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異端ノ魔剣士  作者: 如月 恭二
二章 異国之剣客
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赤雷の傷 肆

今回、NGシーンは無しです。

……すいません。

 令月は、暗殺者達と仕事を続けていた。当面の資金としては問題がなかったのだが、葬儀で出費が(かさ)んだ為だ。菘を教会で弔い、埋葬を済ませてから一月ほどが経過したある日の昼である。

 その日彼は、王都とデポトワールの境界まで標的を追い掛けていた。とは言え、駆け回るという意味ではなく、あくまでも蛇の如く静かに。機を窺い、息を殺すのだ。

 近くには、愛娘の(すみれ)。子連れを装って尾行をしていた。


 当の菫は、沈んだ面持ちで令月の手を繋いでいる。(すずな)が逝去してからというもの、彼は気まずさから口を利く機会が減っていた。

 特に初めの七日間、彼女は泣き疲れては寝るような生活を繰り返していた。食事も普段の半分しか摂っていない。

 その上彼が心苦しさを堪えて幾度か声を掛けたが、泣くばかりで会話にさえならなかったのだ。

 一番母親が恋しい時分に死に別れたのだから、無理もない話だった。それは令月自身が経験したことでもある。それを考えれば納得できることだ。

 令月も、母親が死んだ当初は父──蘭月──に隠れて寝床で枕を濡らしたものである。だが、蘭月の言葉は常に辛辣(しんらつ)であった。強さこそが悲しみを乗り越えるというような、剣と根性論が服を着て歩くような人柄。彼も子供ながらに、そう思わざるを得ない──そんな男として通していた。


 そんな父親の気性も手伝ってか、このような場合の最善手を知らずに育ってきたのだ。

 解決の方法を知らない彼は、相手が愛娘と言えど接し方に(きゅう)していた。娘の扱いは、菘に一日之長(いちじつのちょう)がある。同性のよしみからか、菫の気持ちを()むのに長けていたのだ。

 以前のように接すれば良いのか、菘の死に触れない話題をすれば良いのか。いつの間にか、そんなことすらもうまく考えられなくなっていた。流石に仕事まで持ってくるようなことも無くなってきたが、娘と二人きりとなると上手くいかないものだ。


 ──俺は、あいつのように(うま)い物言いを知らねぇ。どうやって話せば良いんだ……。


 最近では、菫の向けてくる笑顔に若干の(かげ)りが出ているように映る。それが辛い。

 彼女の頭をゆるく()でていく。あやすように、髪を()くように優しく手を滑らせる。これは菘に教わった事だ。昔のように気持ちよさげに目を細める菫の顔が見たかった。

 (たと)え、辛く悲しい気持ちであろうとも、娘には笑顔でいて欲しいという想いを込めて──。

 

 だが、令月はそこで菫が額に汗をかいていることに気が付く。普段はそんな些細なことにまで気が回らないが、彼女は走るなどの激しい運動をしていない。息も上がっている。

 流石に見かねて、彼は声を掛けることにした。


 「菫、大丈夫か? 汗が出ているぞ」


 「……ううん、平気」


 「しかし、気になるな。待ってろ、後で医者を呼ぼう」


 ──菘が死んでしまったこともある。念には念を入れておかねば。

 泣き出したくなる衝動を抑え、彼は所定の場所へ向かう足を早める。道中で教会を発見し、菫に待っているように促した。


 「いいな、菫。俺はすぐに戻る。そして、帰る前に医者を探そう」


 「うん……お父、行ってらっしゃい」


 愛娘の姿が消えるまで、彼は手を振り続ける。それが見えなくなってからは、迷うことなく駆け出した。裏路地などを利用し、人目を(はばか)ることもない。街の暗部とも呼ばれる其処(そこ)を全力で走り抜けていく。


 ──全ては娘の為に。


 その思いを糧に、令月(ちち)は奮い立った。








 「遅くなってしまった……。菫は大丈夫だろうか」


 追跡してからというもの、標的は普段通る道筋から大きく外れ、令月は捜し出すのに難儀した。更に、気配に感付いたのか、途中から入り組んだ道ばかりを進んだのだ。

 やっとのことで先回りを果たし、仕留めた頃には夜の(とばり)が下りていた。大体、中秋といったところか。

 王都近郊とは言え、海が近いこともあってか気温の変動が激しく、この時期の朝と晩は特に冷えるらしかった。白い呼気が出てはいないが、肌寒さを覚える程の冷気が街を覆っている。


 麦粥(むぎがゆ)や肉の腸詰め、魚に香草などの混然とした香りがそれぞれに自己主張をしており、腹の虫と財布に訴えるようだ。寒さのせいか、皆一様に財布の(ひも)(ゆる)んでいた。麦酒(エール)や蒸留酒の酒精が、それを助長するようだ。通りには、幾人か酔って騒ぐ者、往来の片隅で眠る者などがいた。

 路上生活を強いられている子供達を見て、令月は小走りで教会までの道のりを急いだ。


 「菫にも、何か食べさせてやらないと……」


 彼の愛娘はまだ五歳。食べ盛り、育ち盛りの年頃である。食欲不振ではあるが、多少無理にでも腹を満たさねば発育にも問題があろう。

 ──そう考えていた。

 蘭月も、常に『腹が減っては戦が出来ぬ』と言っており、大食漢でもあった。勿論、腹八分に留めておくのは剣士の嗜みとしてはいたのだ。


 ──丁度良いということの難しさときたら。


 暑さに寒さ、人間関係。あらゆる物事の程度を、加減よくすることは難儀である。結局、ほぼ何も出来ずに菘は死んでしまったのだから。

 或いはあの時、看病していれば。

 治療の心得があれば。

 言い訳はそれこそ湧いてくる程思い付くというのに、気の利いたことは何一つ出来やしなかった。


 ──或いは、それが自分の正体か。


 鬱屈とした思考を取り留めもなく繰り返しながらも、彼は教会の入り口に辿り着いた。

 だが、そこで目にしたものに衝撃を受ける。菫は冷たい石畳の上で倒れていたのだ。


 「菫、どうした!?」


 声かけに反応はない。荒い呼吸をしており、顔面は蒼白だった。頭に手を当てると、熱感がある。どうやら酷い熱が出ているらしい。


 「お前を死なせはしない。頼む、持ちこたえてくれ」


 そう言うが否や、令月は南に向かう。南に広がる街は治安が悪いが、ある噂が在ったからだ。

 デポトワールという街に、風変わりだが、凄腕の医者が居るらしい。

 ──というものだ。


 実際かなりの変人らしく、気に入った者しか治療しない。荒唐無稽(こうとうむけい)な治療をしたり、患者を追い返したりしているという話ばかりだった。

 彼は、出来れば関わりたくない相手だと思っていたが、迷っている暇などない。喪失感に見舞われる様を思い浮かべるだけで、背筋が冷える。

 菫に衝撃がいかぬよう、小走りにすることを心掛けた。およその位置は知っていた為、彼は難儀することもなく、半刻ほどをかけて白亜の診療所に到着する。

 すかさず扉を叩く。


 「おい、医者の先生。居るんだろ、開けてくれ! 娘が大変なんだ!」


 「何じゃ騒々しい……」


 背後から声がする。振り向くと、赤銅色で癖のついた髪を掻き回す男がいた。長身痩躯(ちょうしんそうく)を薄汚れた白衣で包んでおり、やや不潔な印象だ。多少なり不精髭(ぶしょうひげ)も確認できる。

 成る程、確かに変人呼ばわりされかねないか。令月は至極失礼な感想を心の片隅で抱く。


 特徴的な容姿だが、不健康そうな目元の(くま)。そして何処か爛々とした目付きから、殺し屋などとはまた違った方面で危なげな人物だと思われた。


 「また患者か。まったく、近頃は多くて敵わん。……ほれ、(ほう)けとらんでそこにとっとと入らんか!」


 (あご)で入り口を指す男は、当然のように入れと促す。若干気圧されていたのは間違いない。それでも、腑に落ちないことが幾つかある。迷っている内に、「今日はもう店仕舞いにするぞ」と言われるに当たり、彼は慌てて中に上がった。

 中は思いの外綺麗にされていて、作業用とおぼしい机だけ物が散乱している。瓶に入った、粘性の液体からおぞましい形状の生物まで様々だ。


 「その小娘を貸せ、儂が診る。誰も診てはくれなんだろう、異邦の。案ずるな、取って喰ったりはせぬよ」


 見た目や声の調子で分かるが、それほど年老いている訳でもない。だというのに、やたら古風で難解な喋りをする奇妙な男だ。

 令月は、取って喰わないという台詞を本気で疑ったが、背に腹はかえられない。

 別室にて菫は診られることになり、彼は来客用の切り株に腰掛けた。

 程なくして、男が出てくる。なんとも言い難いような顔に、不安感が高まる。


 「菫は!?」


 「此処に来たときには、既に意識がなかった。……顔を、見てやれ」


 入室し、変わり果てた娘の姿を目の当たりにして、令月は膝からくずおれる。

 この瞬間にもまるで現実味がなかった。この日の朝から顔を見て、慎ましやかながら食事も摂った。そんな娘が、眠ったように目を閉じていて、もう目覚めないのだという。

 悪い夢なら醒めてくれ。そう思っても、目の前の景色に変化はない。無地の壁が野暮ったい程に無機質で、冷たかった。きっと、菫の身体もじきに冷たくなっていく。


 ただひたすらに認めたくなかった。これでは、何のために力を尽くしてきたのかが分からない。


 ──俺は、菫の為に……。俺は何をしていた?


 菘が死んでからというもの、愛娘に話掛けることすら億劫になっていたのかも知れない。辛い気持ちは同じことだろう。愛する者の死は、途轍(とてつ)もない喪失感をもたらすものだからだ。

 しかし、今まで過ごした日々を振り替えれば、自分だけが辛いように振る舞って来たようにしか思えなかった。


 とどのつまり、彼は己の為にしか行動していなかったのだと気付いた。──気付いてしまったのだ。


 「どうやら衰弱死らしいの。風邪も(こじ)らせてしまったのじゃろうて。何か、話し掛けてやるといいじゃろう。暫くは、彼女にも聞こえるらしいからの」


 「お前如きが、知った風な口を──」


 反射的に掴み掛かる。最早失うものなどない。或いは、この医者を敢えて逆上させて自身も死のうかと、令月は考えていた。

 ──だが、


 「──では逆に聞くが、お主はこの娘の何を知る?」


 唐突に男は静かな口調でそう言った。機先を制されたことで、内心首を傾げていると、彼はゆっくりと手を差し出す。


 「これを見てみろ。お主、中々愛されておるのう。その自慢の父親がこれでは、あの娘も安心できぬのではないか?」


 そこには、ぼろぼろになった羊皮紙が在った聞くところによると、菫の袖の中に(しの)ばせてあったらしい。

 胸倉から手を離し、破らないように注意しつつそれを開くと、菫が描いたものがあった。子供らしく辿々しい、稚拙で下手くそな何かにも映ったが、それは絵であるらしい。

 右に令月とおぼしい人形、左に菘、そして二人に挟まれるようにはしゃぐ人形が菫だろう。


 「嘘……だろう。俺は一体、何のために……」


 「儂は酒でも買ってくるとしよう。しまった、魚の塩漬けも切らしていたのを忘れておったわ」


 そう告げて、彼は出ていく。

 足音が完全に消えた頃、彼は啼泣(ていきゅう)した。さながら往来で親とはぐれ、寂しさと孤独に困惑する幼子のように──。


 取り落としたそれが床に落ち、上を向いた。

 それに描かれたものは、絵ともうひとつ。子供らしい筆致ではあるが、倭ノ国の言葉でこう書かれていた。


 ──『おとうと母上、だいすき』、と。

次回より、最終局面間近!

繰り広げられる死闘と、その果てを見せて行こうと思います。

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