追憶
久々の前書きでおま!
異端の魔剣士、とうとう第九部です。
この先シガールはどんな経験をするのか、見物で御座います(何かこれ恥ずかしい……orz)。
え?
……完結は近いのか?
……まだ先です(震え声)。
後、手前味噌ですが、何とこの作品アクセス総数800超えました!
有り難うございます!
こんな作品しか造れない無能(筆者)ですが、どうか御笑覧下さいませ!
かつて、《天使》と《悪魔》の剣が有った。
もとより《悪魔》は男──ソレイユ──の戦友の愛剣であった。
無骨な印象の《悪魔》とは対照的で、《天使》の名を冠するそれは、ささやかながらも銀の装飾がなされていた逸品である。但し、宝物というよりも実戦向けの一振りでは有ったのだが。
だが、これは男の趣向であった。
──『正義は勝つ』。
昔は若さゆえに大言壮語を何の憚りもなく言いふらして回っていた。
男の戦友は『ひねくれずに僕も天使にすれば良かった』なんて屈託なく笑う。爽やかながらもさりげなく自己否定的なのが彼だった。
剣の発注の際、『そこまで僕はやさしくないよ、だからこそのこいつだよ』とか言っていた。
彼の一振りは《天使》とは対照的に武骨かつ質素な佇まいの、しかし堅牢な造りの業物だ。
しかし、憧れを抱き涼風吹く様な日常は、ある日唐突に打ち砕かれる。
──戦が起こったのだ。
国境付近で小競り合いとのことだった。
幸いにしてか、ソレイユ達の部隊は練度は高く、潜り抜けた死線も数多い猛者ばかりであった。ソレイユらに至ってはまだ若いとのことで最前線にこそ出ていなかった。この時はまだ、皆が楽観視していたからだ。
だが、日を追う毎にその小競り合いも加熱の一途を辿る。これは誰もが予想だにしなかったことで、小競合いが慢性化し、戦場は兵達の命を糧に激しく燃え上がった。
何時からか男達の部隊も、足りぬ物資と敵方の神出鬼没のゲリラ的な戦術に頭を抱える事となっていく。
更に始末の悪いことに、打開策も打ち出されたが功を奏する事すらない有り様で、状況は日を追うごとに悪化。戦況は泥沼と化していく。
結果、部隊の中で一日に何十人もの仲間が消える日が有った。
『死にたくない』と泣きながら事切れて逝く者があり、部隊は日増しに笑顔が消え、隊における空気も殺伐として張り詰めた。
そんなある日、男が帰投すると戦友の所属する分隊が帰らない事があった。
胸騒ぎに突き動かされる様に手分けして辺りを哨戒すること二刻。
──見付けた。
血と泥にまみれ、幾本もの矢玉に貫かれながらも現世に留まる痛々しい彼の姿を。
『……あ、ソレイユ、か。 すまない、罠、だった……やられたよ』
確か、彼は撤退した敵勢力の掃討に討って出たのだ。が、敵が撤退したこと自体が策であった様だ。周りには、散っていった仲間が倒れていた。
誰一人として、動く者は無かった。
その時彼が何と言ったか──男は思い出せない。
あの後、彼が確か後悔していたことだけを思い出すくらいか。
──僕が、僕みたいな弱い奴が指揮官だったから皆死んだ、と。
──あぁ、思い出した。
『違う、お前は強い』とか言ったっけ。
それは本心からだった。殺伐とした中でも彼は自身を見失わなかったし、諍いにだって調停役を買って出た様な男だった。
喧嘩の絶えない関係ではあったが、『天使』は彼にこそ相応しいのではないか──そう思った。青臭くて馬鹿そのものだが、心からの思いである。
彼はそれを聞くと、何時もの様にやんわりと笑って、何時もの様に自分を卑下する。
『僕は、そんな……強くは、ない』
そんな言葉の後、彼は満足げに瞳を閉じる。
男──ソレイユ──はそんな彼の生前の願いを叶える事を誓い、来る日も来る日も涙を飲んで激戦を生き抜く。
次第にその戦も、灰色の闘争の慢性化に因り、半ばなし崩し的に終息。何の酬い一つない空しい物のままに幕を下ろした。
ただ参戦した報奨金のみが、多くが死んだ戦の空しさを助長する様に在った。
戦線の後、戦友を埋葬する折、棺の中にかつて男の手中に有った《天使》の一振りが遺骸に寄り添う。
(何が正義だ……所詮は傭兵も騎士も人殺しだ……。『欲しい』って言ってたろ? 持って行くといい。 せめてもの餞別だ、くれてやる……)
事実、何人も斬った。
小さな頃、お伽噺の英雄譚に憧れて、『俺も英雄になるんだ』と意気込んで、行き着くは理想に程遠い殺戮の罪科のみ。
そして戦友達が隣で散って行った果てに、彼は一つを知った。それに気付くのは遅すぎた──愚者の答え。
──力無き者は善悪共に無力だと。
──俺は力など持たないその他大勢の弱者だと。
──日常の幸せほどに尊いものはないのだと。
それを思い知り、自覚してその日その時初めて、戦友達の死に男はそれまでの哀切と自身への呪詛を込めて慟哭した。
かくて《悪魔》と《天使》の二振りの剣は、ついぞ《悪魔》のみが残る。
戦場での肩書き──《悪魔》と共に。
シガール等が今生の別れを迎えた場所。
そこは光すら満足に差し込まぬ林である。そこから程なく歩いた場に四人の男達が無様に倒れ伏していた。
──内一人はシガールの父ソレイユであった。
(……夢、か。 俺は、死んだ……のか?)
地面に伏し、土臭い口の中を不快に思いながらぼんやりと考える。
ようやく思い出す。
立ち木を遮蔽に取りながら、弓兵を警戒。必死に囲まれない様に大立ち回りを演じた事。
最初の激突で一人の一撃を切り返し斬り伏せ、続く男を斬り倒したところ迄は想定通りであった。
──が、その直後脚に矢玉を受けた事で立ち回りは完全に破綻。
結果、敏捷性を頼りとした戦術は取れなくなり、じり貧となった。
だが、劣勢にも機は有った。しかし、結局一人を討ち取るだけに止まる。
そして、ソレイユは自身の傷害の度合いをざっと看る。
(もう……本気で駄目、だな……)
目を覆いたくなる惨状がそこに有った。
短槍が二本、下腹部を貫徹。
刀傷が縦横無尽に走っており、脚と言わず腰部や上腕にまで矢玉を受けていた。
下腹部に至っては、赤黒い血液と目の眩むような真紅の体液が混ざりあうように流出していた。
それが示すのは臓腑の致命的な損傷である。
左目もまったく見えず、思い出す限りでは先の戦闘で左目にも矢玉を受けたらしかった。試しに左目付近へ触れると、左手にどろりとした半透明の体液と血液の混濁したものが付着する。
そして、これこそが一番の判断要因であった。
──痛みがない事。
これだけの手傷は最早致命傷の範疇にあり、痛み一つ感じもしない事はそれ即ち異常に他ならなかった。
戦場でも幾人か瀕死となった者も居たが、そういった者の幾人かは痛みを感じない事が有った。きっと自分もそうなのだろう。
そこまで把握したところでソレイユは、はっとする。
(シガール、リュンヌ……!!)
己が守るべき者達の事を思い出したのだ。
地を這おうとするも、ソレイユの四肢は最早その役目を果たそうとしなかった。手足を動かすと、それだけで忘れ去られていた筈の痛みが戻ってくる。
ソレイユは痛みに構わずしかし、無様にもじたばたと身悶えする様な程度にしか四肢を動かせなかった。前に進むことは叶わず、またソレイユはその事にすら気付かず、一心不乱に四肢を駆動する。
それでも、彼の心だけは前へ前へと進んでいた。
父としての、夫としての意思がそれを続けろと訴えていた。
──そんな時である。
「……どうした、あんた。 そんな惨めったらしい格好で這いつくばって」
「……!」
突然上から掛けられた言葉にソレイユは身構える。
しかし、構えたはずの剣は使えないと一目で判断できる状態に変化している。何故なら、中程から先がないのだ。そのうえ、持ち上げる事すら叶わない始末である。つまりソレイユは地べたに這いつくばって、ただ身悶えしているに過ぎないのだ。
そんな事はお構いなしに声の主はソレイユの前に回り、中腰となる。
相手は男だった。年の頃はソレイユより多少年下の青年と見受けられた。黒の外套を羽織り、フードの下から覗く顔立ちは鴉の濡れ羽色の髪をしたやや中性的な印象の顔立ちである。
ソレイユは朦朧とする意識を手放しまいと奮起し、男を見据える。
──気を付けろ、こいつ普通じゃない。
こんな状況の半死人に対して怯えもしない人間がただの一般人のはずがない。
本能が警鐘を鳴らす。
だが、男は怪訝そうに首を傾げる。
「なんだよ、あんた。どうしてそんなになってまで死に急ごうとする?」
「うる、せぇ……」
瞬間髪を掴み上げられ、暫し互いに見つめ合う。
喉の最深部で吹き出した血液で息が詰まる。
(なんだって死に際で野郎の顔なんざ見なきゃならん……)
内心文句を言いつつも、男から目を反らさない。
不意に男が手を放し、激しく咳き込む。
男から値踏みする様な不躾な視線が投げられる。
「アンタ、もしかして家族でも守ろうとしたか? ……どうだ?」
「……ぅっ!? ガハッ、ゴホッゴホッ!!」
「図星か……どおりで野盗風情にしちゃあ肝が座ってると思ったぜ。ま、そうでもなきゃ死に体になってまで身体張って、敵意剥き出しになんてなれねぇよなぁ?」
「なんだ、お前は……敵か」
ソレイユは絞り出す様な声で問いを投げる。
それを聞くや男は呆れた様に溜め息一つ吐き、言い放つ。
「敵か味方か、だぁ? そんなもん曖昧な問い掛けだろうが。 敵ならとっくに首と胴が泣き別れてるだろうよ。 まぁ、アンタは俺の仕事とは関係ないってのは確かだな」
ぐうの音も出ないとはこのことだった。今の今までそんな判断も出来なかった事が愚かしい。
その身体でも闘うってんなら話は別だがな、と男は冗談めかし、再び林の中へ飛び込もうとする。
「待……て!」
それを察し、やっとのことで声をあげる。
聴こえたのか、彼は振り返りもせずに足を止める。
「あぁ? ……なんだ、まだ何か用事か?」
男はその声音に僅かな苛立ちを滲ませて言った。
背中越しでも「早くしろ」と急かす雰囲気が感ぜられた。
「妻と、息子……を、助けてくれ」
「……言ったろ、『仕事とは無関係だ』とな」
男は僅かに顔をソレイユに向けて言い放つ。凄まじい圧力を伴った言葉で、思わずたじろいだ。
それでもソレイユは、すがるような想いで嘆願を続ける。
「頼……む、出来る限り、で……」
言葉は途中で止まる。
「オイ、アンタ! しっかりしろ、助けほしいんだろ!?」
ソレイユはがくりと力を失った様にだらしなく身体を弛緩させる。首に手を当てると、弱々しいものの脈は止まっていなかった。
そして、そんな風に言って自身で驚いた。
『助けない』と暗に言ったはずだった。
(くそ……なんだってこんな……!)
今まで自覚は有った。
余計な事に首を突っ込んで、面倒事に発展させた事も有った。そのことが元で、窮地に陥った事も──。
だが、不思議と悪い気分ではなかった。
一方で、『それは甘い』と自責の念もあった。
しかし、それ以外に理由も有る。
──自身でも自覚しうる、感傷だらけの理由が。
「……良いだろう、助けてやる。だが『助けてくれ』と抜かしたんだ、アンタは。アンタは半死人だが、そう易々死ねる人間ではなくなったんだ……分かるだろう?」
鬱陶しげに溜め息を吐くと、膏薬や布の端切れ等を用いて簡素ながらも応急的な止血を行う。
そしてそれが済むと、取り出したるは一つの丸薬。
(こんなのでも、ないよりはマシか……)
ソレイユの口へ半ば強引にそれを放り込み、水袋の水を少しずつ含ませると、立ち上がって森へと駆け出す。
ふと、男の顔が歪む。
それは、悪意や隔意とはまったく無縁の表情だった。
「約束ってのは果たすべきものだろう。 ……また来る。無茶だろうが、死んでいてくれるなよ」
──男は絞り出す様に、そう言った。
背を向けて走り出すのはすぐだった。しかし、何故だろう胸が少し、痛んだ気がした。