騒がしい昼時 壱
このお話は私こと如月が初めて挑む、コメディ的なシーンです。
尚、今回はキャラクターの関係を現す上で必要と判断した次第です。
シリアス好きな方にとってみると、(『異端ノ魔剣士』の)原作○イプに映るかも知れませんが、予めご了承下さい。
デポトワールの大通り。その入口から西の路地を二本抜けたところに、 シガール達は居た。
稽古の後、小川で汗を流してここへ至る。その気息に乱れはない。日々の修練こそが、彼らを強者足らしめている。
目の前には、絹の如き白さを誇る小振りな建物がある。貧民窟が程近く、鍛冶屋や工場などの煤煙煙る街において、浮いている雰囲気だ。周りより一回り小さいが、明らかに可笑しな場所である。
「さて、お邪魔するとしよう。 おい。 ……おい、シガール!」
「……なんだよ」
露骨なほどの渋面を作るシガールは、声かけ二度目にてようやく返事をする。お世話にも機嫌が良いとは言い難い様子だ。
赤雷にとってみれば、六年も寝食を共にした子供。言わば我が子も同然である。雰囲気ひとつで、多少なりとも考えていることを読み取れるようになっていた。
「いい加減に機嫌を直せよ、シガール。 大体、俺もお前も仏を食う訳ねえだろ? だからこうして先生のところへ来たんだろうが」
「分かってるよ。 ……でも、なあ?」
「なんだ、引っ掛かるような物言いだな」
シガールは言い淀む。
赤雷は確かに人を斬る、或いは打撃により仕留める。強さを求めてきた彼にとって、それは羨むべき能力だ。
それでも赤雷に命を助けられたシガールは、言うなれば命の恩人である赤雷の殺生を望んでいなかった。
彼の生業を聞いてある程度の覚悟はしていたが、何とはなしに違うと考えていた。
──例え市中の人を苦しめる悪人を消すって言ってもだ……。力って、そんな使い方をしても良いものなのか?
だが、シガールはそう思うと同時に、それが正しいのか否か苦悩していた。死は、極端な選択である。対話による解決が不可能であっても、或いは何らかの形で解決が可能ではないかと考えたのだ。
数年といえども、商人の息子として生きてきたシガールは、そんな方法もあるのではないかと思えた。
──殺すのも、選択のうち……なのかな。
ふとよぎった光景が、思索に待ったを掛ける。
初めて人を、リュゼを殺した時だ。
溢れんばかりの激情に任せて、人を惨殺した感触は今尚根強く残っている。自分が綺麗事を言う資格はないと、そう思える。
──一時の感情に流されては強さなど得られない。
それこそがシガールの想いだった。
現に一度、それが元で敗北を喫し、死にかけもした。考えるほどに意識が鮮明に、研ぎ澄まされていくのを感じる。
シガールは深く息を吐くと、赤雷に返した。
「いや、何でもない……。 俺は頭に血が上ってたみたいだ、悪かったよ、赤雷さん」
「殊勝で結構なことだな。 ……しかしお前もつくづく馬鹿だよなあ」
一瞬驚く赤雷は、転じて呆れた顔をする。
「お前、店の近くに財布落としてたぞ? 金もなしにどうやって飯を食うつもりだったんだ、ええ?」
冷や汗を浮かべ、シガールはやっとひとこと言った。
「……中身は?」
「──空だ。 やられたな」
「くそっ……俺の銀貨が!?」
にべもなく言い切った赤雷とは対照的に、シガールは項垂れる。よりにもよって貧民窟に財布を落としたのだ。どうなるかは、推して知るべしである。
──その時、白亜の建物から何かに怯えたような、聴くからに情けない悲鳴が聞こえる。
赤雷は頬をひきつらせ、シガールは同情にも憐憫にも似た表情をした。刹那、男二人組が口論しているような声が聞こえ、シガール達はどちらからともなく顔を見合わせる。
聞けばやれヤブ医者だの、根性なしだの、聞くに堪えない罵詈雑言だ。
その剣幕たるや、路地裏でみられる破落戸の人情沙汰もかくやと言わんばかりである。
「……流石先生。 今日も患者相手に容赦がない」
「まったくだよ、アルシュ先生の治療法は……その、型破りだからね」
扉に近付いたまさにその時、それは勢いよく開け放たれた。ややもすれば、入り口を破壊しかねない威勢の良さだ。
そこから、青い顔をした細身の男が肩をいからせ、大股で出てくる。服が乱れ、肩口がはだけていることにも無頓着だ。
「……ああもう、気色悪い! なにが『町で一番の名医』だ、ヤブ医者め。 二度と来るか!?」
ようやく息を吐き、男はそこで赤雷とシガールに気付く。
「うん? あんたら、ここの医者の厄介になるつもりか? ……やめとけ、あんな気狂いに治療なんて出来やせん。 あの野郎はな、傷に蛆虫を宛がうんだぞ!?」
「──知っている」
「……この辺りでは常識らしいね」
男は一瞬、呆けたような顔をしていたが、我に返ると「うへえ」とだけ言って去っていった。
すると、赤雷がシガールへ訝しむような視線を投げる。
「おい、シガール」
「なに、赤雷さん?」
「あいつ、俺たちをみて気味悪がるような声をあげてたよな?」
「そうだね」
「まさか、先生と同類だと思われたんじゃないだろうな」
「……それは、えっと。 その……多分そうなんじゃないかな?」
嘘だろと呻き、赤雷は頭を抱えた。よほど衝撃的だったらしい。実際、アルシュ=クロワの評判は高く、医者としての技術も確かなものである。反面、変わり者だとか変人だとか、良からぬ陰口が叩かれるのはそう珍しい話ではない。
悪く言えば、気狂いじみた変人と同等の扱いをされた訳だ。それは精神的に堪えるだろう。
(うぅ、言えない。 主に赤雷さんの方へ視線が集中してた、だなんて……)
そのように狼狽えるシガールへ、声が掛かる。
「おお、さっきの分からず屋かと思えばシガール君……と、そのおまけか。 ……なにを騒がしくしておる?」
シガールが声のあがった場所へ目をやると、そこには病的なまでに青白い肌をした男が居た。
赤毛と白髪が混在した七三分けの髪型で長身痩躯。目の下にこしらえられた、一見してすぐにそれと分かる隈。何より特徴的な、赤みがかってくすんだ白衣。
貧民窟屈指の医師、アルシュ=クロワその人である。
「それがさっきの、患者さん? あの人とちょっと話してたら……赤雷さんが落ち込んでしまって」
「成る程──分からん。 それだけで何故あやつはこうも沈んでおる?」
「……あはは」
「少しばかり、事情があるとみた。 まあ、よいわ。 察するに、どうせ大したことではなかろう。 ほら、いつまでもそう惨めったらしく落ち込むでない。 気色悪いぞ。 これ、赤雷!」
淀みなく赤雷に近付き、アルシュは赤雷の背を足蹴にする。それはもう容赦なく、踏みつけるように蹴りつけた。その為か、石炭の燃え滓や砂ぼこりが外套は勿論、着物まで汚していく。わざとやっているとしか思えない所業だ。
「……あのなあ」
とうとう赤雷は、低い声で唸る。どうも我慢の限界らしい。
その頃にアルシュの足は、彼の頭頂部を踏みつけている。
暫しそうしていると、赤雷がゆっくりと振り向く。
「お、ようやく元に戻ったとみえる。 それでこそ赤ら──」
アルシュは話の途中に飛び退く。刹那、鋭い切り上げがアルシュの大腿部目掛けて襲来。斬撃は標的を捉えることはなく、中空に銀光を残す。
赤雷は肩を戦慄かせつつも、素早く次の一撃に備える。見ると、こめかみには青筋が浮かんでいた。
「このくそじじい、よくも……今日という今日は許さん!」
「おお、怖い怖い。 まったく、最近の若人と来たら年配を労る配慮に欠けておる。 世も末じゃのう……」
しまいには刃物が出たが、最早いつものことである。赤雷は刀、対するアルシュは手術器具である小刀を白衣の裏地から取り出し、携える。
打ち下ろしをアルシュが華麗にいなし、刺突を回避する。赤雷より十以上も年上の人物だとは思えぬ身のこなしである。
いつものことではあるのだが、何故一介の医師ごときが荒事の経験を多分に持っているのか、その疑問にシガールは頭を捻った。確かに、アルシュは貧民窟の医師であり多少の荒事ならば経験はあるだろう。
(もしかして、赤雷さんに鍛えられたのかな?)
それならば理解の出来ない話ではない。赤雷の教えは単純で分りやすいのだ。型の実演も触りから入るため、次の動きが分からなくなることもない。
だが、当面の課題はこの幼稚かつ危険な闘争行為の調停である。
「二人とも、落ち着いて! ああもう、またか……。 もう少し穏やかで、まともな関係を築こうとは思わないのかよ」
仲介しようとするも成果は皆無だ。シガールの経験上、こうなった二人を止められるのは疲労か空腹、もしくは時間経過での解しかない。
シガールの嘆息を他所に、この乱痴気騒ぎは半刻近くも続けられた。
貧民窟に居を構える、(超絶頭可笑しいけども)凄腕の医師。
他の建物と違って診療所だと分かるようにしてはいますが、襲われたら一巻の終わりです。
彼は赤雷に指南を受けているので、赤雷の攻撃をいなせる訳です。
あまり書くと裏設定まで暴露しかねないので、この辺りで。