悪夢
*鬱展開注意。表現とは言え、残酷表現を多分に含んでいるシーンです。苦手な方はお控えください。尚、筆者は正気です……(汗)
陰鬱な話ですが、ご堪能ください。
暗く、一縷の光明すら差さない闇の中をシガールはひた走る。
深淵の闇、水底に似た昏い闇。
闇を表現する言葉は数あれど、その闇はどれにも当てはまらない。光景が歪み、捻れているところが見えたのだ。かなり異質な空間。
そんな空間の中、シガールの鋭敏な聴覚は僅かな声量を拾った。
シガールにとっては聞き覚えのある、安心できる物だった。断片的で、なにごとか口ずさむような声だ。断片的なものだが、その声は間違えようもない。
(母さん……‼)
そして暫く駆けていくと、突如として光が射し、視界が開ける。
そこには黒紅の長髪を揺らす、落ち着いた雰囲気を持つ女性──シガールの母、リュンヌ──の後ろ姿が現れる。
どうやら野外で調理の真っ最中らしい。皿に何物か取り分けて、味見をしているらしかった。
「母……さん?」
「……? あら、シガールどうしたの?」
いつもと変わらぬ仕草。いつもと同じ、柔らかな口調でリュンヌは首を傾げる。
シガールは腹部に一瞬目をやり、大きく嘆息する。
「……あぁ、良かった‼」
「良かった? ふふふ、変な子ね。 ……そうだわ、今から食事にしましょう。 ちょうど今、鍋を火にかけてるのよ‼」
「そうなの!? やった、母さんの手料理だー‼ ありがとう、母さん‼」
「ふふ、おだてたって何も出ないわよ?」
母の手料理。それを聞いてシガールは更に安堵する。
母の手作りパンは勘弁願いたい代物であるが、煮込み料理やスープとなると話は別だ。不安も恐怖も、何もかも吹き飛ぶ思いだった。
母とシガールは束の間、他愛のない話を交わす。
やれ個人商業を営む誰かが酔って肥溜めに落ちただの、あそこの宿の主人は無愛想だのと、言葉を交わす。
益体のない世間話だが、以前もこうして母とよく話をしたものだ。そのせいか、下らないはずの話にすらも花が咲き、会話は弾んだ。笑顔は自然と増えて、空気も穏やかになるのが分かった。
「……あら。 もう出来上がりのようね。 待っててね、シガール」
「うん、有り難う母さん‼」
(……あぁ、良かった。 ……あれは、夢だったんだね)
想起するのも忌まわしい出来事を、シガールは思い浮かべる。
その出来事ではシガールだけが生き残り、隊商の皆は揃って血の海に沈むという恐るべきものだ。
(そうだ、きっと夢だ。 夢に違いない)
確信めいた思考が湧き上がる。夢だったのだと。
「さあ、召し上がれ……」
いつの間にか、リュンヌが鍋を抱えて歩いて来た。
目を開けて、手料理に舌鼓を打とうとする。
「あぁ、ありが……!?」
そして、シガールは硬直する。
鍋の中が、真っ赤なのである。
笑顔は引きつり、続く喜びの声は喉の奥深くにしまい込まれる。更に驚愕する要素を発見したためだ。
「シガール……? ドう、シタの……?」
「ひぃっ!?」
先ほどまで何もなかった腹部に、それは有った。
無いはずの物が、そこには有った。
──短槍である。
穂先は粘着質の赤黒い体液を滴らせ、こちらを向いていた。
更に、リュンヌは顔と口角からおびただしい流血を伴いにじり寄る。声音さえも不気味に変質し、もはや異形の囁きである。その瞳には我が子を想う光りではなく、生者を呪い恨む亡霊の燐光が灯っていた。
「う、うわぁあああ!?」
逃げ出すのは、永遠にも近い一瞬の間を置いてからだった。
シガールは走りながら思案する。
(俺の……俺のせいなのか?)
どれだけ走っただろうか、「もう走れない」と思った時ソレイユを見かける。
いつもと同じ、商いをする際の軽装である。その恵まれた体躯はシガールに頼もしさを感じさせる暖かいものだ。
体格に似合わず人懐っこい笑顔をシガールへと向けてくる。
「よぉ、シガール。 ……どうした、そんなに怖い顔をして? 肩で息をしてるじゃないか?」
「……そ、それが母さんが……!? お、おかしくなっちゃって……‼」
それを聞くや、ソレイユは眉根を寄せる。
「なに、それは本当か!? こうしちゃ居られんな、行くぞシガール‼ 案内してくれ‼」
「……う、うん、分かった‼ こっちだよ!?」
そう言ってシガールがソレイユへと背を向けた時だ。
──がしり。
唐突に肩を掴まれる。
「…………え?」
恐る恐る後ろを振り向くと、左の眼球が潰れ血まみれとなったソレイユが怨念を湛えて、至近距離からシガールを睨んでいた。
そして、そのおぞましい瞳とシガールは目が合った──合ってしまった。
脚絆が湿る感触すら、今のシガールには感じ取ることが出来なかった。
「逃ゲられるト、思ったノか? 母さンのこと、絶対に許サん。 許さんぞ!? オ前は『母さんヲ守る』と約束シタのに……‼」
「……」
その言葉にシガールは絶句。全身の筋肉は弛緩し脱力、とうとう座り込んでしまった。
(……俺の、せいだ)
離れたところから顔面を蒼白にし、その麗しい顔の半分を潰したマジーが脳漿を振り撒きながら走り寄ってくるのが見えた。
形相は悪鬼のそれで、罵詈雑言を吐きながら泣いている。
『アンタが死ねば良かった』と確かに今、そんな言葉がシガールの耳へ届く。
(俺の力が弱いばっかりに‼)
三人居たはずの人間はいつしか隊商全員へと増えていた。
皆一様に顔面蒼白。生きた心地はしなかった。
「「罰を求メるか?」」
生ける屍はまったく同時に口を開く。生きてはいないのだろう。印象としては、東方における“からくり人形”である。生気なぞは微塵も感じられなかった。ただ、シガールに言い知れぬ何かを感じさせていた。
(これは、きっと罰なんだ。皆を守れず、俺だけが生き残ったことに対する罰……)
その言葉にシガールは答える。
「……お願い、僕に罰を……いや、罰してくれ、お爺ちゃん」
──答えて、しまった。
言い終わるが否や、屍達は厭らしい笑みを浮かべ、口角を上げる。反射的に、ぞわりとシガールの全身が総毛立つ。
「良かろウ、その願イを叶エン」
祖父こと、リッド=ヴァーグが嗜虐に顔を歪め、顎で示す。隊商の一人がリュンヌの四肢を、頭を持つ。合図の後、それぞれがリュンヌの四肢と頭を引っ張り始める。
すぐにリュンヌが悲鳴を挙げる。その声は元の優しい声に戻っていた。
「い、痛い‼ やめて、皆‼ シ、シガールお願い‼ 助けて‼」
「母さん‼ ……っ‼」
矢も盾もたまらず、シガールは駆ける。
しかし、ソレイユから解放された矢先、シガールは一人の男に拘束される。そして、ソレイユも二人に拘束されていた。
シガールは喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
「なんでだよ!? こんなの、話が……話が違うじゃないか!?」
「いいや、コレは罰じャ。 だカラの、シガールや──」
我らが隊長は悦に入った態度で続ける。その後方でリュンヌがくぐもった声を漏らす。否が応にも、連中の意図を察してしまう。
牛裂きの刑よろしく、引きちぎろうとしているのだ。
「ぎィ……シガ──」
「…………や、やめろ。 それだけは……」
一瞬の停滞の後、ぶちりと何かが千切れる。それは、
「せめて家族、皆の死に様を拝んデおくんじャ」
──リュンヌの四肢と頭部であった。
そして、続くはずのリュンヌの断末魔はシガールの絶叫に掻き消された。
「やめろぉおおおおおお‼」
読んでいただきありがとうございます。
相も変わらず昏い話ですが、お楽しみ頂けたとあらば幸いです。
貴重なお時間をどぶに捨てさせるような駄作ですが、ご愛顧頂けるとは恐悦至極です。
有り難うございます‼