裏稼業の昼
町の通りから少し離れた所に、酒場がある。
通りから少し離れた立地だからだろうか、壁はところどころに僅かな油汚れがあり、またあるところはひびが走っていた。
南に八軒隔てた先は貧民窟であり、その奥と来たらどこもみな壁が崩れていたり、略奪がそこかしこで起きたりする場所だ。
路地裏に入るならば大抵の場合、刃傷沙汰を見かけることだろう。
そういった意味ではここはまだまともな方である。
店内は薄暗く、昼だというのに燭台の明かりを必要としている。近くに鍛冶屋があるせいもあってか、外見も中身も煤けている。
入り口に立つと、肉汁の香りと、香草の匂い、それから芳醇な酒精が鼻腔を刺激する。
それだけでも、調理人の腕と食材の品質が窺えた。
だが、店内をざっと見渡すと席に座っているのは、頬に傷を作ったり、身体の何処かを欠損しているような男達だ。
誰も彼も、一見するだけで分かるのは後ろめたい事情がある人間だろうことだ。
世間一般の良識ある人間ならば、食欲がなくなりそうな客層である。ところが、主人とおぼしい老人は無言で厨房に立っており、食器を磨いている。
店主と言うより、山賊の頭目と言った方がまだ通用しそうな面構えだ。
そこへ扉を軋ませて入ったのが、赤雷とシガールである。
赤雷が短く店主へ挨拶をすると、破落戸達の視線がそちらへ向いた。
シガールを認めて口角が吊り上がったかと思いきや、赤雷を一瞥するや否や、強面連中が皆一様に青ざめる。
周囲の反応もお構い無しに、赤雷が言う。
「よお、マスター。 まだ生きてたか、油虫みたくしぶてえ爺さんだな。 さて、今日の活きが良い食材は何だ?」
その問いに白髯をたくわえた、老主人が答える。
「ふん、余計な世話じゃ青二才。 ウチにゃ活きが悪いのは置いておらんぞ。 ……今日はそうじゃな、山鳥と赤茄子、それから“仏”くらいか」
「じゃあ、山鳥は皮がぱりぱりになるまで焼いてくれ。後はパンと、肉の腸詰め、それから馬鈴薯を。これも鳥と同じように岩塩で炒めてくれ」
「注文が多い客だのう、まったく」
「……因みに、仏って何のことかな、マスター?」
シガールが疑問を口にし、赤雷が静かに眉根を寄せた。主人が訝しげに首を傾げる。
「……む。お前は──そうか仏のことは初めて聞くのか。 それなら知らんのも無理はなかろうな。 坊主、耳を貸せ」
「……?」
言われるがまま、シガールは老主人の言葉に耳を傾けると、怪訝な顔が徐々に驚愕へ染まる。
「な、ななな!? 赤雷さん、仏の肉ってつまり……人間の──」
「声がでかいぞ、少し声を落とせ。 ……それは想像通りだ。 だが、むやみに言いふらすな。それに、話したところでどうせろくな事にはならん」
赤雷はシガールを引き寄せると、耳打ちするように説明した。
貧民窟の隣に位置するこの町は、犯罪組織や暗殺者などの裏稼業の人間がひしめいている。
お世辞にも治安が良くない上、貧民がやっと生計を立てていること、裏稼業の人間が住まうことまでは知っていた。
最早それは共通認識であり、今更聞くまでもない事柄だ。
それでも人肉が出回っていることは初耳であり、また訳が分からず、シガールは改めて聞いた。
「言ったろ、裏稼業の人間がいるんだよ。 危険な薬物や密造酒の売買、果ては殺しを生業にしてる連中がな。 当然そいつらも人間だ、裏切りや金の持ち逃げなんて珍しくはない──独り占めしたいのが性だからな。要は、見せしめって訳だ。この国の公開処刑と大した変わりはねえが、幾らか出所を隠してる分こっちの方が幾らかは良心的だろうさ」
シガールは絶句するしかなかった。
現にシガールは街中に出たとき、一度だけだが公開処刑を目にしたことがある。
だが、そんなおぞましい事が起こるはずの街中には屋台や露店が軒を連ね、これでもかと競うように物を売っていた。
焼きじゃがや、串焼きなどが人々の財布の紐を短くし、浮浪者までもが街ぐるみの活気に熱狂していた。
執行されたのは、斬首刑だった。
とある貴族の長子が謀叛を企てた事で、貴族は爵位を剥奪され、息子もろとも晒し首となったのだ。
血塗れの生首を指して笑う人々を目の当たりにして、シガールは幼心にこう思ったものだ──世は非情である、と。
他人とは言え、人の死の何がそこまで面白可笑しいのか、シガールは理解出来なかった。理解したいとも思えなかったのである。
それが今、形は違えど目の前にある。
人を人とも思わぬ、その所業がただひたすらに不快で仕方がない。
意図せずしてシガールは、苛立つ。
「……俺、ここでは飯喰わねえ」
「は? 何言ってるんだよ、喰わなきゃ腹が──」
「要らねえって言ったろ。自分で店くらい探すよ……じゃあまた後で」
半ば捨て台詞のように吐き捨て、踵を返すと、シガールは扉の向こうに出ていった。
「おい。 おい、シガール!? くそ、行っちまいやがった……」
「あの小童は、いつもの連れじゃな?」
店主は傷だらけのカウンターから通路へやって来ると、前掛けで手を拭きながらそう言った。
赤雷は心底面倒臭そうに答える。
「ああ、そうさ。 少し前までは素直で可愛かったんだがな、今ではあの通りの跳ねっ返りだ。しかし、すまねえな、マスター」
「どうした、藪から棒に」
「あいつだって、悪気があってやってる訳じゃねえんだ。 俺だってなんの益体もない、正義なんて言葉を盲信した時期があったもんさ。 だから、あいつも多分そう言う時期なんだろうよ」
その言葉に目を丸くする店主だが、すぐに口の端を歪め含みをもった笑みをこぼす。
「……ほぅ。 こっちの跳ねっ返りは随分と丸くなったのぅ」
「なんだと?」
「自覚がないのかも知れんがな、赤雷と言えば、ここらの暗殺者でも震え上がるならず者じゃぞ? そんな暴れん坊が餓鬼のお守りをして、人並みに心配までしとる。さて、これを皆はどう見るか考えたことはあるのかね? そうは言っても、皆はまだお前を恐ろしがって、手を出さんようにしてはおるじゃろうがな」
店主は、ただ湿った声で笑う。
敵対するでも、憎々しげに見るでもなく、傍観者として愉しむ厭な笑い方だった。
人の不幸は蜜の味とはよく言ったものだ。
なるほど──確かに傍観者としての立場で他人の不幸を視るのは実に痛快だろう。
しかし、自身が当事者となって鼻面を引き回されるとあっては別だ。不愉快極まりない、というのが忌憚ない感想である。
店主と常連客の、絡み付くような下卑た顔を殴り飛ばしたい気分に駆られる。
それでも、赤雷は面倒ごとを避けようと考えた。
挑発したのは先方なのだが、叩きのめして詰め所にでも駆け込まれてしまえば目も当てられないのだ。
そして、足を滑らせ移動する。店主の男は、呆気に取られ、高齢であることも手伝ってか赤雷の挙動に追い付けない。
流麗に足を運ぶ姿は、一見隙だらけにみえるがその実、相手に予備動作を悟らせない為のものだ。
瞬きの間に、赤雷は店主の喉仏に切っ先を突き付ける。
様子を窺っていた客たちさえ、驚愕に目を見開いていた。
「……な、なにを?」
「いいか、マスター。俺とて所詮人の子さ、人並みに誰かを心配もする。井戸端で話すご婦人みたく笑いを堪えもしない、陰気な糞野郎は別としてな」
切っ先と喉の距離は僅かな隙間を隔てるだけである。突き詰めれば、生殺与奪の権限は全て赤雷にある。僅か一寸でも前に突き込めば、ほぼ間違いなく人を死に至らしめることが可能だからだ。
急所を外し、刃で薄皮一枚を器用に裂けば、鮮血が滲みだす。
老主人は竦み上がり、冷や汗を垂らす。
赤雷は内心溜め息を吐き、忌々(いまいま)しげに言い放つ。
「せいぜい後ろから刺されないよう、夜道には気を付けるんだな」
赤雷は扉を乱暴に開けると、小走りでその場を後にする。
──まったく、相変わらずどこも一緒か。誰も彼もこの国は異邦人となると、まるで蛇蝎のように嫌う。しかし、飯を食いそびれた……。先生の厄介になるとでもするか。
赤雷は移動しながら、そんなことを考えていた。
無論、例外はある。しかし、赤雷が移住してきた時がそうだ。
シエル王国騎士団の数人が、言いがかりで赤雷を拘束しようとしたことがある。罪状は騎士団員への侮辱だとされたが、実際のところは近くを通りすがり、泥が跳ねただけだった。
それだけではない。
赤雷は、異邦人だからという理由だけで迫害されている人々を、この国で目にしてきた。
特に、何の伝手もない異邦人の末路は悲惨極まりない。
ある時、路地裏で見掛けたのは子供と親子の三人家族だった。
赤雷がみた時には、子供は殺されており、夫とおぼしい人物は身動きひとつしていなかった。恐らく、子供同様死んでいたのだろう。
不幸なのは、妻とみられる女性である。なまじ整った容貌であるからか、衣服は裂かれあられもない姿にされていた。
助けに入り、命こそ繋いだものの、ついぞ女の目に正気の光が差すことはなかったのだ。
正直なところ、異邦人が不幸でなかった試しがないというのが感想である。
詰め所などの騎士達が掲げる、『騎士は慎み深く、精練たれ』という、騎士道の教えが酷く馬鹿馬鹿しく見える。
正規軍であるはずの騎士にさえ高潔な者は居らず、高尚なお題目に唾吐く者が多数いる始末なのだ。
(騎士なんざ、糞食らえだ。 ……おっと、そろそろか。 シガールは後で探すとしよう)
思いを巡らせている最中、正午を告げる鐘が響く。
赤雷は通りに面した路地に駆け寄ると、木箱やごみの陰へ隠れ潜み、鏡で往来の中を確認する。
凸面のそれをあちこちに動かすものの、鏡に映る人々の姿は極めて小さい。
距離が遠ければ、その分視認自体が困難となる。
数分後、鏡にある人物が映り、赤雷は得心したように鏡を懐へとしまう。
対象は男一人である。
日に焼けた肢体は、道行く人々の誰よりも発達しており、鍛えられた身体であることを主張する。
その風貌は、顔に幾筋もの刀傷をこしらえている上、纏う空気は物々しい。
なぜなら男は武装しており、剣帯が鳴らす規則的な音は得物の奏でるものだからだ。
その男が路地の付近を通り掛かる刹那、赤雷は男の腕を一息に引きずり込む。
「──っ」
人混みで警戒していなかったせいか、男は驚愕し、声すらあげられない。それどころか、抵抗すらままならなかったようだ。
引き込んだ勢いをそのままに、赤雷は壁で背中を打たせる。
目を白黒させる男に対し、鋭い呼気と共に心の臓へと掌打を繰り出す。
ほぼ密着した状態でありながら、その一撃は命中の直前で強烈な捻りが加えられる。身体の内部を穿ち、捩じ込むような突き方だ。
革鎧の上から、という悪条件での攻撃であるが、当の赤雷にはおおよそ躊躇いという感情はない。
瞬間、赤雷にもたらされる感触──即ち、致命打の予感だ。
打撃の瞬間、伝わったのは胸骨と肋骨付近の破砕音。そして、男が瀕死の魚もかくやと言わんばかりの痙攣を始めた。それを目にしたことで、予感は確信へと変わる。
男の呼吸は瞬時に止まり、赤雷が脈を取ると拍動すら停止していた。それが指すところは、心の臓の停止だ。
医術に長けているものならば或いは蘇生可能だろうが、この辺りの路地は浮浪者の寝ぐらである。
遠からず、男の息の根は完全に止まることだろう。
「……さて、終わりか」
その声には何一つ感慨というべきものはない。
獲物を仕留めた猛獣がけして誇ることがないように、声音はひたすらに無感動だ。
周囲を警戒しながら、男が首に提げている金剛石の飾りをもぎ取ると、赤雷は外套の裾を翻し路地裏の闇に消える。
かくて、この凶行は誰の目にも留まることがなかった。
心臓付近に打撃を強烈に叩き込むと、心臓に電気ショックが走るらしいです。
そして、遠からず心停止。
勿論、打撃自体が技巧を凝らしたもので無くてはならず、工夫も為さなくてはなりませんが。
まさに、一撃必殺の技ですね。
東洋の神秘は、人体を知り尽くした故のもの。
治すも壊すも思いのままって、ちょっと怖いですが、実に興味深いことです。




