいるし、バイトもしてるし。彼女はいないけど、毎日充実してる。あ、バイト。俺が異世界に来たってことは水曜日のシフト空くよな。うわ、申し訳ないな。もとの世界に戻ったら謝ろう。うん。
……しかし、綺麗な星空だな。東京じゃ全く見られない景色だ。地球と見える星が全然違うけど。こんなに綺麗な空を見てたら、なんでこの世界に来たのかなんて、どうでもよくなっちゃうな。
「……あれがデネブアルタイルベガ、君が指さす夏の大三角」
星空と言ったらこの曲を思い出すんだよな。中学生の時からずっと聞いてて、今でもiph〇nの中に入ってる。はあ、音楽が聞きたい。オーディオプレイヤーってこの世界にあるのかな?ないだろうなぁ。
明日も東へ進もう。多分もうすぐ村にでも着くだろうし、そこでこの世界についていろいろ訪ねよう。モロが知らないこともたくさんあるだろうし。
いつの間にか瞼は重くなっていて、俺は自分がいつ意識を手放したのかわからなかった。