医師と殺し屋
さあて、新規キャラの登場です。
ちょっと妙ですが、書いてて自然としっくり来る空気と展開になりました。
寝静まった集落にある一軒の空き家で、四人の男女が蝋燭の仄暗い灯りに照らされていた。
一人はシガールだ。薄汚れた布団の上で横になり、毛布を掛けられて静かな寝息を立てていた。規則的に胸の辺りが上下しており、峠を越えたことが分かる。
(ふう、間に合ったか……)
その横に赤雷が座り、顔を伏せていて表情が窺えない。それと気付かれぬように、ひっそりと赤雷は安堵の息を吐く。
もう一人の男性は、くすんだ白衣を着用した壮年とおぼしい男性である。白髪混じりの赤毛を七三分けにしているが、その容貌はあまりに不健康的だ。
頬が痩けており、肌は病的な程の色白という佇まいをしている。眉間に刻まれたしわのせいもあってか、引きこもりがちで神経質な学者を思わせた。片眼鏡に学術書でも合わせれば、それはそれは様になりそうな風体だ。
そして、最後に部屋の隅で毛布を被って寝息を立てる、小汚ない姿をした赤毛の少女が一人いる。
年の頃は十代前半だろう。体つきは華奢で、服の汚れとそばかすがなければ、かなりの美少女だろうと思われた。
音もなく赤雷は立ち上がり、席を外そうとしたところで、背中越しに「待て」と呼び止められる。
白衣の男が眉間のしわを一層深いものにしながら、溜め息を一つ。そして、忌々(いまいま)しげに口を開いた。
「……お主に聞きたいことがある」
「……」
「赤雷、お主じゃよ。 このつんぼめが!」
男が少しばかり声を上げ、赤雷は向き直り肩を竦めた。
「ああ、てっきり居もしない者に話し掛けていたのかと思ったんだよ、先生。 いやぁ悪かったな、ははは」
「……ちっとも悪びれん辺り、肝が据わっておるのか、ただの阿呆なのか察しかねるの。 まあ良いわ……。 ──して、あれはなんじゃ?」
男はシガールを指して、赤雷に問い掛ける。赤雷を見つめる眼光は鋭く、追及と言うには度が過ぎている様に思えた。
赤雷はおどけるように返答する。
「何って患者でしょうが。 もしやそこまでもうろくしたのですか? お痛わしいことだ、まったく。 ……同情するよ」
そんな赤雷に対し赤ら顔になる男だったが、すぐに黒ずみだらけの天井を仰ぎ、二の句を継いだ。
「茶化すな、馬鹿たれが……しかと答えい。 どういうことじゃと──聞いておる」
改めて赤雷の方に向いた時、男の瞳には光りが宿っていた。それは爛々と光るものとは違い、老獪で淀みのないものだ。男に目を合わせられるに至り、経験則から赤雷は隠しだては出来ないと確信した。
暫しの後、溜め息を吐いて答える。
「……助けたかったから助けた。 それだけだ、他に理由はない」
「……お主、自分がどんな立場の人間か知ってのことか?」
「知っている。 少なくともどんな人間かはな」
瞬間、がしりと赤雷の胸ぐらを、男が掴む。怒り心頭の表情が、吐息の掛かりそうな距離に近寄る。
「──いいや、違うの。 お主は認めたくないだけじゃ。 『自分はまともだ』と、いつまでそうやって逃げる!? 儂も迷惑しておるのに、何故分からん!?」
「医者は治すのが仕事だ、そうだろ?」
「減らず口ばかり叩きおる……」と男が歯ぎしりし、赤雷を睨み付ける。離れた場所で寝言を言う少女が、酷く間抜けに映る。
「もうお主絡みの患者の数は、とうに両の手で勘定が出来ぬのだぞ!?」
「商売繁盛、願ったりかなったりじゃねぇか。 いやぁ、めでたいめでたい」
「先月お主が助けた、薬物組織の金に手を付けた小僧が烏と野犬の腹に収まっても尚、その減らず口は治らぬかの?」
「……」
「また黙りか。 都合が悪いといつもそうじゃの、お主は。 いかな強さを誇ったとて、いつかその甘さが、温さが、いつかお主の足元を掬うことになると、何故分からん?」
「黙れよ……爺」
赤雷が剣呑な気配を纏い、空気が張り詰める。
いつしか赤雷は自然な所作で鯉口を切っていた。
それに臆することなく、白衣の男は肩を竦めて言い放つ。
「何時だったか言ったな、お主は。 『この界隈に入った時から覚悟している』と。 ──甘え腐るな、若造。 私情に流されて、死ぬのがお主だけならまだ良い。 だが、儂やあの子にとばっちりが来ては堪らん。 ──だろう?」
絶句するも、理性を働かせる。
必死に頭を回し、「抜けば負け」だと理解する。
正しいのは男の方なのだ。男が辟易とするのも承知で迷惑ばかりかけていたのは、他ならぬ自身であり、立腹されるのも至極当然であった。
それが悪目立ちすることを好まない、白衣の男の本音であるらしかった。
もっとも、これほどまで我慢しているのも予想外ですら有ったのだが。
「……すまん、熱くなりすぎた」
男の正論に赤雷は吐き出す様に返す。
正論。何もかもが男の言うとおり。
この界隈は弱肉強食。背中を見せようものなら、成す術なく食い散らかされてしまう。力と金、性と持てる物すべてで上下関係が成り立つ世界。
そしてそれこそが、日陰に生きる者達の宿命だった。
「まったくじゃ、未だに進歩の“し”の字すら垣間見えぬ癇癪持ちの若造の尻拭いとは……。 やれやれ、骨が折れるわい」
嫌味たらたらの男に閉口する赤雷だが、以前にも世話を掛け、ひと悶着起こしかけた手前がある。じっと耐え忍ぶ。
聞けば、やれ「今年に入って八人目」だの「今日は厄日か」だとか、日頃の怨み言ともとれる言葉を、白衣の男は生気の籠らない顔で呟いている。生きた心地がしないというのは、きっとこのことなのだろうと思い、赤雷は冷や汗を垂らす。
なんとかひとしきりの不満をやり過ごし、赤雷は「なあ」と声をかける。
男は心底嫌そうに眉根を寄せるが、赤雷はそれを歯牙にも掛けずに本題へと入る。
「この子──シガールは助かるのか?」
「なんじゃ、そんなことを気にしとるのか? だったら諦めることじゃな、そこな坊主は手遅れじゃ、うひひひひ」
「──斬るぞ?」
「おぉ、怖い。 なに、治療一回で金貨八枚の大仕事じゃ。 代金分の仕事はしっかりするのが儂の矜持故な」
「……またそれを言う‼」
金の話が絡み、赤雷は喚いた。頭を抱えて呻く赤雷とは対照的に、白衣の男はしたり顔である。心なしか上機嫌に見えないでもなかった。
この国では、金貨一枚で少なくとも十日分の生活費となる。それが八枚なのだから、男の喜びは察するに余りあった。
男は嘆息する。
「やはり、まだ根に持っておったか……道理で、の。 しかし、女子に好かれぬぞ? ……うん? もしや、お主……」
「ああ、そうさ。 金欠だよ、笑いたけりゃ笑え……。 ……で、どうなんだよ実際」
思わずばか笑いをしそうになる男だったが、赤雷の言葉に真顔となる。
「笑ってやりたいが、まあいい」
「傷の程度はどうだった?」
「そうさな、傷は思いのほか深くはない。 致命的ではなかったゆえ、さほど苦労はせなんだ。 何より、臓腑の損傷は皆無であったからの? 後は……そうさな、痛み止めに微量の阿片を使った程度かの?」
男はいきり立つ赤雷を、毒も酒も薬とたしなめてから続ける。
「原始的では有るが消毒、縫合も無事に完了した。 後の経過は、化膿に留意しておればなんのことはなかろうて」
「引っ掛かる言い方だな……。 勿体振らずに教えろよ、先生」
「……分からんか、お主?」
「……?」
「この子は両の親を殺されたのじゃろう? その上、剣で腹を刺し貫かれた。 ならば傷は勿論治さねばなるまい。 じゃが、生憎と儂はただ治療をするのみよ。 じゃからの、赤雷や……。 儂は、患者の身体は治せても──」
シガールが毛布を荒々しくめくりあげて跳ね起きる。その様子に赤雷が目を見開く。
一拍おいて、男が目を伏せる。
「──心の傷はなかなか、そうはいかぬぞ?」
次の瞬間、恐怖に凍ったシガールの悲鳴が、壁を、小屋の空気を震わせた。
現代の医師とは、ものの見方が違うと思って頂ければ幸いです。
さて、遅筆ですが、頑張りますよっと。