慟哭
シガールの行く末が遂に決定。
この先、シガールはどうなることやら……。
異端を描く物語は、加速する……と良いですね(泣)
硬派な印象でしか書けない、ユーモラスの欠片もない筆者をお許し下さいorz
「そんな、マジー姉ちゃん! しっかり! しっかりしてよ、ねぇ!?」
「あっ! おい、ちょっと待て!?」
シガールはわき目も振らず、マジーへと駆け寄る。
もはや制止する赤雷を歯牙にも掛けず、まっしぐらに近寄ると揺すり起こしに掛かる。
その後方で、赤雷は警戒すると同時に周囲を観察する。
「……」
そしてそこで眉をしかめる。
少女だけではない、見れば離れた場所にも女性達が倒れていた。
近くには女性達の服と思われるぼろ切れが散逸しており、女性達も少女同様に半裸に近いもの、あるものに至っては全裸といった有り様など、さまざまである。服装も乱れが目立ち、争いの形跡と分かる。
痛々しいことに、ほぼ例外なく女性達には暴行の痕跡と見受けられる打撲痕や刀傷が、身体のそこかしこに走っていた。
更に、皆一様に口元から血を流しており、だらしなく舌を垂らしていた。特筆すべきはその舌で、特に先端が切断されていることだった。
共通している点はただひとつ、衣服が乱暴に引き裂かれている点である。何より引き裂き方が作為的で、下手人である何者かの意図するものが容易に浮かぶようだった。
それだけで、赤雷はこの場で起きた惨劇を理解する。
赤雷は移動し、シガールを止めにかかる。
「やめろ、もし息が有ったらどうするんだ!? こいつが虫の息なら死ぬぞ!?」
「……っ」
赤雷はシガールに移動を促し、マジーと呼ばれた少女の頬を軽く叩く。覚醒を促しながら、赤雷はマジーの様子を子細に観察する。
(胸の上下はなし、か? むぅ……判断がつかん。 このまま起きぬようなら……その場合は致し方ない。 その時は諦めるしかあるまい。 どのみち永らえよというも酷であろう……)
「……ぅん」
「マジー姉ちゃん! 良かった、生きてる! 本当に良かった!」
赤雷が諦めかけたその時、マジーは眉をしかめ覚醒しはじめる。
隣では、シガールが彼女の生存を喜び、咽び泣く。
(さて……果たしてどうかな? ま、けして喜びはしまいよ……)
「──っ!!」
その時マジーが完全に覚醒し、身体を引き寄せ、野獣もかくやと言わんばかりに飛び退いた。
その瞳には光がなかった。
かつて、シガールに笑い掛けていた、あの時の花も恥じらう輝かしさが消え失せていた。
代わりに有ったのは暗く濁った様な、生気のない眼だ。
その顔には恐怖が張り付き、焦点の合わない瞳でシガール達をみやる。
「……シ、シガール?」
「そうだよ、マジー姉ちゃん! 俺だよ! 無事で良かった……。 さあ、一緒に帰ろう? この人が助けてくれたからもう大丈夫だよ」
「ひっ……!?」
視線がシガールの後方に控えている赤雷へと向いた瞬間、マジーの表情が凍り付く。
その表情には恐怖と、生理的な嫌悪が籠っていた。この反応に、シガールは流石に違和感を抱く。
「マジー姉ちゃん? ……どうしたの?」
「……いや」
「え?」
「いやぁあああああっ!!」
マジーは絶叫し、膝を折る。
なまじ扇情的な格好であるだけに、シガールにはその姿が余計に痛ましく映った。
「マジー姉ちゃん!? どうしたのさ、らしくないよ!?」
──こんなのマジー姉ちゃんらしくないじゃないか。
シガールはマジーの肩を揺する。
「ひぃ!?」
だが、シガールはマジーに振りほどかれて倒れ込む。
マジーが悲鳴を挙げて、シガールを弾き飛ばすように押しのけたからである。
その衝撃で、鞘に収められていたソレイユの剣が抜き身になる。
「……」
まじまじと剣を見つめ、マジーは暫く思案する。
もはやシガールは突然のことに沈黙してしまう。
後ろの赤雷は、一言も発しては居ない。
助けを求め、視線だけ動かすも期待していた成果はなく、そっぽを向いてしまう。
「シガール、お願い……」
「なに、マジー姉ちゃん!?」
唐突に口を開くマジーにシガールは弾んだ声で返事をする。
「私を、殺して……」
「…………え?」
続く言葉に、気の抜けた返事がこぼれる。それはお願いというよりも、もはや遺言の類いである。しかも、態度は懇願に近く、どこか真に迫っていた。
訳が分からなかった。
いつも姉のように振る舞い、優しい笑みを振り撒く。そんな彼女が自らを「殺してくれ」と嘆願する。
──一体どこで間違ったのだろう。
──一体なにが悪かったのだろう。
けれども、とりとめのない自問自答は答えをなさなかった。
「そんなこと出来る訳ないじゃないかっ!?」
考えるよりも先に口が動いていた。
「じゃあどうしろって言うのよ……?」
「何!? 一体どうしたって言うんだよ!?」
「──っ! ……皆の仇に嬲られて、穢されて……それでもアンタはあたしに生きろって言うの!?」
「……っ!?」
涙をにじませ、吐き出すような言葉を投げるマジーに、シガールはびくりと震える。
ただ、赤雷だけが不動を保つ。まるで、こうなること自体がある程度折り込み済みといったふうだ。
その時シガールの中で何かが壊れていく。
それは優しく、穏やかな日常である。
父や母が亡くなった時、完膚なきまでに打ちのめされたそれは、マジーを見付けるという一縷の希望で膨らみかけ、とうとう呆気なく消え去った。
野盗に囚われた女達がどうなるかはシガールもそれとなく理解していた。場合によっては殺されるよりも悲惨であるということも。
だが、一方で「そんなことがあるもんか」と決めつけ、根拠一つないというのにマジーが無事だと勝手に信じ、また疑わなかった自分がいたことに気が付いた。
こうして目の当たりにすることで、すべてが現実だという事実を突き付けられる。
(……違う。 俺は、そんなつもりじゃ……)
否定できなかった。それは幼稚で無力で、なんと無責任なことだろう。
結局のところ、「強くなりたい」という思いもまた正義の味方の登場を信じていることの裏返しなのかもしれない。
そんな自分の愚かさに歯噛みする。反吐が出そうだ。
「もう、いや……。 アンタの顔もみたくない!!」
「……待って」
強固な拒絶の意思を向けられ、シガールは立ちすくむ。肩が震え、足は重みを増した様に動かない。
走り出したマジーを、シガールは弱々しい声で引き留めることしかできなかった。
「あっ!? 待てよ、おい!? ……ッ! おい、追い掛けるぞシガール!!」
そんな時、静観を決め込んでいた赤雷が声を挙げる。
「……なんでだよ?」
「良いから来い! 大事な奴じゃねぇのか!?」
その言葉にシガールは、はっとする。
そう、もはやシガールに頼れる人間が居るとするならマジーくらいのものなのだ。
言わば姉の様なマジーの存在は苦手でこそあれ、特別で尊いものだった。
──そうとも、大事な人だ。何をしてるんだ、俺は。
走り出す赤雷に追従し、背中越しに疑問を投げる。
「そういえば、なんで急にあんなことを言ったんだ?」
何とかしろと目線で訴えたのは、他でもない彼だったろうに、一体どんな風の吹き回しだろうかと申し訳程度の非難を込めて訊く。
「あぁ、それはな──」
一瞬口ごもると、すぐにこう言った。
「──地図によると、この先は崖になっているからだ」
言い終わるが否や、絹を裂いたような悲鳴が聞こえ、何かが崩れる音がした。
二人して立ち止まる。
赤雷は「くそ、地形が全然違うじゃねぇか!?」と地図を見ながら毒づく。
「マジー姉ちゃん!」
「馬鹿!? お前まで落ちる気か!?」
駆け出した矢先、襟首を掴まれ息が止まる。
赤雷を恨みがましく睨むも、彼は無視して提案する。
「取り敢えず迂回しよう。 俺らが落ちればそれこそ目も当てられん。 それで良いか?」
「……うん」
反論の余地なぞどこにもない。
もしかしたら、助かる程度の傷かも知れないと、シガールは多少強引に気持ちを切り替え、赤雷と共に迂回路を探すことにした。いつしか、足取りは一層重くなり、シガールはそれきり黙り込んだ。
シガール達は大幅に迂回し、マジーの落下地点へと辿り着く。
日は高く昇り、昼を過ぎた頃だろう。
崖の下、シガールはマジーの傍らに寄り添う。
岩肌の上に横たわるシガールは、ぼろぼろの肉塊をただ呆然と見下ろす。
四肢はあらぬ方向へねじくれ、首すらも身体の前面とは反対方向を向き、頭蓋に至っては損傷が激しく灰色の脳漿とおぼしいものを撒き散らしていた。
元はワンピース調だとおぼしき布切れにも、半ば酸化しかけた血液が大量に付着していた。
それほどまでにマジーはその愛くるしい容貌を損傷し、変わり果てた姿となっている。
シガールの目に涙はなかった。
そして、思い起こすのは彼女と過ごしたささやかな日々の思い出だ。
偶然にも、シガールとマジーは同じ月、同じ日──九の月、二三日の生まれであった。
いつだったか、マジーが珍しくお伽噺を聞いていた。
真面目で、仕事人間と言っても差し支えない彼女がそうしている様子は新鮮だった。
シガールが不思議そうに尋ねると、マジーは笑って言った。
──同じ月、同じ日の生まれの男女が結ばれるっていう話よ。
──なにそれ、つまんないの。
──何よ?でも、面白いのよ?色んな苦労や逆境を乗り越えて最後に二人は結婚するの。私、感動しちゃった。
見れば、マジーの目尻には確かにうっすらと涙を浮かんでいる。周りの子供達よりも大人びている彼女が、こうして泣いたりするのもまた珍しかった。
──冒険物だって負けてないよ?かっこよくて……とにかく凄いんだ!
──フフ。
──なんだよ?そんなにおかしい?
──そんなところよ。フフフ。……さ、皆のところへ戻りましょう?お仕事頑張らなくっちゃ!
うへぇと舌を出すシガールにマジーは「しっかりしなさい、しっかり」と叱咤する。
そんな彼女は不意にシガールに向き直り、言った。
──ところで、私達って同じ月、同じ日の生まれよね。
──うん?そうだよ?それが、どうしたの?
──……ううん。何でもない、行こ?シガール。
そう言って微笑む彼女はひどく魅力的で、どきりと胸が高鳴った。
──へ、変な姉ちゃん……。ま、それが良いとこだけどね。
──あー、こいつぅ~!?
──あははは!!
そうして二人で手をとって歩き出す、幸せな思い出。
だが、シガールにとって家族や大事な人達との思い出は何処か空虚な感覚をシガールに伝える。
そして同時に、昏く黒い衝動が心を焼く。
──姉ちゃんをこんな風にした奴らを許さない。
──父さん、母さんを殺した奴らを許さない。
──あいつらもこんな風にしてやりたい。
──あんな奴ら、死んだ方が良い。
──あんな奴ら、殺してやりたい。
──あんな奴ら、絶対殺してやる。
何度も何度も、同じような暗澹とした想いが渦巻く。
幼心に抱くそれは、彼が初めて抱く感情──憎悪である。
「うおおぉおおおおおおお!!」
片目だけを涙に濡らし、シガールは張り裂けんばかりに叫ぶ。
閑静な林に、慟哭の遠雷が響き渡る。
それを横目に見ながら、赤雷は密かに眉をひそめていた。