第二話
★3
「大変です!サタン様!!ルシフェル様が、ルシフェル様が封印を破られました!!」
「なに?」
一瞬、私の耳を疑った。何かの間違いであると。しかし、彼女の目覚めを伝えるこの従者はメルキオルの副官。消して間違えることはない。とすると、やはり。
「先ほど感じた気配は彼女のものであったか」
しかし、なんだこれは往年の彼女の禍々しい殺気とは程遠い。柔くなよっとしたこの気配は。
「偵察のものが姿を確認しました。未だ封印の部屋にいるようですが、いつここに来るかわかりません」
「ふむ……」
さてさて、これはどういうことだろうか。確かに封印は解かれた。それはこやつに言われるまでもなく気づいたことだ。しかし、それから感じる気配は過去のそれとは全く違う。このようなものにあの封印が解けるのだろうか?先代の魔王が施した、厳重な結界を。
「サタン様。すぐに討伐の軍を編成した方が」
「ならん」
討伐?何をバカなことを。彼女には変わりがいないのだ。彼女を殺してしまえば世界の均衡は崩れる。だから先代は彼女を殺すのではなく、封印したのだ。そんなこともわからぬのかこやつは。
「お前、名を何と言った?」
「は!私はドルイド・メイ・アーガス伯爵でございます」
「そうか。ドルイド卿、貴殿は今日から宮殿の書庫整理の任に当たれ」
「え?あ、あの、サタン様!恐縮ですがそれはどういう意味でございましょうか?」
「聞こえなかったのか?ドルイド卿。貴殿は国防大臣補佐の任を解かれたのだ」
「え?それは!」
「二度も同じことを言わせるな!!貴様のような無知が国防に携わっていい理由がない!伯爵風情が、先王から授かった恩賞を振りかざし、宮殿内を踏み荒らしおって!!!出ていけ!お前のようなものを補佐に命じた大臣にも処罰を与える!詳しくは追って連絡する。それまでは書庫整理だ!!」
「はは!」
はあ……あのようなものに国の防衛を任せていたかと思うと肝が冷える。未だに天界との戦争は終わったわけではないのだ。ただ彼女の封印を機に休戦協定を結んだだけであって。
さあ、彼女が目覚めたとなるとまた戦争になるぞ。やれやれ、平和とは長くは続かないものだな。
「サタン様。失礼します」
「む?アドリアーノか。どうした」
「天界より使者がお見えになっています」
「はん。相変わらず行動が早くて恐れ入る。通せ」
「は!」
アドリアーノがドアを開く。すると白銀の羽が一枚、私の机の上に飛んできた。ほお、あいつが使者としてくるか。
「お久しぶりです。サタン殿」
「これはこれはガブリエル殿。貴殿が直々にこの魔王城へ来るとは」
「それだけの事態と神が判断なされたまで。状況はどうなっておりますの?」
大天使ガブリエル。神に仕える4天使のうちの一人で大天使の称号を持つ。この私、サタンとも互角を張れるほどの力の持ち主が、直々にこの城へとやってきた。その意味は大きい。
「まだこちらもよくわかっていない。ただ彼女が目覚めた。それだけだ」
「早く手を打たなければ取り返しがつかなくなりますわよ」
「それはわかってる。だがあまりにも急すぎてこちらも情報をそろえられていないのだ。打つ手は模索中。それしか言えない」
「ルシフェルの監視は“冥界の王”であるあなたの役目でした。ですが今、こうして封印が破られた。これは立派な契約違反と言えるのではなくて?」
「……その発言は少し訂正がいるな。私は“魔界の王”であって冥府を司るわけじゃない。“冥界の王”は彼女だよ」
「そうでしたわね。魔族の中では冥界と魔界は違うのでしたね」
「ふん」
皮肉が込められすぎだ。全く。しかし、ガブリエルはわざわざ私を煽りに来たわけではあるまい。その麗しい仮面の裏側の、魔族よりも黒い一面を知られてないとも思わないだろう。さあ、本題を話せ。
「……今回のルシフェルの目覚めは休戦条約の想定していなかったことです。つまり、この状況下では休戦の合意は意味を持たない」
「……戦争か」
「はい。私は神の命により、あなた方魔族に宣戦布告を宣言しに来ました」
はあ……始まってしまった。激動の乱世が。平和は長くは続かないな。
★4
「うー……うー」
腹が減ってはなんとやら。いい加減腹が減りすぎて死にそうだぞ。部屋の捜索をしているといきなり腹が減ってきた。きっと何日も食べていなかったんだろう。部屋の中に食べ物はなかった。ま、なんとなく予想できたけど……。あ、そう言えば、奥の方に姿見を見つけた。なんだか曇っててよく姿を見れなかったけど。でも、よく見れなくてもわかるほどこの身体は綺麗だっていうのはわかった。
輝く銀髪に西洋風の顔立ち。肌の色は雪よりも白くて瞳は赤い。まるでアルビノみたいだったけど、血色が悪いわけではないみたいだ。
「はあ……これからどうすっかな。このままだと餓死しそうだけど、でもこの部屋から出ると崖に落ちちゃうし……ていうかこれ、この現状。これってもしかして巷で流行ってる異世界転生?」
流行ってるかどうかはさて置いて、ネットとかアニメとかでよく目にする異世界転生もの。シチュエーションはいろいろあるけど、大体が何の脈絡もなく異世界に飛ばされて、チート能力を駆使しながら世界を救うとかそんな感じの話。
まさかとは思うけど俺って転生してるのかな?てことは何かしらチート能力とかあったりするのかな?いや、でも最近は完全なチート能力とかってないからな。何かしらデメリットとか弱点とか抱えてるし。死ぬたびにチェックポイントからやり直させられたり、蜘蛛に生まれ変わってハードモードなダンジョン攻略したり。……そもそもチート能力なんて取得せずに駄女神と旅をするなんてのもあるよな。
かくいう俺は……ちょっと試してみるかな。
ベッドから起き上がる。とりあえず何がいいかな?えーっとえーっと……あ!
「飛ぶ!」
バサっと背後で大きな羽音がした。視界の端に真っ黒い羽が映っている。姿見で確認すると翼が6対の計12本生えてるのが分かった。白い素肌に黒い翼のコントラストはどこか厨二心をくすぐられる。真ん中に映る少女が美少女ってのもまたいい。着ているのがピンクのネグリジェってのがちょっと気になるけど。
てかこれどうなってんだ?服を着てるのに翼が生えてるって、背中の所破れてないのか?
姿見で背中を確認するが破れてはいなかった。どうやらこの翼は、背中から生えてるのではなくて、背中からちょっと浮いた場所から生えてるらしい。黒い光がその場所から漏れている。なるほど、便利だな。
「さて、これで飛べるかな?一様動かせるみたいだけど」
12本の翼を持つのは不思議な感覚だ。人間には存在しえない器官の感触は、別段気持ち悪いということもなく、むしろ何年も使ってきたこの足と同じように自由に動かせる。
ばさりと羽ばたくと突風が発生する。うん。これくらい力強いのなら飛べるだろう。
ドアの前に立つ。ごくりと生唾が飲み込まれる。初めての飛行。失敗すれば紐なしバンジー。飛び方のマニュアルなんてない。遠くにまた人影が見えるからとりあえずはそれを目指して飛ぼうと思う。
「よし!」
ふうっと息を吐いて覚悟を決める。3歩下がり、助走をつけてドアから飛び出した。
「うわあ!」
飛ぶ前の心配をよそに、12本の翼は風を捕まえて空を飛んでいる。苦しいとかそんな感覚はなく心が澄み渡るかのような気分だ。一つ文句を言えばこんな魔界みたいな景色よりも青空を飛びたいのだけれど。ま、それはまた追々。とりあえず目下の目標である人影を目指して飛び続ける。……あれ?おかしいな。なんかとっても焦ってるみたいだけど。
「おーい!あのー、すみませーん!!」
3人ほどいた人影は徐々に後退していっている。何やら怒号や叫び声も聞こえてくる。まさか!?急病人か?だとしたら助けなければ!
俺は先ほどよりも早いスピードで人影へと向かった。すると——
「うわっ?!」
人影から火球が放たれた。突然のことに俺は回避なんてできず、その火球をもろに受けてしまった。
「あっつい!あっつい!!」
火球は体を包んだ。火だるまになりながらなんとか飛び続けようと試みたが前が見えず、崖に衝突してしまった。
「痛ってええええええ!???!!!!!!」
そのまま崖の下に落ちる美少女。ああ、神よ。俺の転生人生はここで幕を閉じるのですね。