決断
如月節を維持しつつ、少し手短に仕上がりました(笑)
スブニールら熟練の傭兵に言わせれば、野戦は比較的楽な方である。
長年で培った経験、技量。咄嗟の事態における柔軟性。それらを最大限に活かして居るからこその言葉だ。
ところが、それほどの男達をして尚、たじろぎかねないものがある。
──防戦だ。
そもそも、戦闘行為には数多い目的と定義が付いて回る。単純なようでいて複雑な状況が常の、流動的なものだが、こと防御という意味でのそれは死の危険が格段に跳ねあがる。
目的の達成、ないし敵の攻略ではなく『守る』という、言わば究極と言ってもいい不測の事態でもあるわけだ。加えて、窮地という混乱に置かれている仲間の動向、その兆候にまで注意を払う必要が出る。
ともすれば、指揮系統の機能停止にも繋がりかねないのだ。これ以上の劣勢はないだろう。
「くそ、シガールが!? 弓兵構え、後退しつつ援護しろ!」
レミーの指示が飛ぶ頃には、戦線は既に崩壊していた。スブニールは、乱れた前線の立て直しと負傷者の誘導に回っているようだが、足りぬ人手と敗走する卒。果敢にも、殿軍に向かおうとするものとで混沌としていた。
臓腑と深紅の体液が、てらてらした光沢を帯びて大小様々な花を散らす。大地は勿論のこと、草花さえも艶かしく染め上げる。自軍の被害が甚大だという覆しようのない事実に、スブニールは口を真一文字に引き結ぶ。
ジルベールは支援部隊の先頭に立ち、自身も矢を番ている。
ざっとの目算では、三〇余りが散り散りとなり、各個撃破されていった。その上、二倍以上の兵力差で攻められている。スブニールより後方の仲間は戦死必至だろうことは、嫌と言うほど伝わった。
ほんの気持ちだけ、アバンツァータの攻勢が緩んだのは、恐らく油断させたところを一息に呑み込もうと画策しているからだろう。
──こう言うのはまったく……いつになっても気分の良いもんじゃねぇ。
このまま行けば、足が鈍った途端負けが確定してしまう。しかもそれは生半可な敗北ではなく、全滅という最悪の事態に繋がることだろう。
何故なら彼の経験上、戦列を立て直すことが叶わなくなった軍団というものは、勝ち戦になった試しがないからだ。例え指揮系統が健在であっても、指示が末端まで行き届かないのであれば、最早勝負にもならない。頭脳と手足があり、個々の動きが整然としてようやく五分の条件で立ち向かえるわけだ。
大剣の根元で襲い来る剣を弾きながら、スブニールは苦悩した。
敗けは必定。或いは不揃いな心がもたらした、因果なのかもしれなかった。それを黙認したのは他でもない彼自身だ。
死線を幾度となく潜り抜けた経験が、逆に彼をどうしようもなく温くしていた。
思考の片隅で、「こんなもの、どうとでもなる」と高をくくっていたのは否めない。人の思いで、軍が動くと知っていながらもそれを軽んじた。
そんなものは、感傷だらけの戯言である。どうあれ、時は戻らないのだから。
「──くっ!?」
横薙ぎの一閃を受け止めながら、打開案を必死に模索する。
大事な仲間が──既に絶望的と言って良いのかも知れないが──助けを今か今かと待っている可能性もある。
非情な決断をとることも、勿論あった。それは後方の仲間を見殺しにして、自分たちが長らえるというものだ。
仮にも長として通している身の上。自己の感情に任せて、仲間を全滅の憂き目に遇わせられようはずがなかった。
そうこうしている内にも、敵の放つ矢が頬の皮を裂いて飛ぶ。足を狙った穂先が風を纏って唸りをあげた事に肝を冷し、味方の断末魔と今際の際に心を軋ませた。
──くそっ、シガール! ……皆!
伸ばした手が空を切る、あの喪失感を味わいたくない。しかもシガールは、自ら死地へと飛び込んだ。
助けてやりたいという気持ちに、焦りだけが募り、剣の柄には余分な力を籠らせるに至る。それとは知れず、彼の顔と技には翳りが見えた。結果として付け入らせる隙を与え、傷が増えていく。
やがて剣の技量で押され初めるに至って、スブニールの心は大いに揺れた。
「スブニール、もう駄目だ──押さえきれん!」
「矢筒の替えがない、指示をくれ!」
片腕たるレミーらの声で、この状況を打破する手段がないことを悟る。これでどうして最善を尽くしたと言えようか。曲りなりにも将である以上、己の非と現実に目を向けなければならないのだ。
万全を期さずして皆を危難に陥らせたのは彼だ。今更悔やんだところで、どうしようもない。
彼は、歯噛みした。
「……これより、撤退する!」
暫しの逡巡の後、スブニールより通達が為される。目的を持った為か、僅かばかり持ち直したものの、犠牲はいや応なしに積み重なっていく。
苦渋に満ちて歪んだ顔は、既に歴戦の勇士のそれではなく、敗軍の将そのものであった。
次回、敵の波に呑まれたシガールの末路とは!?
時はスブニールらが撤退するより、若干遡る……。




