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異端ノ魔剣士  作者: 如月 恭二
一章 遠い日の誓い
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敗走

 「……大丈夫だ、前に来ていいぞ」


 薄暗くしげる木々の間をって、シガールら親子は移動していた。

 一旦駆け出した後は森へ飛び込み、以後はソレイユの指示で、弓兵や伏兵に警戒しながら極力無音での行軍となっている為、進行速度はあまりに鈍い。その足取りは出立時のおよそ半分以下の速度である。仮に最寄りの小さな集落へ退避しようにも、道のりの半分に達しないところで日が沈んでしまうだろう。


 少し離れた小高い上り坂から顔だけシガール達に向けて、小声でソレイユが話し掛ける。こうでもしなければ連中と鉢合わせる可能性が有るからだが、リュンヌに至っては話す気力もなく、ただただ黙ってうなずくのみだった。

 そんな中で、ソレイユは今更ながらに思案する。リュンヌがあの場で足がすくまなかった事は不幸中の幸いだったと。そうでなければ今頃は隊長やヴェルチュの二の舞になりかねなかったからだ。

 そうは言っても、出立時の明るい雰囲気はどこへやらである。重苦しく、心境はお通夜と言うよりも敗走した軍隊の様な気分である。

 それもその筈で、味方である護衛の人間達とも最早完全に離れて孤立無援だ。その上、退却の最中である。形だけ見れば確かに敗走と何ら変わり無いのが実態だ。


 「追っ手の気配はないな。……はあ、皆無事だと良いが」


 ソレイユの声にも活力が無い。静かにせねばならない事も有るだろうが、一番大きいところは心労と衝撃だろうことが見てとれる。張り詰めた口調は、余裕がないことを表している。


 (あれほどの戦闘音がしたが今は止んだか。 それにしたって早すぎる。彼等が一旦退いたのか、逃げ出したか……或いは既に──)


 ソレイユは怒号と剣撃の奏でる音が途切れた事に対して思考を巡らせるも、それ以上考えても詮ない事と即座に思考を切り替える。

 撤退の方に頭を回さねば今度はこちらが死ぬのだから。


 「えぇ、そうね……。皆無事ならいいのだけど」


 「大丈夫か、酷い顔をしてるぞ。 怪我でもしたか?」


 青い顔をしたリュンヌをソレイユが気遣う。

 正直シガールとしては、子供心に意外だった。

 良く言えば自由で正直な、悪く言えば何処か子供じみている父がそんな気遣いを見せた事が、だ。


 「大丈夫……私は大丈夫、だから」


 「母さん……本当に大丈夫?」


 気が付けばシガールは、リュンヌにそんな言葉を掛けていた。

 母が酷く疲れた様な、あの時と同じ──今にも泣き出しそうな顔をしている様に思えた。普段しっかり者として通っている母がこの時はとても弱々しく見えるからである。


 「な、何度も言わせないで! 大丈夫だから!」


 悲鳴の様にリュンヌは声を荒げた。心なしか顔は汗だくになっている様にすら見える。

 だが、ソレイユが静かに首を横に振る。


 「……それは嘘だ」


 「私なら大丈夫と言ってるでしょう!? 嘘なんて言うわけ──」


 「嘘じゃない? ……なら、どうして──泣いている?」


 「…………え?」


 リュンヌは一瞬間の抜けた顔をして、確認する様に自分の顔をあちこち触り始め、


 「──ぁ……」


 ほおを濡らす一筋の雫に気が付いた。

 よくよく見れば、一見しただけでは汗で分からないが、確かに目尻が光っていて、涙の形跡がすぐにそれと分かる。


 「……やだ、私ったら、こんな、どうして。あ、あはは、駄目……と、止まらない」


 後の方は聞き取れず、次第に嗚咽おえつが漏れ始める。

 つくろっていた様な冷静さは、次第に泣き崩れる格好に変化していった。


 「……あぁ! あなた……どう、しよう。 父さんが、私の父さんが──死んじゃった!」


 とうとう膝から崩折くずおれ、小さいながらも声を上げて泣き始めてしまった。

 束の間、三人の間に何とも言えない静寂が流れる。

 沈黙を破ったのは、またしても意外な事にソレイユだった。


 「あぁ、お義父さんの件は……俺も辛い。 だが、お義父さんならこういう時、君の無事を願う筈だ。 まぁ、その……なんだ、お義父さんは普段から娘である君しか見てなかった事が在った様な気もするがな」


 苦笑してからソレイユは、更に続けた。


 「それでも辛い気持ちが分かる、とは言わない。 でも、お義父さんはきっと悲しみに沈む君を見たいとは思わないだろう。 だから今だけでいい、涙は生き残った時に取っておいて欲しい。 ……俺も、その、君には無事で居て欲しいというか。……なんていうか」


 「…………」


 目一杯の涙を浮かべるリュンヌは、口を半開きにしてぽかんとした表情で僅かばかり硬直した。

 そして、二人はそんなリュンヌの服の端を引っ張るシガールの姿を見とがめる。


 「──俺も居るよ?」


 「……っ」


 リュンヌは無言でぼろぼろと大粒の涙をこぼしながらも、目元をそっと拭った。

 その仕草は子供が、泣いているのを勘づかれまいと必死になっているのにも似ていた。

 それでも確たる意思を宿して、リュンヌはソレイユに向き直る。


 「そうよね、泣いてたら父さんに笑われちゃう……。 今はあなたの言う通り、涙を取っておくわ」


 「あぁ、そうだな……」


 リュンヌは少しだけ明るい顔をして、悪戯っぽく微笑む。

 そして、聞こえよがしに言った。


 「あ~あ、折角カッコよかったのに。 最後で口ごもっていちゃあ台無しよ、もう……」


 「ぅおい!?」


 「ぷ、くくっ……」


 「シガールまで……!」


 「──でも、有り難う。大分楽になったわ……面倒かけちゃったわね」


 「なに、お安い御用さ」


 ひとまず安堵し、ソレイユがそこまで言った時だった。


 「……っ!?」


 突如として微かな物音が発生。距離にすれば二十メートル程度だろうか。ソレイユが顔を強張らせる。

 あまりの唐突さにリュンヌもシガールも硬直する。


(獣か……? いや、しかしそれにしては静か過ぎる……敵か!?)


 しかし、リュンヌはすぐに察したようで、


 「もしかして、もう追っ手が……?」


 鬼気迫る表情でソレイユに問う。


「……近いぞ」


 それだけ言うと、手振りで指示を出し、リュンヌ達を木の陰に隠れさせる。後に残ったのは、虫の泣き声とこずえの揺れる音だけだった。

 ソレイユもまた、手近な茂みへ身を隠す。

 程なくして、家族三人以外の物音がはっきりと耳に入る。


 (この靴の音は……む、やはり!)


 音の主はソレイユの推察通り、人間だった。

 装備が擦れ、剣帯が奏でる規則的な音を響かせて物音に注意を払う様に、けれどもそっと歩いてくる足音が何よりの証拠だ。

 そして、茂みの隙間から覗く顔は明らかに護衛要員の顔ぶれでないことが見てとれた。

 この時、ソレイユは接近する者を敵だと断定。

 幸か不幸か相手はソレイユに気付く事なく、ソレイユの潜む茂み付近へと足を踏み入れる。


 (彼等は全滅か、もしくは揃ってこの森から敗走したと考えた方が妥当か。 見た所他は居ない。……こいつは斥候(せっこう)だろうな。 距離はさほど無い、いけるか?)


 考えが及ぶに至り手頃な小石を拾い上げ、男の前へとこっそりそれを転がす事にした。慎重に行ったが、目論見通りの軌道で石は男の横へ着地し、


 「……ッ!?」


 男が石に気付き、明らかに動揺した瞬間だった。

ソレイユは獲物を狙った猛禽もうきんさながらに飛び掛かり、奇襲をかける。

 そのまま前方に全体重を掛けて、袈裟懸けさがけに一閃。

 反応しようとするも、男にとって僅かな隙はただそれだけで命取りだった。

 長剣が男の鎖骨付近を捕捉。一撃で致命傷を与えうる、極限まで()え渡った剣閃が一筋の線を描く。


 「ぎゃあぁああ!?」


 剣の炸裂と同時に、男は肩口から血を吹き出してけたたましい断末魔を挙げる。

 幸いにして、シガールらはその様子が見えない死角であった。


「あなた!?」


「大丈夫だ。 それより──」

 

 しかし、二人は飛び出して事態を把握しに来た為、野盗の遺骸を目の当たりにし口元を押さえる。だが青い顔色の中に、憂慮の気配がある。心配させたようだった。

 そんな二人をよそに、ソレイユの思考は既に戦場へと向けられていた。ソレイユは小さく舌打ちをする。そこかしこで怒号が上がったからだ。

 直後、己の愚かさに反吐が出る程後悔した。


 「居たぞー!?」


 「声のした方へ急げ。 まだ居るぞ、いいか必ず殺れよ!」


 「くそ、殺られたのは誰だ!?」


 ソレイユは状況を完全に把握し、悲嘆する。そうは言っても、何の事はない。連中はすぐそこまで差し迫っていたのだ。

 絶望的な状況へと変化させてしまった事に忸怩じくじたる思いが浮かぶ。

 さりとて捕捉されるのも時間の問題であったし、突破口が未だ見えぬままだった事もまたソレイユは理解していた。

 故にソレイユの心はかつてない程に焦りが生じていたのだった。

 「妻と子供は何としても救わねば」という無自覚な自責と焦りが、より危険の伴う、無謀ともとれる行動を実行させるに至っていた。安全を優先とするなら、男をやり過ごして離脱をすることが最善だったことだろう。

 いずれにせよ、既に最悪の状況となっていた。ただそれだけのことだ。


 「……!」


 見れば、二人は不安そうな面持ちでソレイユをうかがっていた。その顔は最早今にも立ち消えそうな程に弱々しく、儚いものであった。

 それを見てソレイユは二つ在る内の選択肢を一つ、潰す事にした。


 「……二人とも行け、今ならまだ連中は来ない」


 ──それは、自身が妻子共々落ち延びる事だった。

 けれどもこの選択は、ともすれば無責任な行動であった。時間稼ぎさえすれば生存率は高まる。

 逆に言えば、さして足止め出来ないならば死が待つのみである。

 自身が倒れれば、愛するものたちにはなぶり殺しという酷い最期を与えかねないのだから。

 それでも、妻と子供はとうとく護りたい存在であった。

 愛してるからなんて、ありきたりの言葉じゃなく、ただ大切な者の幸せを願いたい……これでは駄目だろうか。


 「な、何言ってるのあなた? 早く逃げればまだ──」


 ──やはり君ならそう言うと思った。

 ソレイユは内心嬉しくあったが、同時に苦々しい想いが込み上げる。

 一緒に逃げようという言葉は嬉しくない訳がないのだ。ソレイユは決して自分一人だけで残りたくはなかった。

 それでも、それでも──


 「駄目だ、このままでは間違いなく──皆死ぬ」


 「「──っ!?」」


 はっきりとソレイユは断言した。それこそ無情とも言える宣告を行った。そして、これ以上の問答は自身の決意をも鈍らせてしまうと、ソレイユは確信したのだ。

 多少冷酷に見えるが、これこそがソレイユなりの優しさであった。

 寧ろ中途半端な希望を抱かせたところで、絶望の種をまいた様なものだ。そして絶望は生き残る可能性を零へと限り無く近づける。こう言う事こそはっきり言っておかないとならないのだ。

 それは、ソレイユが戦場に身を置いた時に知った一つの処世術であった。

 ──たとえそれが今生の別れに繋がるとしても、だ。


 「シガール、手を出せ」


 「……え、でも」


 「いいから出せ、時間はないんだぞ!」


 有無を言わせず、シガールに命令する。

 シガールはいつもと違った父の様子にたじろいだ。普段から自由な、悪く言えば奔放な父親が、今初めて息子へ威圧的な態度を取った事に驚愕し、畏怖していたからだ。

 おずおずと差し出された両の手の平に、高圧的な態度とは裏腹にそっと一振りの長剣が乗せられる。

 ずしりとした金属特有の質感と、それ以上の何かがこもった重量。とてもではないが、子供の筋力ではそう何度も振り回せる代物ではないだろう。

 その剣は、さして装飾の成されていない質素な造りのこしらえである。但し、鈍色にびいろの刀身が切れ味の鋭さを何よりも明確に物語っていた。

 つかには、猛々しくも流麗な文字で“悪魔デモン”とだけ銘が彫ってあった。


 「コレって……」


 その剣はソレイユが特注品オーダーメイドとして大切にした逸品である。シガールは、父──ソレイユ──が暇さえ有ればこの剣を丹念に磨いていた事を知っていた。

 そして、如何に思い入れが有ったかも──。

 ソレイユは、当惑するシガールに静かに語り掛ける。

 その口調は乳飲み子をあやす様な包容力の有るものであった。

 ──シガールはそこでふと、思い出した事が有った。

 父であるソレイユは、赤ん坊の頃に何度もあやしてくれた事。

 鉛色の空のもとしもの世話をしてくれた事。

 思い出した光景の中で、ソレイユは嫌な顔一つ見せた事はなかった。

 子供心に子煩悩なのだと、今更ながらに思い知る。


(父さんも、昔は母さんみたいに俺を抱いたり、下の世話もしてくれてたっけな……。 俺はどうしてこんな大事なことを忘れていたんだろう……?)


 いろんな場面が一瞬にして呼び起こされる。

 輝かしくも温かい、日常の温もりをシガールはこの日改めて知る。


 「いいか、シガール。 いざというときは、男の子のお前が母さんを守るんだぞ?」


 「……ぇ」


 我に返り、シガールは父の言葉に言い知れぬ不安と恐怖を感じた。

 そう、これではまるっきり──もう会えないと断じているのに他ならない。

 遂に恐怖が不安に勝り、言い様の無い恐怖が全身を貫いた。

 

 シガールは見ていたのだ。

 実の祖父が斬り殺されるのを──。

 血を吹き出し、倒れる様を──。

 人が簡単に死ぬという事実を──。

 死んだらもう会えないという残酷さを──。


 「え、嘘だよ……そんなの……ねぇ、父さん、嘘だよ、ね?」


 自分でも驚く程掠れた声が、認めたくないと幼稚な否定を繰り返す。壊れたように、ただ首を横に振る。意思と同調したように、ただ横にしか動いてくれない。状況は理解している。しかし、とてもではないが、納得なぞ出来はしない。

 ──もっと剣を教えてくれるって言ったじゃないか。

 ──成人したら酒を酌み交わそうって言ったじゃないか。


 しかしシガールの思いをよそに、ソレイユは今まで見た事すら無いような最上級の笑顔で、こう言ってのけた。


 「じゃあな、シガール」


 「──っ!? 父さんも、父さんも……一緒、だよね? ……ねぇ、母さんっ!?」


 僅かな目配せで、ソレイユとリュンヌは互いに動き出す──それぞれに背を向けて。

 以心伝心──かつて異郷で伝え聞いた、この言葉をシガールは心底恨んだ。

 ──どうして父さん達だけ分かっている風なんだよ!?


 「シガール、行くわよ……」


 リュンヌに手を引かれ、シガールは半ば引き摺られる形で移動を開始。

 断腸の想いで見出だされた両親の答えは、今まさに行動を以て明確にされた。

 遠ざかるソレイユの姿を、シガールは歪んでいく視界の端で認め──


 「……こんなの、こんなの嘘だぁあああ!!」


 母に半ば引き摺られながら、暴れ、泣き叫んだ。













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